小松貴弘(神戸松蔭女子学院大学)
シンリンラボ 第18号(2024年9月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.18 (2024, Sep.)
1.はじめに
筆者は日頃から,面接中にクライエントとセラピストの間に何が起きているのか,また,そこで起きていること,生じていることが,心理臨床の仕事の過程にどのように関係するのかということに強い関心を持ち続けている。とりわけ対人関係精神分析の考え方に親しみを感じて学んできた立場から,本稿では主としてセラピストに生じる直感について考えてみたい。
2.対人関係精神分析とは
1)対人精神分析の共通認識
対人関係精神分析(interpersonal psychoanalysis)は,アメリカの精神科医ハリー・スタック・サリヴァンHarry Stack Sullivanの治療実践を主要な源流とする,精神分析の一学派である(一丸,2020)。伝統的な精神分析との間に複雑な関係の歴史を持つこの学派の特徴を,簡潔に言い表すことは難しい。本稿では,対人関係精神分析を,より正確には,スティーブン・ミッチェルStephen A. Mitchellの登場以降の現代対人関係精神分析(modern interpersonal psychoanalysis)を特徴づける最も重要な点の一つを,面接の場において,クライエントとセラピストの間には対人関係を通じて不可避的に相互交流が生じており,そうした相互交流のあり方の変遷が,セラピーの進展を大きく左右しているという共通認識(例えば,Mitchell, 1997)に求めることで,話を進めることにしたい。
2)未構成の経験という概念
直感について考えるために,筆者が手がかりとして取り上げたいのは,現代対人関係精神分析を代表する論客の一人,ドンネル・スターンDonnel B. Sternが提唱した未構成の経験(unformulated experience)という概念である(Stern, 1997)。
私たちが自分の考えや気持ちについて話をするとき,「いや,少し違うな」とか,「これではうまく言えていないな」と感じることがある。どうして私たちは,自分が言葉にしたことが,自分の考えや気持ちをうまく表現できていないとか,できているとか感じることができるのだろうか? そのとき,私たちは,何に照らしてそう感じるのだろうか?
3)未構成の経験とは
私たちが何かを話し始めるとき,話し始める前にこれから自分が話すことを文章として頭に思い浮かべ,それを読み上げているというわけではないだろう。話し始めると,まるで言葉がどこからか湧いてくるかのように,私たちは次に話す内容を,頭の中で文章として思い浮かべる必要もなく,話し続けることができる。それはどうしてだろう?
スターンの基本的な考えはこうだ。私たちは,自分が意識していない,あるいは注意を向けたことがなく意識したことがない,まだはっきりとした輪郭を持たない広大な経験に取り巻かれており,その時々に応じて注意を向けることで,それを言葉として,あるいはイメージとして具体化しているのだ。スターンは,このような,具体的な言葉やイメージになる前の漠然とした経験を,無意識のあり方の一つとして概念化して,未構成の経験と名づけた。
4)伝統的な真理観
このような見方では,私たちは,その時々に応じて,広大な未構成の経験のほんの一部に注意を向けて,それを言葉にして語っているのだが,この未構成の経験を言葉にする働きを,経験を構成することと捉えることができる。ここで肝心なことは,未構成の経験を言葉やイメージで明確にする経験の構成のやり方には,無数の可能性があるということだ。
正しい構成のやり方が一つだけあって,それ以外は誤りだ,というのではない。そのような考え方は1,伝統的な真理観に基づいている。そこでは,言葉やイメージにするということは,隠れている真理を表現する手段であって,その表現が正確であるかどうかは,原理的にそれが表現しようとしている真理との一致度で判定される2。
5)未構成の経験が内包するもの
未構成の経験という考え方は,そのような筋道を取らない。この考え方においては,私たちはどこまでも漠然とした経験を,なんとか言葉で縁取り,それにはっきりとした姿を与えようとする。しかし,どこまで行っても,言葉にされるべき正解=真理があらかじめ先行しているわけではないので,しばしば,ピッタリと表現しきれていないという不全感が残る。私たちは,自分が表現したものが,自分が表現したかったことに,しっくりくるとか,しっくりこないとかいう感覚を頼りにしながら,試行錯誤しつつ言葉をつむぎ続けているのだと考えることができるだろう3。
