若島孔文(東北大学)
シンリンラボ 第18号(2024年9月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.18 (2024, Sep.)
心理臨床において,私は動機づけを重要視している。犬の訓練士でもある私は,犬の訓練では行動に対する報酬や罰よりも,格段に動機に対する報酬や罰の方が効果的であることを知っているからである。TVである訓練士が,犬が吠えた後に,空き缶に石を入れたもの(大きな音がする)を放り投げて,犬を泣き止ませるという方法にため息が出た。そのようなことよりも犬が吠えようとしている瞬間に「ダメ!」という方が数段効果的である。こうした経緯から日々の心理臨床においても,動機づけに着目している。2010年秋に東北大学で行われた日本心理臨床学会では,内発的動機づけ研究のレジェンドであるエドワード・デシ先生を招聘したくらいである。
今回紹介する本は,ハーバード・ビジネス・レビュー(編)『新版 動機づける力─モチベーションの理論と実践』(2009年,ダイヤモンド社)である。この本は主に産業組織領域における動機づけ研究の理論と実践に関する本である。そもそも動機づけ研究は,産業組織心理学の中心的領域といっても過言ではない。産業組織心理学においては様々な動機づけに関わる基礎的な理論がある。
ロック(1969)における目標設定理論(goal-setting theory)にはじまり,様々な動機づけに関わる実践的理論が多く研究されてきた。目標設定理論における目標とは「個人が達成しようと試みるものであり,行為の対象あるいは目的」と定義されている。明確で挑戦性のある目標が,標語のような単純で不明確な目標よりも,課題への高いパフォーマンスを生むことや,目標の明確化がそこに注意を向けさせ,自己制御を促す。さらに,課題遂行の方略(手段)を創造させることでパフォーマンスに影響を及ぼすことも指摘している。本人が十分な能力を持つとき,課題遂行にフィードバックが与えられるとき,管理者がサポーティブであるとき,本人が目標を受容的に共有しているとき,労働への動機づけを向上させる。
また,マズローの欲求段階説(生理的欲求,安全の欲求,所属と愛情の欲求,尊敬(承認)の欲求,自己実現の欲求)を組織の人的資源管理に適用したX理論・Y理論(McGregor, 1960)も本書では取り上げられている。性悪説に基づくX理論と,性善説に基づくY理論。Y理論では,自分が自律的に立てた目標が重要である。本書では,Y理論は万能ではないとしてその具体的実践を示している。
達成動機理論を提示したマクレランドが,モチベーショナル・リーダーの条件について本書で語っている。マクレランドはマーレーの社会的欲求リストの3つの欲求,(1)達成欲求,(2)権力欲求,(3)親和欲求に着目した研究者である。大きな企業のマネージャーに必要な欲求,企業を起こす人に必要な欲求,政治家に必要な欲求などを示した研究者である。
動機づけ-衛生理論(Motivation-Hygiene Theory)を提示したハーツバーグ(1966)もまた,その後の研究成果を示している。彼が提唱したのは,職務満足および職務不満足を引き起こす要因に関する理論である。この理論は仕事における満足度は,ある特定の要因が満たされると満足度が上がり,不足すると満足度が下がるということではなくて,「満足」に関わる要因(動機づけ要因)と「不満足」に関わる要因(衛生要因)は二軸であることを示した。動機づけ要因は仕事の満足に関わることである。,「達成」「承認」「仕事自体」「責任」「昇進」など。これらが満たされると満足度が高まる。衛生要因は仕事の不満足に関わる。「管理方式」「監督」「給与」「対人関係」「作業条件」などが衛生要因である。これらは職務不満足を引き起こす要因となる。こうした理論から始まり,その後の脳科学・神経科学の研究による展開が語られている。
内発的動機づけに関わる産業組織心理学における重要な理論であるドラッカー(1954)による「目標による管理(MBO: Management By Objective)」についても本書では扱われている。自己管理で仕事を遂行させる方略である。(1)組織目標の体系化,(2)評価方法を明確にすること,(3)目標設定とその達成方法の共有,(4)権限の委譲と自己統制の保障,(5)目標達成度や活動内容の評価の相互決定。本書では,このMBOにおける一般的な問題点を指摘するとともに,成果をあげるための三条件が示されている。
その他にも,ピグマリオン効果について,教師-生徒ではなく,管理監督者-部下という関係で,「期待が人を育てる」ことについて取り上げられていたり,組織へのコミットメントに関する「やる気と忠誠心に満ちた社員に,末永く働いてもらう原則」についても扱われている。
こうした動機づけ研究は,自律性,コントロール感,自己決定などの重要性が再確認できるとともに,次のようなより広く人間行動・心理学において重要なことを示してもくれる。それは期待,目標や夢,こうした前向きな言葉や概念についてである。こうした前向きな言葉や概念は近年,社会においてネガティブに扱われることも少なくない。それは期待をすることでそれに裏切られることのリスク,夢や希望を持つこともまたそれに裏切られることのリスクなどに言及することで,あたかも期待や夢,希望などは悪しきものかのように語られていることも多くなった。
しかしながら,期待や目標や夢などなく自分自身の成長,子育てや教育はできないと私は思っている。私たちには前向きさが必要な側面の方が多いのではないだろうか。産業組織心理学領域における動機づけ研究は,心理臨床を行う私たちに,そもそも人間には前向きさが必要な側面が多いことを思い出させてくれる。
産業組織心理学の中核となる基本的な理論のその後,そして,実践の場での成果をまとめているのが本書の特徴であり,私のような心理臨床の人間においても,多くの参考を得ることになる一冊である。多くの人に手を取って欲しい。
若島孔文(わかしま・こうぶん)
東北大学大学院教育学研究科教授
ご資格:家族心理士,ブリーフセラピスト(シニア),臨床心理士,公認心理師。
主な著書:『短期療法実戦のためのヒント47—心理療法のプラグマティズム』(単著,遠見書房,2019),『臨床心理学概論』(共著,サイエンス社,2023),『テキスト家族心理学』(共編著,金剛出版,2021)ほか
趣味:犬の散歩