こころをつなぐ災害支援 2nd season(5)支援を支えてくれた支援者への感謝|浅山耕介


浅山耕介(ニキハーティーホスピタル)

シンリンラボ 第42号(2026年9月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.42 (2026, Sep.)

1.はじめに

この原稿を書き終えようとしていた7月28日に,令和8年熊本地震が発災しました。被災された皆さまに,心よりお見舞い申し上げます。令和8年熊本地震でも平成28年熊本地震でも,筆者の被害は少なかったのですが,理論的な部分を割愛するなど原稿内容を変更して10年前の被災者としての体験を書き加えるなどしました。

1)執筆の経緯

本稿について,お世話になっている先生から話をうかがい,災害支援を知ってもらうことで心理師の支援活動へのハードルをさげることが目的と理解した。また,「災害支援をする人は特殊な人みたいになっている」とも聞き,方向性はないままその先生からの依頼ということで受諾した。

筆者は,2011年の東日本大震災後に支援者側として災害支援に関わるようになった。支援者側からスタートしたが,平成28年熊本地震に遭って被災者側にもなった。その2つの立場から振り返りながら「災害支援をする人は特殊な人」ということについて,自分なりに触れることができるのではないかとも考えた。ただ,熊本地震から10年以上経過している。災害支援について思い出そうとしてもそれ以前の記憶は思考や感情に左右されているようだったり,詳細さが下がっていたりして,曖昧で部分的なものになっているようだった。

2)本稿の焦点

事実とは異なることを残すわけにはいかないと考え,本稿では記録としても記憶としても残っている平成28年熊本地震に関わる活動を中心に記述することにした。当時,精神科病院の勤務の中での体験,学会に関係する活動など,支援といってもその実際は様々だった。そこで,内容が希薄化しないように,これまでの支援者としての災害支援の概要から,臨床動作法による避難所での心理支援が始まるまでの経緯に焦点を絞り,実際の活動内容は他の論文に委ねたい。なお,大きな物的被害はなかったものの自身が被災した体験を,令和8年熊本地震での記憶と混同していく前に,合わせて記載することにした。

補足すると,臨床動作法は,催眠により脳性まひ者の動作改善が見られたことから成瀬悟策先生によって創始された,課題となる動作への取り組みの中で治療的体験をしていく心理支援法である。からだを介したアプローチであるため,必ずしもつらさを言語化せずとも内面へ働きかけることができる。そのため,阪神・淡路大震災以来,被災者を対象としても実践され,その報告がなされてきた。

2.災害に関わる体験

1)東日本大震災の発災

台風以外に自然災害に縁がなかった筆者が,災害支援に関わるようになったのは,上述のように東日本大震災のときだった。2011年3月11日の発災当日,姪の誕生日であること以外は精神科病院のデイケアでのいつも通りの勤務日だった。急に,東京に娘さんが住んでいるスタッフさんが「テレビをつけて」と言い,画面を見たときに初めて発災を知った。映画のような映像だったが,その瞬間は現実味に乏しかった。実感がわかないまま,少しずつ状況が明らかになるにつれ,大変なことが起こったことだけはわかった。その後,テレビは公共広告機構のCMばかりになり,発災時にいた精神科デイケアでは花見イベントが中止され,日々の生活でも歓送迎会などの飲み会を自粛するといったことはあったが,筆者の生活自体に大きな変化はみられなかった。

2)支援者としての活動概要

2011年のゴールデンウィーク明け,全国から多くのスクールカウンセラーが被災県に派遣され,筆者もその一人として1週間単位の活動に従事した。被災地に初めて入る筆者の派遣先は,岩手の大槌だったが,最初にようやく役に立てたと思えたのは,保健室にあふれる支援物資の整理だったと記憶している。2回に分けて合計3週間滞在したが「何も出来なかった」,「こうしておけば良かった」という気持ちが大きかった。2012年4月から1年間,福島のいわき市にあるふくしま心のケアセンターいわき方部センターで勤務する機会を得た。地元保健師さんなどと協働して,訪問での借り上げ住宅への健康調査や心理支援,発達健診,仮設住宅でのサロン活動,ゲートキーパー養成講座や学校での講演活動など多岐にわたって従事した。

九州に戻ってくるときの仕事について声をかけてくれる先輩方もおり,1年で戻ることも考えていたところ,岩手で巡回型カウンセラーの募集があることを知った。十分に活動できなかったという思いが再燃し,その後の3年間の心理面接,心理検査,こころのサポート授業を通した心理教育などの活動をする機会をいただいた。2016年4月に熊本に転居して精神科病院に勤務したが,熊本地震では4月14日に前震が,4月16日に本震が発生した。被災したクライエントさんへの対応や病院長の支援者向けの研修活動への同行,DPATとしての避難所への支援に参加させてもらうなどの経験をした。また,各地に開設された避難所や仮設住宅において,被災した方々に臨床動作法を用いた心理支援活動を行った。熊本では,さらに令和2年7月豪雨があり,その際もDPATに参加させてもらい,芦北,人吉など避難所での訪問活動に関わった。

