吉村 仁(福岡県・市スクールカウンセラー)
シンリンラボ 第28号(2025年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.28 (2025, Jul.)
熊本地震とのご縁
私は福岡県福岡市に住んでいます。2016年の熊本地震および2017年の九州北部豪雨災害という2つの災害において,被災地での支援活動を行いました。熊本には,かつて11年間ほど暮らしていたことがあり,自分にとって親しみのある土地が被災する様子が連日報道される中,居ても立ってもいられず,現地に暮らす知人に連絡を取り,支援活動をさせていただく機会を得ました。支援に出向いたのは私でしたが,実際に支援を受け入れてくれたのはその知人であり,「支援を行うには,支援を受け入れてくれる縁や場があってこそ,取り組みやすくなる」ということを,このとき初めて実感しました。
4月14日21時26分にいわゆる「前震」,それから16日1時25分に「本震」が起きました。その3日後の19日に,米などの食料を自家用車に積み,現地に入ったのが私の最初の行動でした。本稿では,それから約2年にわたって取り組んだ2つの被災地支援の経験をもとに,当時感じたことや課題と考えた点について,思いつくままに記してみたいと思います。
縁による被災地支援
まず,ごく当たり前のことですが,災害が発生したときに,心理職であろうとなかろうと,支援に行く人もいれば行かない人もいます。公務員や大規模な病院の職員など,平時から災害時の支援が業務として位置づけられている人であれば別ですが,そうでない人にとっては,その判断はたいてい自発的なものでしょう。では,業務外の立場にある人が「被災地に行こう」と決断するのは,どのような経緯によるものなのでしょうか。その動機づけはさまざまであり,心理職であるかどうかにかかわらず,何らかの共通する背景があるようにも思われます。さまざまな視点からの分析が可能だと思いますが,私自身は「縁によって動かされる」部分が少なくない,という実感を持っています。
たとえば,地縁(被災地と何らかの形で元々関わりがあった),血縁(親類や家族が被災地に住んでいる),仕事の縁(業務上,被災地とつながりがあった,あるいはもともと人の支援に関わる仕事や活動をしていた),経験的な縁(過去に自らが被災した,または被災地支援を行ったことがある),人との縁(知人や友人が被災地に住んでいる,あるいは支援に関わっている),情の縁(「何とか力になりたい」「少しでも役に立ちたい」といった強い思い)などがあるでしょう。
さらに,これらとやや重なる部分もありますが,内面的な縁として,よりこころの深いところから来るような抗いがたい衝動のようなものも挙げられるかもしれません。このように,何らかの「縁」や内的な動機に突き動かされて支援に赴く,ということは十分にありうるのではないかと実感しています。
心理職の専門性が揺らぐ
このような動きが実際に起こりうることを前提とすると,では被災地支援において「何を行うのか」という問いに対しては,たとえ心理職という専門職であっても,その方法が広く共有されているとは言い難いように思います。実際,私自身も(不勉強だっただけかもしれませんが),「縁に突き動かされて」食料を携えて現地に入り,目の前の惨状を前にしたとき,活動を継続せずにはいられないという強い思いに至ったものの,では具体的にどのような活動ができるのか,どのような支援であれば継続可能で,被災者の役に立つのか,といったことについては,まったく知識を持っていませんでした。そして,私と同じように被災地に入って,こうした迷いを経験した心理職は,これまでにも少なからずいたのではないかと思われます。
たとえば,文部科学省による派遣スクールカウンセラーや日本赤十字社などの大規模組織では組織体制や予算・給与体系が整備されており,連絡機能も担保されているため,近年では一定規模以上の災害において支援に派遣されることが慣例となってきています。そのような中で支援経験が蓄積され,支援者への教育やバックアップなど,組織的な体制も整いつつあります。
一方で,私のように個人として,あるいは比較的小規模で組織的な基盤のないチームで支援に入る場合には,支援経験が少ない,あるいは全くない支援者であることも想定されます。こうしたケースでは,過去の事例や文献を事前に調べる余裕がなく,現地に入ってから「いま目の前でできることをやる」といった対応から始めることも少なくないかもしれません。
