黒沢幸子(目白大学/KIDSカウンセリングシステム)
シンリンラボ 第42号(2026年9月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.42 (2026, Sep.)
1.臨床心理学の入り口にたどり着く
小さな女性が大きな影響を生む
転勤族の家庭に育った私は,小学校を何回も転校した。転校したくないと思っても叶わない現実。楽しく過ごせる学校もあれば,「いじめ」の標的にされる学校もあった。子ども心にいろいろな理不尽を感じていた。
小学校高学年のころ心惹かれたのは,偶然手にした『トムおじさんの小屋』(ストウ夫人著)だった。誠実で敬虔な黒人奴隷のトムを通して,奴隷制の悲劇と非人道性を描き,南北戦争を引き起こす原動力となったといわれる作品だ。のちにリンカーン大統領がストウ夫人と会った際,「あなたのような小さな女性が,この大きな戦争(南北戦争)を起こしたのですね」と語ったという有名な逸話が残されている。
この頃から,「尊敬する人は?」と聞かれると,「ストウ夫人」と答えていた。
「アートセラピー」に憧れて
高校生になると,『生きがいについて』の著者であり,ハンセン病の方々の療養施設「全生園」「長島愛生園」で仕事をし,ミッシェル・フーコーを紐解き,多くの思索を著していた女性精神科医の神谷美恵子にも強く惹かれた。一方,幼いころから絵を描くことが好きだった。趣味は,美術館巡り。言語以外の表現の多様性があることが癒しだった。
精神科医,美術……その辺りに進路の方向性を探っていたが,折り合うものでもない。ある日,高校の先生が,臨床心理学という分野があり,「アートセラピー」というものがあることを教えてくれた。心理学科もまだ少なく,心理職の資格もない時代だったが,「アートセラピー」を学べてシンリシを輩出する大学があると知り,「ここだ~!」と,道が拓けた気持だった。
2.シンリシへの基礎なる教え
2ゼミ制
進んだ大学は,2ゼミ制だった。今ではそれが普通じゃないことを知っている。私は,「臨床心理学」と「精神医学(精神分析学)」のゼミを専攻したが,ほかに「カウンセリング心理学」「発達心理学」「学習心理学」「認知心理学」「生理心理学」等があり,2つのゼミの組み合わせは学生の自由である。
同窓がさまざまなオリエンテーションのシンリシとして活躍していることもしかり,多様なオリエンテーションを分け隔てなくリスペクトできるベースはここにあるように思う。
創造の病
「臨床心理学」で師事したのは,霜山徳爾先生。『夜と霧』(アウシュビッツの強制収容所を生き延びた精神科医フランクルの著書)の翻訳者として著名であろう。心理学の専門書を読むより,古今東西の芸術・文学文芸に触れ,そこから人間の本質について学ぶようにと,戒められた(独語の板書に苦しみ,自分の教養の低さに恥じ入る日々)。
また,「精神医学」のゼミでは,小木貞孝(ペンネーム:加賀乙彦)先生の犯罪心理学と,後任の福島章先生の病跡学(pathography)の引継ぎの時期に重なり,精神分析的視点と精神医学的な患者理解との融合について,両者から学ぶことができたのは幸運だった。
これらのゼミでの学びから,「創造の病」という発想,精神的な病や問題をアクティングアウトではなく,リビングアウトとしてとらえ,その人がより自分らしく生き抜いていく創造的なエネルギーにつながるとする考え方に強く影響を受けた。
~ian,~istになるな
先生方からは,臨床のスタンスについて徹底的に教えられた。特に,霜山先生からはFreudianやJungian,Rogerian,Behavioristといった「~ist,~ianになるな」と言われ,心理臨床家になるなら,生活者としてのセンスを持ち,「SpecialistにならずGeneralistたれ」と。「Professionalというのは,狭い分野をスキル重視で学ぶことではない」。「一度は何らかの療法にコミットし,その後は自分の臨床を作れ」とも言われた。
