吉川 悟(龍谷大学心理学部)
シンリンラボ 第18号(2024年9月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.18(2024, Sep.)
1.はじめに
まず,私の経歴は,他の先生方のような「正統な学者」ではないので,今もこの連載に値する「シンリシ」ではないと自覚・自認している。むしろ,システムズアプローチという特別な発想に基づく「対話を基調としたサービス業」なので,基本的には社会に流布している「コンサルタント」という名称や,「相談屋」という名称の方が適切な対人支援サービスの人だと考える。
ただ,やはりその基本が臨床心理学にあるということは否定するものではないので,本稿においては,その中間的読み物として面白そうな内容を加味したノンフィクションの物語に挑戦する。
2.あえての「はじめて」を探すならば……
多くの人にとって対人支援サービスの歴史は,自分が被支援者であった経験から始まることが多いのかもしれない。つまり,自分が被支援者としての立場での体験である。しかし,私にとっての対人支援サービスのはじまりは,やっぱり「組織を調整し,関係者のすべてがその集団にいることに違和感がないようにすること」が目的であった。
小学生の2年生まで,いわゆる「集団登校」で,その人数は15名を超えていた。ただ,毎日の通学距離が子どもの足で50分かかる距離であり,低学年の子どもにとっては,必死に周りのお兄ちゃんお姉ちゃんについて行くことが精一杯であった。しかし,3年生になった途端,世界が変わってしまった。突然登校するだけでなく,小学校の横にあった幼稚園に弟妹を連れて行くために,数名での「バス通学」になった。その理由はわからないまま2年間,平穏な日々が過ぎていった。それは,メンバーが同学年3名だったからである。
しかし,5年生から地獄が始まった。集団登校の班長をさせられたのである。加えて,前年から地域の住宅開発で,知らないうちに集団が25名ほどの大所帯,それも5年生3人,他はすべて低学年の1,2年生ばかりである。
妙な責任感から「時間に間に合わせること」「集団でのもめ事が起こらないようにすること」「それぞれの人間関係の良し悪し」「個々人の他者に対する配慮の長短」などを苦慮し,誰と誰に手をつながせ,どの順番で整列させて……。考え尽くした結果であったが,2カ月もすると上手くいっていたものが,機能しなくなる。そこで再度調整して,誰と誰に手をつながせて,整列の順番を整え……。ただ,これも数カ月で再編を要していた。
こんなことをやっているのが面白かったのかもしれない。1年もすると強化子が発生した。低学年の子どもたちの保護者からの思いもよらないコメントである。朝起きの苦手な子が喜んで集団登校の集合場所に飛んでいくようになった,あまりしゃべらなかった子が登校中の話をあれこと話すようになった,上級生が苦手だった子の人見知りが全くなくなった,などなど……。その功績が集団登校の場に来る保護者の会話から漏れてきて,その根拠が「班長さんのおかげ」という文脈に付与されたのである。
なんとシステミックな「人の変化」を体験していたのか,驚くばかりである。
3. 調子刳れていた「家出人を匿う」……
高校生の頃の話は,あまり積極的にはしたくないのだが,断片だけ事実を記載しておきたい。すでに高校入学時に描いていた夢破れ,日々を面白可笑しくだけをモットーに送っていたのだが,やたらあれこれの相談事が舞い込んできていた。それも軽微な恋愛相談なら軽口で処理できるのだが,親子関係に関する深刻な話が山積していた記憶がある。
ある日,帰宅すると友人の一人がウチに来ていた。事情を聞いたら,家出中だから,泊めてくれと,ぶっ飛んだ。事情はある程度聞いていたので,気が済むまで居れば良いよと気軽に引き受けた。翌日,自分は学校で,友人は私の部屋で読書。帰宅して無駄話をしていたら,突然の来訪者。彼の父親,困窮の的である。
「なにを」と意気込んで挨拶をした途端,聞いていた話とは全く違う父親の対応。
深々と頭を下げたまま,「この度は,愚息が大変お世話になっております」とのご挨拶から,親としてこれまで愚息の困窮を見抜けず,ここに至ってしまった。ご迷惑をおけてしてたいへん申し訳ないが,ご対応をよろしくお願いしたい。その上で,我々がどうすれば良いのかの指標が見つかれば,お教えいただきたい,などの依頼であった。
