畑中千紘(京都大学大学院教育学研究科)
シンリンラボ 第41号(2026年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.41 (2026, Aug.)
1.トイレの歴史からこころの変遷を捉える
連載第2回となる今回は,広い意味でのアグレッションを考えるに際し,トイレについての研究を紹介したい。「なぜ唐突にトイレの話?」と思われるかもしれないが,アグレッションと排泄物を心理学的観点から捉えてみると,意外と共通点は多い。
排泄物とはどんなものなのか,改めて考えてみよう。潜在的に抱えているうちにはあまり意識されないが,出てこようとするときにはにわかに生々しい切迫感をもってその存在を主張する。ある程度の制御は可能だが,ひとたび手を離れると独自の自律性をもち,こちらのコントロールを容易にすり抜けていく。いざ出てきてみると臭く醜く,さまざまに不快感も生じさせるが,自分の内側から出てきたものだけに,私には関係ないと切って捨てることも難しい。これらはまさに私たちが「内に抱える不浄なるもの」のダイナミズムそのものであり,アグレッションにもほぼそのまま当てはめることができる。自分自身の一部でありながら,その制御は難しく,私たちはしばしば自らの内に不確実な感覚を抱えこむことになる。かといって,単に外に出せば済むというわけでもなく,どこでどのように排出し,処理,浄化していくかは適応にも大きく関連する切実な問題だ。このように考えると,排泄行為や排泄物処理設備(トイレ)の歴史をたどることには,「内なる厄介な副産物」をいかにスマートに排出するかという心理学的課題に対する人々の構えの変遷をたどることでもある。
2.空間構造とこころ
生活をとりまく空間構造から人のこころや精神を理解しようとする試みは,心理学以外の学問領域でも行われてきた。たとえば,地理学者のイー・フー・トゥアン(1982/1993)は,世界の様々な地域で中庭付きの住居がみられることをあげ,物理的に見ればその配置は私的な空間と儀式的な空間を分離するためであるが,それは同時に住人の「公私の役割に対する鋭い意識の反映」でもあると述べている。つまり,中庭という空間構造の存在は,私的世界を公的世界から「分節化し,個別化する精神」がその背景に存在することの証左であるというのである。
このような見方を元に,トゥアンはヨーロッパにおける近代的な「個」の意識の誕生について,家屋や劇場の空間構造の変遷から論じている。トゥアンによれば,中世においては身分にかかわらず,人々は個別に寝ることはしていなかったという。住居内に寝るための特定の部屋はなく,人々は広間や台所,貯蔵室など「暖かくて快適な場所ならどこででも」寝たし,数人が同じベッドで寝ることが当たり前だったというのである。近代へ移行する中で,カーテンで囲い込まれた四柱式ベッドが登場し,個人が寝るための分離された私的空間が作り出された。人と共同で使っていたベンチはひとりひとりが座る腰掛けへと姿を変え,店舗や隣家と一体となっていた大きな建物は,公的な店と私的住居が分離され,ファサード(建物を正面から見たときの外観デザイン)をつけることで他の家と美的な区別が試みられた。このように家屋や調度品にみられる分節化のプロセスは,人間の精神において「個」という意識の枠組が誕生してくる動きとパラレルに起こってきたと考えられるのである。
人間にとって生活をとりまく空間や装置は単なる物理的な道具ではない。新しい様式が生活に取り込まれる際には,それが人々の意識やあり方に添った構造をもっていることが求められる。たとえば,発車からハンドル操作,駐車に至るまで全てをお任せにできる完全自動運転の車が開発されたとしよう。ただ,座るだけで自動的に移動できてしまう便利な車だ。しかし,いくら安全性が確保されていると説明を受けたとしても,現時点で,すぐにそれに身を委ねることができる人はなかなかいないだろう。便利さや合理性だけでは人の生活に溶け込むことは難しく,こころにフィットしているという要素は決定的に重要なのである。
3.トイレの歴史の非線形性
このような前提に立てば,トイレを分析することは,その時々を生きた人たちが「内に抱える臭く生々しいもの」をどう体験し,どう扱ってきたのかを映し出す鏡となるはずだ。現代を生きる私たちは,プライバシーの守られた個室での排泄を当然のものと感じているが,それは歴史を紐解けば全く当たり前のことではないのである。ただし,トイレが一筋縄では捉えきれない複雑で多様な文化と歴史をもっていることには留意が必要だ。たとえば紀元前の古代ローマの都市では,現代にも匹敵するような下水システムが整備され,水洗式のトイレが使われていたことがわかっている。しかしながら,その後長い間,ヨーロッパでは都市の衛生を管理するという発想は失われてしまう。汚水をつぼや穴に貯めるような原始的な方式が主流となり,16世紀頃には家の窓から糞尿を投げ捨てるほどにまで退行してしまう。また,地形や気候,宗教思想に合わせた様々なトイレがみられるなど,同じ文化圏の中でも排泄様式は必ずしも一致していない。トイレはその時代,文化や思想と相互に影響を与え合いながら非線形的に発展を遂げてきたのであり,その歴史の全貌は捉えきれないほど広い。古代から現代にかけて線形的に進化するというようなわかりやすい物語には収まりきらないのである。