ここで今に至るシンリシとしての発想の基礎が強固に培われたように思う。
二人称と三人称の「死」
大学2年の時期に,同学科の親友の一人を精神的な病からの自死で亡くした。調子を崩した約半年後に悲しい知らせが届いた。インターネットや携帯電話のない時代。ご家族とも相談し,読まれなくてもよいことを前提に,内容を吟味した手紙を,間隔を空けて,祈りながら投函していた。訃報は,少し元気になってきたとご家族から伺った矢先だった。
友人の書棚には『死ぬ瞬間』(キュブラー・ロス著)が置かれていたと言う。キュブラー・ロスは,死の受容プロセスを示し,「死ぬ人が”平和と尊厳”をもって死ぬ権利がある」ことを主張していた。今でも緩和ケアなどで参考にされる理論だ。
しかし,二人称と三人称の「死」は異なる。あなたの「死」と,一般的な人々の「死」は違う。悲しみ,喪失感,無力感,自責の念……もっと専門領域を学んでいれば,経験を積んでいれば,友人を失わずにすんだのだろうか。
うつ状態から回復し元気が出てきたころに自死が生じやすい。理屈はそうだ。でも,それは二人称の「死」の答えにはならない。心理臨床はこの二人称の事柄に向き合う仕事だと,今も,シンリシになることをともに夢見たはずの友人が教えてくれている。
3.現場の洗礼
病院臨床の洗礼
病院臨床では,大学4年から芸術療法のメッカでもあった病院に通い,新進気鋭の精神科医達や個性的な看護師達から薫陶を受けた。早くから生の臨床現場に放り込まれた。
たとえば,心因反応により言語的交流が困難になって入退院を繰り返す10代女性とのアートセラピーを担当した。そのプロセスで,象徴的に実父からの性的虐待が表現され,そこからチーム医療と福祉につながり,治療的な転機となった。当時は目を見開かされた。また,某芸術家の家庭に,今ではありえないことだが(主治医派遣の)ヘルパーとして通った。困難な思春期の子ども達を擁する機能不全の家族の中で,どうふるまうことが支えになるのか,心理臨床とは直接関係なく思える家事と子守の経験を通して,多くを考え学ぶ機会となった。「家政婦は見た」とはこのことである。
医師からは,「心理の人は面接室の中だけが仕事だと思っている。患者は生活者であり,広い視野で治療的なかかわりの意義を学んでほしい」と言われていた。
私立学校SCの洗礼
病院臨床の傍ら,私立学校のスクールカウンセラー(SC)の仕事に就いた。この時代にすでに包括的なSC制度が整っている希少な学校だったが,しばらく教員がSCを兼任しており,思春期に対応できるシンリシが求められた。
学校には,担任や教頭,養護教諭等がいて,それぞれの思いや役割,責任があり,その方々を立てることや,今で言うチーム内守秘については養護教諭の動きから学んだ。学校コミュニティを支える発想や協働の姿勢としてコミュニティ心理学の発想がピンとくるものになった。
私は実は教職免許を取得していなかった。心理臨床でやるんだと粋がっていた。しかし,教職免許がなければ報酬の根拠がないと法人から指摘され,当初は受付パートと同じ時給からスタートした(相当に薄給……)。
産業臨床の洗礼
臨床心理士資格ができてからは,某大手企業のシンリシ第一号としても務めた。しかし,当初はシンリシに対する信頼は薄かった。失感情症とみられるある社員の方との面接で,病院での心理臨床経験からアートセラピーを導入した。内的・象徴的にみれば面接は深まり,よい流れが展開していると自負していた。ところが,実際の仕事場面で社員の方のパフォーマンスが改善しないため,カウンセラーは何をしているのかと批判された。これでは,社員の方の面接機会を奪いかねないことにも気づかされた。当事者を守るためにも,より効果性効率性がわかりやすい面接を意識すべきことを痛感した。
また,予防重視の観点からコミュニケーション・スキルやメンタルヘルス研修の腕前が求められた。研修は丸投げなのに,事後アンケートでしっかり評価された。
