【特集 心理学を越境するヒューマニスティックアプローチ】#02 響き合って生きる──苦しみが歓びの歌声に変わる時|梓澤まり


梓澤まり(代々木病院精神科デイケア音楽プログラム講師)

シンリンラボ 第41号(2026年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.41 (2026, Aug.) 

 

1.ピアノが恐い

サラサラ,サラサラ……ピアノ教師たちが一斉にペンで紙に書きつける音が聞こえる。あっ,間違えた! 減点だ。どうして? あんなに,練習したのに……。委縮した思いはよけいに腕や指先を硬直させ,指がもつれる。もう少しだ,頑張れ,と自分にエールを送ろうとしたところで,終了の合図のベルがチリリと鳴る。「はい,そこまで。次の人」。

また失敗した。どうしていつもこうなんだろう。今回こそうまく弾けるようにと毎日数時間の練習を怠らなかったが,練習すればするほど指ががんじがらめになりうまく回らない。苛立った私は自分の手を叩き,その指先に嚙みついた。私はピアノがうまく弾けないダメ人間だ。その考えは頭の中を際限なく駆けめぐり,自分自身を攻撃した。

私は幼稚園から高校まで音楽大学附属の教育環境に身を置いていた。実技試験が始まった小学校高学年の頃から,のんびりとピアノに向かう気持ちは削られていき,中学生になると,実技試験の結果は他の学科と同じように成績が数字で表されるようになる。中一のとき,ベートーヴェンのソナタで大失敗をしてしまい,家に帰ってから涙が枯れるほど泣いた。その日を境に,私は演奏恐怖症になり,音楽の「楽」の文字が私から消え始めた。

2.音楽との別れ

私は音大に進学しないことを決め,師事していたピアノ教師に報告した。先生は驚き沈黙した後,「どうして? 音大のピアノ科に入れる実力は十分にあるのに」とため息をついた。担任の先生には,音楽高校から一般大学を受験するなんて無謀だと笑われたが,私の意志は固かった。授業が終わると,図書室で予習をしてから,家とは反対方向の電車に乗って予備校に向かう。それが終わって帰宅すると,夕飯後から夜中まではピアノの練習という生活を続けた。

卒業試験の日は「これも今日で最後だ」と思って無心にピアノに向かった。最後の一音をひき終わり,外に出て空を見上げると,もうピアノの試験を受けなくていいのだというとびきりの解放感と,なぜかほんの少しの寂しさが湧きあがってきた。いや,私,嬉しいんだから,とその寂しさをあわてて振り切るようにして,私は急ぎ足で駅に向かって歩いた。

3.カウンセラーを目指す

大学で専攻していた社会学を大学院でも研究してみたいと漠然と思っていたが,研究者になろうとする同級生と議論すると全く歯が立たない。周囲は就職活動の話で持ち切りだったが,会社に就職することをイメージしても私の心は微動だにせず,迷路にはまってしまったようだった。

そんな時,河合隼雄先生の「心理療法序説」を偶然手にすることになる。自分の心をこれほどまでに関わらせながら人を援助する,深大で葛藤に満ちた学問と実践があるのか。ページをめくる手が止まらず,目が活字に貼りついてしまうほど魅了された。

悩みを持つ一人ひとりの話を徹底的に聴くという仕事。調べてみると就職は厳しいようだった。しかしどうしても私にはこれしかない気がした。舞台俳優を志す人はバイトをして生活を支えるというではないか。私もカウンセリングだけで生活できないなら,バイトでも何でもすればいい。その覚悟でこの道に進むことを決めた。

4.心理臨床の現場に出て

大学院で臨床心理学を専攻した私は,保健センターデイケアのグループワーカーやクリニックでのカウンセリング,スクールカウンセラーも経験することになった。

この職業は,胃痛になるほど1日中悩み続ける仕事であることを痛感した。歯頚の腫れが広がり流動食しか食べられなくなったり,風邪が治りきらないうちにもっとひどい風邪をひいたりもした。「臨床は体力勝負ですよ」という指導教授の言葉が思い浮かんだ。

