森谷寛之(京都コラージュ療法研究所・京都文教大学 名誉教授)
シンリンラボ 第41号(2026年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.41 (2026, Aug.)
思い返しても不思議な縁でこの世界に導かれた。
私はいわゆる団塊の世代で,社会全体がまだ貧しくテレビなどもなかったが,近所(大阪)には子どもがあふれていた。紙を丸めたボールを拳で打つ野球,相撲,チャンバラごっこ,トンボ釣り,蝉取りなど仲間と自然相手に活発に遊んでいた。学業成績はよかった。暗記科目は苦手。数学や理科は基本原理さえ理解しておけば,試験では公式から導き出せた。この性格傾向は今でも同じで,心理臨床の世界は複雑なようであるが,基本原理(無意識概念)さえ理解できていたら,実は非常にシンプルであると感じている(森谷,2018)。
高度成長時代は理工系ブームとなった。将来は科学者になりたいと考えた。しかし,文学にも興味を持っていた。芸術は平凡であった。人生の後半に「九分割統合絵画法」や「コラージュ療法」を開発し,芸術療法学会賞をいただくとは想像もしなかった。発想の源は芸術の「得意な人」ではなく,「苦手な人」でもできる方法を探していたからである。
受験競争は激しかったが,自分で勉強するタイプで予備校にも通ったことがない。高校では軟式テニス部に入ったが受験の前に止めた。理系を選択し京都大学工学部高分子化学科注1)に合格した。
なぜ化学か,は明確ではなかった。日常の物質はすべて化学の対象になるほど応用範囲が広い。化学実験はリトマス試験紙などの試薬によって劇的に変わり,興味深い。水素Hのところを塩素Clに置き換えるだけで,まったく違った素材を作ることができる。また,化学はあまり天才を要求しない。うっかり試薬の量を間違えたことで,思いがけない大発見につながることがある。河合隼雄先生は数学が得意で理学部数学科に入ったが,大学の数学は純粋数学で何も理解できない。数学科には天才しか不要であると言われ,落ち込むという経験をしている(河合,2001)。しかし,化学は実験という危険が伴う肉体労働のために,数学科のような目にあうことはなかった。「高分子」化学はなかでも新しい分野で繊維,プラスティック,ゴム,またタンパク質やDNAなどは生体高分子できわめて応用が広い。
楽しい大学生活
志望通りに現役合格できた。何よりうれしかったのは受験勉強から解放され,興味の赴くまま自由に時間を使えるようになったことである。硬式テニス部に入った。団塊の世代をターゲットにしたのであろう,「世界の名著」,「世界の大思想」,「日本・世界文学全集」などが毎月,次々に配本された。本屋には興味深い本が積まれていた。最初の配本がニーチェの『ツァラトゥストラ』でとてもおもしろかった。1年生の秋頃フロイトの『精神分析入門』が出た。不思議な魅力があった。友だちとの会話にフロイトの用語を使ったりしていた。それが後にこの道につながるとは考えもしなかった。
私の進路は明確で化学エンジニア,将来は保証されていた。読書はあくまで趣味と教養であった。京都文化にも大きな影響を受けた。当時,禅仏教や鈴木大拙が話題にのぼった。テニス部の友人に誘われて座禅会に参加した。大学近くに京都五山の相国寺があり,そこに伝統のある学生の座禅会(「智勝会」)があった。ここで瞑想や禅問答の体験を重ねた。足の痛みばかりで,とうてい悟ったなどとは言えない。瞑想とフロイトの自由連想との関係に思い至るのはかなり後のことである。コンパクトな大学キャンパス内に文系理系のすべての学問分野があり,他分野の友だちから刺激を受けたことも大きい。幾分,専門の勉強には手抜きであったが,大学院入試をクリアできる程度の勉強はしていた。
