【特集 心理学を越境するヒューマニスティックアプローチ】#03 戦争と平和のヒューマニスティックアプローチ──人間の価値と尊厳を真ん中に置くということ|吉川麻衣子


吉川麻衣子(沖縄大学)

シンリンラボ 第41号(2026年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.41 (2026, Aug.) 

1.無力さのただ中で

私は沖縄戦体験者の「語り合いの場」を2005年頃から地域で開催している。「戦の世を生きた者同士で語り合いたい」と願う人びとと共に創った場である。毎年6月になると,沖縄は深い祈りの季節に入る。「慰霊の日」(23日)が近づき,戦争を生きぬいた人びとの傍らに座らせていただくたびに,私は同じ問いに引き戻される。心理学を学んだ者として,戦争という出来事の前で,私にいったい何ができるのか,と。

臨床心理学は,これまで多くのことを成し遂げてきた。医療が症状を見立て治療するかたわらで,心理職は人の困難をていねいに理解し,その回復を支える営みを積み重ねてきた。その精緻さは確かに人を助けてきたし,私自身もその恩恵を受けてきた一人である。しかし,目の前にいる90代の語り手が,70年以上ものあいだ誰にも言えなかった記憶をようやく口にしようとしているとき,「見立て」や「支援」という言葉だけでは,とらえきれないものがそこにある。その人が差し出しているのは,取り除かれるべき不調であると同時に,その人がくぐり抜けてきた歳月の重みでもあるからだ。

心理職が戦争や平和といった社会問題に向き合うとき,そこには独特の切実さがある。それは,研究テーマとして対象を遠くから眺めるのとは違う。自分が立っているこの足元の歴史と,いま隣にいる人の尊厳に,ひとりの人間としてどう責任を引き受けるのかという,逃げ場のなさである。この切実さは,しばしば無力感とともにやってくる。

私たちは,無力感が苦手である。何ができるかを示すことが専門家の役割だと,いつしか学んできたからかもしれない。しかし,ある時期から私は,その無力感を性急に埋めようとしないことの大切さに気づきはじめた。何かをしてあげなければと焦る手つきは,しばしば相手の語りを急かし,せっかく開きかけた心を閉ざしてしまう。むしろ,無力でありながらその場に留まり続けること,答えを持たないまま隣に座り続けることのなかにこそ,ひらかれていくものがある。私は,この無力感こそが──それを抱えたまま,それでも逃げずにその場に在り続けることこそが──ヒューマニスティックアプローチの出発点なのではないかと考えるようになった。

2.ロジャーズが最後に向かった場所

ヒューマニスティックアプローチといえば,多くの人は共感的理解や積極的傾聴を思い浮かべるだろう。だが,その創始者であるカール・ロジャーズが,生涯の最後に何に取り組んでいたかは,案外知られていない。

ロジャーズは晩年,面接室を離れ,対立し憎しみ合う集団のただ中へと身を投じていった。北アイルランドでは,プロテスタントとカトリックの人びとが膝を突き合わせる場をつくり,その試みは『鋼鉄のシャッター(The Steel Shutter)』として映像化されている(Rice,1978/2003)。さらに,南アフリカでは人種を超えた語り合いを試み,1985年にはオーストリア・ルストで中米諸国の政治家や外交官ら17か国の参加者を迎えた対話の場を開催した。最晩年,80代半ばで冷戦下のソビエト連邦を訪問し,敵対する人びとが理解し合う可能性を探究した。これら一連の平和活動が評価され,ロジャーズは1987年,ノーベル平和賞候補として推薦された。

