加藤信彦(北海道スクールカウンセラー)
シンリンラボ 第39号(2026年6月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.39 (2026, Jun.)
東日本大震災
2011年3月11日は,私が教員として勤務していた中学校の卒業式前日でした。午前授業で生徒を下校させ,卒業式前の準備を終えて職員室にもどりました。すると,職員室の蛍光灯のひもが揺れていました。「地震?」北海道の旭川でもわずかながら揺れを感じました。職員室のテレビをつけると,目を疑うような光景がリアルタイムであらわれ,衝撃を受けました。職員室でも,自宅に帰っても,どの番組も東北地方を襲った地震,津波の報道でした。翌日の卒業式においても,私だけではなく,卒業式に参加した全ての人の心に動揺はあったと思います。年度がかわっても,新聞やテレビニュースなど,あらゆるメディアを通じて震災情報が継続して流れました。
東日本大震災を題材にした道徳授業
翌年3月,中学2年の学年主任であった私は,被災した気仙沼市の中学校の「卒業式答辞」を題材に,道徳の授業案を作成し,学年の先生方に提案しました。この授業のテーマは,学年の生徒の実態も踏まえて,「仲間との絆(思いやり)」でした。しかし,生徒の授業後のワークシートからは,他にも「命の尊さ」や「まわりへの感謝の気持ち」などのキーワードが感想にみられました。授業の導入の動画をみて,涙を流す生徒もいました。どのクラスの生徒も真剣に授業に取り組む姿がありました。事前に,学年の先生方と話し合い,災害に対する恐ろしさは強調しないように意識しました。授業後は,担任の先生方も「この授業をやってよかった。」という安堵感と達成感があったようでした。私もふくめ先生方には,この災害への様々な想いがあり,どこかで触れなければならないという気持ちはあったようです。私自身も社会科の教員でしたので,地理の授業で,「想定外の被害の大きさ」や,「ハザードマップの見直しと確認の必要性」「原発の安全性」などに触れたと思いますが,生徒にとっては,知識としては伝わったかもしれませんが,「自分事」として考えたかどうかはわかりません。
ボランティア経験者による全校道徳
このことをきっかけに,私は,学校の道徳教育推進教師でもありましたので,翌年10月に,東日本大震災でボランティアの経験がある,別の中学校の先生に,本校の「全校道徳」の講師を依頼しました。その先生にとっても初めての試みでしたが,引き受けていただきました。被災地の状況や被災地の人々の生活の様子,ボランティアとしての関わりの様子など,自らの経験をもとに生徒に話をしていただきました。講師の先生は,ボランティアとして,最初は何をしてよいかわからず,ものすごく悩まれたようです。また,被災地で,講師の先生が強く感じたことは,被災者の方々にとって,仮設住宅はできたが,地域のコミュニティや,互いのコミュニケーションの場が失われてしまうこと,住民が孤立してしまうことが心配であるということでした。そして,被災地で自分が毎日できたことは唯一,「話を聞くこと」だけだったとのことでした。特に,高齢者の女性の話を聞いているうちに,しだいにその女性の表情に笑顔がみられ,ほっとし,喜びを感じられるようになったと話されました。また,講演の中で,私が印象に残っているのは,「他人事を自分事として考える」「生きている。そのことが世の中に何かの使命がある。」という言葉でした。これらの言葉から,生徒にも,思いやりの心や命の大切さを伝えていただいたのではないかと思っています。そして,あらためて東日本大震災という未曾有の災害と被災地の人々のことを忘れてはいけないという気持ちを強くしたことと思います。講話の中で,写しだされた写真には,講師の先生と被災した子供や高齢者との関わりあう姿が多くみられました。講師の先生は,再度,ボランティアに参加する予定だということでした。「行かなければ。行きたい」という想いを話されました。
教頭時代に経験した2016年の「連続台風」による災害
2016年の当時のことを思い出すたびに,「一人も死者がでなくて本当に良かった」と思います。この災害を経験した町民はみな同じことを思ったはずです。みな奇跡だと話していました。当時,私は南富良野町の中学校の教頭でした。この年の8月,北海道に接近した4つの台風と,その影響による豪雨で,町は大きな被害を受けました。
8月23日の3度目の台風による大雨で,中学校の地下のボイラー室に数㎝程度,浸水しました。このことは大きな影響はなく,業者に水を抜いてもらい,ほどなく処置は終了しました。しかし,30日の4度目の台風と豪雨の影響で,一夜にして,空知川の堤防が決壊し,濁流となって町は大きな被害を受けました。すでに,これまでの3つの台風によって,上流の山間部の雨量が大幅に増えていたことと,度重なる大雨で地域の土壌はこれ以上,水を吸収できない状態であったこともあって,過去に例のない「連続台風」の怖さをみせつけられました。