1970年代(大学3年生)は大学闘争の時代で,友人も民青や全共闘などのセクトに入った。私も無関心ではなく,マルクスやエンゲルスの本も読んでいた。ビラや演説にも注意していたが,コミットすることはなかった。むしろ,この人はなぜこのセクトで,別のではないのか,と性格タイプ論のような見方をしていた。無期限ストライキには賛成派であった。学問と社会とのかかわりの重要性は学んだと思う。化学は公害と深い関係があった。
大学院入試は妨害される危険があったので,遠く滋賀県内で受けた。桜田一郎先生はすでに退職されて,その第1講座伊勢典夫教授の研究室に入った。大学院では第一線の研究者と身近に触れることができた。細かく指導を受けながら実験をし,修士論文にまとめることができた(森谷,1972;Ise, et al., 1972)。
大学院時代も趣味と教養の読書は継続し,文系の知識量も増えて行った。理系から宗教学などに転部する友人は何人もいた。しかし,自分は文学的才能もないし,語学も得意ではない。その頃よく手にしていたのはエーリヒ・フロムの著作集であった。
ちょうど,実験を終え,修士論文がまとまってほっとしていた年明けの頃であろうか,突然,自分は化学物質よりも人間に,また理系と文系の両方に興味があることを自覚した。フロイトの方法は,人間の精神に対して,自分の目と耳で直接観察し,データを集め,理論化する。これはサイエンスそのもので,まさに私にぴったりだと感じた。「分析」,「力動」,「コンプレックス」,「エネルギー」,「昇華」などは物理・化学用語である。後に,ユングが錬金術と心理療法の結びつきを論じていることを知った。化学者は自分たちは錬金術師の後継者と思っている。
もっと早くに気づくべきだったと思う。しかし,子ども時代からの夢が修士論文で実現,達成できたその時にようやく,もう一つの可能性に目が開かれたというべきであろう。化学が嫌いになったとか,途中で放棄したつもりはまったくなかった。これまでの知識と経験を何ひとつ失うことなく,そのまま精神世界の探求に向けただけである。それ故に,今でも化学の友人とは同窓会で仲良く付き合っている。わだかまりは何もない。
フロイトの道を思いついたが,当時はどこにも学ぶところがなかった。唯物論の時代であった。京大の全学部のカリキュラムを調べたが,予想通りなかった。ないことはむしろ大発見と受け止めた。近いのは心理学であろう。しかし,当時の心理学は知能テストやネズミのイメージで興味がなかった。わずかに関係がありそうなのは,文学部非常勤講師の大阪女子大学牧康夫教授が学習心理学とフロイトとの関係を講義していた(牧,1977)。
不思議にも心理学は文学部と教育学部にあった。それまで教育学部にはまったく関心がなかった。昼休みに教育学部の前を通りかかった時,ふと思いつき倉石精一教授の研究室を訪ね,「文学部と教育学部の心理学はどう違うのですか」と尋ねた。すると,「私はもうすぐ定年退官する。その後に河合隼雄先生が来る。河合先生はユング派の……」と言われ,この時初めてお名前を知った。
その後,牧先生の講義の際に尋ねたら,3月1日にお宅まで来るように言われた。牧先生は意外にも座禅会の先輩だった。牧先生からも同じ河合隼雄の名前が出た。
大学前の書店でふと『ユング心理学入門』を見つけ,河合先生に手紙を書いたが,返事はなかった。
ややこしい仕事が残っていた。3月6日,伊勢先生に「内定企業の取り消し願い」を申し出た。当然のことであるが,激しく叱責された。困って,翌日,教室主任の西島安則教授に相談した。先生はとても寛大で,企業のことは配ない,とほんのわずかな面接で納得してくださった。西島先生は,その後,第21代京大総長(1985-1991)に就任され,その時の学生部長が河合先生であった。15年後,1987年に教育学博士論文を提出したが,学位授与式で西島総長の手からいただくめぐりあわせとなった。ここでも不思議な縁を感じる。その時,新博士たちの前で,科学史を通して創造することの意義を説くスピーチをされた。当然,心理学には言及されなかった。総長時代の入学式,卒業式の挨拶文は『春序』(1992)としてまとめられている。挨拶はいずれも学問の創造性を鼓舞する力強いメッセージとなっている。
