山﨑基嗣(島根大学)
シンリンラボ 第38号(2026年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.38 (2026, May.)
1.はじめに
スクールカウンセリングの現場などで子どもたちの語りに耳を傾けていると,かなりの頻度でゲームの話題に触れることがある。一口にゲームと言っても,アクション,シミュレーション,RPGなど様々なジャンルが存在するが,特に小学生と出会っていると,MINECRAFT(以下,マインクラフト)が話題にのぼることが(個人的な実感としては,ポケモンに並んで)多いように思う。マインクラフトは,こどもに限らず大人もプレイしているし,タレントや有名な配信者がゲームをプレイしている様子を実況しながらYouTubeなどで生配信していることも多い。2025年にはハリウッドで実写映画化されるほどの人気ぶりで,こどもから大人まで幅広い年齢層の人々を魅了し,多くのファンを獲得している。かく言う筆者も,少しばかりはマインクラフト(統合版注1))を触っているし,気に入ったYouTuberがゲーム実況をするとなれば,必ずチェックしている。
これほどまでに多くの人を魅了し続けているマインクラフトは,「世界を創る」という意味で,箱庭療法とも通ずるところがありそうで,もはや「デジタル箱庭」とでも呼べそうな気もする。しかし,後述するように,箱庭のことを考えていけばいくほど,両者は似て非なるものであることに気づく。かといって,全く関係のない別物かと言われると,そうとも言い切れない部分もありそうだ。箱庭にしかない「力」と「強み」がある一方で,「治療技法」とまでは言えないにしても,マインクラフトだからこそ見えることもあるように思う。臨床の現場で触れるマインクラフトの世界やそれらをめぐる語りには,「その人らしさ」が現れていて,クライエントを理解するためのヒントが多分に隠されていると感じられるからだ。その意味で,マインクラフトは一つの「表現」であると言える。
そこで本稿では,マインクラフトを「表現」として捉え,箱庭療法との比較を通してその特徴を検討してみたい。これは,逆説的に,箱庭療法とはなにかを考えることにも繋がると思われる。そして,臨床の現場において,クライエント(その多くは子どもたち)から語られるマインクラフトの話題を,どのように受け止め,聴いてゆけばよいのかについても考えてみたい。やや考察の裾野を広げすぎているかもしれないが,臨床の現場で出会うクライエントとのやりとりから得られる実感を頼りに,試論として綴ってみたい。
注1)マインクラフトは,Nintendo SwitchやPlay Stationなどさまざまなプラットフォームでプレイ可能だが,機能面ではBedrock版(統合版)とJava版があって,それぞれにできることが異なる。ただし,これを言い出すと複雑になるので,ここでは触れない。
2.マインクラフト
まず,マインクラフトについて簡単に押さえておこう。マインクラフトは,2011年にスウェーデンのMojang Studioによって開発・発売されたオープンワールド注2)型のサンドボックスゲーム注3)で,文字通り,自由に「掘って(mine)」,「創る(craft)」ことのできるゲームだ。また,アドベンチャー要素も含まれていて,ゾンビやドラゴンなどの敵を倒すこともできるので,さまざまな楽しみ方が可能な奥深いゲームである。近年では,教育版マインクラフトも登場し,プログラミングの教材として学校教育現場で用いられることもあり,その実践例は文部科学省などのサイトで紹介されている。
マインクラフトの大きな特徴の一つは,全てが立方体のブロックで構成されていることで,プレイヤーはその世界の中で様々な素材を発見・採取しながら道具やアイテム,建築物などを自由に作り出していくことができる注4)。また,オープンワールドなので,どこまでも広く,高く,深く作っていくことが可能だ。一人でプレイすることが基本だが,オンラインで接続すれば,同一世界内で複数人と同時にプレイすることもできる。
