増沢 高(子どもの虹情報研修センター)
シンリンラボ 第43号(2026年10月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.43 (2026, Oct.)
1.貧困とは
貧困には絶対的貧困と相対的貧困の2つがある。絶対的貧困とは,生きることが困難なほどの貧困状態で,食料,住居,衛生等の最低限を満たしておらず,生命や健康に重大な影響をもたらす。これに対して相対的貧困は,その国の生活水準の中で比較して,大多数よりも貧しい状態のことで,所得でみると,世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分(貧困線)に満たないことをいう。
第2次世界大戦終戦を迎えた1945年当時の日本は,戦争の痛手と社会的混乱の中,国民の多くは前者である絶対的貧困の中におかれた。皆生きることに必死で,捨て子や身売りも珍しいことではなかった。しかし日本はここからの復興がめざましく1950年代後半からは高度経済成長期に入っていく。日本は経済的に豊かな国となり,そこに住む子どもたちは恵まれているという認識が一般的となった。厚生省が,戦後から行われていた「低消費水準世帯」の推計調査を1965年で終了しているのもそうした背景がある。以降,「経済的に恵まれた日本の子ども」が神話となって続いていく。
しかし1960年代に英米を中心に「戦後の福祉国家の成立によって貧困が解消したという楽観論に対して,根強く広範に貧困が存在するということを示す研究や運動が登場」した(松本,2008)。そこで重視するのは,経済成長によって富める世帯がある一方で,貧困に苦しむ世帯があり,その格差こそ問題とした視点である。これが相対的貧困である。日本が相対的貧困に注目するようになったのは,そのずっと後の2000年代に入ってからである。しかも日本の相対的貧困率が先進諸国の中でも高い水準にあり,特に子どもの貧困は深刻であることが明らかとなったのである。以降子どもの貧困が大きな社会的問題となり,「経済的に恵まれた日本の子ども」の神話は崩れていく。2013年に「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が制定され,翌年には子どもの貧困対策に関する大綱が定められ,教育支援,生活支援,経済的支援,保護者の就労支援等の方針が示された。
現在は,子どもがいて貧困状態にある世帯は9組に1組で,2012年の6組に1組からは改善されつつあるものの,OECD諸国と比べた場合,未だ高い方の群にある。特にひとり親世帯になると約半数が貧困線を下回り,深刻な状況が続いている(「2022年国民生活基礎調査」より)。
2.相対的貧困がもたらす不利
相対的貧困の根底にあるものは格差である。
貧困は,基本的な生活の維持に支障をもたらす。特に近年の物価の上昇は,低所得者層にとっては死活問題で,電気,水道,食事,住居,衣類などといった暮らしの基盤を揺るがせる。切り詰めた生活や収入のための過重労働はゆとりを奪い,大きなストレスの負荷は否めない。追い込まれた暮らしは,子どもへの養育上の問題にも波及し,虐待やネグレクトのリスクをはらんでくる。経済的格差は,家庭外においても,子どもに様々な不利益をもたらす。義務教育で学校に通えていても,学用品や学習環境の不足,塾などの学校以外の教育機会やクラブなどの活動機会に格差をもたらし,このことが学力の低下,学習や活動意欲の衰退を招こう。また目に見える格差が,子ども集団の中でいじめや疎外,排除の原因ともなりやすい。さらに義務教育を終えた後の将来選択において,進学や進級の断念,就職先の選択肢の縮小,早期就職などによるモラトリアム期の喪失などの不利を被ることになる。心理臨床家ならば,こうした状況が子どもの心に何らかの悪影響を及ぼす可能性のあることは容易に想像できよう。
3.逆境的養育環境と貧困
近年,小児期の逆境的体験(ACEs)が心身に長期的な影響をもたらすことが注目されている。1990年代後半から盛んにおこなわれるようになった研究で,虐待,ネグレクト,希薄な関係,分離体験の繰り返し,夫婦間DV,親の精神疾患やアルコール・嗜癖など,家庭内での逆境的養育環境が,将来の身体的,心理的失調のリスクを負うこと,さらには貧困や犯罪といった社会的問題と関連することを警鐘したのである。もちろん逆境的体験を繰り返したすべての子どもの予後が悪いわけではない。しかしこうした家庭内状況に対して,例えば,経済的困窮,保護者の養育能力の脆弱さ,災害,事故,失業などのネガティブなライフイベント,地域からの阻害や孤立,家族の介護や看護などといった複数のストレス要因が重なれば,家庭内の逆境的状況はさらに悪化し,提示されているような予後の問題への確率を高めよう。中でも貧困は,家庭生活の足元を揺るがし,複数の逆境体験を生じやすくさせ,またその影響を増幅しうる主要な条件として捉える必要がある。
