こころをつなぐ災害支援 2nd season(1)津波警報下の避難所で経験した心理的支援──初動期4時間の体験から|木村かおり


木村かおり(社会福祉法人 北海道社会福祉事業団)

シンリンラボ 第38号(2026年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.38 (2026, May.)

1.はじめに

この寄稿文をお読みの皆様は,災害支援に関心があり,携わりたいと考えているのではないだろうか。そして,災害支援で何をすると良いのだろうかと不安も感じていたり,あるいは事前にさまざまなことを学びたいと思っておられるのではないだろうか。私も今回の経験に至るまでは,避難所支援に対して同じ思いを抱いていたのだ。

私自身が今回の体験まで被災地での支援経験がなければ,避難も自宅避難や職場避難(地域住民がいない環境)の経験しかなかった。機会があれば災害支援の研修会にも参加しているが,それでも私の中の避難所や災害支援のイメージは漠然としたものだった。

本稿では,私自身の避難や避難所でのほんの数時間の体験を具体的にご報告することで,皆様の今後の一助となれば幸いである。

2.体験の経過

1)津波警報と避難開始

さて,私の体験は,2025年7月30日9時40分,職場で鳴り響いたけたたましいスマートフォンのアラームから始まった。カムチャッカ半島東方沖を震源とする地震に伴い,北海道から和歌山県にかけての太平洋沿岸に最大3mの津波到達が予想され,津波警報が発令されたのだ。

職場は海岸から約0.2kmの場所にあり,津波発生時の指定避難場所となる建物の1階にある。警報の発令を知ると同時に,私は間髪入れず「避難しましょう!」と職場の仲間に声をかけたのだ。

2)避難所までの町の様子

私は素早く,貴重品やモバイルバッテリー,飲み物,飴やチョコレートを鞄に詰め,建物の最上階の3階まで上がった。隣町にある自宅の家族の安否を確認しながら窓の外を見下ろすと,海岸にはやや高い波が次々と押し寄せている。ふと2011年の東日本大震災を思い出していると,建物の管理人から「想定される津波の高さでは,ここは避難所として機能しない」との連絡が入り,避難所は閉鎖されることになった。

この地域の自治体は太平洋西部に面しており,海岸線はほぼ一直線に15〜20km続いている。内陸には丘陵地と平地が混在し,海岸の低地から丘陵地帯にかけて標高が上がる地形だ。

避難所の閉鎖を受け,約1km弱離れた高台の指定避難所である学校へ徒歩で向かうことになった。海岸沿いに国道と線路が並行しており,高台へ行くためには線路を越える必要がある。津波警報の発令によりすでにJRは運転見合わせとなり,幸いにも踏切は開いたままで,人や車は次々と渡っていた。周囲は普段より人通りや交通量が多く,交差点では強引に割り込む車が目に付いた。避難所まで0.5kmの地点で渋滞が発生し,車列は動けぬまま避難先の学校まで続いていた。

3)避難所到着直後の様子

職場から約15分で避難所に到着した。敷地内には,すでに多くの人があちこちで固まって立っている。この日の最高気温は23℃で,天候は曇り空,時折晴れ間も見られた。屋外であるため椅子は設置されておらず,シートがなければ地面に直接座るしかない。幼い子どもから高齢の方まで,さまざまな人の姿があった。

私が過去に経験した津波警報では,警報発令から注意報へ引き下げられるまでに,2010年のチリ地震では約12時間,2011年の東日本大震災では約23時間を要した。そのため,念のため長時間の避難を覚悟する必要があると考え,屋外での避難はできるだけ避けたいと思った。

そこでまず,見かけた学校職員と思われる方に体育館のトイレの開放を申し出て,利用させてもらった。その際,あわせて体育館の開放についても依頼したところ,10分も経たないうちに体育館が開放された。

4)車避難者の状況

学校前の道路には車列が連なり,学校関係者と思われる人が,車両が敷地内を制限するための交通整理を行っていた。当初はその理由が分からなかったが,後に自治体が公表した避難の検証報告書によって,事情が明らかになった。それによると,車の出入口付近に大きな段差やコンクリートの突出があり,車両下部の損傷を防ぐため,土嚢で対応が取られていたのだ。