災害時の教頭としての中学校での対応
8月30日(災害発生日),午前8時の職員朝会前に校長と打ち合わせを行い,台風接近に際して,2時間目終了後に教務主任,生徒指導主事,管理職で協議し,放課後の部活動や生徒の下校対応を決定し,4時間目終了後に全教職員に周知することと,町の教育委員会に報告することを確認しました。そして,2時間目終了後に,気象情報と実際の天候を踏まえ,教務主任,生徒指導主事,管理職で協議した結果,放課後の部活動の中止と6時間目終了後に全校生徒を下校させる決定をし,このことを教頭の私から教育委員会に報告しました。給食前に,生徒指導主事から全教職員に,6時間目終了後の生徒の下校と自宅待機を周知しました。そして,全教職員の指導で16時までに生徒全員を下校させました。その後,職員会議を行い,明日の午前5時半に職員連絡網を通じて教職員に,明日の対応について伝えることを確認するとともに,教職員に安全確保のための自宅待機を命じ,17時に全教職員を退勤させました。その後,私は学校に待機し,校長は教育委員会と連絡を取りながら,町の状況確認のため町内巡回に出ました。
19時に,小学校が避難所に指定されたとの連絡を受け,校長に電話で報告しました。町の小学校と中学校は比較的高い位置にありました。このころ,町内では,非常サイレンとともに,避難所への避難指示の放送が継続して鳴り響いていました。21時ごろ,職員室に漏電の警報が鳴り,地下のボイラー室であることを確認し,校長に報告するとともに,教育委員会に報告しました。地下のボイラー室の水位が上昇していました。その後,小学校の教頭から電話で,数名の中学生と保護者が小学校に避難してきたことを確認し,校長に報告しました。21時30分ごろ,職員室の電気が消え,町内が停電になりました。校長の指示で,私は,職員連絡網を通じて教職員に明日の自宅待機(災害事故休暇)を伝えるとともに,明日の朝6時に,生徒連絡網で「臨時休校」を担任から家庭に伝えるように指示しました。
8月31日,私は,午前4時半に,町の状況の確認と,避難所になっている小学校の状況を確認しました。町の中を進んでいくと,もともと川の無い場所に,ものすごい音とともに大きな川が流れていました。まさに激流でした。激流の向こう側は良く見えませんでした。激流の手前のコンビニエンスストアーは浸水しながらも建物は無事のようでした。パトカー1台と消防車1台がすでに半分以上が水に浸かった状態で止まっていました。数名の警察官,消防士などの姿もありました。何もかもが,見たことのない光景でした。
避難所の小学校では,職員室が事務所になっており,校長先生と教頭先生はTシャツ,短パン姿でした。避難時には,腰の高さまで水が来ていたとの話でした。町の中でも比較的低い位置にあった小学校の管理職住宅と教員住宅は洪水の被害を受けました。校長先生をはじめ,小学校の先生方は体一つで小学校に避難したとのことでした。その後,午前5時までに町内に住む中学校の教職員の安全を確認し,教職員1名が避難所に避難していることを確認しました。一人一人の教職員に安全第一で行動するよう指示し,町内在住の教職員の無事を校長に報告しました。午前5時40分に,学校で校長と今後のことを協議しました。午前6時には,校長の指示で,担任から生徒に「本日の臨時休校」の連絡をするよう伝えましたが,電話が通じない家庭があることが判明しました。
午前6時15分に,教育委員会から,中学校のグラウンドを救急ヘリの離発着場所に指定したことと,その対応をするよう指示が来ました。校長が消防職員とこれに対応し,定期的にヘリが離発着しました。私は校長から,職員室に待機するよう指示されました。その後,校長と,生徒・家庭の状況確認の方法,町の被害状況把握の方法,今後の授業再開時期と当面の授業の在り方,学校祭などの行事の延期について,協議しました。
午前7時30分に,校長の指示で,「安全区域の生徒」と,「避難所にいる可能性のある生徒」に区分けして担任と教頭で分担して個別に電話連絡を行い,生徒の安否確認を行うとともに,本日の臨時休校を家庭に連絡しました。校長は自ら避難所である小学校に出向き,直接,生徒の安否確認をし,臨時休校を伝えました。午前10時に,ようやく生徒全員の安否確認を終え,それぞれの生徒が自宅,避難所,保護者の実家などでの生存が確認できました。