3)平成28年熊本地震での被災体験

平成28年熊本地震の前震の発生した4月14日の21時26分は,たまたまあった勉強会から帰ってきたタイミングだった。帰宅したとほぼ同時に大きな地震の揺れを感じ,当時の住居にあった本棚が,ぐらぐらと揺れ始めたところを走り寄ってなんとか支え,しばらく揺れとともに踏ん張った。スマートフォンが緊急速報エリアメールのいやな音を出し続けたが,大きな被害は家電程度で,本棚は天井との間に本をかませて倒れないように対策した。夜は大きな余震でたびたび目が覚めることの繰り返しだった。

15日朝になると停電しており,想定していた渋滞や道路の損壊はなく,職場にもスムーズに行くことが出来た。勤務している精神科病院では,余震の揺れを感じながら,片付けをしたり,休校や休園になっていたスタッフの子どもたちと遊んだりしながら一日を過ごした。

16日未明1時25分,前震を超えるような大きな揺れに襲われて,「やばい!」と声にだして布団から飛び起きたところに,目の前の本棚が倒れてきた。その後は停電し,緊急速報エリアメールがまた鳴り続けていた。いろんな方々から心配の連絡をもらいながら,気がついたら寝ていた。

16日朝,近所の様子を見に行くと建物の壁が崩落していたり,警報が鳴り響いていたりした。土曜日だったが上司に確認して職場にとりあえず行ってみると,スプリンクラーが壊れて水が出続けて,水浸しだった。課内の様々なものは地震で破損したり落下したりしており,紙カルテや心理検査,廊下や床にあった物品は水に浸かっていた。そうした水浸しの物を高いところに上げたり,流れ出すスプリンクラーの水を止めたりする作業などを行った。ある程度で帰宅したが,家に戻ると疲れがでて,本棚が布団を占領していたのでそのまま床で寝てしまった。その後,食料を求めて行ったコンビニは長蛇の列となっており,ほとんど商品がない中,わずかに残っていたお菓子と飲み物が買えた。余震はその後も続き,「2度あった震度7は3度あるかも」,「自宅にはいられない」と考え,交番で教えてもらった指定避難所の小学校に行った。しかし,学校にはすでに人があふれ,教室の床にも所狭しと座り込んでいて,立つ場所さえなかった。頼んで場所を少し譲ってもらうのも気が引けて,結局,ライフラインが不完全で揺れる自宅に留まることにした。その後もさまざまな不便やわずらわしさ,落ち着かなさを感じる生活であったが,もっと大きな被害を受けている人はたくさんいた。

3.臨床動作法による心理支援

1)見つからない支援の入り口

筆者は,東日本大震災後の福島や岩手での臨床動作法による心理支援に参加させてもらっていた。熊本地震が発災したため,そのときのように被災した方々がいる避難所や仮設住宅でも臨床動作法による心理支援活動が出来ないかと考えた。福島でも岩手でもすでに立ち上がっていた活動に後から参加させてもらっていたが,当時は熊本に来たばかりで,地域とのご縁が全くなかった。

4月16日,岩手にいたときの臨床動作法の支援や巡回型カウンセラーとしてもお世話になっていた方に相談した。熊本地震後もそうした取り組みが始まったら参加させてもらおうという意図もあって,つないでもらった熊本の臨床動作法関係の先生方に連絡を取ったが,被災により本来業務や関連した活動で余裕がないということだった。その先生方も被災者であり,動ける状況ではないということは,当時の自身の状況と照らし合わせても当然のことだった。

福島や岩手での臨床動作法の心理支援活動は,それまでの活動や人間関係によって依頼があって動き始めたと聞いたことがあった。しかし,筆者は熊本には依頼を受けるような縁は全くなかったため,時間の経過につれて臨床動作法による心理支援ではなくても,通常のボランティア活動でもできることをしようと考えた。そこで,被害の大きかった益城にあるボランティアセンターに朝から並び,全壊などの被害のあった家財や壊れた物品の移動,搬出などを主にしていた。その際,ボランティアセンターに役場への連絡先が貼ってあったため,念のためメモはしていた。

2)岩手からの応援

5月3日,行けるときにボランティア活動をしていたところ,岩手の臨床動作法の指導的な立場にある人の一人が来てくれ,臨床動作法による心理支援をどう始めるかという話ができた。半ば諦めて保留にしていたので,大変勇気づけられた出来事だった。なお,その前にも岩手でお世話になった指導的な立場の先生が熊本の施設に来られていたようだが,ご挨拶もできずに失礼してしまっていた。当時,天井が崩落した阿蘇くまもと空港は一部再開していたものの,余震が続いていた頃だった。そのような状況下で,乗り継ぎが必要なほど遠方からわざわざ来てくれた思いには感謝しかない。

