矢永由里子(西南学院大学・久留米大学)
シンリンラボ 第17号(2024年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.17(2024, Aug.)
1.「カウンセリング」との出会い
未知の世界への憧れ。子どものころからこの憧れが人一倍強かった。九州の山あいで生まれたせいか,自分の知らない世界へ強い関心を持っていた。祖父が商用で出かけた折の東京土産(主に食べ物だったが)にいつもワクワクし,曽祖母の台湾訪問時に求めた民族衣装をまとった人形の美しさに惚れ惚れとし,まだ見ぬ世界を想像しつつ「いつの日か,自分も」という希望に胸を躍らせていた。この希望が県をまたぎ,国をまたぎ,私を米国へと連れていった。
自他の文化に関心を持ち,文化人類学に進もうかとも思っていた時,当時留学していたミネソタ大学は異文化間コミュニケーションのメッカであり,「文化が異なる者同士がどう理解し合えるか」について学部・院レベルで展開するさまざまな実践的な教育に大いに刺激を受けた。学問としての「コミュニケーション」に初めて出会った。また同時に,「カウンセリング」という言葉に出会った。異国で学ぶ留学生にキャンパス内でカウンセリングが無料で提供されていて,利用していた友人がそのサポートでどれだけ孤立感が緩和されたかを私にしみじみ語ってくれた。「異文化間カウンセリング」という文化とカウンセリングを合体させた取り組みが自分のなかで「やってみたい」活動として芽生えてきた時期であった(その10年後に,福岡市の外郭団体である福岡国際交流協会で14年間,在住外国人のカウンセリングに従事した)。
2.日本での心理臨床:身体科医療とカウンセリング
1)身体科におけるカウンセリングに出会う
その後,米国でカウンセリングを本格的に学ぶためにテンプル大学の大学院に進んだが,そこでは1年間,授業と並行して集中して実習を受ける(前期は全日週2日,後期は週3日)ことが求められた。そして,大学の担当教官と実習のスーパーバイザー,それぞれからみっちりとスーパービジョンを受けつつ,カウンセリングのスキルを徹底して鍛えられた。かなり厳しいSVに悔し涙を流した場面を今でも鮮明に覚えている。
実習先は自分の関心に添って選ぶことが前提だった。私は「異文化間カウンセリング」では実習が難しいため,どの分野を選ぶかを迷っていた。その頃,米国ではキューブラー=ロスKübler-Rossの「死ぬ瞬間」がベストセラーになり,末期がんの患者の心理過程が注目されていた。この時に,これまでの「キュア(治療)」とは発想が全く異なる「ケア」という視点で展開する「ホスピス」という患者支援の言葉に出会う。「病と死」という領域で患者と家族を中心とした支援を試みる取り組みに心が動き,大学の卒業生が勤務している病院で実習生を受け入れていたため,その名もずばり,「Death & Dying(死と死ぬということ)」というチーム医療を中心としたホスピスプログラムに参加した。これが,日本でのHIV感染症という身体科領域でのカウンセリングへとつながっていくひとつのきっかけになる。
また,当時の実習で貴重な体験となったのが,コミュニティへの関わりだった。夫の赴任に伴い再び渡米した折,ピッツバーグ大学院に在籍し,地域のカウンセリング・センターで実習経験を積んだ。実習中には,関係機関が定期的に開催する会議や集会,研修会への参加が推奨された。そこで展開されたアルコール依存や虐待の問題に対するコミュニティとしての受け皿の強化と組織連携などの議論の場に参加することで,「コミュニティ」の視点が徐々に生成されていった。
2)HIV/エイズとチーム医療
「青年は荒野をめざす」。HIV/エイズ医療における本格的な心理臨床が始まった1997年の春,私はこの歌詞を口ずさんでいた。
全国におけるHIV医療の均点化のために,8病院をHIV/エイズのブロック拠点病院として厚生労働省が選定したが,その一つである国立病院機構九州医療センターにおける多職種編成のチーム医療に正式に心理職として参画しようとしていた時期だった。私を積極的に迎え入れてくれた副院長から,次の言葉を投げかけられた。「しっかり患者のメンタル面を支えて欲しい。ただ,主治医は『カウンセラーはいらない』と明言しているけれど……」。表向きの方針と現場のギャップの大きさ,いわゆる現場の厳しい現実を痛感した場面だった。「なら,自分はどうする?」と自問したが,出てきた答えが前述した歌詞の一節だった。当時,北山修先生がザ・フォーク・クルセダーズというグループで歌っておられたものだ。この時代,日本の身体科医療のなかで「チーム医療」を表記して取り組むところは非常に限られており,まして心理職に対する身体科医療での理解は皆無と言って良かった。私にしてみれば,目の前は「未踏の荒野」のようなもので,そこに一歩,今まさに足を踏み入れんという感覚であり,すでに「青年」と呼ぶには年齢を越えていたものの,そのときの心境にこの歌詞はピタリと当てはまった。