そこで本稿では,無数の例外や地域差などがあることを踏まえた上で,私たちが「内に抱える厄介な副産物」をどう扱ってきたのかという視点から,あえて大局的にトイレの空間構造の変遷を概観したい。ここでは,筆者らが発表した先行論文を土台に,新たな考察を加えて再構成したものを3回にわたって紹介していく。
4.汚いトイレが消えた
このトイレ研究は,筆者が大学院生だった2008年頃,“最近街で汚いトイレを見なくなった”“古い建物でもトイレだけは改築されていて快適だ”という何気ない気づきから,院生仲間と共同で行ったもの(高嶋ら,2010/2012)を元にしている。それから15年以上経過した現在,衛生的なトイレの普遍化はますます進み,施設の規模や設置場所を問わず,どこでもきれいなトイレに出会えるような状況が現実化している。それ自体は大変喜ばしい変化であり,筆者自身もありがたくその恩恵にあずかっている。しかし,都会のビルなどであまりにもクリーンで洗練されたトイレ空間に身を置くたび,小さな違和感が胸をかすめる。「人間は本来,臭くて汚い生き物だ。でもそれがなかったことになっていないだろうか」。
わずか30年ほど前を振り返ってみても,日本の住宅にはまだまだ汚く臭いトイレが数多く残されていた。古い一軒家などでは,トイレは母屋から離れた場所や薄暗い廊下の突き当たりなどに配置され,子どもにとって怖い場所の代表格であった。当時のトイレは,日常世界の端に位置する「異界との境界」であり,だからこそ,トイレにまつわる怪談や,神様が宿っているという民間信仰も数多く確認される。しかし,現代のトイレはどうだろう。明るくピカピカで,怪異が入り込む暗闇も,神聖な神の依り代も見当たらない。これは,私たちにとって喜ばしく良いことだと単純に片付けてよいものなのだろうか。
ここに至るまでのトイレの長い歴史を振り返るため,まずは古代まで遡ってみよう。
5.いにしえのトイレ —自然と継ぎ目のない排泄—
縄文時代前期,狩猟採集を中心とした生活においてはトイレと呼べるような特定の場所は存在していなかった。人口密度がそれほど高くなかったからこそ可能であったことであると思われるが,排泄は川や山で直接,あるいは穴を掘って埋めるなどの方法でなされていた。清濁は大いなる自然の中で混じり合い,食や排泄などの人間の生活も,生と死が循環する大きなサイクルの中に溶け込んでいた時代であったと考えられる。
縄文中期以降,人々は大規模な集落を形成するようになる。この頃の集落は,広場の周囲に住居を環状に配置する構造が多く,排泄の場は集落の辺縁に形成されていたと考えられている。貝塚では他所よりも多く糞石が出土することから,貝殻や骨などのゴミと同じ場所に排泄物も捨てられていたと推察されるが,貝塚からは犬などの遺骸や,人骨なども出土することがある。このことは,貝塚が不要物を捨てる単なる“汚物の廃棄場所”ではなく,役目を終えた生命や物質のための埋葬や儀礼のための空間であった可能性を示唆している(高梨,1998)。ここでは,排泄物を人の生活圏の「外」に出すという発想は入ってきているものの,廃棄や処理という観点はあまりなかったと推察される。排泄物は特別にネガティヴなものとして意識されることなく,生と死を含む自然の営みの中のひとつとして,大きな循環サイクルの一部にそのまま組み込まれていたと考えられるのである。
6.飛鳥から平安時代のトイレ —醜い欲と穢れ—

図1 「弧状溝型式水洗式トイレ」(藤原京跡右京九条四坊出土のトイレ遺構復元案)

図2 側溝の水を宅地内に引く形式のトイレ(平城京跡左京二条二坊五坪出土のトイレ遺構復元案(松井章復元))