5月4日,メモしていた町役場の連絡先に電話をして事情を伝えるとアポイントが取れたため,次の日に役場スタッフに直接説明することとした。

5月5日,役場内が混乱しているという中,時間を作ってもらい,役場の外ではあったが2人で臨床動作法の説明や思いを伝えた。実際に少し体験もしてもらったところ,良い感触を得られ,活動の場が作れるかについて検討してもらえることになった。

同日に,来熊してくれた方の関係で,益城町総合体育館を委託管理している団体に繋がり,同施設にも向かった。そこは,一目でわかる波打ったアスファルト,メインアリーナの天井崩落など多くの被害を受けていた。数百人の避難者,車中泊,周囲にはテント村ができていた。施設内には人で溢れ,壁にはさまざまな張り紙が貼ってあり,いろんな情報がホワイトボードに掲示され,通路を使わないと避難者のスペースを確保できなかった。そこで,管理団体の担当者に臨床動作法の説明や思いを伝える時間をいただいた。他県の臨床動作法に関係されている先生が,ゼミ生を連れて子どもの遊びボランティアをやっている情報も思いがけず得て,連携を模索した。

5月6日,益城町総合体育館の施設管理者からの連絡があり,7日に行くと「明日から活動してもらって良い」と言われ,さっそく8日から活動させてもらうことになった。その日は岩手でお世話になった,兵庫や長崎の先生方の来熊もあり,合流して県臨床心理士会への義援金を持っていくといった行動をともにした。またその夜,福島時代にお世話になった先生に連絡し,活動を始めるときの心構えやコツ,なにより記録の大切さを教えてもらった。全国の先輩方に支えてもらいながら,避難所での心理支援が始まることとなった。

3)臨床動作法による心理支援活動の開始

5月8日,前日午後から同行した災害支援と臨床動作法の先生と午前中は他の市町村を回った後,その先生と午後から臨床動作法による心理支援に入った。益城町総合体育館の施設担当者の方と短く打ちあわせ,ビブスを借りて行動をした。廊下にもスペースを確保している程に避難者は多く,固定して使用させてもらうような空いた場所はなく,まずは話しかけながら興味を持ってくれる人たちに行うこととした。段ボールベッド上で横になっている人,隣の人と会話している人たちに話しかけると,応じてくれた。臨床動作法に興味を持ってくれる人に提案して,肩上げ課題,肩開き課題,膝や足首,手首の弛め課題といった,その場で取り組める主訴に応じた動作課題を設定した。「どうぞ」と言われる言葉に甘えて,段ボールベッドの上で取り組むこともあった。課題動作に取り組んでいるうちに,リラックスしたのか寝息を立てて寝る方もいた。大きな変化を狙わずともポジティブな体験をしてもらい,笑顔や好意的な感想を得ることができ,臨床動作法による心理支援の有用性を確認できた。

各地方自治体から来た支援者,公的救護機関の支援チーム,アロマセラピー,足湯などさまざまな支援団体も活動していた。その中で,筆者は話しかけながら少しずつ心理支援として臨床動作法を行っていくことが大切だと考え,その後も継続をさせてもらうことになった。活動終了後は,施設管理団体の担当者に報告をし,次回の日程を打ち合わせた。実際を報告することを通して,臨床動作法の説明を重ね,信頼関係を築くことに努めた。

なお,町役場で説明をした件は,すでに公的救護機関の支援チームが心理支援を行っていること,これまで臨床動作法との関わりがなかったことから受け入れは難しいという判断になって,役場ルートでの活動は実現しなかった。時間を取って話を聞いてもらっただけでもありがたいことであったが,臨床動作法の有用性をより示し,知名度を上げる必要性を感じる出来事であった。

4)その後

活動を継続していく中で岩手,秋田,青森,兵庫といった遠方から支援者がきてくれた。「いきいき動作法」と銘打ったチラシも途中から使用し,「自分でからだを楽にする方法」として紹介し,可能な日に活動するといったスタイルになった。平日の昼間の避難所は高齢の女性が多く,若い年代や男性は日中に活動し,夜間は避難所に戻るという生活をしているようだった。どの世代も同様に心理支援が必要と思われたが,時間帯の制約から夜間の活動は難しいという課題はあった。

