【特集 対人支援における直感】#03 心理臨床における批判的思考と直感|金子周平

金子周平(九州大学)
シンリンラボ 第18号(2024年9月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.18 (2024, Sep.)

1.はじめに

いくら数百,数千時間の訓練を通して身につけてきた心理療法の技術があったとしても,また数百例の心理検査を通して得られたアセスメントの経験があったとしても,それが正しい判断を導くとは限らない。経験則に基づく判断は,ときに深刻な誤りをもたらすのだ。セラピストやスーパーヴァイザーの資格認定もそれ自体が絶対的な保証にはならないし,資格や肩書きからくる過信がかえって目を曇らせることもある。だから批判的思考や反証に耐えうるエビデンスに基づく心理療法が必要なのだ。

このような言説に触れると,全くその通りだと首肯する。科学的に効果検証された方法に基づく心理療法を行うことで,未熟な私たちが過ちを犯さずにすみ,倫理的な実践を維持することができると思うのだ。

しかし時に,何をおいてもエビデンスに基づく心理臨床を推進すべきだという飛躍した論理を目にすることもある。ベテランの「私の経験によると……」は百害あって一利なしという断言,専門家であれば全面的に批判的思考と科学的な知見に基づかなければならないという主張,さらにはエビデンスの示された心理療法以外を用いるのは倫理違反であるという考えなどである。

こうなるとそうした理屈の危うさの方が気になってくる。経験則やそれに基づく直感は,全く否定されてしまってもいいのだろうかという疑問が湧いてくるのだ。合理的で科学的であるべきという主張に対して,私たちが直感を大切にしたくなるのは,単に怠け心からなのだろうか。最近の科学的根拠を学ぶ努力をしたり苦手な領域の研修を受けたりするのが面倒だからなのか。これまで数多くの研修や訓練を受けてきたことで得られた直感の精度にしがみつきたいからだろうか。いや,それだけではなく,直感は真に心理臨床において重要なファクターだと思えているからだろうか。

2.直感や経験則による判断

まず消極的な理由から考え始めよう。私が専門家としての仕事をする上で,どうしても経験則や直感を用いざるを得ない瞬間がある。例えば一人のクライエントと出会う時,その人が扉から入ってくる時の振る舞い,声のトーンや佇まい,皮膚や髪の毛の質感,微かな身体の動きなどを目にすると,セラピストの方も,意識するよりも前にそれに呼応するように変化していく。その瞬間瞬間のクライエントの膨大な変数を自然と受け取りながら,セラピストも自分のさまざまに揺れ動く変数にまみれつつ,臨床的な意思決定をしていく。相手に近づくのか待つのか,少し口角を上げてみたりお辞儀のような微かな動きをしたりするか,そしてどのように声をかけるのか。一瞬の中にも小さな意思決定の連続がある。こうした状況で目の前の変数をデータ化し,科学的にエビデンスのある対応を選択するなんてことは不可能だろう。大まかな効果を示した心理療法の効果のエビデンスに,その瞬間の状況判断と応答の根拠は求めようがない。だから私は,その時に利用可能な総合的な判断の根拠として,直感や経験に頼っているのだ。

3.直感によるバイアスや誤謬

今度はもう少し積極的に,直感は必要だと言ってみることもできるだろうか。いや,その前に,直感がいかに当てにならないかも示しておいがほうが良いだろう。残念ながら2020年に急逝したエビデンスに基づく臨床心理学の大物リリエンフェルド(Lilienfeld)たちが,私たちの陥りやすいバイアスをこれでもかと並べた論文がある(Bowes et al., 2020)。ちなみにこれは遺作ではなく,生前に書いていた論文や書籍がまだまだ出版されている。

そこで示されている例を簡略化して紹介してみよう。1)精神疾患の特徴について読んだばかりの大学院生が,それに引きずられて患者の行動をその診断基準に当てはめて考えてしまう。2)WISC-Ⅴの下位検査のばらつきは神経発達症と強い結びつきがないにも関わらず,学校心理士は限局性学習症と考えてしまいがちである。3)心理職は抑うつ症状を心理学的な理解に基づいて捉えやすく,背景にある医学的説明を無視しがちである。4)前に実施したアセスメント結果に影響されて,対象者をある症状に当てはまると判断し,他の症状についての質問をしない。