注2)目的(ゴール)までの道筋を直線的に設計されたゲーム世界(たとえば,ドラゴンクエスト・シリーズ)とは異なり,プレイヤーが自由に目的に近づくことができるゲーム世界のこと。いわゆる「見えない壁」が存在せず,プレイヤーはマップ内を自由に動き回ることができる。 注3)ストーリーや決まった目的(ゴール),タスク等が設定されておらず,プレイヤーが自由に遊べるゲームのこと。 注4)マインクラフトには,大きく分けて「サバイバルモード」と「クリエイティブモード」の2つのモードが存在するが,本稿では両者を区別せずに考える。ちなみに,「サバイバルモード」にはアドベンチャー要素が入っており,世界を構築しながら,食事を摂ったり,敵を倒したりしなければならないが,「クリエイティブモード」は建築に特化したモードなので,プレイヤーはひたすら世界を構築することに専念することができる。
3.箱庭療法
次に,箱庭療法についても簡単に紹介しよう。箱庭療法(Sandspiel; Sand Play Technique)はスイスの心理療法家であるカルフ(Kalff, D.)がユング(Jung, C. G.)の分析心理学の考え方を背景に,自身の治療実践を重ねるなかで理論づけていった治療技法である。内法57×72×7㎝の,内側が青く塗られた砂箱の中には細かくふるった砂が入れられており,そこにミニチュア玩具を自由に置くことで,さまざまな世界を表現できる。その原形は,1929年にイギリスのローウェンフェルト(Lowenfeld, M.)が子どものための治療技法として発案した「世界技法(The World Technique)」で,日本では,1965年に河合隼雄が紹介し,日本人の感性や文化との親和性も相まって,またたく間に広がっていった。
箱庭療法においては,治療者と患者間の「母子一体性」とも呼ばれる関係が重視され,「自由で,保護された空間」における象徴体験によってクライエントのなかにある自己治癒力が最大限発揮されることで,治療が進んでいくと考えられている(Kalff, 1966)。木村(2019)も指摘するように,「箱庭表現はあくまでも,セラピスト−クライエント間の関係の中で展開される反応」なのであり,その意味で,ふたりで創られたものと言える注5)。したがって,見守り手としての治療者の存在が非常に重要なのである。そして,このようにして生み出された表現をユングがいう意味での心像(image)として捉えていこうとする。作品を理解していく際も,記号的な「解釈」ではなく,あくまでも二者関係における体験や感覚も手掛かりにしながら,可能性に開かれた「解釈」が行われることが重要とされている。
注5)むろん,ここで言う「ふたりで」とは,治療者が制作に口出ししたり,治療者自身が箱庭に手を加えるという意味ではない。治療者は作品ができあがっていく様子を味わいながら「見守る」という方法で関与するのである。
4.マインクラフトと箱庭,その異同
では,この両者の異同はなんであろう。いくつかの観点から比較検討しつつ,筆者なりの考察を述べていきたい。
1) 見守り手の存在と相互性
すでに述べた通り,箱庭療法には見守り手の存在が欠かせない。両者の関係性に支えられ作品が生み出されるのである。そして,生み出された作品もまた,新たなイメージや感覚を生じさせるというかたちで,両者にはたらきかける。つまり,岡田(1984)が図示したように,そこには治療者,クライエント(制作者),作品の三者関係が成立し,それぞれが互いに影響し合いながら,一つの表現が立ち現れてくるのだ。このように,箱庭療法は相互性に満ちた営みであり,これが治療たり得る要因の一つとなっている。
一方で,マインクラフトにおいては,基本的に見守り手は存在しない。作り手が一人で世界を構築していくのだ。岡田に倣えば,クライエントと作品の二者関係によって展開し,作品との対話を通して新たな表現が生み出されていくと言える。ただし,創った世界をオンラインで共有する,友人や家族に見てもらうという意味での「見守り手」は存在するだろうし,多少なりともそこからの働きかけはあるだろうが,箱庭療法のような相互性は生じにくいと考えられる。
2) 枠の有無
箱庭療法には定められた枠があり,アイテムも有限である。つまり,表現のための領域や道具が限られているということだ。これは,心理療法において治療構造という意味での「枠」が重視されていることとも繋がっている。箱庭表現は,面接室という大きな枠のなかに置かれた砂箱という小さな枠のなかで,1回50分という面接時間や治療者との関係性といった幾重にも重なる枠に支えられて展開される。一見すると窮屈そうに思えるが,河合(1969)も指摘するように,制限があるからこそ,逆説的に,自由に振舞うことができ,深く豊かな表現が展開されうるのである。