午前10時50分に,校長の指示で,私は職員室に待機して外部からの連絡,問い合わせに対応し,校長は町の状況把握に向かいました。午前11時ごろ,職員室で漏電の警報が再度鳴り,地下のボイラー室が140㎝浸水しており,電話で校長に報告しました。12時ごろ,校長が帰校し,町の状況を確認しました。空知川周辺,特に福祉施設周辺が大きな被害を受けていること。道路事情で状況が把握できない地区があること。小学校の全ての教員住宅が浸水被害を受けたこと。明日以降,断水で給水制限が入ること。国道が通行止めで,道道も緊急車両のみ通行許可になっていること。教育委員会をふくめ,町役場の職員全員が昨夜から各現場の対応に追われていること。電話の機種によって連絡できない状況にあることなどを確認しました。
13時ごろ,校長と,生徒・家庭の被害状況の確認方法と,今後の授業再開や学校祭等の教育活動など今後の対応を再び協議しました。そして,①今週は臨時休校とする。②町内在住の教職員は明日から通常勤務で被災施設のボランティア作業に協力する。③町外の教職員は道路事情から通勤できず,災害事故休暇とし自宅待機する。④学校祭は当面延期とする。⑤学校再開は来週月曜日とする。ただし,当面は午前授業とする。①と⑤は町内の小学校も同じ対応をすることになりました。特に,児童生徒の心身の健康のため,できるだけ早期に再開しようとの判断でした。14時ごろ,校長の指示で,教職員には明日の対応を連絡し,合わせて担任と教頭で分担し,明日の臨時休校を家庭に連絡しました。
15時ごろ,町内にある高校の校長・教頭が来校しました。校長が対応し,中学3年生向けの高校説明会の延期,学校再開の期日など,相互に情報交流を行いました。私は,保護者からの問い合わせの対応,定期的な救急ヘリの離発着の補助などを行いました。16時ごろ,校長の指示で,教育委員会を通じて,国道,道道の状況の情報を確認しました。国道再開のめどが立たないこと。道道は工事中で,明日の朝6時以降,一般車両の片側通行が可能になる見通しであることなどを確認しました。
9月1日,午前4時30分,町内は断水となりました。一方で,国道が片側通行で通行可能になったと情報が入りました。そこで,校長は,他の市町村に,町内在住の教職員用の飲料水,食料等の確保に向かいました。6時30分に,道道が工事を終了し,安全通行が可能になったと情報が入り,校長に報告しました。校長の指示で,私は,町外在住の教職員にも,安全を確保しながら通常勤務するよう連絡をしました。
午前8時に校長が帰校し,出勤した教職員に,校長から,次の指示がありました。①教頭は,被災状況確認チェックシートを作成する。②担任は,被災状況確認チェックシートをもとに,避難所や家庭等に出向き,保護者・生徒と対面し,被災状況,学習道具・制服・ジャージ等の有無,登校可能かどうかを確認する。状況を確認しだい,今後の連絡(学校祭の延期と,授業再開が来週月曜日で,当面は午前授業)を伝える。③担任以外の教職員は,本日,高齢者施設の泥出し作業,避難所(小学校)での援助活動を協力して行うこと。その後,午前9時に,それぞれの教職員が活動を開始しました。業者が到着し,ボイラー室からの排水処理とボイラーや配電盤等の点検が始まりました。
午前11時に担任が帰校し,生徒の状況を確認しました。収集した生徒の状況をもとに,月曜日以降の学校生活に向けて生徒への連絡事項を整理しました。13時に,担任より,月曜日からの時間割り,バス生徒の登校手段について個別に連絡しました。16時,業者から,ボイラー室の排水処理終了報告を受けましたが,地下室のボイラーと配電盤は浸水の影響で破損していました。16時30分,全教職員が帰校し,職員会議を行い,17時30分に,教職員を退勤させ,校長・教頭で来週からの生徒への対応を協議しました。
9月2日,午前8時10分,職員朝会を行い,本日のスケジュール,来週からの学校生活についての確認をしました。午前9時,私は学校に待機し,校長と全教職員は,高齢者施設の泥出し作業と清掃作業に向かいました。午前10時,教職員4名は高齢者施設から被災した小学校の教職員の住宅清掃に移動し,家財の運び出しに参加しました。午前11時,教職員2名は,高齢者施設から小学校(避難所)へ移動し,小学校の教職員とともに避難所での援助活動に参加しました。同じ町の教職員仲間ということで,自らも被災しながら避難所での援助活動に取り組んでいる小学校の教職員を支えたいという気持ちは特に強かったと思います。