逆境的環境におかれても健全に育った子どもたちはいる。この過程に何が介在したかについて,逆境的体験の影響を緩和させ,健全な育ちへの道を拓く要件として保護的体験(PACEs)が見出されている。これらの項目を見ると,家庭外での信頼できる人がいること,スポーツや芸術活動などの居場所があること,登校できていること,清潔で安全で食事充分な家庭環境などがあげられている。しかし,こうした条件を整うためには,一定の経済的補償が必要となってくる。そう考えると貧困は保護的体験への道をも閉ざしてしまう問題でもある。困窮家庭にいる子どもたちを観て日本の各地では無料学習塾や子ども食堂などが行われ,それらは重要な取り組みとして推奨,拡大しつつある。しかしすべての地域にあるわけではなく,限界があるのが現状である。
4.逆境的環境がもたらす心への影響
逆境的養育環境がもたらす最大の問題は,日々の暮らしから安全と安心を奪うことである。子どもの成長と発達の基盤にあるのは,周産期からの安全と安心が保障された養育環境である。しかし,本来は安心を与えてくれるはずの養育者がいない,あるいは脆弱,そして時として虐待の加害者として恐怖の対象に変貌するとすれば,人生の初期段階で獲得すべき人や世界に対する基本的信頼の感覚は育たず,不信感が凌駕し,このことが後の健全な心的発達の積み上げを難しくさせてしまう。
守りのない生活は,日常で遭遇する様々な恐怖体験が癒されることなく心に残り,さらに保護者からの虐待等の言動は大きな傷となって心に刻まれる。これらは心的外傷として累積されるため,それに起因した様々な症状に苦しむことになる。また基本的な生活が成り立たない日々は,一般的な暮らしとはかけ離れた習慣や生活感覚を身に着けてしまう。このことが社会参加をいっそう難しくさせ,周囲から疎外され,孤立する要因ともなる。守りがなく,恐怖にさらされる孤独な日々,それは思うに地獄のような世界だろう。
その結果,自尊心の低下,不信感や被害観,将来への不安や絶望感などから,心理的失調,引きこもり,非行,自傷・自殺等の臨床的ニーズを抱えた子どもや若者が生まれていく。しかし,こうした子どもたちが心理臨床の場に訪れるには,高いハードル立ちはだかる。
5.心理臨床家は貧困とどう向き合うべきか
社会的不利の層にある人たちは,公的サービスに頼ることの負い目や罪悪感,あるいは差別的な扱いをした社会への不信感や被害感等があって支援を受けることに抵抗や戸惑いを抱いている場合が少なくない。心理臨床家は,そうした心情を受け止め,経済的困難を基底に,教育,健康,住環境,文化的体験,社会参加など累積された不利な条件について丁寧に理解して関わる必要がある。心理臨床家は,少なくとも専門職として資格を得て活動している現在においては,一定の教育機会や社会的資源へのアクセスを得てきた側にいる。その立場から,日々の暮らしそのものに困難を抱える子どもの現実と心情をリアルに想像することは,決して容易ではない。むしろ極めて難しいことと自覚すべきだろう。さらには自分の心の中にこうした層への差別や偏見を抱いていないかを厳しく点検しておく必要もある。不信感が強く,生きることが困難な人ほどに,支援者の立ち居振る舞いの奥にある性根を敏感に感じ取っている。
心理支援においては,心的問題を抱えるに至った現実的な発生機序も十分に踏まえて,その根底にある当事者の日常が安全で安心できる暮らしとなるよう現実的な支援を優先し,その上で心的問題にアプローチすることが基本となる。現実的な支援を行うというと,それは「ソーシャルワークの仕事でしょ。私はしません」と割り切る人がいる。しかし実際の支援において,常にソーシャルワーカーとのチーム体制とれるわけでもない。心理臨床がソーシャルワーク的機能を担って,関係機関等につなぐなどして,現実的で有益な支援を届けることである。心理職も生活上の問題を自分の専門外として切り捨てず,必要な支援につながるところまで責任をもつ必要がある。また例えば,心理相談に来る交通費や相談費用をどうするかは死活問題のはずである。そうしたところへの視点と配慮が向き,手立てを講じれる臨床家でありたい。
6.心理的支援の実際
貧困を含む逆境的環境に置かれ,さまざまな問題を抱えた子どもの回復を支えるためには,問題として現れている症状や行動だけに焦点を当てるのではなく,その背景にある養育環境,心的外傷体験,生活状況,社会的な不利などを含めて,子どもを全人的に理解することが必要である。その上で,症状や心理的問題の発生メカニズムを理解し,その軽減や回復を図る治療的アプローチと,子どもの強みや可能性にも目を向け,家族や学校,地域,経済状況など生活環境全体に働きかけながら,その子どもがよりよく生きていけるよう支える生活・社会的アプローチとを統合していく必要がある。
とりわけ逆境的環境にある子どもへの心理支援では,心理療法を生活から切り離して行うのではなく,安全で安心できる日常生活を回復していく営みを基盤に置き,その中に心理療法の知見や技法を位置づけていく視点が重要となる。この点において,心理臨床の養成段階では前者に重きが置かれ,後者について学ぶ機会は必ずしも十分ではなかったように思う。
