こうしてシンリシになった(22)|藤岡淳子

藤岡淳子(一般社団法人もふもふネット,大阪大学名誉教授)
シンリンラボ 第22号(2025年1月号)

Clinical Psychology Laboratory, No.22 (2025, Jan.)

1.少年鑑別所で出会った非行のある少年少女たち

何か志があってなったというわけではなかったが,専門職として働きたいと考え,公務員試験を受験し,少年鑑別所の心理技官となったときは,仕事が楽しかったという印象しか残っていない。記憶が美化されているだけかもしれないが。何より子どもたちの話を聞くのが新鮮だった。

私自身は,親や教師や大人や社会には不満ばかりだったが,ぐれているのは心だけで,さしたる行動はしないので,非行とは無縁の暮らしをそれまで送ってきた。審判前の鑑別所という場面で,子どもたちがけっこうしゃべってくれることも不思議だったが,まあ人というものは「わかってもらいたい」ものなんだなとも思った。

父親の縊死現場の第一発見者となってしまったシンナー少年,死んだ母代わりに弟妹の面倒をみることとセックスまで父に求められて家出したぐ犯少女,面接に行くとおびえた様子で部屋の隅に縮こまってしまった中学生,当時は,暴走族や対教師暴力などの元気のよい少年たちも大勢いた。いずれにせよ,ごく狭い世間で生きてきた私にとっては,彼らの話は新鮮で,世界を広げてくれるように感じた。

親に文句ばかり言っていたが,私の親はごくまともな親だった。感情的に感じられて,「ああはなりたくない」と思っていた母親は,感情的になれる人でよかった,理屈で攻めてくる人でなくてよかった,とりあえず衣食住不自由せず,学校にも行かせてもらって,好き勝手させてもらってよかった,と自らを見直す契機にもなった。ウィニコットを読んだり,自分の女性スーパーバイザーとの関係を見直したりして,狭い視点ではあるが,自己覚知を深めることもしていたと思う。

当時在籍した少年鑑別所では,上司や仲間にも恵まれ,スーパーバイズや事例検討会などの研修制度も整っており,研究や学会発表も奨励されていて,病院などにも週1度実習にいかせてもらって,経験を広げることができた。少年の話を聞いて考えたこと,学んだこと,疑問に思ったことなどをすぐに周囲の先輩や同輩たちと話し合えるのは最高の学びであった。大学・大学院では,臨床心理学ではなく,基礎心理学を専攻していた身としては,シンリシとしての基礎を学んだのは少年鑑別であったと思う。当時は,鑑別所は過剰収容で,週に7通鑑別結果通知書を出すといった状態で,夜遅くまで,時には週末も仕事をしていたが,休日には,みんなでドライブをしたりして,楽しみもたくさんあった。

そんなに楽しいのであれば,ずっとそこにいればよさそうなものであるが,鑑別を4年ほどやると,「処遇をやってみたい。アセスメントだけやっていても限界だ」と思うようになった。若気の至りである。

2.迷い道,巡り道

(1)「処遇」〜女子少年院

飲み会で鑑別所長に,「少年院に行きたい」と言ったら,転勤することになった。地方の女子少年院で,体育レクレーション係長,心理職である技官ではなく,子どもたちの教育を担当する教官である。運動会などの行事の企画・運営を担い,年少寮の副寮長を兼ね,個別担任ももたせてもらった。

地方の女子少年院は,ある意味カルチャーショックだった。私はそれまで,東京生まれの東京育ちで,田舎で暮らした経験がなかった。ぼろぼろの木造庁舎・寮舎,なじみのないぼっとん(汲み取り式)便所,周りは桑畑ばかりで,道は立派なのが通っているが,あるのは自衛隊駐屯地と少年院だけ。車がないと買い物にも行けず,夜になると高台にある寮舎から眼下に街の灯りがきらきら見えて,子どもたちのみならず,私も街が恋しくなった。

家出してはトラックに載せてもらって各地を放浪していた,とても小柄で細い,少し知的には苦しい担任していた中学生は,すでに何度か妊娠人工中絶を繰り返し,不妊手術を受けさせられていた。面接をしていると,部屋に帰りたくないと言ってごねられたり,同室の別の女子と性的接触をして懲戒にあがったりと手のかかる少女であった。女子の少年院にいる少女たちは,性的逸脱行動を行っている子どもが多く,かつ被虐待や性被害などのトラウマを抱えている子どもたちで,1980年代である当時は,「被虐待やトラウマ」に対してまだ周知されていなかったが,彼女たちの背景にある被害体験とそれにもかかわらず,たとえ非行と呼ばれるやり方ではあっても,自分なりのやり方で道を開いていこうとするエネルギーとたくましさには驚かされ,かつ現状ではちょっと太刀打ちできないなという感じがした。鑑別所で技官をしていたころは,それなりに少年たちの役に立てているのではという感じがあったが,少年院ではむしろ彼らを閉じ込める壁の一部になっているだけなのではという疑念が払えなくなった。それで,丁度その年に再開された矯正局の留学制度を利用して,アメリカの大学院で,改めて学ぶことにした。