一方で,マインクラフトにはゲーム世界であるという大きな枠以外は,基本的に枠は存在しない。端末さえあれば,いつでも,どこでも,どこまでも自由に創ることができるのだ。その意味で,マインクラフトの世界は「いつでも戻れる場所」として存在していることになる。その世界で作業に没頭することが,「安心」や「癒し」,「カタルシス」に繋がっている側面もあるだろう。
3) 砂の使用と触覚の有無(リアルかヴァーチャルか)
箱庭では,立体感のあるアイテムや砂にふれることができる。これらは作り手のこころと身体に直接働きかける。とりわけ,砂は心理的な退行を促すとも考えられており,非常に重要な素材である。この意味で,箱庭はリアルな身体性を伴ったアナログな表現である。これが,箱庭療法の要点が解釈ではなく,「象徴体験」に置かれている所以の一つでもあろう。
一方で,マインクラフトはすべてがデジタル化された視聴覚的な情報で,その世界のものに直接ふれることはできない。しかし,デジタル世界だからこそ,表現の幅が広がり,たとえば大爆発を起こしたり,ひたすらゾンビを倒すといった強烈なアグレッションを安全に表現することも可能となる。とはいえ,それほどまでのアグレッションを表現し得るからこそ,現実に根差しつつ,いかにコントロールしていくかということも同時に重要になるだろう。
4) 箱庭の一回性とマインクラフトの連続性
2),3)とも関連するが,箱庭では,クライエント,治療者,箱庭の三者が同時にその場に存在しているという「いま,ここ」の現前性が際立つ。そして,二つとして同じ作品が生まれることはなく,セッションが終わればなくなってしまう。その意味で,箱庭は常に一回性に開かれた表現なのだ。しかし,一回性に開かれているからこそ,そこで生じた表現には大きなインパクトがあり,大切な意味が立ち現れるのである。ただし,箱庭は複数回にわたって作られた作品をプロセスとして見ていくことも大切にされている。それは,通して見てみると重要な展開を示すことがあるからで,一回性の積み重ねが重要な変化を生じさせるのである。
一方で,マインクラフトは,壊さない限り作った作品が残り続けるという意味で連続性を持つ。そして,マインクラフトの世界には朝昼晩が存在するように,過去・現在・未来という時間の流れが一つの世界のなかに存在する。これは連続的な存在としての自分が表現されていると考えることもできるかもしれない。また,世界の「外」から作る箱庭とは対照的に,世界の「中」に入って作ることにより,制作者側に世界に包まれた感覚を生じさせるのではないかと思われる。
5) 既成のアイテムか,自分で「創る」のか
箱庭の場合,人や動物,建物など,すでにできあがったアイテムを用いるので,手軽に行うことができる。しかし,手軽であるがゆえに,「『創造的』な意味がすくない」(河合,1969)ともいえる。また,アイテムのなかに「ぴったり」くるものがない場合もある。しかし,だからこそ,思いもよらない作品ができあがることもあり,それが箱庭療法の醍醐味でもある。
マインクラフトも三次元的ではあるが,すべてを一から作りだすことができるという意味で,描画とも通ずるところがあり,「より深い表現をすることが可能」(河合,1969)とも言えるだろう。また,様々な素材が無限に用意されているので,それらを組み合わせながら「ぴったり」くるものを作ることができるし,二次元的な描画と比べて多様な表現が可能であり,「創る」という作業にその人らしさが色濃く現れると考えられる。
6)「動き」の有無
5)で述べたように,箱庭は既成のアイテムを使って作られるので,出来上がった作品は動かない。しかし,たとえば動物が連なって置かれていると,そこに何らかの「方向性」が感じられるように,出来上がった作品から「動き」を感じることも多い。「動かない」からこそイメージが駆動するのであり,「動かない」からこそ「動き」を感じさせる表現が生まれることには重要な意味があるのだ。
一方で,マインクラフトは,ものによっては実際に動かすことができるし,動物や村人は動いている。そもそも,プレイヤー自身が世界の中で動いていて,村人と取引するなどして,直接関わることもできる。時間の流れが存在することとも相まって,世界への没入感が一層高まるのだろうと思われる。また,自分が作ったものが実際に「動く」ときに得られる感動も大きいのであろう。
