こうしてシンリシになった(24)|小林孝雄

小林孝雄(文教大学)
シンリンラボ 第24号(2025年3月号)

Clinical Psychology Laboratory, No.24 (2025, Mar.)

この連載の依頼をいただいた際に,「若い方たちへの励ましとなるような」文章を期待されているのだと理解したが,はじめ,それは書けないと思った。しかし,自分のような心理の人間もいるのだ,とお伝えすることが,その期待に応えられるかもしれない,というわずかな希望で,書かせていただく。

1.心理の専門職を目指したきっかけ

私が心理学を専門にして仕事をしたい,と思ったのは,大学学部を卒業して民間企業で予算管理の仕事をして3年目のことだったと思う。大きな企業の管理部署でサラリーマンをしていたが,自分の持ち味を発揮できている手応えはほぼ無く,そもそも自分の持ち味が何なのかもわかっていなかったと思う。周囲の同僚のみなさんは,取り組む仕事に情熱をもっていて,積極的に人付き合いもしているように見えた。自分は正直,仕事に情熱が持てず,人と関わることにも消極的だった。このまま定年までここで働くのか,という自問に,嫌だという答えが日増しに強くなっていた。当時,自分も周囲の人も,精神的にバランスを崩すことが日常的だった。心理学を活かして働く人の助けになりたい,というのが転身の理由だが,今思うと,先に希望が持てない境遇から脱出するための大義名分という性質が強かったと思う。脱出するために何ができるのか。自分は学部で心理学を学んだ。それなら心理学を活かした仕事をしよう,「産業カウンセラー」になろう。それはあらたな希望に満ちた,というよりは,辛い境遇から脱出するための説得力のあるよりどころであった。

2.そもそも心理学科を進路に選んだ背景

そもそも学部で心理学科を選択していたのだが,その大きな理由のひとつは,希望する就職におそらく有利だから,という実利的なものだった。しかし,思うとそれだけではなかった。高校生の時に読んだ岩波新書の,河合隼雄先生と宮城音弥先生の本。講談社現代新書の秋山さと子先生の本。ノストラダムスの予言関連の本を読み,「精神世界」に恐怖と興味を抱いていた。しかし,奥深くはあっても飲み込まれそうな精神世界に足を踏み入れたら自分を保てないだろうという予感がどこかにあり,実験心理学と認知心理学を熱心に教育する学科を選んだ。そこで叩き込まれた自然科学的,実証主義的心理学は,精神世界に対する恐怖心をおおかた払拭してくれた。特に心を惹かれたのは,運動残効の実験である。物理的に存在していると思っている外界は,心理的に構築しているのだ,ということを,運動残効という実体験によって実感した。主観的輪郭という現象の体験は,幽霊が見えるかもしれないという恐怖をほとんど消してくれた。自然科学的,実証主義的に人間の心理現象・精神現象が説明されることで,精神世界への肥大した恐怖が,ずいぶんと小さくなっていった。

3.哲学・思想への関心

大学一年生の教養課程で,思想や哲学に興味を抱いた。哲学科を進路先に考えたものの,仕事になるレベルの「ものを考えること」を自分ができるとは到底思えず,その後は趣味として,気の向くままに,哲学書をときどき読んだ。世界はどうなっているか,ということを考えるのが好きだったのだと思う。学部時代に運動残効に心躍ったことも,この問いが自分には身近であったことと関連があると思う。ちくま新書,永井均著『ウィトゲンシュタイン入門』は,会社員時代に読み,ワクワクした。学部に編入したあと,同じく永井均著『マンガは哲学する』を読み,自分が小さい頃から抱いていた疑問のいくつかが,哲学的問題として扱われていたことに安心した。のちに,ロジャーズの「共感的理解」を探求することになるのだが,永井均先生の著作に,検討のための手がかり,足がかりをたくさんいただいた。

4.自分をなんとかしたかった

サラリーマン生活から脱出したい,そのための,「心理学を活かして働く人の役に立ちたい」という大義名分だったが,結局,自分自身をなんとかしたかったのだと思う。自分がうまく生きられている気がせず,どうしたらいいのかともがいて,その答えが得られそうな心理の世界に進んだのだろうと思う。

