野口修司(香川大学)
シンリンラボ 第25号(2025年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.25 (2025, Apr.)
はじめに
東日本大震災から14年もの月日が経ちました。言葉にすると大昔のことのようにも感じますが,当時のことを振り返るとそれほどの時間が経過しているとは思えないほど鮮明な思い出がたくさんあります。私は2011年の震災発生から2018年の7年間ほど被災地での心理支援に携わりました。そのときの経験は,現在の私のカウンセリングのスタンスにも大きな影響を与えています。これまで災害心理支援の内容や当時の被災者の状況について講演や原稿でお伝えすることは何度もありましたが,震災での支援をとおして私個人が何を感じてきたのかについてお話しする機会はなかったように思います。そこで,今回は私が経験した東日本大震災での心理支援を振り返りながら,災害心理支援が私に教えてくれたことについてご紹介していきたいと思います。
災害直後の心理支援の意義とは?
2011年当時,私は仙台市にある東北大学で大学院生をしていました。つまりは私自身も被災者であったわけです。仙台市内で電気・ガス・水道といったライフラインが全て止まった中での生活を余儀なくされたという時期もありましたが,故郷は西日本だったために自分ひとり(+飼っていた猫一匹)の世話のことだけで済んだことや,幸いにも大学等の知り合いで命の危険に関わるような被害を受けた方がいなかったこともあり,比較的ですが大事なく生活できていたかと思います。身の回りが多少落ち着いたころ,長年ご指導いただいていた東北大学の若島孔文先生と長谷川啓三先生を中心とした災害支援チーム(東日本大震災PTG支援機構:以下,PTGグループ)に参加させていただいたことが私の災害心理支援のスタートでした。
私が初めて訪れた災害支援の現場は避難所となっていたとある学校の体育館でした。そこでは広い空間に何百人もの方達が段ボールで区画を作り,身を寄せ合いながら生活をされていました。そんな中,私は被災者の方々にどのような言葉をかけていいのかが分かりませんでした。混雑した避難所の中で「不安なことはありませんか?」などと声をかけたところで,不安がないわけがない状況だったからです。また,そんな中で被災者の方々から語られる問題は「家が津波に流されて住むところが無くなってしまった」や「仕事がいつ再開できるかわからない」といったすぐにはどうこうできないようなものばかりでした。災害直後の被災者にとっては,今後どうなっていくのかが分からない不透明な状況の中で,失ってしまった生きていくための生活基盤をどうやって取り戻していくのかが最も重要な問題であり,自身の心理的状態を気にしてなどいられない方たちばかりでした。その一方で,当時はいろいろな支援団体が入れ替わりで避難所を訪れていました。
とある避難所で被災者の方に声をかけさせていただいたときのことです。その方は,自身が津波に流されながらも命からがら陸に上がることで何とか生き残れたとお話しされていました。その方のお話が終わった後で,ふと私の中で次のようなことが頭をよぎりました。「この方は今,自分が声をかけたことで災害時がどんなに大変だったかについて教えてくれた。しかし,これは相談をしたかったわけではなく,声をかけた自分の話に付き合ってくれただけではなかったか。そして,自分がこの方からお話を伺うのは今日だけかもしれないが,この方は今後も次々に訪れる何人もの支援者から声を掛けられ,先ほどのお話を何度もすることになるのではないか。こういった関わりが果たして本当に被災者の方たちの役に立てているのだろうか」と。このときのことは今でもよく覚えており,災害直後の心理支援の意義について非常に悩んだ出来事でした。
問題志向より解決志向
そのような状況の中,PTGグループでは災害直後の急性期対応から中長期的な支援へ視点の変更を行うことになり,相談したい方が相談したいときに相談できる場として長期的な電話相談窓口を開設することになりました。それに伴い,避難所に訪問する主な目的も「その場で悩みを聴くため」ではなく「いつでも利用できる電話相談窓口を紹介するため」に変わりました。これにより,お話をする際の被災者の方々の様子も少し変化が見られるようになりました。こちらからお声がけをする際は少し警戒されたような反応をされるのですが,電話相談の趣旨とダイヤルが記載されたカードを見せながら「今はそれどころではないかと思いますが,これから状況が落ち着いてきた後にお役に立てそうなときがあればいつでも使ってください」とお伝えしながらお渡しすると,多くの方が「それだったら助かる」といって受け取ってくださったのです。これは,私にとっても避難所に訪問する意義を明確に実感できるものであり,最終的にはPTGチーム全体で宮城県内の約50か所の避難所で約7000枚のカードを配布することになりました。