(2)アメリカ留学から矯正局・刑務所へ

アメリカの大学院では,司法行政学という社会学の一領域を学んだが,結果として,非行・犯罪,加害・被害の問題は,人と人,人と社会の関係であるので,心理学だけによる対応では不十分で,社会から見る視点を欠くことができないということを知った。と同時に知る人のいない,日本語の通じない外国で,あらためて自身の母子関係と対人関係の持ち方について,見直していたように思う。「家が火事になり,燃える家の中を地下へ地下へと母親を救いに降りていき,無事救えた」という夢をみたとき,なんだか自分は人生の異なるフェーズにきたという感じがした。

帰国後は,法務省矯正局,刑務所などの行政的な職務・管理職に就くことが多くなった。自分がシンリシであるというアイデンティティはその頃はあまりなかった。シンリシというよりは,実務家・実践家と考えていた。まじめに公務員としての仕事をこなしているつもりだったが,後から振り返ると,曲がり角になる問題意識がはっきりしてきた。

一つは,加害行動と被害体験の表裏一体である。特に,女子刑務所において多くの受刑者の話を聞き,少年院よりさらに深刻な被害と加害の連鎖を実感した。刑務所では,殺人などの重大事犯も珍しくなく,複数人殺害した女性たちの壮絶な被虐待,被害体験を聞き,彼女たちの自傷行為などを見るにつれ,非行・犯罪は加害行動を扱うだけではいかんともしがたいという思いを強くした。また,非行・犯罪行為を被害者や遺族の側からみることの必要性を感じた。それで,当時開室されたばかりの東京医科歯科大学の被害者支援室の門をたたき,トラウマや被害者について学んだ。

もう一つは,「グループアプローチ」である。少年刑務所で教育業務の統括を担当した際に,業務の一つに薬物犯罪や性犯罪などの犯罪行動そのものにアプローチしようとするグループワークが行われていた。当初は,性犯罪にもグループワークにも関心はなかったが,性犯罪のグループで,男性たちだけで,ナンパについておもしろおかしく話しているのを聞いて,怒りと反発心に火がついた。男性刑務所の男尊女卑体制への不満もあいまって,効果的なグループワーク実践を行うべく,アメリカのグループワークや性犯罪への対応に関する本を読み,仲間を募って,翻訳・勉強会を実施し,刑務所の風土を変えるべく勝手に「闘った」。

が,現実場面では,勝てるわけもなく,古巣の鑑別所技官に戻り,自身の考えをとりあえず人に伝えるべく,学会で「非行少年の加害と被害」について報告し,それで雑誌に連載しないかと声をかけてもらい,その連載を同題名の本にして出版した。そうして,転職することになった。

3.社会内で非行・犯罪,被害と加害の問題に取り組む

大学では教育心理学を教えることになったので,シンリとの関わりが再び大きくなった。その中で,児童福祉機関で性問題行動を扱うプログラムを当該機関のスタッフたちと立ち上げたり,官民協働刑務所の教育プログラムのアドバイザーとして立ち上げに関わったり,仲間たちとともにオフィスを借りて,有料で,性被害・性加害の問題に取り組み,研修を実施するなど,システムを作り動かすことができるシンリシを目指して活動してきた。

冒頭に「志があってなったわけではない」と書いた。とはいうものの,自身を振り返り,他者を知ろうとするという作業は,弟が障がいを持って生まれ,子ども時代を緘黙して過ごしたあの頃から始まっていたのだろうか。自分を知るということ,他を理解し,折り合っていくことを求めていくということ。それがシンリシになる始まりだったのかもしれない。

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藤岡淳子(ふじおか・じゅんこ)
所属:一般社団法人もふもふネット,大阪大学名誉教授
資格:公認心理師
主な著書:『性問題行動のある子どもへの対応』(共編著,誠信書房,2023),『非行・犯罪の心理臨床』(日本評論社,2017),『非行・犯罪心理臨床におけるグループの活用』(誠信書房,2014),『性暴力の理解と治療教育』(誠信書房,2006),『非行少年の加害と被害』(誠信書房,2001),他多数。

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