3月10日に修士論文の発表を終えて,23日に修了式。
まずは教育学部に身を置くことがよいと判断した。しかし,3年生に編入(学士入学)するつもりはまったくなく,直接院入試を受けるつもりであった。不合格であれば,あきらめて化学エンジニアに戻る決心していた。工学部院入試は8月頃にあり,卒論は不要であった。不合格者はその後に就職できた。教育学部院入試は3月頃,卒論が必要であった。私はこれまでの読書から卒論にするつもりであった。倉石先生,どの先生も「それなら必ず落ちる」と断言された。3月末,ともかく「聴講生」の出願をした。
河合隼雄先生との出会い
初めてお会いしたのは,京大助教授としての最初の講義の日であった。教室は満員であった。当時,そもそも「分析家」とはいったいどういう人であるのかというイメージがまったくなかった。「分析家」を見た最初であった。
講義で「心理療法家になろうとする人は,アイデンティティを確立するのが人より遅い。そして外界に何ら依存する才能を持っていない人が多い」と言われた。なるほどと思った。その時には,自分のことを言われているように思ったが,かなり後から考えると,河合先生ご自身のことでもあると思う。さらにいえば,フロイトもユングも,さらにはロジャーズもそうである。さらにもっといえば,精神分析などは科学史上のもっとも遅れて登場している。アイデンティティがはっきりしない学問である。
講義の後,名乗り出たら,私の手紙を覚えておられた。「私は手紙には返事を書かない」と言われ,そして開口一番「アイデンティティの確立が遅れた人ですな」とにっこり。私は「その通りです」と答えた。
「アイデンティティ」という言葉を聞くのは三人目であった。最初は倉石先生。牧先生は,黙ってエリクソンの『アイデンティティ』という本を取り出し,「読みなさい」と言われた。その本は書店で目にしていたが,買うまでには至っていなかった。その後,購入したが,読みづらくて途中放棄した。河合先生の言葉は,何か心に響いた。他の二人と何が違うのかと思った。
その後,先生の研究室に招き入れられた。がらんとして机や椅子,書籍の整理もできていなかった。私は手紙に書いたような内容をしゃべったが,先生は何もいわず聴いていた。講義ではよくしゃべられたのに何も反応がなかった。私はあれこれ賢そうなことを話題に出すが,相変わらず「はーはー」と反応がない。私は,先生はこれらを何もご存知ないのではないか。失望感を感じた。しかし,私ははじめから先生に頼るつもりはなかった。自分の関心を探究するだけだ,と思った。
ふと年齢を聞かれた。「今日(1972年4月××日)が誕生日です。25回目の」と答えた。まさに自分の新しい誕生日,出発日になったと思う。
また,肝心なことは私の個人的悩みではなく,卒論であった。やはり必ず落ちると言われ,これは「少し考えておく」と約束してくれた。
その時に先生自身のことも少し語られた。
「今日が京大で正式に講義した最初の日だ」,「臨床心理は私ひとりで細々とやっている。だから大学での力はまだない」,「自分の学問(ユング心理学)は大学になじめない。フロイトもユングも大学人ではなかった。大学は何時辞めるか分からない」。
大学人よりも分析家として生きたいと望まれているようであった。これ以後,先生が何時辞められるかと心配してきた。それは杞憂に終わったが。
その後,聴講生の1年間で,中学生と高校生の多義語言語連想検査の集計調査をし,検定をして卒論を提出した。また,教育学,心理学関係の専門知識とドイツ語と英語の2カ国語を復習し,大学院入試を受け,合格することができた。教育学研究科時代のことは森谷(2007, 2008a, b)を参照してほしい。
おわりに
それから今は半世紀余りの月日が流れているが,最初に思い立ったことは間違いなかったと思う。この分野は人間精神のあらゆる知識が必要である。そのためにそれまでに培った文理のいずれの知識経験も役立った。あらゆる分野からの人材が求められている。