また,この時期から私の中でも被災者の方々との会話でコツのようなものがつかめてきました。先に述べたとおり,以前は「何か不安なことはありませんか?」といった困りごと,いわゆる「問題志向」に基づいた声掛けをしていましたが,災害時ではすぐには改善できないような内容が語られがちです。これに対し「いろいろ大変な状況だと思いますが,一番大変だった時期と比べて少しでも楽になったことはありませんか?」と聴くことで,話の展開が大きく変わってきます。これは,ブリーフセラピーの解決志向アプローチに基づいた「ソリューション・トーク」と呼ばれるものです。「何が問題か」ではなく「何が良くなったか」に焦点を当てることで,大変な中ではなかなか気づきにくいポジティブな変化に目を向けてもらうことができます。それは,例えば災害直後に比べると食料の心配が改善されたり,避難所内での人間関係が構築されるようになったりといった時間の経過にしたがって起こる自然な変化もあれば自身の努力によって起こした変化も含まれます。そういったポジティブな変化への気づきを引き出すことができれば,例えまだ解決できていない今後の問題があったとしても「これからもまだまだ大変なことはあるかと思いますが,今お伺いしたことと同じように,これからちょっとずつ良くなっていくことが期待できるかもしれませんね」という「これからの期待への根拠」として活用することができるのです。そのようにお伝えすると,多くの方が「そうだね,何とかなっちゃね(何とかなるよね)」と笑顔で返してくれました。この「解決志向」の視点をスムーズに活用することができたのは,私にとってブリーフセラピーを学んでいて良かったと思えた出来事の1つです。
出来る範囲の無理をする
東日本大震災から1年後,私は宮城県石巻市役所の人事課で常勤の心理士として勤務することになりました。PTGグループの活動の中で被災自治体職員への支援にも関わることになり,石巻市役所から今後の長期的な復興業務を見越して職員のメンタルヘルス支援を主務とした常勤の心理士を採用したいという申し出がきっかけでした。そのお話を私に打診いただいたとき,一瞬だけ考えましたがほぼ即答でお引き受けすることにしました。当時,震災から1年を契機として災害直後から集まっていた全国からの多くの支援が一区切りとなっていました。急性期への対応としては妥当なタイミングであったと思います。そのような中,「全国的には収束の雰囲気が漂っているけれど,自分は被災地に住んでいるのだからできることはやらないと」という妙な使命感と「この経験はきっと自分にとっても大きなものになるはず」という好奇心からお引き受けすることにしたのです。結果として,2012年〜2018年の6年間を石巻市役所で勤務することになりましたが,今の私にとって重要な糧となっています。
石巻市は東日本大震災において,津波による被害としては日本で一番深刻な被害を受けた自治体と言えます。その自治体で勤務をする行政職員の方々の状況はとても過酷なものでした。例えば,震災直後は職員自身も被災者であったにも関わらず,震災対応の最前線で従事しなければなりませんでした。市役所で寝泊まりしながら先の見えない対応が続きました。さらに,とても残念なことではありますが必死に震災対応をしているにも関わらず,市民の方々からは行政に対する厳しい意見を投げかけられることが多く,その声が直接向けられるのは現場で対応に当たっていた職員だったのです。そういった震災直後の混乱期の対応が落ち着くと,今度は復興に向けた業務が始まりました。私が石巻市役所での勤務を始めた2012年の春は丁度この復興に向けた具体的な計画が立てられ始めた時期でした。石巻市は津波により多くの建物が全壊となりましたが,復興とは建物が流された場所に新たに建物を作り直すという単純なものではありませんでした。特に沿岸部などは今後の災害に備えて人が住めない非可住地域に指定され,そこに住んでいた人達は津波により浸水を防ぐために地面を嵩上げした高台への移転や津波の心配のない内陸部への移転といったいわゆる「集団移転」が必要となりました。つまり,石巻市の復興とは街の「作り直し」ではなく街の「作り変え」と言えるものだったわけです。
当然ながら,そのような大掛かりな業務を経験したことのある職員はおらず,皆さん手探りで進めていくしかありませんでした。また,それだけの膨大な業務を平常どおりに回していけるだけのマンパワーが足りているはずもなく,被災地の行政職員は時間をかけて進めていくしかなかったのです。その結果,当時の職員は誰もが長時間の時間外勤務をせざるを得ない状況に置かれていました。当然,心理カウンセリングの中でも職員から疲弊の声も上がってきます。しかしながら,私は例え疲弊をした方であったとしても「無理をしないでくださいね」という言葉を使うことができませんでした。なぜならば,当時は誰しもが無理をしなければいけない状況であり,そんな中で「無理をしないように」などという言葉をかけることは現実を全く分かってない綺麗事のように思えたからです。その一方で,疲弊した方に対して「そのまま頑張ってください」と言えるはずもありません。そこで私がお伝えしていたのは「今は無理をしなければいけない状況だとは思いますが,出来る範囲の無理はしつつも『無理のし過ぎ』には気を付けてくださいね」というものでした。これは,私自身が被災自治体職員の一員として復興現場を目の当たりにしていたことで理解できたことであり,今の私のカウンセリングにも大きな影響を与えてくれています。
誰のための災害支援か?