ここで見落としてはならないのは,彼が紛争の現場で用いたものが,特別な技法ではなかったという事実である。彼が国家や民族の対立の只中に持ち込んだのは,面接室で大切にしてきたものと同じ,一致・無条件の肯定的関心・共感的理解という,あの「在り方」だった。憎しみ合う者同士を一つの円に座らせ,ファシリテーターは解決策を授けない。ただ,それぞれが安心して本音を語り,相手の語りに耳を傾けられる場を,辛抱強く育てていく。すると,はじめは記号や敵としてしか見えなかった「向こう側」の人間が,固有の名前と痛みを持った一人の人として立ち現れてくる瞬間が訪れる。人と人が深く出会うときに育つものは,それが面接室であろうと国際紛争の場であろうと,本質的に変わらない──ロジャーズの晩年は,この確信の壮大な実践であったといえる。個人の成長を支える条件は,そのまま,敵対する集団のあいだに橋を架ける条件でもあった。

ロジャーズが生涯の最後に戦争と平和へと越境していったことは,寄り道でも逸脱でもない。それは,このアプローチが心理学の枠には収まらないものであることを,彼自身の生き方で示した出来事だったのである。

3.「する」ケアから「ともにある」ケアへ

戦争の記憶を抱えた人と向き合うとき,臨床心理学が培ってきた枠組みは,一度立ち止まって問い直すことを迫られる。

もちろん,戦争体験が心的外傷として人を長く苦しめることは事実であり,トラウマへの専門的な理解は不可欠である。しかし,語り手の前に座るとき,私はその人を「トラウマ症状を抱えたクライエント」という枠に収めてしまわないよう,自分を戒めてきた。なぜなら,その人が私に手渡そうとしているのは,取り除かれるべき症状ではなく,揺れながらも生き抜いてきた想いそのものだからである。憎しみと赦し,罪責感と誇り,忘れたい気持ちと伝えたい気持ち──そうした相反する想いが一人のなかに同居し,揺れ続けている。その揺れは「異常」ではない。むしろ,人として真っ当に戦争を引き受けてきた証である。それを和らげる手立てが助けになる場面は,もちろんある。けれど,語り合いの場に集った人びとが求めていたのは,揺れを早く均すことではなかった。揺れたまま,その想いの全体が誰かに受けとめられること,揺れる自分のままで尊重されること──それが,その人にとって大きな意味を持っていた。

そう気づいたとき,私のなかで,ケアのかたちが静かに移っていった。「する」ことから「ともにある」ことへ,「介入する」ことから「立ち会う」ことへ,である。ここで急いで付け加えておきたい。症状を見立て,苦痛を和らげる治療は,戦争の傷を負った人にとって,ときに命綱となる。私はその営みの重さを少しも疑わないし,それを担う精神科医や臨床家の仕事に,深い敬意を抱いている。そのうえで,私が語り合いの場で引き受けてきたのは,それとは別の層の関わりだった。むろん,臨床心理学を手放すという話ではない。むしろ,学んできた知識や訓練を総動員したうえで,なお最後に問われるのは,私という一人の人間が,その人の尊厳に対してどれだけ誠実に開かれていられるか,という一点なのだと思い至ったのである。

ヒューマニスティックアプローチが大切にしてきた「当事者性」という視点も,ここで重みを増す。沖縄に生まれ育った私自身が,この島の歴史と無縁ではいられない一人の当事者として,戦争を生きた人の前に座る。専門家という安全な距離をとるのではなく,自分もまたこの地の歴史を生きる人間として,共に揺れることを引き受ける。その姿勢こそが,相手の語りを引き出すのではなく,語りが自ずと生まれてくる場を育てるのだと,私は経験から学んできた。

4.語り合いの場で起きていたこと

私が続けてきた語り合いの場は,治療の場ではない。診断もなければ,治療目標もない。ただ,安心して想いを置いていける場として,その場が育っていくことだけを大切にしてきた。そして,こうした場は一度や二度で成り立つものではない。何年もかけて同じ顔ぶれで集い続けるなかで,少しずつ信頼が編まれ,ようやく沈黙が言葉へとほどけていく。即効性とは対極にある,時間そのものを器とする営みである。