筆者は,このように経験が構成される過程とその産物を,直感に結びつけて考えたいと思う。それは,推論の産物でもなければ,すでにあるものの単なる記述でもない。このことが臨床実践において持つ意味について考えてみたい。
3.相互交流と未構成の経験
対人関係精神分析に共通する基本認識の一つは,クライエントとセラピストは面接において不可避的に自覚的かつ無自覚的に相互交流をしているというものであった。この相互交流の無自覚的な部分を未構成の経験の考え方から理解することで,セラピーが進んでいくあり方に関して,伝統的な精神分析の見方とは異なる視界が開けてくる。それを示す例の一つとして,スターン自身が提示している臨床ヴィネットを,本稿に関連するポイントに絞り込んで簡略化して示したい。
1)ウィリアムの事例(Stern, 2015)より
ウィリアムは成功した専門職の50代の男性。妻と3人の娘と暮らしていた。時おり襲われる強い抑うつ状態を理由にセラピーが始められた。彼には,大学生の頃に重大な自動車事故に遭い,一時は生命を危ぶまれて,数カ月にわたる苦しい入院生活を送った経験があった。しかし,この経験について話すとき,彼にはあまり感情がこもっていないように聞こえることが,セラピストにはずっと気になっていた。
あるセッションに,彼は動揺した様子で現れて,前夜に妻と険悪な時間を過ごしたと話した。そしてその翌朝,つまりそのセッションの当日の朝,家族で外出するときに玄関を出て,ふと自分の少し前を歩く妻と娘たちの背中を見た瞬間に,突然激しい憂うつな気持ちに襲われたのだと話した。
このエピソードを聞いていたセラピストは,ふと気がつくと彼の事故に続く入院生活について考えていた。見舞いに来た家族や友人が帰ったあと,一人病室に取り残されたであろう彼に想像が及んだ。なぜそうした連想が浮かんだのかはわからなかったが,セラピストはそのとき自分に思い浮かんだことを彼に伝えたいと感じて,次のような主旨のことを述べた。
“理由はわからないけれど,今のあなたの話を聞いていて,あなたが経験したつらい入院生活のことを思い出しました。見舞いに来た親しい人々が帰った後に一人残されるのは,とても大変な経験だったのではないでしょうか”と。セラピストの言葉に対するクライエントの反応は,あふれる涙であった。このセッション以後,セッション内においても,家族や友人に対しても,事故後の経験についての彼の語り方は感情を伴ったものへと変化したのだった。
2)直感と経験の構成
スターン自身は,この臨床ヴィネットについて関係性の自由(relational freedom)の拡張という観点を中心に考察しているが,筆者は本稿のテーマに沿った観点から考えてみたい4。
上記の臨床ヴィネットにおいて,セラピストの心に思い浮かんだものは,セラピストの未構成の経験が構成されたものだと言える。それは,推論の産物でもなければ,連想の産物とも違う。あえて言えば,経験が直接に立ち現れたものに近い。そこにはクライエントとの相互交流を通じて受け取ったものが大いに含まれていたと考えることができるだろう5。このようなセラピストの経験を,臨床的な直感として捉え直すことが,本稿の筆者の狙いである。
3)経験の構成と対人関係の場
スターンの見解では,経験の構成を可能にすると同時に制約するのが,そのときの対人関係の場(interpersonal field)のあり方である。それまでのセッションにおいては浮かび上がることがなかったものが,ある特定のセッションにおいて構成可能になる。それは,そのセッションのその瞬間において,それまでの対人関係の場に何らかの新しい変化が生じたからであり,その変化に応じてはじめて可能になった経験を,セラピストが敏感にキャッチすることができたからに他ならない。対人関係の場の変化は,当然,セラピストとクライエントとの双方に及ぶ。だからこそ,セラピストの言葉に対して,クライエントの方にもそれまで生じなかった新しい反応が生じたのだと考えることができる。
このとき,セラピストの経験は,セラピストの経験であると同時に,二人のどちらの経験とも区別できないような,二人の間に生じている相互交流そのものについての経験でもある。私たちは,相互交流という事態を対象化して認識するのではない。相互交流は私たちと切り離すことができない直接的な経験である。ここにあるのは,心の外にあるものを心が認識するという図式ではなく,それ自体が私たちの心の一部として経験されるという捉え方である。
4.直感の生まれるところ
1)直感が生まれる過程
ここまで,直感を,未構成の経験が構成される過程で立ち現れる経験として捉え直すことを試みてきた。
