【特集 アディクション臨床の最先端】#02 アディクションのメカニズムから理解する心理的アプローチの有効性|廣中直行


廣中直行(メディフォード株式会社)

シンリンラボ 第40号(2026年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.40 (2026, Jul.) 

1. 脳と「自分」

アディクションの当事者さんたちに脳の話をすると「ウケる」。先日も当事者を支援しているスタッフから「普通の話だとあんまり聞いてもらえないんですけど,脳の話だと聞きたがるんです」と言われた。なぜだろう? あるとき当事者さんのグループに向けて覚せい剤と脳の話をしたことがあった。話が終わったあと,ひとりの青年がニコニコしながら私のところに来た。「センセ,よくわかったよ。ありがとう。オレがこうなっちまったのは脳のせいなんだね。オレのせいじゃなかったんだ!」……ちょっと待て! あなたの脳はあなたとは違う存在なのか? 私は一瞬コトバにつまったが,せっかく喜んでいるのに水を差しては悪いから笑ってみせた。20年か30年も前ならば,「あなたの脳こそがあなたなんですよ」と言っただろう。だが,このごろの神経科学は「脳のなかの自分」に疑問を投げかけている。その疑問が心理的アプローチについて考えるヒントになるかもしれない。

2.「実行する脳」と「監督する脳」

趣味のギャンブルと病的なギャンブルを分ける特徴は「損を取り戻すためにもう一度賭ける」選択をするかどうかである。これは「ロス・チェイシング」と呼ばれて有名だ。いわゆる「健常者」のなかにもこういう選択をする人がいる(Takano et al, 2010)。不思議なのは「もう一度負ける」という可能性がアタマの中からすっぽりと抜け落ちていることだが,今はそのことには深入りしない。「ロス・チェイシング」はアレキシサイミア(失感情症)の傾向と関連があるようだ。アレキシサイミアは「からだ」が出す信号,おもに危険信号に「こころ」が気づかないか,あるいは気づきにくい状態である。「叫ぶ自分」と「叫び声を聞く自分」の連携がとれていないと言ってもよかろう。つまりは自分のなかに二人,あるいはそれ以上の自分が存在しているということだ。アレキシサイミアは「叫ぶ自分」が発する情報を「気づく脳」が集めそこなう場合があることを示している。それでは「気づく脳」とは何なのだろう? 

3.物語を作る脳

スウェーデンにペッター・ヨハンセンという若い認知神経科学者がいる。彼がスーパーマーケットを舞台にして行った実験にこんなのがある。お客さんに店員が2種類のジャムを試食してもらい,どちらが好きかをたずねる。「こちらが好き」と答えたら,「ではもう一度味わって,どうしてそちらが好きなのかを説明してください」という。で,お客さんは再びジャムをなめて,好きになった理由をいろいろ言う。ところが,この2種類のジャムの瓶は二重底になっていて,どちらにも両方のジャムが入っているのだ。「ではもう一度」と言ったときに,店員役の実験者はお客に気づかれないようにそっと瓶の上下をひっくり返す。「ではもう一度」と言われて試食したジャムは,実は先ほど「好きではない」と思った方なのだ。しかし,お客さん(被験者)はなぜそちら,つまり好きではないはずの方が良いのか,その理由を雄弁に語る。この実験は,ペッターの趣味が手品であるという点を除いてはしごくまともな研究で,論文は『サイエンス』に出た。これが「気づく脳」がやっていることだ。「気づく脳」は本当のことを知らなくても「つじつまの合う」物語を作る。脳は首尾一貫した物語をつくることさえできれば,あえて真実に気づく必要はないのだ。