例えば,社会心理学者の松井豊さんは,「災害支援に関する知識や経験が学術的にも十分に共有されておらず,心理職が『何をすべきか』『何をしてはならないか』についての認識が不明確である」と指摘しています(松井,2017)。このような知見の伝承が十分に行われていない現状をふまえると,心理職としての支援のあり方や判断基準について,教育や伝承の仕組みをどのように構築していくかが課題となっていると言えるでしょう。
私自身も,何度も被災地に通って避難所の手伝いや個人宅の清掃などを行う中で,徐々に仲間が集まってきましたが,「心理職としての支援」という点では,なお手探りの状態が続いていました。そのような中で,活動の転機となり,自分たちがどのような活動を行うのかがある程度明確になったのは,災害発生から約2カ月後のことでした。
心理社会的支援とNGO
そのような中私は,国際NGOプラン・ジャパン(現:プラン・インターナショナル・ジャパン)が5月に熊本で開催した支援者向けの研修に参加し,その時講師としてこられていた,東日本大震災での支援経験を持つ臨床心理士の先生とのご縁をいただきました。その先生は東日本大震災の時に初めて「心理社会的支援」という考え方をお知りになり,その視点で長きにわたって支援を続けてこられた方です。6月にその先生と再会させていただくことがあったのですが,その頃までに私自身の中には,被災者の方々と触れ合う中で,「自殺予防のための支援が必要なのではないか」という視点のようなものが生まれていました。そのようなタイミングでその先生とお話をさせていただく中で「先生,被災地で自殺予防としてどんなことができるでしょう?」と尋ねましたところ,その先生は「集会所で『ものつくり』をしたらいいんじゃない?」と教えてくださいました。そして,その「ものつくり」の持つさまざまな効用について先生から教えていただき,すぐに2カ所の避難所(熊本市と御船町)の運営機関にお願いして,ほぼ毎週末,避難所内の集会スペースで「100円ショップ」で扱っている材料などの安価な素材でできるものつくり活動を始めました。非常に幸運なことに,この頃からプラン・ジャパンが私たちの活動に理解を示してくださいました。資金面でのバックアップをいただいたほか,活動を共にしてくださる支援スタッフも派遣していただけるようになりました。
心理社会的支援とは,「心理社会的ウェルビーイングを守り,これを促進し,または精神疾患を予防・治療することを目的とする,あらゆる種類のコミュニティ内外からの支援」と定義されています(IASC, 2007)。この定義における「あらゆる種類の」が重要な意味を持つと考えられます。被災地支援に携わった心理職が直面した課題の一つとして,たとえば,「つらかったですね」「話してください」といった関わり方が,かえって心理的抵抗感や警戒感を招くことがあり,支援者が被災者の被災体験を聞き出そうとしたことから「心のケア」という言葉に否定的なイメージを持たれてしまい,実際に避難所で「心のケアはお断り」といった貼り紙が掲示されたという事例も報告されています(村上,2017;今井ほか,2012)。こうした背景を踏まえると,私たちが先生から教わって始めた「避難所でのものつくり」は,心理社会的支援の一つのかたちとして捉えられる可能性もあるのではないかと感じています。状況や場面に応じて,こうした支援のあり方を選択肢の一つとして捉える視点は,心理職にとって一つの示唆となるのではないかとも思われます。
さて,私たちが活動をさせていただいたうちの一つ,御船町(被害が甚大で連日その被害状況が報道されていた益城町の隣に位置する町)の避難所には,発災当時から現地の医療関係の団体さんが支援に入っており,そこにずっと担当として住民さんに寄り添ってこられた看護師さんが,私たちを歓迎してくださいました。入って間もない時に,その看護師さんから「住民さん(避難所におられる方々)が自立できるように考えて支援をしてください。いろいろとしてあげるばかりになると,してもらうことに慣れてしまって自立を妨げてしまいますから」との助言をいただきました。