これらの経験から,アカウンタビリティに堪えうる面接や,一次予防から三次予防まで活用できるものとして,ブリーフセラピーの有用性に目を向けるようになっていった。
SC事業への参画
1995年からは文部省「SC活用調査研究委託事業」に参画した。開始当初,配置中学校の教頭から「教育相談室の分室を校内に作っても意味がない。特定の生徒との密室的な相談活動ではなく,もっと多くの生徒たちに貢献してほしい」と言われた。私立学校のSCでは,全員面接も心理教育も実施していた。その経験からの視点を伝えると,当初の警戒した様子が一変し,よき理解者となってくれた。(しかし,全国展開したSC事業では「教育相談の分室」に近い活動が少なくなかっただろう。)
当時,SC事業は社会的な評価の目に晒された。マスコミの密着取材が入り,TV局への出演依頼も続いた。当時,SC事業を推進し支えた「学校臨床ワーキンググループ」の委員の先生に相談すると「社会教育」の仕事だと思って引き受けるように言われた。医師や弁護士はコメンテーターとして,ニュース番組などに出演する。心理職もそうなっていかなくてはならないと。そして,初年度SCはこのSC事業の「人柱」とさえ言われた。
4.“心と社会”への「問い」は終わらない
心理臨床パラダイムの更新
精神科チーム医療,SC,産業臨床等,シンリシが,新たに社会システムにかかわり,コミュニティで力を発揮し役立つためには,さらに何を学び身に着けていけばいいのか。
それを模索する中,私の場合は,解決志向ブリーフセラピーや家族療法,ナラティブセラピーなど,円環的相互作用や関係性を重視した対話的なアプローチを志向するようになった。アセスメントも個人にとどまらず,システムやコミュニティまで,多層多次元的視点から見立てていくことが重要となる。そして,悪者を作らず,リソース志向,未来志向で丁寧に対話を重ね,目標を共有し協働作業をしていくことが,好循環を生みより安全に成果につながることを経験してきた。コミュニティ心理学の視点を加味し,被災地への支援にも有用であった。
さらに,児童相談所,少年鑑別所法務少年支援センターなどのシンリシからも,このアプローチを学ぶ要請が増えてきている。
SCへの思いは,道半ば
プライベート心理臨床オフィス(KIDSカウンセリングシステム)を仲間と立ち上げ,2000年に大学に奉職してからも,現場のシンリシに役立つことを願って,種々の研修を企画し提供してきた。ここでは,私立学校のSC導入・運用のニーズに応え,そのコンサルタントを務め,いくつもの私立学校にSCを根付かせる仕事もしてきた。
しかし,公教育のSC制度については,導入から30年を経ても,まだ道半ばである。もっとシンリシがSCとして学校で役立つこと,できることがたくさんある。そのためには,勤務日数の増加,また常勤化を進めていくことが求められるだろう。
シンリシは「戦略」という言葉を嫌うかもしれない。しかし,SC事業開始時も,どれほど戦略的に進められてきたことか。シンリシは既存の存在として甘んじていられるほど,まだその力を十二分に発揮できていないと思う。それを惜しいと感じている。
“心と社会”へのシンリシの「問い」を続け,さらにシンリシが協働して社会における仕組みづくりにも貢献していくことを願いつつ,今もシンリシを続けている。
黒沢幸子 (くろさわ・さちこ)
目白大学心理学部心理カウンセリング学科/KIDSカウンセリングシステム
公認心理師・臨床心理士
得意領域:学校臨床心理学,ブリーフセラピー,児童思春期青年期心理臨床/家族療法
日本心理臨床学会,日本ブリーフサイコセラピー学会,日本コミュニティ心理学会等の理事や委員を務める。日本ブリーフサイコセラピー学会学会賞(13号)
内閣官房の依存症対策関連の会議や自治体のいじめ問題関連の協議会等の委員,教育センター,少年鑑別所,児童相談所等のスーパーバイザーや研修講師等を務める。
心理相談援助職向けのブリーフセラピー等の研修歴は25年余に渡る(KIDSカウンセリングシステム)。