16時30分,校長,教職員が帰校し,来週からの学校再開に向けて職員会議を行いました。この会議では,養護教諭から全教職員に,自然災害による「心的外傷後ストレス障害(トラウマ)」の対応について,「生徒の不安に丁寧に耳を傾けること。その際,教師の方から,無理に話させないこと。不安や恐怖に対する頭痛,腹痛,嘔吐,息苦しさなどの身体症状を訴える場合があること。不安な状況下での様々な失敗や気持ちの浮き沈みについて安易に叱らないこと」などの説明がありました(停電復旧後,養護教諭の「災害後の心のケア」についての資料の一部を家庭に配布しました)。その後,教職員を17時30分に退勤させました。教職員にとって,学校再開は,大きな希望になったことと思います。一方で,小学校の教職員にとっては,避難所生活と並行しての学校再開になりますので,負担は大きかったと思われます。
私は教頭として,学校再開後も学校に待機しての業務が中心でした。町の教育委員会職員も避難所等の業務に追われており,電気が復旧した後も,しばらくは教育委員会から発出すべき各種文書の作成を任されました。また,教育関係者をふくめ,様々な方々の慰問や来校,緊急時の非常食の搬入,各種団体からの支援物資の受け入れ等の対応がありました。学校は再開しましたが,給食センターも被災し,給食が再開できませんでした。そのため,家庭でお弁当が用意できない生徒の数を集約し,養護教諭,家庭と連携してアレルギーなどに配慮しながら,生徒に応じた非常食を代替食として提供しました。浸水で被災した生徒の破損した教科書や副教材の無償配布の手続きや,各種援助制度の情報提供などを個々の生徒・保護者の生活状況・実態に応じて行いました。また,被災した教職員の保険や災害見舞金等の手続きの補助を事務職員と共同で行いました。
災害に対する私の支援活動
私は,平日は学校での業務に携わっていたため,土日に支援活動に参加しました。まず,朝9時に支援センターに集合し,そこで,ボランティアの内容を確認し,リーダーの方が5〜6人で班を編成し,数台の公用車の乗り合いで現地に向かいました。主に,一人暮らしの高齢者住宅の泥出し作業や清掃作業が中心でした。昼に,センターにもどり,お弁当と飲み物をもらって食べました。午後から再び現地に向かい,作業を続けました。作業の合間に,休憩を取りますが,その間,みんなで高齢者の方とお話をしたことを覚えています。おおむね2か月間,ボランティアを継続しました。私自身,管理職として,単身赴任で南富良野町に勤務していたため,災害発生日から2か月は自宅に帰りませんでした。
ボランティアをしていて驚いたのは,避難所の小学校でも,地域のボランティアにおいても,中学生が積極的に参加し,活動をしていたことです。被災していた生徒もその中にいました。災害に対して,前を向いて地域のために活動している姿に生徒の成長を感じました。一方で,養護教諭からの話にありました,災害後のストレス反応として,茫然自失期,ハネムーン期,幻滅期,再建期の4段階があります。生徒の様子から,ハネムーン期で,復旧活動に積極的になる時期だったのかもしれません。再開後の学校では,明るく元気に過ごしている生徒の姿がみられましたが,全教職員で,学校での見守りを続けました。しばらくして,不登校傾向を示す生徒が若干いました。養護教諭や担任による保護者との連携した対応で,段階的に,登校できるようになりました。
おわりに
私は,この後,3つの市町村の学校で校長として勤務しました。その間,胆振東部地震によるブラックアウトやコロナ禍でのパンデミックを経験しました。自然災害や未知の感染症の脅威は,様々な被害や社会的な影響を与えました。
現在,スクールカウンセラーとして4年目になりますが,被災地で活動をしたことはありません。私が心理職として被災地に派遣されたならば,被災地にある学校で過ごす生徒を支えたいと思います。学校再開後の生徒を支えるためには,まずは自らも被災者である教職員を支える必要があると実感しています。限られた人員であっても,教職員に寄り添うことはもちろん,心身ともに休息が取れる体制を少しでも構築できたらと思います。そのうえで,教職員と一緒に,生徒の安心,安全を確保したいと思います。そのためにも,養護教諭と連携し,生徒や保護者,教職員にストレスへの対処法なども伝えられたらと考えます。また被災地域においては,ボランティアを経験した教員の講演にもありましたが,地域のコミュニティの回復や,特に住民の孤立を防ぐための橋渡しができないでしょうか。同じ地域の大人や生徒たちが復旧活動を通じて,高齢者に寄り添ったり,助け合ったりする姿も目の当たりにしました。また,地域によって復旧に差ができると,差別や偏見が生まれるかもしれません。コロナ禍でのパンデミックにおいても,差別や偏見が大きな社会問題となりました。何が正しいのか,心理教育によって理解を促すことができないでしょうか。今回の原稿執筆にあたり,記憶をたどりながら,あらためて災害について,考える機会をいただきましたことに感謝いたします。
加藤信彦(かとう・のぶひこ)
元中学校教員
現在,北海道スクールカウンセラー
資格:公認心理師,学校心理士,臨床発達心理士