理系の知識を生かして臨床心理学のテキストを書いた(森谷,2018)。そしてフロイトの功績を科学史に位置づけるための論文に取り組んでいる(森谷,2022-2025)。
注1)京都大学工学部化学科については,古川(2017)に詳しい。
ビニロンの発明者の桜田一郎先生がいた。後に福井謙一(1981,量子化学),野依良治(2001,不斉合成),吉野彰(2019,リチウムイオン電池),北川進(2025,多孔性金属錯体)の4人ものノーベル化学者が出ている。吉野氏とは面識がないが,同級生である。
また,故井上亮氏は合成化学科で同級生で友人であった。卒業後,化学企業に就職し交流は途絶えていた。しかし,彼は私の活動を遠くから注目していたらしい。ある日,不意に私の下宿を訪れ,「このような道があるとは知らなかった。自分も学びたい」と口にした。1975年学士入学し,大学院修了後,大阪女子大に就職した。1985年カメルーンに行き,シャーマンの訓練を受けた(井上,2006)。私には想像できない道であった。その後,ある夜,突然,自宅に電話があり,「食道ガンでこれから入院する。自分のクライエントを引き受けてほしい」と言い残し,まもなく2002年1月に逝去された。残念に思う。
文 献
- 古川 安(2017)化学者たちの京都学派—喜多源逸と日本の化学.京都大学学術出版会.
- 井上 亮(2006)心理療法とシャーマニズム.創元社.
- 河合隼雄(2001)未来への記憶—自伝の試み(上).岩波書店.
- 牧 康夫(1977)フロイトの方法.岩波書店.
- 森谷寛之(1972.3)修士論文:ポリエチレンイミンのカルバモイル化反応と生成ポリマーの溶液粘度についての研究(指導教授 伊勢典夫).
- Ise, N. Moritani, H. & Okubo, T.(1972)Preparation of Carbamoylated Polyethylenimine and its Flocculation Property. Polymer, 13 (4); 187-188.
- 森谷寛之(2007.11.12)創建中の河合隼雄先生—最初期の大学院生として.京都府臨床心理士会ニュースレター,15(特別号);4-5.
- 森谷寛之(2008a)河合隼雄先生の発見—新しいスタート.臨床心理学,8 (1); 83-84.
- 森谷寛之(2008b)河合先生の思い出—博士論文の指導をめぐって.京都文教大学心理臨床センター紀要,10; 5-8.
- 森谷寛之(2018)臨床心理学への招待―無意識の理解から心の健康へ.In:梅本堯夫・大山正監修:新心理学ライブラリー12.サイエンス社.
- 森谷寛之(2022)「無意識」の歴史的現象学ー科学史におけるフロイトのパラダイム・シフト.京都文教大学臨床心理学部研究紀要,15; 67-84.
- 森谷寛之(2023)「無意識」の歴史的現象学(2)錬金術と近代化学ー科学史におけるフロイトのパラダイム・シフト.京都文教大学臨床心理学部研究紀要 16; 49-67.
- 森谷寛之(2024)「無意識」の歴史的現象学(3)告解(告白)・対人援助職ー科学史におけるフロイトのパラダイム・シフト.京都文教大学臨床心理学部研究紀要,17; 71-84.
- 森谷寛之(2025)無意識の歴史的現象学(4)数学—科学史におけるフロイトのパラダイム・シフト.京都文教大学臨床心理学部研究紀要,18; 179-199.
- 西島安則(1992)春序—京都大学総長式辞集.
森谷寛之(もりたに・ひろゆき)
京都コラージュ療法研究所・京都文教大学 名誉教授
資格:工学修士・教育学博士。公認心理師,臨床心理士。
主な著書:『チックの心理療法』(金剛出版,1990),『子どものアートセラピー-箱庭・描画・コラージュ』(金剛出版,1995),『コラージュ療法実践の手引き』(金剛出版,2012)ほか