最後に,私が東日本大震災の災害心理支援の中でとても印象に残っている2つのエピソードについてご紹介したいと思います。1つ目のエピソードは避難所訪問をしていた際,あるお寺に伺う機会がありました。そこはお寺自体が避難所となっており,住職さんが避難所の代表者を担っておられました。その折に「私達のような人間が結構こちらに伺ったりはしていますか?」とお聞きしたところ,住職さんは少し苦笑いをしながら頷いて「皆さんも癒されにいらっしゃってるんですね」とお答えいただきました。そのときは支援に来ている自分たちが癒されに来ていると表現されるのは何とも皮肉な話だなと感じました。しかしながら,現在はその表現は的を射ているように思います。災害時,特に発災直後の急性期の支援では,被災者の皆さんに求められての活動というよりも自分達が何かの役に立つならばという自主的な活動に準じたものが少なくありません。これは災害という緊急事態において,自分達の知識や技術で被災地や被災者を支えたいという使命感や善意に基づいたものかと思います。その一方で,言い方を変えるならば被災地に貢献することで心理臨床の専門家としての存在意義や達成感を得たいという自分主体の側面も少なからず存在するかと思います。この部分を住職さんは「癒されに来ている」と表現されたのだと理解しています。個人的には実際に被災者の方々のお役に立てるのであれば,どのような理由であったとしても何もしないよりはマシであると感じていますが,ときには「心理臨床の専門家としての貢献」にこだわってしまうことで,前述したような被災者の方に負担となってしまうような関わりになるリスクも孕んでいると感じます。
そこで2つ目のエピソードの紹介です。ある避難所に何度か訪問させていただく中,県外医療機関の精神科チームの方とご縁を持たせていただきました。ある時,その精神科医との雑談の中で「先日,ウチの上司が被災地視察に来たんだけど,ちょっと様子を見てチームが動いているのを確認すると,自分にすることがないと判断したとたんにさっさと1人で瓦礫撤去の手伝いに行っちゃったんだよね」と笑いながらお話しされていました。この話を聞いた時,私はその上司の方を純粋に「カッコいい」と感じました。上司の方も当初は医師として被災地で手伝うためにいらっしゃったのだと思いますが,部下たちのチームが機能しているのを確認すると自分がそこに加わるよりも瓦礫の撤去を手伝った方が被災地にとって役に立てると判断されたのでしょう。ここに「専門家としての貢献」のこだわりはなく,役に立てるならどんな形でも構わないという臨機応変なスタンスが感じられます。そこに私はカッコよさを感じたのです。
こういった出来事もあって,私は自分が石巻市役所で働くことになった際には本来求められているメンタルヘルスの業務に関わらず出来ることは何でもやろうという心構えでいました。実際,膨大な復興業務による慢性的な人手不足により,メンタルヘルス以外の事務など多くの仕事に関わることになり,結果としてはメンタルヘルス以外の仕事をしている時間の方が業務量としては多いくらいでした。正直,「自分は何のためにここで働いているのだろう」という心理士としてのアイデンティティが揺らぎそうなときもありましたが,その一方で「この業務をすることで誰かの負担が減るのであれば,それはそれで自分がここで働いている意味があり,それも災害支援の一環だ」と自分に言い聞かせることで乗り越えてきました。後々,私にメンタルヘルス以外の業務を打診してきた上司とのお話で,「当初は心理の専門家として来てもらっている人にそれ以外の仕事もお願いしていいかどうか気を遣ったけれども,色々と引き受けてくれて本当に有り難い」というお言葉をいただきました。自分の考え方が間違っていなかったと実感できた瞬間でした。もし私が「心理臨床の専門家としての貢献」にこだわってしまっていたならば,市役所にとって私は使いづらい人間になっていたでしょうし,私自身も6年もの期間を勤務することは難しかったのではないかと思います。
このように災害支援に携わる際に,まず第一に自分の専門家としての技術や経験をどのように役立てるかを考えるのはとても重要なことではありますが,そこにこだわり過ぎると時には被災地にとってあまり役には立てず,結果として自分に無力感を持つという悪循環に陥ってしまいます。それよりも「自分の専門性が被災地で役に立てるのであれば良し,あまり役に立てなさそうな場合は他のことで何か役に立てるのであればそれでも良し」というスタンスが自分自身にとっても被災者の方々にとっても具合の良い関わり方なのではないかと思っています。以上が東日本大震災での災害心理支援が私に教えてくれたことでした。
氏名:野口 修司(のぐち しゅうじ)
所属:香川大学医学部臨床心理学科准教授
資格:臨床心理士,公認心理師,ブリーフセラピスト(シニア)
専攻:家族心理学,産業心理学