その過程で私が学んだのは,沈黙を空白として埋めようとしないことの大切さであった。語られない時間にも,確かに想いは流れている。語りたいけれど語れない,その手前で揺れている時間を,急かさずにともに過ごすこと。終末期を迎えた方とは,言葉だけにたよらず,その人自身の語りを目に見えるかたちで綴り直していく試みも重ねてきた(吉川,2020)。どのような方法をとるにせよ,根底にあるのは同じである。その人の想いの主導権は,つねにその人自身の手のなかにある,という一点を手放さないことである。

私は著書で,一人の女性のことを「戦争に奪われたものを取り戻していった女性の物語」として綴った(吉川,2017)。ここでは仮にハルさんと呼ぶ。ハルさんは,沖縄戦によって奪われたものを胸の奥深くに閉じ込めたまま,60年あまりを生きてこられた方であった。

ハルさん(2004年当時78歳,沖縄本島出身)は,両親と兄4人,妹2人の9人家族のなかで育った。しかし戦争で,兄は4人とも海外で戦死した。父親は,海外で暮らした経験があり英語が堪能だったために,スパイとしてとらえられ,殺害された。母親と妹たちも,沖縄戦でそれぞれ亡くなった。ハルさん以外の家族は,誰一人として生き残ることができなかった。また,ハルさん自身も,スパイ容疑をかけられて捕らえられ,そのとき受けた拷問で,左手の小指と薬指を根元から失った。顔にも深い傷が残っていた。

当初,語り合いの場には参加したくないと言っていたハルさん。参加するかどうかをためらい,人と関わること自体におそるおそる一歩を踏み出し,体験を語るか語らずにいるかのあいだで,長いあいだ揺れ続けた。私はその揺れを,急かすことなく,ただ傍らで見守り続けた。そうして何度も場を重ねたある日,ハルさんはようやく,これまで誰にも言えなかった想いを,自分自身の言葉で語り始めたのである。

「(スパイ容疑のことがあってから)戦争に人を信じるこころを奪われた。人を信じないように生きてきた。信じられなかったのか,信じるのが怖かったのか,わからないけど。自分は何も悪いことをしていないのに,人から疑われた体験。どうしようもなかったでは整理ができなかった。弱い人間だから。整理もできなかったし,もう傷つきたくなかったから,自分から人を遠ざけた……」。そして,晩年には,「自分の体験を語るには,そして,再び人を信じられるようになるには,60年の時間が必要だった」と語った。

長く閉じ込められていた沈黙が言葉になったとき,ハルさんは,戦争に奪われていた「人を信じるこころ」を,そして「自分自身」を,少しずつ取り戻していかれたように見えた。その姿に,私は深く胸を打たれた。

近年,こうした変化は「ポストトラウマティック・グロース(心的外傷後成長)」として論じられることもある。そこには他者との関係の深まりも含まれる。ただ,私が立ち会ってきたのは,ある個人に生じた変化というより,語る人と聴く人の両者のあいだに生まれる出来事だった。

そうした場で繰り返し起きていたのは,誰かが何かを「する」ことによる変化ではなかった。誰かが,ようやく語り始める。別の誰かが,深くうなずく。その想いを,その場にいる全員が,わがことのように胸に受けとめる。沖縄には「ちむぐりさ」という言葉がある。他者の痛みを,まるで自分の肝(心)が苦しくなるように感じとる,深い情のあり方を指す言葉である。語り合いの場で起きていたのは,まさにこの「ちむぐりさ」の連鎖であった。人が人の痛みに触れ,その痛みを一人で抱えなくてよいのだと知る。70年の沈黙が,ようやく言葉になっていく。

ここで起きていることを,臨床心理学の用語だけで説明しきることはできない。それは,改善や効果という尺度を超えて,奪われていた尊厳が静かに回復していく営みであった。語り手は,聴かれることによって,自分の人生が確かにこの世界に存在したのだと,もう一度受けとり直していく。聴く側もまた,その尊厳に触れることで変えられていく。語り合いは一方通行ではなく,人と人のあいだに相互に生まれる出来事なのである。