私たちの心は閉じていない。世界と直接触れ合っている。その中でさまざまなものを未構成の経験として受け取っている。それが何かの拍子に,自覚的な思考から外れた筋道で思い浮かぶとき,私たちはそれを直感と呼んでいるのだと,筆者は思う。それは,単に受け身的な経験ではなく,そこに動くもの,立ち上がりかけているものに対して鋭敏であるからこそ浮かび上がってくる,すぐれて能動的で創造的な心の働きであると言える6。ふだんから,私たち心理臨床家がクライエントの話に耳を傾けているときに生じているのは,まさにこのような過程であり,それこそが心理臨床家がクライエントの語りを聞くことの本質的な意義ではないだろうか(小松,2018)。
筆者はさらに踏み込んで考えてみたい。私たちが未構成の経験へと,自ら入っていき,自らの心を開いていくときに,直感は生まれるのだ,と。
2)直感が生まれる場としての〈あいだ〉
直感は閃きではない。どこか未知の場所から,未知の通路を経て,私たちの元に届くのではない。私たちが生を営んでいる現実の中に,クライエントとセラピストが共にいる場に,クライエントとセラピストの〈あいだ〉に,すでに未構成のあり方で存在しているもの,すでにそこにあるものを受け取り,形あるものとして意識する働きであると,筆者は捉えたい。
臨床における直感は,クライエントの心に対する推論やセラピストの心のあり方についての内省から生まれてくるのではない。相互交流からクライエントやセラピストを切り離して思考することからではなく,相互交流を受け入れてそこにそれほど焦点化されていない注意を漂わせることで,その交互交流の中から生まれてくるものであるように,筆者には思われる。
3)直感の臨床的意義
対人関係精神分析が,そのインターパーソナルな視点によって,伝統的な精神分析に対して,排反的にではなく,互いに相補的な関係にあるとみなしうるように,直感は,エビデンスに裏づけられた知識に対して,やはり排反的にではなく,互いに相補的な関係にあると捉えるのが,最も生産的であるように,筆者には思われる。
クライエントとセラピストの,個別的な,唯一無二の関係において,その時その時のセッションの中から生まれ出るものを感じ取ってゆくこと。それが二人の間で共有されることで,クライエントの経験の可能性が広がり,心の可動域が広がり,生のあり方が豊かになっていくこと。それこそが,心理臨床の営みの本質の一部に他ならないと,筆者は考える者の一人である。
文 献
- 一丸藤太郎(2020)対人関係精神分析を学ぶ─関わるところに生まれるこころ.創元社.
- 小松貴弘(2018)クライエントの語りを聞くことの意義に関する理論的研究.心理臨床学研究,36(1); 36-46.
- Mitchell, S. A.(1997)Influence and autonomy in psychoanalysis. Routledge.(横井公一・辻河昌登(監訳)(2023)関係精神分析の技法論─分析過程と相互交流.金剛出版.)
- Stern, D. B.(1997)Unformulated experience: From dissociation to imagination in psychoanalysis. The Analytic Press.(一丸藤太郎・小松貴弘(監訳)(2003)精神分析における未構成の経験─解離から想像力へ.誠信書房.)
- Stern, D. B.(2013)Relational freedom and therapeutic action. Journal of the American Psychoanalytic Association, 61(2); 227-256.(福井敏(監訳),川畑直人・松本寿弥(訳)(2015)関係性の自由と治療作用.精神分析研究,59(3); 279-298.)
脚 注
- 対応説とも呼ばれる。 ↩︎
- そもそもそのような判定はどうすれば可能なのかということ自体,説明の困難な問題である。 ↩︎
- したがって,無数の可能性があるからといって,どんな構成のやり方でも良いというわけではない。 ↩︎
- スターンの考察は,転移と逆転移という伝統的な理解のあり方とは異なる,とても興味深い内容を含んでいる。ぜひ当該文献に直接あたっていただきたい。 ↩︎
- 連想という言葉には,触発されて個人の記憶の中から浮かび上がるものというニュアンスがある。 ↩︎
- Stern(1997)の第4章を参照されたい。 ↩︎
小松 貴弘(こまつ・たかひろ)
所属:神戸松蔭女子学院大学
資格:臨床心理士、公認心理師
主な著書:『時間のかかる営みを、時間をかけて学ぶための心理療法入門』(共著,創元社,2019)