グラウンドを駐車場として開放するとの放送があったのは,その約1時間後だった。私が到着から約4時間後には,グラウンドはほぼ満車に近い状態だったと記憶している。一方で,この間に体育館の避難者数が大きく増えた様子は見られなかった。多くの人が車内で過ごしていた可能性があると考えられる。

5)体育館内の環境

さて,体育館が開放されると,避難者はそれぞれ壁際にスペースを確保し始めた。しばらくすると椅子が提供され,大型扇風機も数台設置された。開放から20分ほど経つと床マットが用意され,保育所・幼稚園から避難してきた子どもたちや高齢の方を中心に,マットの上で過ごす姿が見られた。

災害情報は各自のスマートフォンで確認する様子が見られたが,バッテリー残量の問題が懸念された。また,スマートフォンを所持していない人もいることから,文字情報に限らず,より正確で最新の情報を共有できる手段の必要性を感じた。

そこで,居合わせた学校職員に声をかけ,ラジオなどの情報提供を依頼した。すぐに快諾が得られ,ステージ上の大型スクリーンにテレビ映像を映し出された。しかし,約4時間過ごす中で,音量が大きすぎて音が割れ,聞き取りにくいことに気づいた。また,体調の優れない方や静かに過ごしたい方への負担や,長時間にわたり津波情報に晒されることによる心理的な影響も懸念された。メディア環境については,配置場所や提供手段,番組内容の選択なども含め,運営側とともに検討する余地があったと感じた。

トイレは,男子用・女子用・ユニバーサル用の3カ所。女子用の個室は2つだったと記憶している。手洗い場は2カ所あり,混雑している情報はなく,実際に利用した際もスムーズに利用できた。しかし,便器や手洗い場の床周りは水汚れが目立った。

体育館用のスリッパはあったが,数は限られ恐らく当たらなかった人がいたと思われ,スリッパが当たらなかった人達はこの水汚れをどのように回避したのだろうか。避難する際には,上靴は持参した方が良さそうだ。

6)初動期の運営

体育館の開放や災害情報ツールの依頼のため,通りかかった学校職員に声をかけた。しかし,避難者の出入りが増えるにつれて,避難者・学校関係者・自治体職員の区別がつきにくい状況となった。少なくとも私の記憶では,一目でスタッフと分かるような名札や識別表示は確認できなかった。

声をかけた学校職員の中に,業務上で面識のある管理職の方がいた。その方への避難所でのサポートの申し出をきっかけに,その方と連携をとり,活動することになった。学校側としても,素性の分からない人物からの支援は受け入れが難しいと考えられるため,面識のある方がいたことは幸運であった。

7)子どもたちの様子

体育館には保育所・幼稚園から引率された幼児集団が2つあった。各施設から持参した補食や絵本が幼児達に提供され,敷かれたマットででんぐり返しをしたり,午睡をする子どもの姿も見られ,騒ぎだしたり泣き出すような幼児はいなかった。また,部活に来ていた10人ほどの中学生は,椅子やマットの運搬を手伝い,それ以外の時間は仲間同士で集まり談笑している様子が見られた。

これが長時間となった場合には,活動空間の制限への苛立ちや,保護者との分離不安が生じる可能性があっただろう。また,メディアからの災害情報に晒されることによる心理的影響も懸念され,子ども達が安心して過ごせる遊びの空間や活動の提供も必要であろう。

8)食事・水分の課題

12時前頃だったか,学校からの情報で非常食が搬入されていたようだったが,実際の配給開始は14時近くになっていた。

配給時に非常食の数が不足しているので,パンまたは白米のいずれか一つと,ペットボトル1本を配給するとの放送があった。午前中の放送では,避難者は100人程度との報告がされたが,後に公的に発表された概算避難者数は450人だったので,想定を大幅に上回っていたようだった。

配給は,まず子ども,次に高齢者の順で呼び掛け,列が作られた。ただ,体調不良や歩行困難などにより列に並ぶことができない方の存在が気になるところだ。

高齢者の中には,早朝に食事をとって以降,配給までの9〜10時間近く何も口にしていないという声も聞かれた。空腹は不安や苛立ちを招く要因となり,特に子どもにとっては影響が大きいと考えられる。そのため,十分な食事でなくても,ビスケットやチョコレートなどの軽食を非常食として提供や持参をしておきたいところだ。実際に,保育所から避難してきた幼児は持参した軽食を摂っており,空腹による混乱は見られなかった。