5.平和とは,関係の質である

こうした実践を重ねるなかで,私は「平和」という言葉そのものの意味を,捉え直すようになった。

平和とは,単に戦争が起きていない状態のことではない。それは,人と人とのあいだに育つ,ある「関係の質」のことである。一人の人間が,誰かに本当に聴かれ,その存在を尊重され,想いを安心して置いていける──そうした関係が成り立つとき,そこには確かに平和がある。逆に,声を奪われ,尊厳を踏みにじられ,語ることを許されない関係のなかには,たとえ銃声がなくとも,すでに暴力の芽がある。

平和学の領域では,戦争や直接的な暴力が存在しない状態を「消極的平和」と呼び,それに対して,人びとの尊厳や公正が満たされている状態を「積極的平和」と呼んできた。声を奪う構造,尊厳を損なう関係それ自体が,目に見えない暴力として捉え直されてきたのである。この区別は,ヒューマニスティックアプローチの実践と深いところで通じ合う。語りを聴き,尊厳の回復に立ち会う時間は,苦痛をやわらげる手当てとはまた別の意味を持つ。それは,消極的平和の手前で,人と人とのあいだに積極的平和の最小単位を一つひとつ立ち上げていく,地道な平和の実践なのである。

この視点に立つと,巨大な国際紛争と,私たちの日々の小さな関わりとが,地続きのものとして見えてくる。ロジャーズが紛争の現場に持ち込んだものと,語り合いの場で大切にしてきたものが同じであったのは,偶然ではない。人と人が尊厳をもって出会えるかどうか──その一点が,平和のいちばん小さな単位だからである。ヒューマニスティックアプローチが「人間の価値と尊厳を真ん中に置く」ことにこだわり続けてきたのは,まさにそれが,平和を支える土台そのものだと見抜いていたからだと,私は理解している。

戦争を生きた人の傍らで,私が無力感とともに学んだのは,このことだった。心理支援に携わる私たちにできることは,戦争を止める力を直接持つことではないかもしれない。だが,奪われた声がもう一度語り出せる場を育て,踏みにじられた尊厳がそっと回復していく関係を支えることはできる。それは平和への,地味だが確かな一歩なのである。

6.臨床心理学の枠組みを広げる

以上のような実践は,臨床心理学に対して何を提起するのだろうか。

第一に,関心の射程を広げることである。個人の内面の不調へと焦点を絞ってきた臨床心理学に対し,戦争と平和をめぐる実践は,その人を取り巻く歴史・社会・関係のなかでこそ人を理解する視点を求める。一人の語り手の揺れは,その人個人の問題であると同時に,沖縄という土地が背負ってきた歴史の現れでもある。個を社会から切り離さず,しかし社会のなかに個を埋没させもしない──その繊細なまなざしが要請される。

第二に,専門性そのものを捉え直すことである。理論や技法を習得し,効果を検証する力は,これからも臨床心理学の核であり続けるだろう。だが,戦争を生きた人の前では,それだけでは足りない。自らの当事者性を引き受けながら,一人の人間として他者と向き合いつづけられるか──技法の外側にあって測りにくいこの構えもまた,臨床の根幹を支える専門性なのである。もっとも,深く聴き,ともに在ろうとする構えは,専門家だけのものではない。訓練によって磨かれる部分は確かにある。けれど,その核にあるもの──他者の痛みに我がことのように動かされる心は,訓練で植えつけられるものではなく,人が人であることのなかに,もともと宿っているように思う。

そして第三に,心理職が社会問題に関与することの正当性そのものを,静かに支えることである。臨床の専門家が政治的・社会的な問題に踏み込むことには,いまなお根強いためらいがある。専門性の中立を守るべきだという声もあれば,それは心理学の役割を超えているという声もある。しかしヒューマニスティックアプローチは,その出発点から,心理学を越えて人間そのものを問うてきた。人間の価値と尊厳が脅かされる場面に,心理学を学んだ者が無関心ではいられないとすれば,それは越権ではなく,むしろこの立場が引き受けるべき必然なのである。だからこそヒューマニスティックアプローチは,戦争や差別や分断といった社会の問題に,心理職が当事者として踏み込んでいくことを,後ろめたさなく引き受けられる足場を与えてくれる。