地震発生から2カ月が経とうとする中,県内外のあちこちからいろいろな支援者や団体がやってくる中で,おそらく「与えてもらう」ということが積み重なっていて,その看護師さんはそのような過程を見続けてこられたのではないかと思われます。災害発生直後のいわゆる急性期においてはともかくとして,もちろん被災された方々にはさまざまな背景がありますが,支援がいつまでも「与え続ける」かたちであることが,必ずしも望ましいとは限らない——当時の私はまだ「復興のフェーズ」という言葉すら知りませんでしたが,この頃,支援の目的や方法は復興の段階に応じて見直し更新していく必要があるのだということを知りました。このことはとても大切なこととして自分の中に残り,その後の被災地支援だけではなく,普段のさまざまな支援の考え方にも大きな影響を残しています。
幸いなことに,避難所での「ものつくり」活動はその看護師さんの思いとも合致したようで,週末だけやってくる私たちのために,住民の方々への告知などいろいろと応援してくださいました。何を作るのかについては,初めは私たちで考えて(針金ハンガーに飾り付けをしてオリジナルのハンガーを作る,など)行っていたのですが,そのような活動の中でとても嬉しかったのは,住民さん自らが「仮設(住宅)に行った時のために表札を作りたい」「ペットボトルでモグラ除け(ペットボトルをプロペラのようにして装飾したものを金属の軸と組み合わせて地面に刺し,カタカタと音を出して回転するもの)を作りたい」などと,少し先の生活に向けた意欲がうかがえる「やりたいこと」を口にされた時でした。その頃から,何とかして住民さんの「これをやってみたい」という思い,(最近教育界でもよく言われる)「主体性」が引き出せないかということを,常に考えながら活動を続けました。
ここで,私がまず個人で,のちに仲間とともに行った災害後の支援活動を整理いたします。まず2016年の熊本地震では,以下のような活動を行いました。① 被災地や避難所への食料・物資の提供,② 避難所で傾聴,③ 避難所での配膳や掃除などの雑務,④ 個人宅の片付け,⑤ 子どもの遊び相手(保護者が片付けに専念できるように),⑥ 避難所の集会スペースでのものづくり活動(お茶を伴う交流),⑦ 他の支援団体との連携会議体の立ち上げ,⑧ 仮設住宅の集会所でのイベント開催,などです。
続く2017年の九州北部豪雨災害では,次のような支援を行いました。① 避難所への生活物資の提供,② 避難所内に子どもの遊び場を設置,③ 地元の保育士と連携し,避難所内の遊び場スペースを使って子ども預かりの日を設ける(片付けを希望する保護者のため),④ 遊び場に併設するかたちで,保護者向け相談スペースを設置,⑤ 避難所運営や行政支援への協力(行政側は初動で戸惑いがあり,当方は前年の経験が多少役立ちました)。
以上のように,被災地のニーズや状況に応じて多様なかたちで関わってまいりました(このうち,「臨床心理士」という肩書を明示し,専門性に基づく支援であることを被災者の方にもお伝えしたうえで活動したのは,熊本地震の②と,九州北部豪雨災害の④のみでした)。
どこに心理職の専門性があるのか
そのような中で,ほとんどの活動において私が課題として感じたのは,「その活動のどこに心理職としての専門性があるのか」という点でした。避難所の手伝い,ものづくり,イベントの実施,会議体の設立など,その多くは心理職でなくても担うことのできる内容でした。子どもの遊び場の設置には一定の専門性が求められたものの,それも限定的なように思われました。
団体としての活動を開始した頃は,ものづくりやイベント活動を行う中で住民の方々との関わりのなかで自然に生まれた会話にそっと耳を傾ける——そうした「心理士的」な関わりを意識していました。しかし,私たちは小規模な団体であり,当初は避難所という1カ所での活動でしたが,数カ月後には地域内の複数の場所に仮設住宅が建設され,それぞれに集会所が設けられるようになりました。活動場所が分散したことで,すべての集会所を網羅して関わることは難しく,住民の方々と気さくに話せるような関係を築くことも,決して容易ではありませんでした。
もちろん,場を設けることによって住民の方同士の交流は活発に行われましたが,それも心理職だからこそ可能であった,というわけではないでしょう。このように,専門性の活かしどころが見えにくいということは,現場において常に感じていた課題でした。