4.たくさんの「わたし」

なぜ「つじつま合わせ」をするのだろう? それは「良い形」を作るためだ。ゲシュタルト心理学を思い出そう。点々が一直線に並んでいるとき,私たちはそこに直線を見る。その線は幻想だ。だが,これを「線だ」と見ることによって情報処理の負荷が減る。ギャンブルに楽しく勝っているときに負けると「良い形」ができない。そこで脳は今の負けを帳消しにしようとする。「脳は」と書いたがその実態はわからない。いくつかの(千から万の単位と思うが)神経細胞が機能的な単位をつくって,ある「まとまり」のある働きをしているのだろう。認知科学者のマーヴィン・ミンスキーはこういう機能単位を「エージェント」と呼んだ。しかし,それぞれの機能は誰がどうやって決めているのだろう? これは「あらかじめ決めなくても良い」と考えられる。自分のまわりの少数のエージェント同士が連携して活動をすると「創発的自己組織化」という現象が起こる。いかめしい言葉だが難しい話ではない。一個の受精卵から体ができていくときや,小さな海水温の変化から台風が生まれるときなどに起こっていることだ。そういうときにはべつに「指導者」はいらない。脳の活動には独裁的な支配者はいない。細胞集団の「近所づきあい」が保たれていればよい。これはチリの生物学者マトゥラーナとバレーラが唱えた「オートポイエーシス」という概念に似ている。当事者さんやご家族が「つじつまの合う」物語を作る,またその物語に修正を加えていく,心理の仕事はそれを見守ることだ。考えたら「動機づけ面接」も「マインドフルネス」も「認知行動療法」も,「物語の組織化」に手を貸す技法ではないだろうか?

5.依存症のメカニズムとは何だろう?

私が依存症の研究の世界に入ってからそろそろ45年経つ。最初の30年間は「依存症」と言えば薬物依存のことだった。だから私たちは薬物が脳に与える影響を研究した。アルコール,ニコチン,覚せい剤,麻薬性鎮痛薬,幻覚薬……こういった物質は脳の活動に変化を起こす。その変化が強い欲求(渇望)をもたらし,そのせいで日常生活が破綻する。これが当時の私たちが思い描いていた「メカニズム」のイメージである。その意味するところは,いかに自分が健常と自負する人でも,ひとたび薬物に手を染めれば,依存症に至るプロセスは化学物質の作用によって自動的に進行するということだった。これが「ダメ,ゼッタイ」というスローガンの根拠である。しかし,臨床にたずさわる方々は,実際にはそんなふうに単純な経過をたどるケースはなく,進行には波があり,当事者の方々はさまざまな背景を抱えて生きづらさに悩み,揺れ動く気持ちの中で落ち込んだり,ふと我に返ったりすることをご存じだろう。基礎研究の目的は依存症の理解を深めることではなかった。そこには二つの大きな目的があった。一つは,ある化学物質にどの程度の規制をかけるべきか,その根拠を出すことである。これはWHOの専門家会議の仕事で,私たちはそのためのデータを提供した。もう一つの目的は,依存症の治療薬を作ることである。アルコールに関しては伝統的な抗酒薬に加えて近年いくつかの治療薬が登場してきた。日本で承認されているのは,断酒の継続を支援するアカンプロサート(レグテクト)と、飲酒の多幸感を抑制して減酒を支援するナルメフェン(セリンクロ)だ。それらの基礎研究が始まってから承認に至るまでにほぼ30年から40年かかっている。メカニズムから治療を導こうとすればそのぐらいの年月と労力がかかるのだ。

6.「報酬系」に関する誤解

だから単純な「メカニズム」を描くことは不可能で,私が専門家ではない方々にお話をするときはいつも,「どこを省略してもウソにならないか?」を考える。そのなかに,ほぼ省略できない神経系,省略するとお客さんから叱られる神経系,ある時期に「これが依存症を生む核心だ」と思われていた神経系がある。それが脳の「報酬系」と呼ばれる系だ。1950年代にアメリカの心理学者が偶然発見した。報酬系は脳のほぼ中心部にあり,生き物にとって何か重要な,意外なイベントを察知すると,体を動かすシステムに向かって「ゴーサイン」を出す。またその出力は前頭前野にも向かい,「快」の認知に関わると考えられている(図1)。報酬系の活動は,ある状態を依存症と判断するかどうかのメルクマールでもある。DSM-5はこのように言う「その報酬系は,行動の強化と記憶の生成に関与している」(『DSM-5 精神疾患の分類と診断の手引』医学書院,2014 p.215)。ここで「行動の強化」がオペラント条件づけの正の強化の意味であることを正しく理解しよう。すなわち,ある行動に随伴させてある出来事が起こると,その行動の生起頻度が増加するような操作のことである。「快感」とか「いい気持ち」といった主観とは全く関係ない。