そもそも,はじめに心理学科を選択したのは,そうとは自覚していなかったが,高校生の時にはすでに抱いていた精神世界への関心や哲学的問いに,自分を見失わずに携われる学問だったのが自然科学的心理学だったからなのだろう。心理学をやりたかったというより,「世界はどうなっているか」「自分はどうしたらうまく生きられるのか」という問いの答えを得たいという気持ちがあったので,心理学を選び,卒論を書くまで続けられたのだと思う。

5.人間性心理学との出会い

サラリーマンを辞めて,学部に戻り,臨床心理学を学び始めたが,自然科学的心理学の態度を学部で叩き込まれていたので,主観も重視する学問を学ぶことがうまくできなかった。関心は認知療法,精神分析と迷走した後,ロジャーズにたどり着いた。ロジャーズが,自然科学的心理学の世界でも認められることを目指し,自らのクライエント中心療法の効果を「心理学研究」によって明らかにしようと精力的に取り組んだことが著作からうかがえた。その研究的書き物は,賛同するかどうかは別として,自然科学的心理学の態度を持っていた自分には違和感は少なかった。また,ロジャーズが「現象学」に立脚していると自ら述べていることも,自分の哲学的関心につながるものであった。

大学院に進み,ご縁があり,日精研心理臨床センターでアルバイトと訓練を受ける機会をもつことになった。そこで幸運にも,たくさんの先生方と巡り合うことができ,クライエント中心療法のトレーニングも受けることができた。博士課程1年終了時,これもご縁があり学生相談の仕事をさせていただくことになった。産業カウンセラーとして働く人の役に立つ立場ではないが,これから働く人になっていく大学生と面接室やグループでたくさんお会いすることができた。しかし,自分の力不足,経験不足,体調管理を十分しなかったことなどが積み重なり,体力・体調の限界を実感し,常勤の相談員の仕事を離れることを選択した。幸運にも,現在もお世話になっている文教大学に就職することができた。教える仕事が大半であるが,カウンセリングやスーパーヴィジョンを,細々と続けてきている。

教える仕事をしながら,自らの臨床経験を参照し,言語化していく作業に取り組み,ロジャーズのクライエント中心療法,とくに「共感的理解」を探求することが,自分の研究の重要なテーマとなっている。その過程で,人間性心理学の創始者マズローにも触れることになった。マズローは,はじめ行動主義心理学に没頭し,その後その限界を知り,文化人類学など学際的な研究活動から,人間の本質に迫ろうとした人物であった。ロジャーズにせよマズローにせよ,心理学を土台として,しかし心理学の範囲にとどまらず,人間は本当はどうなっているか,という問いに向き合った人といえるだろう。二人がその扉を開いた人々に含まれるトランスパーソナル心理学は,私の精神世界への興味ともつながる。心理学から哲学的問い,精神世界にひらかれた学問として,人間性心理学は,自分の関心の答えを得られる可能性を感じさせる学問領域である。肥大した恐怖が減じた今,精神世界への探究にも取り組んでいきたい。

6.心理士・心理師として

クライエント中心療法や人間性心理学を土台として,カウンセリングやスーパーヴィジョンでは,クライエントやスーパーヴァイジーの方が,どうしたら自分らしく,自分の備える潜在的な力を発揮できるか,そのお手伝いをしているというのが自分の実感である。もちろん,仕事として,専門職として,さまざまなことがらを実現する必要があるが,向かっている方向は,世界は本当はどうなっているか,人間の本質とはなにか,という問いが向かわせる方向である。

+ 記事

小林孝雄(こばやし・たかお)
所属:文教大学人間科学部心理学科
資格:公認心理師,臨床心理士
主な著訳書:チューダー&メリー(岡村達也監訳 小林孝雄・羽間京子・箕浦亜子訳,2008)ロジャーズ辞典.金剛出版.
岡村達也・小林孝雄・菅村玄二(2010)カウンセリングのエチュード.遠見書房.

目  次

コメントを書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください

過去記事

イベント案内

新着記事