どんなに頑張っても,統合失調症や躁うつ病の長い病歴や入退院歴を持つ患者さんや,想像を絶する苦しみや悲しみを生きてこられたクライエントさんたちの力になれているとは到底思えなかった。駆けだしであることが歯がゆくて,どんな努力も厭わないから一足飛びにスーパーヴァイザーのレベルに達したいという叶わぬ思いを抱くのをやめられなかった。研修に出かけると難しい事例に見事に取り組む先輩方と自分を比べては肩を落とすばかりだった。何て自分って役立たずで,何をやっても中途半端なんだろう。「10年はやってみないと向いているかどうかわからない」という言葉を聞いて,あとどれくらい?と考えては気が遠くなりそうだった。

5.代々木病院精神科デイケアとの出会い

そんな頃,様々な偶然が重なって,代々木病院精神科デイケア非常勤勤務のご縁をいただいた。

あるとき,精神科看護師に肩をたたかれ,「音楽やってたんだって?ピアノが弾けるんだったら,みんなに合唱教えてあげてよ。歌えばきっと,いいことがあると思うんだ」と言われた。冗談じゃない! と内心激しく動揺した私は長いブランクを理由にやんわりと断った。それでも看護師は「大丈夫,できるって」とまるで意に介さない。どうしよう,逃げ出したい。ピアノを人前で弾くなんて絶対に嫌だし,合唱の教え方などわからない。

それから間もなく,アップライトピアノがデイケア室に寄付されることになってしまった。絶体絶命だ。

6.初めての合唱

デイケア室にピアノが届くといつ合唱をやるのかと急かされた。とにかく1回やれば看護師の気が済むだろう。とりあえず自分が好きだったTHE BOOMの「島唄」の混声三部合唱の楽譜を用意した。みんな主旋律は知っている。問題はハモリのアルトや男声パートだ。まずそれぞれのパートのメロディをピアノで押さえて歌ってから,最後に三部で合わせてみた。結果は……惨憺たるもので,もはや音程のない乾いた歌詞の羅列になっていた。

これではまるで過酷な修行だ。メンバーたちの自信を失わせたに違いない。もう二度と合唱なんかやらない,と心に決めようとしたその時,下を向いていたメンバーたちが顔を上げ,「悔しい」「うまくなりたい」と口々に言ったのだ。私は自分の耳を疑った。この難しい三部合唱をうまく歌えるようになりたいと言っているのだ。ピアノが嫌だとか教え方がわからないなど言っている場合ではない,私は合唱を教えなければならないと肚を決めた。

7.合唱を教える

翌週から合唱練習プログラムが始まった。メンバーたちは楽譜が読めない人がほとんどだ。それならば耳コピで覚えてもらうしかない。私が2小節ずつ歌って,真似して歌ってもらう。これをソプラノ,アルト,男声の3パートで曲の終わりまで繰り返す。途中で投げ出してもおかしくない,根気の要る作業だ。しかし,驚異的な集中力をもってメンバーたちはこれをやりとげた。私が歌うのを少しも聞き漏らすまいと耳を凝らし,曲の終わりまで集中力を維持した。

ただ音符が読めればいいというものではない。美しいハーモニーのための発声は喉を絞めつける地声であってはならない。喉だけを酷使しては美しく響かないし,足腰をしっかりと安定させ身体に余計な力を入れずに立ち,全身の骨に響かせるような声を出してほしい。私は声楽やボイストレーニングの本を読み漁り,セミナーを受けて発声の研究をした。

合唱で最も大切なことはみんなの声で歌詞と音符に魂を吹き込んでいくことだ。メンバーは全員きわめて鋭い芸術的センスを持っていたのでここは得意なところだった。私がもっとこんなふうにと要求すると即座に表現を変えることができるのには舌を巻いた。

8.発表がみんなを変えていく

初めての合唱発表は,院内クリスマス会だった。私たちはここで好評を博し,職員たちを唸らせた。「ねえ,あの人,本当にあのAさんなの? 待合室ではいつもじっと下を向いて顔を上げたことなんてないのよ。それなのに今日はまっすぐに立って前を向き,立派に歌ってた。信じられないわ」ベテラン職員が興奮気味に私に伝えに来た。

その翌年にはアマチュアコンクールに挑戦し,敢闘賞を受賞して驚いた。同じ年,200席規模の新宿区民ホールを借りて開催した自主コンサートは満席となり,終演後はメンバーたちと私たちに感動を伝えるために列をなす観客の熱気がロビーに満ちていた。