7世紀末,藤原京の頃には都市の中に排泄装置が作られ始める。代表的なものとしては,道の側溝から宅地内に引き込んだ溝に板を渡す簡易型の水洗式トイレ(「弧状溝型式水洗式トイレ」)(図1)や,大きな水路をまたぐように建てられた長さ20メートルにもおよぶ共同の「厠」(「川屋」とも言われる)(図2)などが挙げられる。このように,集落の辺縁に位置していた排泄の場が,都市の内部に位置づけられたことは大きな変化といえよう。汚物の処理は現実的な都市問題として,集団的に抱えられることになってきたのだ。とはいえ,この頃の厠には他者の目を遮蔽するための設備は確認されていない(黒崎,2009)。餓鬼草紙などの資料(図3)に老若男女がオープンな空間で排泄する様子が描かれているように,当時の庶民は「何の抵抗感もなく,むしろ大らかに排泄していた」と考えられている(山田,1986)。つまり,排泄物を抱え,処理すべきなのはあくまで都市という“場”であり,個人が自らの責任において引き受けるような意識の枠組みはほとんどなかったのではないかと考えられるのである。

図3 餓鬼草紙(食糞餓鬼)
一方で,排泄物が「不浄」だという観点が明確に入ってきたことは興味深い。餓鬼草紙(図3)には,そのようなものしか食べることができない餓鬼が,人々の汚物を貪り食う様子が描かれている。仏教における六道輪廻の考え方において,地獄道のすぐ上に位置する餓鬼道に生まれると,前世での強欲や吝嗇(物惜しみ)の報いにより飢えと渇きに苦しむことになる。現世を生きる人にその姿は見えないが,この絵が示しているように,餓鬼は人々のすぐ傍らで不浄物を求めて彷徨っている。人は誰しも自らの欲と無縁ではいられず,それに囚われてしまえば自らの来世が脅かされるかもしれないという構図がここに視覚化されているのだ。
7.都市問題としての不浄 —マクロなコントロールの黎明—
不浄なるものへの忌避が出てきた一方で,当時の人々には排泄物を処理したりコントロールしようという発想は薄く,街の水路に流そうとして詰まらせたり,堆積物が悪臭や感染症の原因になったりすることも多かったようだ。図3の絵図においても人々が高下駄を履いているが,これは人々が当時の人々が小路(公道)で排泄をしていたために,堆積した排泄物で着物などを汚さないように共同で使っていた下駄だとされている(西山,2004)。実際,京の錦小路が「糞の小路」と呼ばれていた(山路,2001)という話もあるほど,この頃には街に溢れる汚物問題が深刻化していた。そのため平安中期には太政官という行政機関から,「側溝に汚水を流すな」,「人家の壁に穴を開けて汚物を流してはならない」という命令文書が何度も出されたという。穢れとその処理の課題に向き合うのはあくまで都市という大きな枠組であり,個々人はあくまで衒いなく,それを人間の性として葛藤なく体験していたのかもしれない。ただし,潜在的には仏教的世界観を背景として,「不浄を手放すことができなければ自らの生が脅かされる」という内面的な不安の萌芽がこの時代に生まれてきていたことを示唆している。これは,一時代前のおおらかさとは一線を画す心理学的変化といえるだろう。
自らの「内面」において不浄さを隠蔽したりコントロールしようとする試みが始まるのは,空間構造にさらなる分節化が生じる次代の到来を待たねばならない。次回の第3回においては,鎌倉時代にいよいよトイレ空間が誕生するところからを紹介し,さらに考えを進めていきたい。
文 献
- Tuan, Yi-Fu(1982)Segmented Worlds and Self: Group Life and Individual Consciousness. University of Minnesota Press.(阿部一訳(1993)個人空間の誕生:食卓・家屋・劇場・世界.せりか書房.)
- 黒崎直(2009)水洗トイレは古代にもあった—トイレ考古学入門.吉川弘文館.
- 大田区立郷土博物館編(1997)トイレの考古学.東京美術.
- 西山良平(2004)都市平安京.京都大学学術出版会.
- 太田博太郎(1999)カラー版 日本建築様式史.美術出版社.
- 高梨友子(1998)東京湾東岸域における縄文貝塚と埋葬.研究連絡誌,52; 9-22.
- 高嶋雄介・畑中千紘・井上嘉孝・古川裕之(2010)空間との関わりに表れる日本人のこころ—トイレ空間の誕生と変遷.京都大学カウンセリングセンター紀要,39; 27-47.
- 高嶋雄介・畑中千紘・井上嘉孝・古川裕之(2012)トイレ空間にみる現代の意識.箱庭療法学研究,25 (2); 13-24.
- 山路茂則(2001)トイレ文化誌.あさひ高速印刷出版部.
- 山田幸一監修(1986)便所のはなし(物語 ものの建築史).鹿島出版会.
畑中 千紘(はたなか・ちひろ)
京都大学大学院教育学研究科
資格:公認心理師,臨床心理士,日本ユング心理学会認定心理療法士
主な著書:『話の聴き方からみた軽度発達障害』(単著・創元社),『発達の非定型化と心理療法』(共著・創元社),『SNSカウンセリング・ケースブック』(共編著・誠信書房),『SNSカウンセリング・トレーニングブック』(共編著・誠信書房)ほか