図1  ヒト脳の断面図。報酬系を赤く模式的に示した。

7.「強い報酬」と「弱い報酬」のパラドックス

ラットの脳の報酬系に細い電極を植えこむ。オペラント実験箱の中でラットがレバースイッチを押すと,微弱な電流で報酬系が刺激される。私たちはこの実験を使って記憶が依存症の再発を促すメカニズムを研究しようとしていた。記憶が再発を促すとは,たとえばこういうことだ。以前ならタバコが吸えた場所が今では「禁煙」になっていることがよくある。ところが,喫煙者の足は何となくそこに向かってしまう。さて,報酬系の刺激でレバー押しを訓練したラットを,その実験箱の景色を再現した箱に入れる。そうして電気刺激の強さをうんと弱くして,レバーを押す刺激の「閾値」を精神物理学的な方法で調べる。電極を報酬系の「ど真ん中」に入れた場合,レバー押しの訓練は非常に容易で,一日でほぼ完成する。ところが電流を少しでも弱くするとレバーを押さず,閾値の測定は失敗した。そこで電極を報酬系の「ど真ん中」ではなく「周辺」に入れる。このときはレバー押しの訓練にとても手間がかかった。だが,ひとたびレバーを押すことを覚えると,弱い電流でもかなり活発なレバー押しが起こった(Itasaka et al, 2012)。パブロフ的に言うとこういうことかもしれない:無条件刺激の力が強すぎると,条件刺激による反応の誘発力が弱くなる場合がある。これを敷衍すると,何十万円も儲かるようなカジノ依存よりも数千円勝負のパチンコ依存の方が「しぶとい」かもしれないという話になる。その真偽はわからないが……

8.依存とは記憶である

ラットが歩いているときには海馬から「シータ波」と呼ばれる周波数8ヘルツの律動的な脳波が出る。美しい脳波だが何のためにこんな大波が出るのかわかっていなかった。私が小さな研究グループを作ったときに集まってくれた若い研究者のなかにシータ波の専門家がいた。彼はその研究成果を薬物依存の研究に生かすことを考えた。白黒二つの実験箱をつなげて,一方でコカインを経験させ,他方で生理食塩水を経験させる。これを交互に一週間ほど続けて,何も注射せずに箱の間仕切りを取り払ってその中に入れると,なぜかコカインを経験した方に歩いて行って,出たり入ったりはするものの,積算するとコカイン側で多くの時間を過ごす。彼が膨大な行動の記録と脳波の記録を丹念につきあわせた結果,擬人的に言うと,「あそこでコカインを経験した」という記憶が呼び起こされ,そちらに向かって歩いているときにシータ波が出た。さらに「やっぱりここだ」と確信したときにそれは消えた(Takano et al, 2010)。分子生物学の専門家がこの背景を解析してくれて,コカインと環境との連合学習が成立したときには,海馬の感覚入力側でドパミン受容体が増えていることを発見した(Tanaka et al, 2011)。こういう変化はコカインを注射しただけでは起こらない。ドパミン受容体はシータ波の強さや波の規則性を調節しているので(Fitch et al, 2006),場所の記憶がシータ波を介してコカインという報酬を受けた場所を探索する行動を導いているのだろう。報酬の記憶とは「世界の見え方」が変わることなのだ。この一連の実験でわかったのは,依存とは脳の病態でも何でもなく,生存のために必要な神経機構が食物や繁殖の相手と同じように何かを「これは私が生きるために重要なもの」と認めて覚えて,その対象への接近を動機づけるようになった状態なのだということだった。