その後,メインアリーナの天井の改修が済むと,廊下で生活していた避難者がメインアリーナの紙管とカーテンで仕切られた段ボールベッドのあるスペースに移った。それにより空いた廊下のスペースに,セラピーマットやヨガマットを敷いて実施する許可をいただくことができた。一方で,動作課題でときにからだを横にする姿勢を取ることもあったが,廊下であるため人が近くを歩き,様々な声や館内放送,物音が聞こえる環境でもあった。カウンセリングルームのように最善の環境ではなかったが,一度だけの出会いとなる可能性があったため,少しでも良い体験をしてもらうことを最優先とした。

2016年8月には県の臨床心理士会で支援者を募る時間をもらい,その後は2人の地元支援者の協力を得られるようになった。東北からも引き続き来てくれることがあり,その後の仮設住宅での活動においても,2019年6月の仮設住宅の閉鎖まで,細く長く支援活動を続けることができた。

4.まとめにかえて

1)「特殊な人」への敬意

これまでの経過を振り返りながら記述したが,事あるごとにサポートをもらっていたことが思い出される。過酷な場所であるにも関わらず活動しており,圧倒的な行動力,的確で素早い判断力,柔軟性があり,その都度直面した困難な課題を処理できる能力の高い人たちだった。被災地という制限が多い場で,先駆的に災害支援を行える人は心理師の枠組みから見ると「特殊な人」なのかもしれない。一方で一人の人間として捉えるなら,困っている人のために率先して動くことは自然で「普通」の営みのように感じられる。彼らは,それを被災地で体現している「普通の人」とも言えるのかもしれない。

日常の臨床から考えると,まるで別の職種であるかのように高い能力を発揮し,生き生きとして見えた。適度に覚醒度が高くなるとその人のその人らしさが出てくるのだろうか。いろんな背景があって活動をしている人もいたかもしれないが,それを自覚しながら,周りに迷惑をかけずに人の役に立つなら良いのではないだろうか。そういった名前を残さない多くの英雄がいたことも,ここに書いておきたかった。

その後に続いた筆者は,最初の段階で動くそういった能力の高い人たちの敷いたレールの上に乗せてもらい,その延長線上で活動を続ければ良かった。平成28年熊本地震の後の臨床動作法による心理支援も,前述のように筆者のみでは開始もできなかっただろう。能力の高い人が助けてくれることで始まった筆者の体験を示すことで,災害支援を志す心理師のハードルが下がることを期待する。

なお,「こころをつなぐ災害支援」のこれまでの著述を見ても学ぶことが多く,やはり先駆者には「特殊な人」が少なくないように思う。

2)感謝

発災直後から連絡をくれた方々,仮設住宅での活動の最後まで一緒に動いてもらった先生などから多くのサポートを得た。臨床動作法による心理支援に熊本でも参加したい,熊本でもやっていきたいという思いはそもそも,どこから来たのか,と書きながら振り返っていた。そこにあったのは,福島でも岩手でも臨床動作法による心理支援を通してさまざまなことを教えてもらい,親切にしてもらったことへの感謝だった。それを別の誰かにつないで返していきたいという気持ちがあった。心理支援活動に参加してくれた方々,それに関心をもってサポートしてくれたすべての方々に感謝である。また,これまで,熊本地震後の臨床動作法による心理支援について発表したり,執筆させてもらったことがあるが,謝意を伝える場ではなかった。そのため,今回の「こころをつなぐ災害支援」の執筆の機会は,大変ありがたく思っている。

3)今後に向けて

平成28年熊本地震後,未だに影響が残っているところが人のこころの部分も含めてさまざまなところで垣間見える一方で,復興が進んで大きな変化が生じているところもあった。しかし,今回の令和8年熊本地震が発災した。今後も日本では大規模自然災害が発生すると考えられ,心理師による災害支援の土壌も少しずつではあるが拡がりつつある。海外では人道支援として多くの心理師が活動しており,国内でもサイコロジカル・ファーストエイドは心理師のみならず,多くの対人援助職が学んでいる。筆者の知る限りでも日本EMDR学会のJEMDR-HAP,日本TFT協会,ブレインジムなどの団体が被災地で人道支援を行ったり,オンラインでのサポートを提供したりしており,これからのさらなる活躍が期待される。

災害支援の支援者側だったのが,思いがけず被災者側にもなった筆者のように,誰でも否応なく被災者になったり支援者になったりするかもしれない。今回は字数制限のために割愛したが,被災地にいる被災者がいかに受援側の役割をするかといった課題があった。ただ,これまでの積み重ねがあるため「災害支援をする人」になることについて,安心はできなくても,過度に心配しすぎることもない。その積み重ねを増すごとに「特殊な人」でなくても,大規模自然災害が起きたときに少しは動きやすくなると思う。「特殊な人」である先駆者は幸いさまざまな地域におり,きっと先導してくれるだろう。最後になるが,この拙文もその積み重ねの1つとなれば幸いである。

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浅山耕介(あさやま・こうすけ)
ニキハーティーホスピタル
資格:公認心理師,臨床心理士

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