それまで聞いていた話のポイントと,友人の困窮への対応のいくつかを示したところ,ひどく喜んでもらい,「子どもの意図をどう扱うべきか,大事な指標が抜けていたことがよくわかりました。それを伝えていただいても,急には納得しないでしょうから,当分本人が納得するまでこちら様に置いてやっていただけないでしょうか」との追加依頼まで。
その後,この話がどこから漏れたかわからないが,尾ひれがついて「家出をするなら,あいつが調整してくれる。突然でも対応してもらえるらしいぞ」という噂が広がり,その後数名の知り合いが家出してきて,親御さんがやってきて,私がそのお相手をすることが当たり前のような状態が数年続いた。
システムミックではないが,まさに「家族」を対象とした対人支援サービスのはじまりだったように思える。
4.家族療法に出会ったおかけで……
大学卒業までにも,紆余曲折の対人支援サービスでご飯を食べさせていただいていた記憶がある。不登校児や家庭内暴力の中高生の家庭教師,弱小スポ少のコーチ役,水商売の裏方しながら同業者ネットワークのセッティング役などなど。「交渉ごとならあいつにやらしとけばいい」と何度か言われていた気もする。ちゃんとしたバイトでも,店のホール役に留まらず,裏方も臨時でこなせるオールマイティ,スキー用品売り場の売り子で店内売り上げ1番の実績,ほとんど詐欺のような人たらしの訓練を続けていたように思う。
ホントにやりたいことが見つかったときも,ある事情で断念せざるを得なくなった。仕方なく,なんとなく得意領域だと自認していた対人支援サービスで生きていくことにした。ただ,偉そうに「自分はできる」と思い込んでいた天狗の絶頂で,学問的な正しさや先達の言うようにやっても治せないじゃないか,と。
信じられないことに,ある日開業したのである。そこでも失敗知らずで,相談に来たケースはことごとく改善して終結していた。そんなときに家族療法というこれまでと違った家族の扱い方があると知った。
正式な研修会には出たこともなかった身だからかもしれないが,突然あれこれ教わりはしたが,理屈より実践が知りたかった。その断片をサラッと見せてくれたのか東豊(龍谷大学)であった。天狗の最初の感想は「相手を乗せさえすれば,自分でもすぐにできる」であった。自分なりに英文を含めてわかる限りであれこれ勉強して,次の新規の家族からの相談に使おう,と決心してやってみた。
訪問家族療法。学校も指導できず,口もきかなくなった非行少女の家族。同席と分離を使い分けながら,両親に「気になる可能な改善点」を示させ,夜間外出が提案された。どうしているかを詳細に聞き取り,決めたことは「友人からの電話はすべて取り次いで,20時以前の電話で出かけるのは可,以後は本人が自分で断る」というルールだけであった。翌週の面接に行った途端,母親が開口一番,「先生,あの子がお弁当持って朝から学校に行って,帰ってきてそれを洗ってくれて,美味しかったっていってくれるようになりました」と。
天狗は,このまま突っ走る決心ができた。
5.その後のよく知られた展開
それ以後は,再びの紆余曲折で,東の弟子(?)に数カ月していただき,正式なスタッフになる前に所長にさせられ,「スタッフ増やそう計画」の責任から対人支援サービスの事務所を5カ所開設し,そこで自分の理想とするシステムズアプローチという対人支援サービスの社会実践を行ってきた。
同時に行った「スタッフ増やそう計画」の延長にあった研究会組織も構築し,各種学会の活動にも賛同参与し,30代から各学会のいろいろな役職を負ってきた。その中では今は亡き多くの著名な心理臨床家・精神療法家の先達から,篤い薫陶や,もっと激しくやれとの激励などの機会をいただいた。感謝という言葉では全く足りないくらいのご指導をいただいた果報者であると自認している。
ただ,それもこれも,いい加減が基本であるがゆえに,妙に堅いところがある。その際たるものは,「自分ができたんだから,あなたができるのは当然のこと」という確信じみた考えのセリフ。しかし,最近これはハラスメントと呼ばれるようになってしまい,残念至極である。
・名前:吉川悟(よしかわ・さとる)
・所属:龍谷大学心理学部
・資格:公認心理師,臨床心理士,家族心理士,医療心理士
・主なご著書:『システムズアプローチのものの見方,「人間関係」を変える心理療法』(単著,遠見書房,2024年),『セラピーをスリムにする─ブリーフセラピー入門』(単著,金剛出版,2004年),『システムズアプローチで考える「発達障がい」─関係性から丸ごと支援する』(編著,金子書房,2024年)
・趣味
現在,ゴルフ病に感染中。オマケで釣り,スキー,山登りなど