これらは,臨床心理学を否定するものではない。むしろ,その豊かな成果を土台としながら,その枠組みを人間学の方へと押し広げていく試みである。エビデンスに基づく介入の精緻さと,一人の人間として他者のかたわらに在る誠実さとは,対立するものではなく,車の両輪である。越境とは,立ち去ることではない。立っている場所から,その輪郭を一歩外へとひらいていくことなのである。

7.おわりに──沈黙を言葉に,記憶を未来に

戦後80年の節目が過ぎた。戦争を直接知る人びとが,年々この世を去っていく。語りを聴かせていただける時間は,もう,それほど長くは残されていない。

だからこそ私は近年,聴かせていただいた想いを,次の世代へとつないでいく営みに,少しずつ重心を移している(吉川,2025)。世代や地域を越えて語り合える場を,ICTの力も借りながら育てること。そして何より,戦争を知らない若い人たち──学生たちと共に,まずは足元の歴史を学び,平和とは何かをめぐって語り合う場をひらいていくことである。体験者から託された記憶は,こうして誰かに受けとめられ,その人からまた別の誰かへと手渡されていくことで,はじめて未来へとつながっていく。

私が戦世を生きた人びとから受けとってきたものは,戦争の悲惨さの記録だけではない。それ以上に,多くを奪われてもなお,地域のつながりや島の文化を支えにたくましく生き抜いてこられた,その姿であった。そして,どれほど過酷な歴史を背負っても,どんなに分断が起きても,人は語り合うことによって尊厳を取り戻し,結び直すことができる――そう教えてくれる,人間そのものへの深い信頼であった。この信頼こそ,ヒューマニスティックアプローチが長年にわたって守り続けてきたものにほかならない。

心理学の枠をひらき,人間へ。戦争という人類の最も暗い問いの前で,人間の価値と尊厳を真ん中に置き続けること。沈黙を言葉に変え,記憶を未来へとつないでいくこと。それは,心理職が社会に対して果たしうる,ささやかで,しかし切実な責任なのだと,私は信じている。

文  献
  • Rice, P.(1978)The Steel Shutter. Unpublished doctoral disseration, United States international University.(東口千津子・畠瀬稔訳(2003)鋼鉄のシャッター:北アイルランド紛争とエンカウンター・グループ.コスモス・ライブラリー.)
  • Rogers, C. R.(1980)A Way of Being. Houghton Mifflin.(畠瀬直子監訳(2007)人間尊重の心理学:わが人生と思想を語る.創元社.)
  • 吉川麻衣子(2017)沖縄戦を生きぬいた人びと:揺れる想いを語り合えるまでの70年.創元社.
  • 吉川麻衣子(2020)紡がれる記憶:沖縄戦体験者と「見える物語綴り法」.臨床心理学,12; 137-143.
  • 吉川麻衣子(2025)ちむぐりさの語り合い───沈黙を言葉に,記憶を未来に.https://okinawa-legacy1945.jp/(2026年6月23日取得)
+ 記事

吉川麻衣子(よしかわ・まいこ)
沖縄大学人文学部
資格:公認心理師・臨床心理士
主な著書:
『沖縄戦を生きぬいた人びと:揺れる想いを語り合えるまでの70年』(単著,創元社,2017)
『パーソンセンタード・アプローチとオープンダイアローグ:対話・つながり・共に生きる』(分担執筆,遠見書房,2023)ほか
研究・活動サイト:「ちむぐりさの語り合い:沈黙を言葉に、記憶を未来に。」https://okinawa-legacy1945.jp/
趣味:サザンオールスターズ・桑田佳祐さまの推し活

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