そのような中,「臨床心理士」という肩書を出さずに活動する中で,心理士としての専門性が役立ったと実感できたのは,九州北部豪雨災害における④「遊び場に併設するかたちで,保護者向け相談スペースを設置(臨床心理士が対応)」および⑤「避難所運営の支援」でした。
④については,何人もの保護者の方が相談に来られました。ここで詳しくは述べませんが,行政の子ども担当の係とも連携し,必要な支援につながるよう情報を共有させていただくなど,心理士らしい対応も少しはできたように思います。
また,⑤については行政の支援的立場として避難所に入り,受付に席をいただいて常駐しながら時折避難所内を巡回し,住民の方々と少しずつコミュニケーションを取っていきました。当時の私の主な勤務先は学校であり,ちょうど夏休みに入っていたこともあって,比較的高い頻度で避難所の業務に関わることができました。避難所内では住民同士のトラブルの仲裁や生活環境の調整に関わる場面もありました。また,福祉的な支援を必要とする方を見つけ,行政につなぐ役割を果たすこともできました。
受援について
時系列が戻りますが,熊本地震の発災後,初めて被災地に足を運んだのが4月19日のことでした。知人に物資を届けた後,その知人(臨床心理士)が日頃から支援している方々が避難していた避難所を,いくつか一緒に訪問しました。その後,知人と別れたのち,通りがかった避難所に立ち寄り,臨床心理士としてお話をうかがうことを目的に中へ入らせていただきました(前述,熊本地震の②)。しかしその際,「お話を聞く」というかたちでの「入りにくさ」をはっきりと感じたことを覚えています。実際,そのようなかたちでの関わりは,想像以上に難しいものであることを痛感しました。
しかしながら,たまたまその避難所を担当されていた市職員の方が,多方面への配慮が行き届いた,優しさと強さを併せ持つ方で(その後もご縁が続きました),被災者の心のケアの必要性を感じておられたようでした。一方で,遠方から単身で来た私の思いにも理解を示してくださって避難所に入る機会を与えてくださり,住民の方々に紹介してくださいました。お話を聴かせていただく時間が持てたのは,その方のご配慮による部分が大きかったように思います。とはいえ後になって,被災者の支援を担う立場の方に,外部の支援者にまでこれほどの配慮をさせてしまうようなことは決してあってはならない,と感じるようになりました。
それは,私たちが2017年九州北部豪雨災害の際に,発災の翌日から避難所に入り子どもの遊び場を設営していたこともあり,いくつかの県外の団体から「支援に行きたい」との連絡をいただいた経験からの実感です。そのお気持ちは大変ありがたいものでしたが,私にとっては初めて「受援」という立場を経験する機会となりました。外部からの支援申込を受ける際には,希望する支援団体から団体の規模や支援内容,希望日程などを教えてもらい,それに応じて現地の状況に合わせた調整やコーディネートを行う必要があります。その作業がどれほどの労力を伴うかをその時初めて実感しました。正直なところ自分たちの活動だけでも手一杯の中で,他の団体の支援「を支える支援」を担うのは非常に負担の大きいことでした。この経験を通じて,外部から支援に入る際には被災地で支援者と被災者をつないでくださる方々にできる限り負担をかけないよう,最大限の配慮が必要であると強く感じるようになりました。
支援者自らのケア,アセスメント,逆転移
「災害ユートピア」(ソルニット,2010)に記録されているような利他的な感情が生じる一方で,その延長線上には,いわゆる「燃え尽き(バーンアウト)」のリスクが潜んでいることもあると感じます。また,「助けたい」「力になりたい」という想いには,支援者自身の逆転移が影響している場合もあるように思います。それに気づかないまま盲目的に支援を行ってしまうと,結果として「自分の援助欲求を満たすための支援」にとどまってしまうおそれもあるでしょう。