1)と2)はいわゆる代表性ヒューリスティックスで説明されるものだ。その結果,信頼できる研究成果や罹患率を無視してしまう。3)は心理的仮面(psychological masquerade),4)は先行する情報によってバイアスがかかるアンカリングと呼ばれる現象らしい。数字を振ったのは便宜上のことで,この論文ではこのような調子で,心理職ならば思い当たりやすい誤謬についての研究の紹介と具体例が続く。関心があれば一読されたい。

4.直感(システム1)と熟慮(システム2)の相補性

さて,このようなバイアスが多く起こる心理臨床の世界ならば,やはり批判的思考に基づく実践を思考すべきだと結論づけたくもなるところだが,もう一度,それでも直感を重視する意味があるかどうかについて検討してみよう。批判的思考やエビデンス重視ともに,直感が必要であるという根拠はあるだろうか。

直感の持つ機能については,臨床心理学よりもむしろ社会心理学や感情心理学の理論の方が参考になる。その一つがスタノヴィッチStanovichをはじめとする複数の研究者が議論してきた二重過程理論(dual-process theory)である。二重過程理論の概要はこうだ。人が物事を判断する際の認知過程には,相手の表情や状況の読み取りなどによって自動的な直感が働くシステム1と,情報を意図的に分析し熟慮することによって時間をかけて判断するシステム2がある。システム1は大容量,同時処理的,無意識的,偏向的,文脈依存的,経験則的判断という特徴を持ち,システム2は容量制限,継時処理的,意識的,規範的,抽象的,結論的判断と関係する(Evans & Stanovich, 2013)。二重過程理論は研究者によっても意味合いの異なる曖昧な概念であるとも言われており,ここでは概要が大掴みできていれば十分である。押さえておきたいのは,前者が不可視的で認知能力面を測定できないものであり,後者は可視的で測定に向いている能力に基づいているということだ。

先に消極的な表現で,私たちが心理臨床の中で直感や経験則に頼らざるを得ないと書いたように,二重過程理論でもシステム1は同様の扱いを受ける。システム2は高い流動性知能やワーキングメモリーを消費してしまうため,私たちはほとんどの生活状況の中でシステム1を用い,自動的かつ迅速にデフォルトの反応を用いざるを得ないという評価である。システム1をシステム2がコントロールしなければ,認知バイアスや誤謬を防げないのだが,システム1を用いるのは仕方がないというストーリーだ。

別のストーリーもある。Stanovich & West(2000)は,この二つのシステムは目的を同じくする相互補完的なもので,いずれかが上位にあるわけではないという立場をとっている。二つのシステムが協調的に機能する場合がほとんどなのである。すると問題になってくるのは,システム2が機能せずにシステム1だけで進んでしまった結果としての認知バイアスやヒューリスティックスだけではない。システム1が機能せずにシステム2だけで進んでしまうことの問題もあると考えて良いだろう。後者は,ダマシオDamasioがソマティックマーカー仮説において,身体レベルで感じられる情動が合理的判断を行う上で重要な役割を果たすと考えたことと符合する。脳損傷によってシステム1や身体レベルの感情,直感が機能しなくなったフィニアス・ゲージは,システム2が損なわれなかったにも関わらず,全体的な意思決定が不可能になったのである。

5.経験・直感型 vs エビデンス・熟慮型アプローチ

話を心理臨床における批判的思考と直感にもどそう。ここで改めて整理してみるならば,批判的思考と直感は,対比される関係にはないと考えた方が良さそうである。システム1と身体感覚,無意識の判断,そして「経験に基づく直感型心理臨床」を一つの極に置くならば,もう一つの極はシステム2と熟慮,抽象的思考,意識的判断,そして「エビデンスに基づく熟慮型心理臨床」になるだろう。そして批判的思考はそのどちらに対しても向けられるべきものであって,何も直感的心理臨床だけが批判の対象ではない。エビデンス重視の心理臨床も,経験や直感なしには人間の全体性やバランスを保つことができないため,その点を批判的に検討する必要があるのだ。

6.これからの心理臨床

ここからは,システム1に親和的な方法論を取る「経験・直感型」の行末について考えたい。その理由は,筆者が人間性心理学に基づくアプローチを行っており,感情や身体に注目するゲシュタルト療法などの体験的心理療法の訓練を受けてきたことに関係する。そしてシステム2に近い「エビデンス・熟慮型」の行末は,先述のように,それが視覚化され,測定されやすい能力に基づく発想から生まれていることから,説明性やアクセシビリティが高く,心配せずとも当面は社会制度の中での安定が見込めるためである。