配給前に,持参した弁当を食べている親子の姿があった。その際,「私なら少し躊躇してしまいそう」と感じたのだが,後日職場で話題にしたところ,「持参したものまで制限されるとしたら嫌だな」との意見があり,認識を改めることとなった。こうした点からも,プライバシーに配慮した衝立やテント等の整備が重要であると感じた。

9)おとな達の様子

このような非日常的で見通しのない状況では,些細な事で緊張や不安や戸惑い,あるいは興奮状態を引き起こすことがある。私自身も気が張っているような感覚や,どこか気持ちが落ち着かないという自覚はあった。

体育館に避難した直後の職場の仲間の様子はさまざまだ。災害や避難の経験談,LINEの安否確認ツール,スマホのバッテリー節約法などの話題で談笑する人もいれば,飲み物を持参し忘れ水分補給が気がかりになっている人や,トイレ混雑を心配する人もいた。また,体育館では「落ち着かない」としばらく屋外で過ごしていた人もいた。

仲間だけでもこれだけの反応なのであるから,他の避難者の様子が気になってきた。

10)避難者への声掛け

そこで,職場で使用する資格名の入ったネームプレートを首から下げ,支援リスクのありそうな方々へ声を掛けることにした。

声掛けは,移動支援を要する方やその介助者,乳児連れの保護者,横になっている中高年者,単身避難者を中心に行った。名札を掲示して自己紹介をしながら,椅子を提供したり,ミルクやマット等の必要を確認した。ヘルプカードを身に着けていた方には健康状態を確認し,少しでも体調の悪化があれば声を掛けていただくよう伝えた。この段階では,すぐに支援を要する方は確認されなかった。

今振り返ると,体育館内の避難者は100人程度であったので,全員への声掛けをしても良かったかもしれない。また,学校職員と連携し,屋外や車内で過ごす方への確認を分担して行うこともできただろう。

11)低血糖が疑われた女性への対応

声掛け後は,職場の仲間と談笑しながら避難者の様子を見守っていたところ,ヘルプカードを所持していた女性が床に横になり,持参した保温シートを被り始めた。気になって声を掛けると,寒気を訴え,体が少し震えている。

ちょうどマットが提供開始となったので,壁際にマットを敷いて空間を確保した。学校職員に毛布や体温計等の医療機器の手配と,看護師や医師などの医療関係者の呼びかけを依頼した。しかし,あいにく,医療関係者からの申し出はなかったのだ。

女性に当日の体調を確認すると,朝から不調があり横になっていたところ,津波警報を受けて自宅から一人で徒歩避難してきたとのことだった。体調悪化時に使用する緊急薬は持参しておらず,体温は平熱,血圧は機器が手に入らず測定できない。水分を希望されたため補助し,毛布で保温したところ,「少し楽になったので眠りたい」との訴えがあった。これらの様子から,低血糖が疑われる状態である。

10〜20分後,市の保健師が巡回に訪れ,この女性の対応にあたった。インスリンの所持状況や普段の食事時間を確認し,通常どおりの時間に食事を摂る必要があるとの助言があった。津波発生時の避難所における保健師の巡回は通常想定されていないとのことだが,この時は状況を踏まえ,手の空いた職員が自発的に対応していたと,後から知った。

さて,女性はすでに普段の昼食時間を過ぎていたため,学校職員に糖分を含む飲料や食べ物の提供を依頼し,非常食から分けてもらった。配給前であったことから,女性は目立たない形での摂取を希望され,起き上がることや食事動作が困難であったため,口元へ運び介助を行った。ほぼ摂取を終える頃には体調は大きく回復し,数時間後には自力で帰宅された。

避難所では,体調にリスクがある方の見守りや介助者の確保に加え,静かな空間の確保や,気兼ねなく食事や着替え,あるいは授乳等が行える環境の提供も,早期から必要な支援だと感じた。

12)立ち続けていた高齢女性

先程の対応した女性の体調が安定したので,もう一人,気になった女性に声を掛けた。避難直後は椅子に座っていたが,途中からは椅子を支えに一人で立ち続けていたのだ。年齢は80歳前後と見受けられた。

その方は,自宅で津波警報の発令が出たので,別居家族が避難所までの送迎に立ち寄ったそうだ。しかし,一緒にいた夫が準備に手間取り,「後から徒歩で行くから」と話したため,この女性だけが避難所まで送られ,別居家族は自分の家族が待つ別の避難所へと向かったとのことだ。