そうは言っても,目の前に困っている人や地域がある中で,何もせずにいることや,「自分には何もできない」という無力感を抱くこと自体が,大きなストレスとなるようにも感じられました。難しい課題ではありますが,「支援したい」という支援者自身の感情や欲求と,支援を受ける側のウェルビーイングとが,無理のないかたちで重なり合うことが大切なのではないかと考えます。そうした視点に立つと,「支援を行うこと自体が,支援者にとってのケアにもなる」という意味を含む構造も,一定程度あるのではないかと思われます。また,誤解を恐れずに言えば,先に述べたような被災地との何らかの縁がある,という時点で,支援者も間接的かつ心理的には一部被災している,とみなすことができるのかもしれません。そうした見方をすれば,被災地支援の活動には,被災地と縁があったことで自身の一部にも影響を受けた支援者にとって,自らの心を整えていく営みとなる側面も含まれていると感じられます。
また一方で,こうした見方もできるかもしれません。私がある時期,支援活動に関わっていた頃のことだったと記憶していますが,すでに東日本大震災での支援経験を豊富に持つ先輩の心理士(前述の方とは別の方)と話をしていた際,「何のために被災地に行くのか」といった話題になりました。するとその方から,「あなた(私)は被災地に行って,被災者に会いたいから行くんでしょ?」と言われたのです。その一言で,「ああ,そうか」と,自分の中にあった動機のひとつが,はっきりと言葉になったように感じました。たしかに,自分は「行きたいから行く」「会いたいから会いに行く」のだと,あらためて自覚したことを覚えています。
私自身の心の動きについて,もう少し振り返ってみたいと思います。よく「災害はさまざまな分断を生む」と言われますが,それは被災者と非被災者のあいだに限らず,外部からの支援者の側においても生じうるものだと感じました。たとえば私自身,外部から入っている支援者として,被災地と被災していない地域,あるいはそれぞれに暮らす人々を比べたときに,感覚のギャップのようなものを実感することがありました。「分断」という言葉はやや強い印象を与えるかもしれませんが,少なくとも「感覚の隔たり」や「相互理解の難しさ」のようなものを体験したように思います。被災地には独特の雰囲気があり,それは共助や思いやりといった人間本来の感情が強く喚起されるような,言葉にしにくい空気です。この空気感は,実際にその場に身を置いた人でなければなかなか共有されにくく,被災地の外で暮らす人には伝わりにくいと感じることもありました。私自身は,被災地に通う中でこの独特の雰囲気に触発され,一種の「躁的」とも言えそうな高揚状態になることがしばしばありました。今振り返ると,週末には被災地で非日常的な体験を重ね,平日は被災していない地元で日常生活を送るというサイクルが,休養の時間は取れなかったにせよ,心のバランスを保つうえで一定の役割を果たしていたのかもしれません。
同じ支援活動であっても,どのような立場で,どのようなフィールドに入るかによって,被災地や被災者に対する感じ方や距離感,そして関係性の築かれ方も少しずつ変わってくるように感じます。今回ここで主に記した内容(個人としての支援から団体を立ち上げ,NGOなどの助成を受けて心理社会的支援を行ったかたち)とは別に,熊本地震での支援としては,自分たちの団体での支援体制が整うまでの災害初期(4月下旬から6月上旬頃)に,教育機関を通じた公的な派遣枠でカウンセリングを中心とした支援に従事したこともあれば,災害ボランティアセンターで一ボランティアとして活動したこともありました。また,大手財団による支援事業に日雇いアルバイトとして関わった経験もあります。実際には,ここで取り上げていない支援経験も含め,さまざまなかたちで現地に関わってきました。いずれも貴重な経験でしたが,同じ被災地での支援であっても,高度に専門性を発揮できる場面もあれば,瓦礫掃除のような肉体労働を担う場面もあり,そのときどきで感じられる自分の心理的な立ち位置や,周囲や被災者との関係性,そして「被災地観」の違いに気づかされることが多くありました。
被災地に通い,支援を続ける中で心を揺さぶられる経験を重ねてきましたが,時が経つにつれ,その経験そのものが少しずつ遠ざかっていく感覚も否定できません。そうした中で,支援経験をもつ者として,時の流れとともに心に生じてくる変化についても考えさせられるようになりました。「被災地を忘れないでいてほしい」という声は,被災者の言葉としてしばしばメディアを通じて伝えられます。そのような声を踏まえると,支援者としての自分の中に生じる「風化」という心の現象には,どこか後ろめたさや罪悪感が伴っているようにも感じられます。支援経験のある方々と話すなかで,あるいはその記録を読む中で,「支援を引き上げるタイミング」すなわち「引き際」をどう見極めるかが一つの重要なテーマとなっていることに気づかされます。一方で,支援者自身の心に生じる風化や,そこに伴う感情の変化にどう向き合うかという観点から書かれた記述には,私の知る限りあまり目にすることがありません。この問題もまた支援経験者の中に起こりうる現象として,今後の支援を考えるうえで検討すべき課題の一つであるように感じています。