上昇気流に乗った我々精神科デイケア合唱団「ハートビート・コーラス」は翌年もコンサートを開催,合間には福祉施設への訪問演奏も行った。発表を経験するとメンバーの回復過程が進んでいくことは誰も予測しえないことだった。一つ本番が終わると,メンバーは自分の課題を一歩進めていく。新たな仕事や学業への挑戦,生活の充実など。スタッフはそんなふうに先に進んでいくメンバーを追いかけていくので精一杯という逆転現象が起きた。

9.1000人を前に

ハートビート・コーラス24年間の合唱の中で最も大きな舞台のチャンスが舞い込んできたのは2025年春のこと。10月に全国から医療従事者が集まる学術交流集会のオープニングに出演してほしいというものだった。会場は東京ビッグサイト国際会議場,収容人数は1000人だという。主任がこの話を引き受けたと知らせるとメンバーはざわめいていた。

「今日からみなさん一人ひとりをスターにします」という言葉が思わず私の口をついて出た。合唱メンバー一人ひとりの個性と人としての魅力を1000人の前で際立たせ,これほどまでに力を持っていることをどうしても知らせたいと思ったのだ。それにはさらに合唱に磨きをかけ,自分たちのものにして歌い,音楽そのものの迫力を増すことだ。

猛練習の日々が始まった。私が教えている日以外も毎日メンバーが自主的に練習をがんばったという。そんなに歌って疲れないのかと心配になるほど。レッスンはみんなが食らいついてくるので,こちらも音楽表現に関して妥協など一切せず,高みを目指した要求を出す。合唱の響きは歌うたびに洗練され,重厚感を増し,指揮をしながら涙が出てくるほどだった。

いよいよ本番。さあ,行こう,とみんなに声をかけて私が最初に舞台に出ていくと,ほぼ満席状態なのがわかった。私は一瞬怯んだが,腹部に力を入れてエイっと跳ね返した。

メンバーが入場し,私は中央の指揮の位置に立ち,合唱が始まると,いつもの倍くらいすばらしいハーモニーになっている。最後は私たちの持ち歌「民衆の歌」を会場のみなさんと一緒に歌った。客席からは曲に合わせた手拍子が起こり,熱気が満ち満ちた。私たちとも聴衆ともつかない声が会場の隅々にまで轟き,最後の一声とともにメンバー全員が勢いよく拳を上げ,歌い終えた途端に,幾重にも重なりあって響く拍手が会場に広がった。メンバーは達成感にあふれた笑顔で胸をはり,ライトと賞賛の拍手を全身に浴びて立っていた。

この発表直後,私は今までに経験したことのない,強力な浄化体験の感覚を得た。それは日常的な気がかりから人生の悩みまで,自分の中にこびりついた汚れやガラクタをブルドーザーがガツっとすくい,ものすごい力で一気に押し流したような,根こそぎの浄化とも言うべきものだった。このブルドーザーの話はつい何度も繰り返してしまったのだが,メンバーはその度に慈悲深い笑みをたたえて聞いてくれた。

10.あるメンバーのこと

(*本事例の掲載にあたっては,ご本人の同意を得た上で,プライバシーに配慮して記述している。)

ある日の合唱プログラムで,華がありよく通る男声が聞こえてくることに気づいた。それがBさん(30代男性)の声だった。Bさんは譜読みや暗譜の能力,歌唱力の全てにおいて優れており,すぐに自分のパートを覚え,歌えるようになってしまう。Bさんは歌が好きで,合唱を楽しんでいるものと私は思っていた。

Bさんは職場で精神的に疲弊し,反復性うつ病と診断され,精神科デイケアを紹介された。自分に価値が感じられず,自己や他者の感情に触れることを怖れ,他者に対して壁を作って生きてきたという。

2025年夏,高齢者のデイサービスに訪問演奏に行く日程が決まった時,私は沖縄メドレーをプログラムに取り入れようと計画し,特にBEGINの「島人ぬ宝」の一節はBさんのハリのある声で独唱してもらったらどんなに素敵だろうと思った。