しかし,夫はその後も姿を見せていないとのこと。日頃から避難場所を確認し合っているものの,以前の避難時には屋内での避難を嫌がり,屋外で過ごしていたそうなのだ。そのため,今回も同様の行動を取っている可能性を考え,体育館にいる自分を見つけやすいようにと,立ち続けていることが分かった。

女性はスマートフォン等を所持しておらず,夫の連絡先も分からないため,連絡を取ることができなかった。一緒に探しに行くことも提案したが,その場で待つことを希望された。気持ちが紛れるよう世間話をしながら付き添いをしたが,振り返ると,氏名を確認し館内放送で呼びかける方法も考えられた。

13)支援者としての心理

津波警報が発令された時点から職場にいる仲間をまずは避難させる事,私自身の安全も確保する事,自宅にいる家族の安否を確認し,必要に応じてその安全を守る事等,さまざまな考えが頭をよぎり,緊迫感と使命感のような気分があったように感じる。

避難所到着後は,まず職場の仲間の心理状態に目を向け,その後,避難者支援へと視点を広げながら,自分にできることを考え行動した。これを実行できたのは,共に避難していた仲間の存在があったからだ。仮に一人であれば,単身避難者である不安や居場所の確保に意識が向き,同様の行動は難しかっただろう。また,離れている家族の無事が確認できていたことが,目の前の支援に心を注ぐことができたのだ。

避難所到着から約4時間後,職場から退勤指示が出たため,職場の仲間とともに帰宅することになった。学校管理者に2名の女性の状況を引き継ぎ,本人にもその旨を伝えて避難所を後にした。しかし,帰宅後,2人を残して離れたことへの後ろめたさに加え,自身の介入が本人や運営側に負担をかけていたのではないかという後悔の念が次第に強まった。

また,翌日以降も興奮状態が続く中で,同様の経験をしたシンリシと体験を共有し,避難所支援の在り方や環境・運営,平時の備えについて考えたいと思うようになった。避難所で心理支援にあたったシンリシがいないかと周囲に確認したが,夏休み中でスクールカウンセラー業務がなかったり,通常業務に従事していたり,自宅で過ごしていたりと,避難所に避難していたシンリシは確認できなかった。

落ち着かない気分は1カ月以上続いたが,数カ月後,地元のシンリシの勉強会で体験を発表する機会を得られ,準備や発表を通して気持ちを整理することができた。支援者心理を理解しておくこと,そして支援に伴う感情や内容を共有する場の大切さを改めて実感することとなった。

3.ふりかえり

1)初動期の避難所運営の実態

今回の津波警報では人的・物的被害はなく,避難者に大きな混乱は見られなかった。しかし,避難検証報告の中では,避難所の自治運営について「教職員が開設・運営を行っていたが,対応方法が明確に定められていなかった」と指摘されており,学校における運営体制の課題が示されていた。

そもそも,避難所の運営は誰が,どのタイミングで,どのような内容を担うのか。北海道太平洋沿岸の主要自治体では,「避難所運営マニュアル」「地域防災計画」といった資料の中で避難所運営について言及されている。

今回の自治体の「避難所運営マニュアル」では,避難所は自治体職員・地域住民・避難者で構成され,初動期(発災後1〜24時間)は自治体職員が中心となって運営し,その後は地域住民や避難者が支援者として関わる体制とされている。職員は「リーダー」「総務・広報」「施設管理」「食料・物資」「救護」に分かれ,特に総務・広報は避難者名簿の管理や情報発信を担い,受付設置や台帳整備が求められている。また,防災ベストの着用も規定されている。

しかし,この自治体では,津波発生時には職員の安全を優先するため,必ずしも避難所支援に向かうとは限らないと,後日関係者から聞いた。ところが,検証報告書によると,この避難所には約11名の職員が運営に関与したことがわかった。どうやら,非常食の運搬等の活動で関わっていたと思われるが,避難所運営マニュアルにあるような体制や運用が十分に機能してはいなかっただろう。こうした初動期において自治体職員が十分に運営に関与できない状況は,特別なケースなのだろうか。

古橋(2013)が行った学校の避難所運営に関する調査によると,2011年の東日本大震災の発災当日に,仙台市内の避難所となった小学校23校のうち,避難所運営を学校職員のみで行ったのは14校,市職員が関われた学校は1校,町内会役員や民生委員が協力した避難所は7校であった。したがって,避難所運営を自治体任せにせず,地域住民や避難者も協力して運営に関わる必要性があるのだ。

避難訓練ではなく,発生直後の運営に自治体が関与できない状況を想定し,学校職員・生徒・地域住民・地域の福祉団体等が協力して避難所運営訓練を実施できると望ましいのではないだろうか。さらにそこにスクールカウンセラー等のシンリシも加わることで,より現実的で実践的な支援体制の確認が可能となると考える。

2)シンリシは災害支援で何をする?