5.「表現」としてのマインクラフト
ここまで,マインクラフトを「表現」として捉え,6つの観点から箱庭療法との比較を試みた。もちろん,6つが必要十分というのではなく,上述した観点以外にも着目すべき点はあるだろう。また,言うまでもなく,両者の優劣を論じたいのではなく,それぞれがこころに働きかける特徴を独自に持っていることを示したかったのである。
では,「表現」としてのマインクラフトが臨床現場に持ち込まれたとき,それらをどのように受け取ればよいのだろう。
まず重要なのは,箱庭療法を含めた多くの表現療法がそうであるように,共有された「表現」がその人のこころを表す大事な何かである,という態度で興味をもって受け取ることである。岩宮(2025)が「ネットの話を面接場面で聴くときには,これは大切なイメージについて聴いているという心構えが必要になってくる」と指摘するように,何よりも,このスタンスが重要だ。むしろ,治療者側がこういった地平に立ってこそ,マインクラフトは真に「表現」(それこそ,「デジタル箱庭」)となるのではなかろうか。
次に,他でもない「いま,ここ」で語られ,共有されていることの意味を考えることである。先ほど,マインクラフトでは作品と制作者の二者関係がメインであると述べたばかりだが,たとえそれが「あのとき,そこ」で作られたものだとしても,「いま,ここ」で治療者に語られていることの意味を考えなければならない。クライエントは,マインクラフトをめぐる語りを通して,自らを表現しているのだ。長行司(2026)も指摘するような「サブカル発達段階」という視点も踏まえれば,彼らはマインクラフトを通して,文字通り自らを「掘り下げ(mine)」,「形作って(craft)」いるのである。
このような前提に立って初めて,箱庭作品を見る時の視点が生きてくると思われる。たとえば,どのように空間を認識しているのか,作られた建築物の素材や構造はどうなのか,あるいは,色使いはどうなのかなどの形式的な面に着目することで見えてくることがある。それらを,クライエントのこころのありようと重ねて見て行こうとするのである。
また,ただひたすら穴を掘っているのか,建築に勤しむのか,あるいは敵を倒し続けるのかなど,創られた世界のなかで何をしているのかという内容面にも注目することで,その人の世界の見方や世界への関わり方が透けて見えるのだ。
すでにお気づきのように,このような見方は,なにも箱庭療法やマインクラフトに限った話ではなく,目の前の人に対する様々な視点を自らのなかに持つことにも繋がる。その人から発せられるものすべてを表現と捉えるならば,ここに挙げた観点は,全てが応用可能だと思われる。
6.おわりに
マインクラフトと箱庭の話をしていたのに,いつの間にか大きな話になってしまった。そして明確なオチをつけられなかった気もする。やはり,考察の裾野を広げ過ぎたようだ。
ただ,こうしてみると,マインクラフトをプレイすること自体が治療的なのではなく,その話題を「表現」として受け取り,興味を持って聴くという関係性が機能することによってはじめて治療的になるのだろう。そのとき,そこに箱庭療法のスピリットが息づくのだと思う。
文 献
- 長行司研太(2026)ゲーム臨床のススメ―ゲームの話題の見立てとかかわりへの活かし方.In:岩宮恵子編:推し活の心理臨床.日本評論社,pp.68-77.
- 岩宮恵子(2025)思春期心性センサー―子どもの感度,大人の感度.岩波書店,p.33.
- Kalff, D. M.(1966)Sandspiel: Seine therapeutische Wirkung auf die Psyche. Rascher Verlag.(山中康裕監訳(1999)カルフ箱庭療法[新版].誠信書房,pp.1-20.)
- 河合隼雄編(1969)箱庭療法入門.誠信書房,p.21.
- 木村晴子(2019)箱庭療法―基礎的研究と実践.創元社,p.22.
- 岡田康伸(1984)箱庭療法の基礎.誠信書房,p.19.
山﨑基嗣 (やまさき・もとし)
島根大学 人間科学部
資格:公認心理師,臨床心理士
趣味:飛行機,アメコミ