9.基礎から臨床へ

私は高校生のときエドゥアルト・シュプランガーの『青年の心理』を読んで心理学を志した。彼が説いた「了解」は個別の精神活動を一つの大きな価値体系の中に組み込み,意味づける試みである。これを臨床にあてはめれば,一人の人間にとって精神症状が持っている意味を考えることが臨床の仕事である。シュプランガーは,心の機能を身体の知識からは「了解」できず,また,心の構造から身体を「了解」することもできないと主張するが,身体を生活様式への「順応」や生命保存の「目的」に照らして解釈することは可能だと言う。すなわち,心と脳の間に安易な掛け橋をかける試みは間違っているが,生命や生活といった上位概念を導入すれば,心と体をひっくるめた大きな価値体系を作ることは不可能ではない。ここに心理臨床と生物学の協業の糸口が見える。

10.メカニズムの理解と回復支援

冒頭の青年の話に戻ろう。「オレがこうなっちまったのは脳のせいなんだ」と喜んだあの青年だ。今の私なら迷わず「その通りなんだよ。キミの中には依存症になっちまった脳があって,それに気づいた脳があって,新しい神経回路を作ってそこから卒業できる脳があるんだ」と答えるだろう。なにしろ脳の中の自己は一人ではない。脳は物語を創作する装置である。当事者さんには話したいことがたくさんあるはずだ。話しているうちに自分の姿が見えてくる。自分の過去の姿,自分の現在の姿,自分の将来の姿…… それは事実とは違うかもしれない。それでも構わない。臨床に携わる皆さんは取り調べをする刑事ではないのだから。脳が作る物語は自分で自分の行為に「まとまり」を与える創作であり,その物語は刻刻と姿を変えるだろう。それで良い。「自分」は「たくさんの自分」のゆるやかな複合体である。たくさんの自分の中には「このままでいたい自分」もいるだろうし,「それではいけない」と思っている自分もいるだろう。そこで,セラピストという役割を重んじるならば,当事者さんの生存確率が高まる方向に脳の作り出す「物語」を導くのが心理臨床の仕事である。ただし,その仕事は難しい。私がときおり現場の人から聞く心理臨床の姿は私が仕事をしてきた実験の現場によく似ている。うんざりするようなルーティンがある。うまく行かないことが多い。一日が終わるとぐったり疲れる。自分のためではなく,誰かよその人のために働いている。だが,そこに半世紀もいると何となく「良かった」と思える。そういう物語を私の脳は作ってきたようだ。皆さんの脳もきっとそうだろう。

文  献
  • Fitch, T. E., Sahr, R. N., Eastwood, B. J., Zhou, F. C., & Yang, C. R.(2006)Dopamine D1/5 receptor modulation of firing rate and bidirectional theta burst firing in medial septal/vertical limb of diagonal band neurons in vivo. Journal of Neurophysiology, 95; 2808-2020.
  • Itasaka, M., Hanasawa, M., Hironaka, N., Miyata, H., & Nakayama, K.(2012)Facilitation of intracranial self-stimulation behavior in rats by environmental stimuli associated with nicotine. Physiology and Behavior, 107 (3); 277-282. 
  • Takano, Y., Takahashi, N., Tanaka, D., & Hironaka, N.(2010)Big losses lead to irrational decision-making in gambling situations: relationship between deliberation and impulsivity. PLoS ONE, 5 (2); e9368.
  • Takano, Y., Tanaka, T., Takano, H., & Hironaka, N.(2010)Hippocampal theta rhythm and drug-related reward-seeking behavior: An analysis of cocaine-induced conditioned place preference in rats. Brain Research, 1342; 94-103.
  • Tanaka, T., Kai, N., Kobayashi, K., Takano, Y., & Hironaka. N.(2011)Up-regulation of dopamine D1 receptor in the hippocampus after establishment of conditioned place preference by cocaine. Neuropharmacology, 61 (4); 842-848.

+ 記事

廣中直行(ひろなか・なおゆき)
1956年山口県生まれ。東京大学文学部心理学科卒。博士(医学)。
メディフォード株式会社創薬イノベーションセンター顧問,東京都医学総合研究所依存性物質プロジェクト客員研究員。日本薬理学会学術評議員,日本神経精神薬理学会功労会員。専門は行動薬理学。
主な著書:
『アディクションサイエンス:依存・嗜癖の科学』(共著,朝倉書店,2019),『アディクション・サイコロジー』(単著,誠信書房,2023)など。

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