全体的に「エビデンス・熟慮型」アプローチが優位になっている現状から,「経験・直感型」アプローチのリバイバルを企図していくことが必要だろう。ここではそれを,1)両極化の制御,2)不可視的なものへの価値づけ,3)両アプローチの混合という3段階に分けて自由に夢想してみよう。

まず両極化の制御である。「エビデンス・熟慮型」が批判的思考を専売特許として,「経験・直感型」を無価値化し,冒頭のあたりに書いたような飛躍した論理を振りかざす時には,それを止めなければならないだろう。エビデンスを追求することが,世界の真実に到達することになると信じる立場があるとしたら,またそれが多くの科学者が想定する複数分野がつながる「一つの科学」への接近となると考えるならば,偏りのある科学観だろう。誤解を恐れずに書くならば,エビデンス主義・エビデンス信奉とも表現されるようなものである。反対にもう一つの極への行き過ぎにもブレーキが必要である。経験至上主義・直感信奉ともいわれるような状態に陥らないようにもする必要がある。いずれの方向に進むにせよ,それが批判的思考に耐えうるものであることと,他の専門分野との繋がりを持つこと,その交流から各分野の発展が見込めることが必要である。

この文章自体もそうだが,物事を安易に二元論化し,一方を否定し,もう一方を追求しようとするのが人間の癖だ。それを通して偉大なる真実にアプローチできると考えてしまうのである。主か客か,陰か陽か,在か無か,西洋か東洋か,科学かアートかなどの二元論に気づき,そこから抜け出すことが重要だというのが,構造主義のレヴィ=ストロースや哲学者の吉満義彦から最近私が学んでいる知恵である。

次に,不可視的なものへの価値づけである。ともすると忘れられ,下位に位置付けられがちなシステム1の機能や直感に対して意図的に価値づけをしていかなければ,どうも人間は測定可能で可視化できるものばかりに価値を置きがちになる。認知心理学や社会心理学の実験も,結局は測定に基づくため,システム1がシステム2を補う現象を捉えることができない。「目に見えないものに価値を」という標語はあまりに怪しいのだが,まずはそこから始めてみることだろう。夢物語のようだが,心理学がこの問題に取り組めるようになると,私は心理学を今よりももっと好きになれそうである。

そして,両アプローチの混合である。エビデンスも経験も熟慮も直感も全てを大切にすること。それをまず一人の人物の中で実現することを,心理職の一つの未来像として描いてみたい。多方面への批判的思考を持ち,バランスを保ち,複数分野とのつながりを保つことのできる人物である。幸いこれは夢物語ではない。私が知る限りでも,ジェネラリストで柔軟な思考と雰囲気を持つエキスパートが,現代日本の心理臨床の業界の中にも多くいる。

もちろん個人の中でそれを実現しなくとも,学会や研修会,共同研究や共著などで,エビデンス主義と経験至上主義が対話したり,同じ目的に向かっていることを共有しながら直感派と熟慮派が議論するカンファレンスなども見てみたい。

これから10年か20年程度で最後に述べたようなことに少しでも取り組んでみたい。またそれが実現されていくことを目撃したいと思っている。

文  献
  • Bowes, S. M., Ammirati, R. J., Costello, T. H., Basterfield, C., & Lilienfeld, S. O.(2020)Cognitive biases, heuristics, and logical fallacies in clinical practice: A brief field guide for practicing clinicians and supervisors. Professional Psychology: Research and Practice, 51(5); 435.
  • Evans, J. S. B., & Stanovich, K. E.(2013)Dual-process theories of higher cognition: Advancing the debate. Perspectives on psychological science, 8(3); 223-241.
  • Stanovich, K. E., & West, R. F.(2000)Individual differences in reasoning: Implications for the rationality debate? Behavioral and brain sciences, 23(5); 645-726.
+ 記事

金子 周平(かねこ・しゅうへい)
所属:九州大学大学院人間環境学研究院
資格:公認心理師・臨床心理士・日本ゲシュタルト療法研究所SV50セッションDiploma
主な著書:Stanovich, K. E.(2013)How to think straight about psychology. Pearson Education, Inc.(金坂弥起(監訳)(2016)心理学を真面目に考える方法:真実を見抜く批判的思考.誠信書房.(共訳,第4章,第9章担当)

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