逆境的環境におかれた子どもたちは,身体的問題,心的発達のレベル,社会的スキルの拙さ,学習困難,親への思いや見捨てられ不安など,多岐にわたる苦しみを抱えている。それらを丁寧に把握,理解するとともに,子どものよき資質や変容可能性にも注目し,身体,心理,社会的側面から子どもの全体像を把握し,これまでの歴史をつなぎ合わせて,その子どもが今そうしてある必然を理解することである。つまり包括的なアセスメントが必須であり,現状の問題や症状の改善だけにとらわれた対症療法では十分な改善は望めない。
子どもたちが第1に求めているのは,恐怖や不安から解放され,安全で安心できるつつがない毎日の生活である。心理支援に当たっては,生活環境を視野に入れ,経済的支援も含めた環境改善のための現実的な支援を中心に置き,心理療法のエッセンスや技法がそこに組み込まれていることが必要である。そのためには,子どもと家族に身近にかかわる支援者(こども家庭センター,児童相談所,学校,保育園等)による支援チームを構築し,そこに心理職が参加することである。
心理支援は,子どもとへの心理支援,家族関係改善も含めた家族への支援,家族を取り巻く地域の支援者への支援,そして社会への働きかけの4層で展開する必要がある。そして本邦で対象となるケースへの心理支援の場合,待っていただけでは何も始まらないことが多い。ニーズのあるところに出向く,いわゆるアウトリーチが必要となる。特に支援チームへのアプローチにおいてはアウトリーチが不可欠で,地域に出向き,カンファレンス等を通して支援チームでの包括的アセスメントをリードし,心理的側面からのコンサルテーションを行いながら,参加した支援者がケースへの理解を共有し,自分たちの役割を自覚,実行できるよう貢献することである。
子どもの回復には,地域の中で子どもと家族を理解する支援者が増え,子どもとの信頼関係を築くことが鍵となる。その上で子どもの健康さや強みを発揮できる居場所を保障することである。こうして環境全体に目を向け不安に満ちた生活から安心と喜びのある生活へと変わっていけるよう,子ども,家族,支援チームが一緒になって取り組んでいける展開を目指す。
7.心理職のアドボケイト機能
貧困や虐待といった問題は戦後の高度経済成長による豊かな日本という光の裏側で,ずっと存在していた。このことを社会的問題と認識し,国や自治体が様々な取り組みを始めたのは1990年代の後半からである。それまでは,恵まれた日本の子どもという神話の中で,これらの問題は潜在したまま,子どもにかかわる支援者さえもが十分に対応してこなかったのである。その支援者たちの中には心理職もいる。症状や問題行動への治療的なアプローチに焦点化され,彼らの背景にあるより深刻な現実的な問題への視点を十分に持ち切れてはいなかったことを反省したい。
社会の認識が届いていない問題は,今もなお数多く潜在しているだろう。性的マイノリティ,人身売買,子どもや若者のホームレスなどが頭に浮かんでくる。貧困や虐待などの渦中にある当事者は社会的弱者でもあり,求めるニーズを社会にはなかなか届けにくい。ゆえにそれを代弁する第三者のアドボケイトが重要となる。中でも心理職は,言葉にできない心理的ニーズを捉え,その背景全般を視野に入れて理解したとき,社会が充分に目を向けていない現実的な問題に気付ける立場にある。こうしたニーズを正しく受け止め,関係機関や社会が理解し,既存の制度やサービスも含めた社会の在り方や取り組みがより適切な方向に進むよう,当事者に替わって進言,提案していく役割が求められよう。心理職だからこそできる重要なアドボケイト機能として認識したい。
文 献
- Hays-Grudo, J., & Morris, A. S.(2020)Adverse and Protective Childhood Experiences: A Developmental Perspective. American Psychological Association.(菅原ますみ・榊原洋一・舟橋敬一ほか監訳(2022)小児期の逆境的体験と保護的体験―子どもの脳・行動・発達に及ぼす影響とレジリエンス.明石書店.)
- 保坂亨編著(2011)日本の子ども虐待〔第2版〕.福村出版.
- 浅井春夫・松本伊智朗・湯澤直美編(2008)子どもの貧困―子ども時代のしあわせ平等のために.明石書店.
- Denese, A., & McCrory, E.(2015)Child maltreatment. In: Thapar, A., Pine, D. S., Leckman, J. F., et al. (Eds.): Rutter’s Child and Adolescent Psychiatry, 6th Edition. Wiley-Blackwell.(長尾圭造・氏家武・小野善郎ほか監訳(2018)子どものマルトリートメント.In:ラター児童青年精神医学〔原書第6版〕.明石書店,pp.455-469.)
増沢 高(ますざわ・たかし)
子どもの虹情報研修センター
資格:公認心理師・臨床心理士
主な著書:『虐待を受けた子どもの回復と育ちを支える援助』(単著,福村出版,2009),『ワークで学ぶ 子ども家庭支援の包括的アセスメント』(単著,明石書店,2018),『子ども虐待 保護から早期支援への転換』(監訳,明石書店,2021),『日本の児童虐待重大事件2000−2010』(共編著,福村出版,2025)
趣味:釣り