金ら(2023)は,被災者への心理支援を図1のように整理し,レベル1の「心理社会的支援」,レベル2の「心理的マネジメント」,レベル3の「治療介入」に区分している。特に,被災直後のレベル1では「心理的応急処置(PFA)」を推奨している。

図1 被災者のこころのケアとは何だろうか
(「災害時の心理的応急処置(psychological first aid:PFA)」より)

今回の支援を振り返りながらWHO版PFAを読み返す中で,第3章の活動原則と第2章の「緊急対応策の把握」の重要性を改めて認識した。活動原則は「見る・聞く・つなぐ」であり,特に「見る」による安全確認と状況把握がなければ支援は始まらない。さらに「つなぐ」を実現するためには,第2章の「緊急対応策の把握」にあるように,利用可能な支援やサービスを事前に把握することで,被災者を必要な支援へつなぐための準備が必要なのだ。

避難所ごとに提供される支援は異なるため,現場の状況把握が重要である。また,甚大な災害時には医療・福祉分野等の災害派遣チームが活動するため,その役割や活動時期の理解も求められるだろう。そして,今回の経験から,自治体の災害支援計画や避難所運営マニュアルに目を通しておくことお勧めしたい。

3)支援者のつながり

今回,学校管理職とのつながりがあったことで,支援活動に関わる機会を得ることができた。災害支援においては,互いの役割理解と信頼関係が重要だ。顔の見える関係は大きな強みとなるだろう。

また,災害支援を広く捉えると,自治体・医療・教育・福祉などの関係機関とのつながりを,地元にとどまらず近隣地域にも広げておくことで,相互に支援を行う際や受け入れる際の円滑な連携につながると考えられる。

4)おわりに

さて,「災害支援に興味はあるけれど,自分にできるだろうか」と,これまでの私は考えていた。今回の経験や発表を通して「状況に合わせながら自分にできることで支援していこう」と思えるようになった。そのためには,日々の臨床を積み重ねながら,観察する力・聴く力・つながる力を養い,話しかけてもらいやすい雰囲気づくりを心がけ,支援に備えていきたいと考えている。

ここまでお読みになって,皆様はどのように感じられただろうか。「これなら自分にも災害支援ができそうだ」と思っていただけたなら幸いである。

文  献
  • 厚岸町(2020)避難所運営マニュアル.
  • 古橋信彦(2013)東日本大震災 避難と避難所から見えるこれからの防災.季刊消防科学と情報,(111); 34-37.
  • 函館市(2022)函館市避難所運営マニュアル.
  • 日高市(2018)避難所運営マニュアル.
  • 北海道(2025)令和7年7月30日カムチャッカ半島付近の地震に伴う津波警報による被害状況等(第4報).
  • 池田美樹・小松果歩・岸野真由美(2021)災害支援におけるストレスマネジメントの動向と課題―精神保健・心理社会的支援における調整と協議・連携.ストレスマネジメント研究,17 (1); 10-18.
  • 金吉晴・大沼麻実(2023)災害時の心理的応急処置(psychological first aid:PFA).精神医学,65 (3); 279-284.
  • 室蘭市(2025)室蘭市地域防災計画.
  • 登別市(2024)登別市避難所運営マニュアル(市職員・地域住民・避難者向け).
  • 登別市(2026)令和7年カムチャツカ半島沖地震に伴う津波警報発表時の検証.
  • WHO(2011)Psychological First Aid : Guide for Field Workers.(国立精神・神経医療研究センターほか訳(2011)心理的応急処理(サイコロジカル・ファースト・エイド)フィールド・ガイド.)
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木村かおり(きむら・かおり)
社会福祉法人 北海道社会福祉事業団
資格:公認心理師・臨床心理士

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