このような環境で,心理職としてどのように足場を作っていったか。これにはHIV/エイズの特徴も後押ししてくれたように思う。この疾患は,これまでの病と比べ,告知時の患者が受ける深刻さや感染症に付きまとう偏見・差別から,患者や家族の心理面の支援は無視できないものだった。また,HIV/エイズは医学的治療だけでは完結できず,患者生活全般の改善を求める疾患であることも明らかになっていた。いわば,病そのものが多くの職種の関わりと連携を求めてきたのである。私たちHIV/エイズに関わる職種は,共により良い支援を考え,そして連携して取り組む必要性に迫られていた。心理職もこの流れのなかで,より良いチーム医療とは何か,他職種と自分の職務の共通と違いは何か,どこに心理職として貢献できるかを日々考え,試行錯誤し,実践を通してチーム医療のあり方を学んでいったように思う。そのなかで大切にしたのは,患者の視点を重視すること,対応に迷ったときは「患者の益」を基軸とすることであった。その活動には,患者個人のメンタル面の援助とともに,偏見・差別のために自身の声で本音を伝えることが難しい場面において代理人的な役割を果たすことも新たに加わった。
3.出会いを通して学ぶ心理臨床
1)患者との出会い
現場での学びで,師として最も教えてくれたのは,やはり患者とその家族ではなかっただろうか。30代の心理職にとって,死に直面した患者の心理や感染症への偏見と差別のなかで生活する家族の心理を正確に把握するのは至難の業だった。本人達が語る言葉を一生懸命聴き取り,想像し,その状況を理解しようとする,それしか方法は無かった。もちろん病気については最新情報の入手に努めたが,患者自身の語りが私を「HIVと心理臨床」についての理解を一歩ずつ押し進めてくれたように思う。
現在,大学院にて公認心理師・臨床心理士を目指す学生を指導しているが,実習で経験する事例に丁寧に向き合い,クライエントとの何らかの関係を構築しつつ,「良い」臨床の体験を持って欲しいと願っている。その経験が本人の心理臨床の源泉となる可能性が大だからだ。
2)師との出会い
これまで公言したことはなかったが,私には臨床を導き,育ててくれた3人の師がいる。お三方のポジションは,心理臨床上の「大切な家族」として揺るぎないものとして存在する。
父は,前田重治先生。臨床の入り口のときに,かなり厳しいコメントをいただいた。それが私のこれまでの臨床の心棒となっている。母は,中河原史子先生。この先生の笑顔と本物の優しさは永久不滅である。そして年の離れた兄として慕っているのが,成田善弘先生。仕事で大変お世話になっているが,それ以上に,目に見えない贈物を先生から沢山頂いていて,感謝の念に堪えない。臨床に取り組む際は,いつもこのお三方から肩をそっと押してもらっているように感じている。
最後に
本稿では,「出会い」という言葉が何度も登場する。私たちが日々使う「ご縁」という言葉にも近い。自身の臨床の歩みを振り返ると,最初から「こうしよう」と目標を定めていたのではなく,「なんとなくできたら良いなあ」という気持ちに引っ張られ,そしてその都度の出会いが私に具体的な方向性を啓示してくれたように思う。人は人によって生かされていくものだと感じている。ただ,「出会い」はこちらが意識して温めなければ,その機会は指のすき間からサラサラと砂のようにこぼれ落ち,あっという間に消え去りやすいものでもある。その点を心に留めながら,今後も新たな出会いと未知の世界への扉を見出していきたいと願っている。
名前:矢永由里子(やながゆりこ)
所属:西南学院大学大学院人間科学研究科・久留米大学大学院心理学研究科非常勤講師
日本エイズ学会代議員・多文化間精神医学会評議員・日本医療マネジメント学会評議員
米国テンプル大学大学院教育心理学専攻修士課程修了。九州大学大学院人間環境学府心理臨床コース博士後期課程修了(博士)。
産業医科大学病院血友病センター,国立病院機構九州医療センター,福岡国際交流協会,公益法人エイズ予防財団,慶應義塾大学医学部感染制御センターを経て,現職。
資格:公認心理師・臨床心理士・医療福祉連携士・多文化専門アドバイザー
おもな著書:『医療のなかの心理臨床』(編著,新曜社,2001),『HIVと心理臨床』(編著,ナカニシヤ出版,2002), 『コミュニティ支援のカウンセリング』(共著,川島書店,2006),『日本の心理臨床2:医療と心理臨床』(単著,誠信書房,2009), 『ともにある(II)神田橋條治 由布院・緩和ケアの集い』(共著,木星舎,2012), 『がんとエイズの心理臨床』(編著,創元社,2012), 『心理臨床実践』(編著,誠信書房,2017), 『「風の電話」とグリーフケア』(編著,風間書房,2018), 『感染症と心理臨床』(編著,風間書房,2022)
専攻:身体科におけるカウンセリング;多文化間カウンセリング;コミュニティ心理学;災害支援;グリーフケア;産業カウンセリング;発達障害と自立支援
趣味:”またこんなに雑に描いて”と叱られながら続けている水彩画
南の島で始めたカヤック