ところが次週デイケアに行くと,Bさんは私の思いつきに対し,「勝手に決めるなんて」と気分を害してしまった。「自分の声も合唱も嫌いだし,ソロなど歌えない,訪問演奏にも行けない」と,憔悴したような表情で言った。私は自分の軽率さを恥じた。Bさんの声が素敵で,この曲にぴったりだと思ったが押しつけるつもりはなかった,嫌な気持ちにさせてしまい,ごめんなさいと謝った。

その後Bさんはこの話題には触れず,私も特に掘り下げることはしなかった。Bさんの心が修復するまで自然な時間経過を待つのが一番のような気がしたからだ。

しばらくしてBさんは東京ビッグサイトでの発表に向けての練習に加わり始め,以前にも増して熱心に歌うようになり,曲の解釈や歌い方について鋭い意見を出してくれることもあった。そして本番でも背筋を伸ばした立派な立ち姿で感情をこめて歌い上げた。

Bさんは後にこの時の体験をこう語っている。

「合唱という作品が完成していく過程に一員として加わってやりきれたことは,仕事の功績などとは全く違う体験だった。(本番は)自分たちはこうして生きているということを音に乗せ,みんなで力を合わせながら頑張ることが許された瞬間だった。人に気持ちを伝えることを訝しんで避けてきたけれど,歌うことが生きることに関わっていて貴重なことだとわかり,『歌うことは生きること』が自分に入ってきた」

「歌うことは生きること」とは,ハートビート・コーラスのモットーであり,デイケア室の壁にもそう書かれたポスターが貼ってある。

Bさんはこの後いくつかの合唱本番を経た現在,次の目標に向かって職業訓練を受けている。

11.ともに歌うこととは

私たちは2026年6月6日,「ギャンブル依存症問題を考える会」主催の合唱コンクールに出場した。26団体が出場し,その中で5団体が表彰されるという。私は,「5団体に選ばれたいなあ」と思わず言って,メンバーたちに笑われた。半分冗談だったが,半分は本気だった。

歌い終え,他団体のすばらしい合唱をいくつも聞いているうちに,だんだん自信がなくなってきた私たちだったが,それでも表彰式までほとんどのメンバーが帰らず残っていた。

いよいよ,表彰式。受賞した団体の名前が司会者に読み上げられると代表者が壇上にあがり,表彰される。二つ目,三つ目,四つ目……。ああ,やっぱりダメだったか,悔しいけれど……そう思って下を向いた時,「最後は審査委員長賞です。選ばれましたのは,17番」えっ?! 「代々木病院精神科デイケア,ハートビート・コーラスです」やった,やったー……。喉がつまって声にならない。こんなことがあるなんて。

帰り際,表彰状と華やかな花束を大切に抱え,ホールのロビーで集まった。号泣しているメンバーもいた。「梓澤さん,最後にあれ,やりましょうよ」主任が言う。そうか,あれを,ね。

歌うことは?

「生きること!」

ともに歌うことは,ともに?

「生きることー!!」

私たちはロビーで叫び,自分たちに大きな拍手を贈った。

ハートビート・コーラスのみんなは,私にとって,困難な今という時代を生きる,大切な仲間だ。

気づいたら,私はもう自分をダメ人間だなんて思っていなかった。うまくできないとか,誰みたいにできないとか,どうでもいいのだ。私は私でしかない,みんなもみんならしくいてほしい。だから,これからもみんなで歌い,響き合って生きていこう。

次はどんなドラマが待っているのだろうか。

文  献
  • 阿部大樹・河野陽介・梓澤まり(2016)座談会 歌うことは生きること.In:統合失調症のひろば,8; 9-25.
  • 梓澤まり(2013)「ハートビート・コーラス」は希望という名の歌声で.In:統合失調症のひろば,2; 87-91.
  • 梓澤まり(2019)白馬の空に光る星との約束.In:統合失調症のひろば,14; 169-176.
  • 河合隼雄(1992)心理療法序説.岩波書店.
  • ギャンブル依存症問題を考える会 Chapter2 〜人生の第2章〜 再起を応援する社会へ 合唱コンクール.https://www.scga.jp/article/event-choruschapter2/
+ 記事

梓澤まり(あずさわ・まり)
代々木病院精神科デイケア音楽プログラム講師
資格:臨床心理士
好きなこと:犬と遊ぶこと,緑茶と紅茶のテイスティング,ジャズピアノ,語学学習
特技:おいしいお店を見つけること,自然・人・場と共鳴して歌う即興歌唱

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