心理臨床家として,自らの心の動きに気づくことは非常に重要であると考えています。しかし,「コミュニティに参与するような形での被災地支援活動」においては,いわゆる治療構造のような枠組みが存在しないため,支援者自身の心が揺さぶられやすく,またその変化にも気づきにくい側面があると言えるかもしれません。だからこそ,被災地支援においては,自身の心理的状態をアセスメントする視点を持つことが,非常に重要であると感じています。
おわりに
ここまでお読みいただき,ありがとうございました。今回このエッセイを書く機会をいただいたことで,当時の出来事や自分の心の動きを,改めて実感を伴って思い起こすことができました。
これまでに記した被災地支援の経験について,大変な活動であったように感じられた方もいらっしゃるかもしれません。しかし私にとっては,あくまでその時の自然な流れの中で関わらせていただいたものでした。被災地に長く暮らした経験があり,その土地に対する強い思いがあったこと。熊本地震をきっかけに支援の大切さを身をもって感じたこと。そして,「支援に関わる縁」をいただいたこと。これらが重なったことで,翌年の九州北部豪雨災害の支援へと,無理なく関わることができたのだと思います。それぞれの活動には,それぞれの「縁」がありました。だからこそ,私にとって支援に取り組むことはごく自然なことであり,今振り返ってもそう感じています。
私自身は,当初は自分の時間やお金を使って支援活動を始め,やがて助成金を獲得し,会議体を立ち上げるなど,すべて「そうしたい」という自発的な思いを原動力として取り組んできました。そのため,活動の中で「我慢」や「理不尽さ」に起因する苦しみを感じることは,ほとんどありませんでした。
誤解を恐れずに言えば,それは「楽しい」経験でもありました。被災地という特別な場所,そこで出会った方々,そして同じ空気を吸って時間を共にしたこと——それらは,金銭では得られないかけがえのない経験であり,多くの大切なことを私に教えてくれました。その実感は,今もなお私の中に深く残り続けています。
文 献
- 今井敏弘・小泉典章・向山隆志(2012)東日本大震災における長野県のこころのケアチーム活動について.信州公衆衛生雑誌,7; 42-43.
- Inter-Agency Standing Committee (IASC)(2007)IASC Guidelines on Mental Health and Psychosocial Support in Emergency Settings. Geneva: IASC. https://interagencystandingcommittee.org/iasc-task-force-mental-health-and-psychosocial-support-emergency-settings/iasc-guidelines-mental
- 松井豊(2017)東日本大震災における心理学者の支援活動と研究の概観.心理学評論,60 (4); 510-526.
- 村上典子(2017)災害時の心身医学的支援の総論.心身医学,57 (3); 227-233.
- ソルニット,R.(2010)A Paradise Built in Hell: The Extraordinary Communities That Arise in Disaster. Penguin Books.(高月園子訳(2010)災害ユートピア.亜紀書房.)
吉村 仁(よしむら・じん)
福岡県・市スクールカウンセラー。臨床心理士/公認心理師。
矯正施設での教育や大学の非常勤講師などに携わる。2016年の熊本地震では,仲間の心理士らとともに,心理職による被災地支援団体「Project九州」を立ち上げ,翌年の九州北部豪雨災害を含め,避難所や仮設住宅などで地域住民への支援活動を行った。




