牧 剛史(佛教大学)
シンリンラボ 第38号(2026年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.38 (2026, May.)
1.はじめに
箱庭療法は非常に魅力的な療法だと思う。限られた空間である箱の中で,無限に表現が広がるようにも感じる。しかし,箱庭療法の魅力を言葉で説明するのは意外に難しい。「まず体験してみてほしい」と思ってしまうが,それでは論考にならないので,箱庭療法の魅力を改めて考えてみた。すると,箱庭療法の魅力は「砂」抜きには語れないことに気が付いた。本稿では,箱庭療法における「砂の意味」をいくつかの動詞を使って紹介してみたい。
2.触る(さわる),触れる(ふれる)
1)エピソード:「砂がほしい」と言うクライエント
筆者が精神科クリニックでカウンセラーをしていたとき,20代のクライエントが部屋にある箱庭に関心を示して「あれはなんですか?」と聞いてこられた。箱庭療法について説明をすると「やってみたい」と希望されたので,まずは砂に触ってもらった。すると,「気持ちいい……」とつぶやき,しばらく箱庭の砂を触っておられた。クライエントは冗談めかして「この砂,売ってもらえません?」と笑っていた。
2)退行を体験する
箱庭の砂は粒子が細かく,触り心地が良いのが特徴である。大人になると砂を触る機会はあまりないかもしれないが,砂を触ることでリラックスして「治療的に意味のある適度な心理的退行」が生じるということを多くの心理臨床家が指摘している(河合1969,木村1985,岡田1993など)。「退行」とは,「発達段階のより早期の心理状態ないし行動様式に遡ること」(『臨床心理学中事典』より)と定義されるが,砂を触ることで幼児期のことを懐かしく思い出すような,「一時的な子ども返り」と考えるとよいだろう。重要なことは,実在する砂を実際に触るという「体験」だと思う。岡田(1993)は,「言葉で話しているよりも,じかに退行を体験している」(傍点筆者)と述べているが,面接室で砂を「触る」というリアルな体験は,退行を促進することに繋がると言える。
3)砂に触れることは心に触れること?
さらに言うと,砂に触れることは,クライエントが自身の「心に触れる」ことにも繋がっていくのではないか。ここで,砂に触れることができない(触れようとしない)クライエントの心情や体験について想像してみたい。木村(1985)が「砂はそのさらさらと崩れ落ちる感じから崩壊感を招きやすく,分裂病圏内のクライエントにとっては危険な素材にもなりうると言われる」と述べている通り,さらさらで指の隙間からこぼれ落ちる砂は,不安定な心そのものと感じる人もいるのだと思う。
「触れる」という言葉から連想を進めると,心理療法においてはセラピストにとってもクライエントにとっても「心に触れる」ことが重要なポイントになる。心とは抽象的で直に触れることができないものだが,面接をしていると,それが電話面接であったとしても「心に触れる」体験になることがある。実際,筆者は電話カウンセリングを割と頻繁に導入するタイプのセラピストだが,クライエントが発する声や息づかい,自分が届けようとする声色などに集中することで,自身と相手の両方の心に触れていることを感じる。箱庭の砂を触る(もしくは触らない)クライエントと共に過ごすとき,クライエントが自身の心に触れる(もしくは簡単には触れられない)体験をしていると筆者は想像しながら,クライエントに寄り添っている。
3.造る(つくる)
1)エピソード:砂で段差を作るクライエント
40代のクライエント。抑うつ症状があり,仕事の悩みを相談するために来室された。非常に真面目で誠実な方で,自発的に絵を描いたり,夢を記録するなどして自分に向き合う努力をされていた。相談室では最近見た夢の話などをしていたが,あるとき「箱庭をしたい」と希望された。フィギュアを置きながら,とても丁寧に,そして繊細に,砂に段差を付けておられた。フィギュアを選ぶことよりも,家の前の段差や川べりの段差を造ることに時間をかけておられた。
2)造ることによる満足感,達成感
箱庭では,砂で山や丘を造ることができる。砂を掘ると底が青く塗られているため,川や島を表現することもできる。このクライエントは,すぐに藁葺き屋根の家を選んで砂の上に置いたのだが,そのことよりも家の前の砂を少し掘りながら,段差を造っておられたのが印象的だった。田舎の風景をイメージされていたようで,頭に浮かんだイメージに少しでも近づくようにと苦労されていたが,時間をかけて砂をならして満足されていた。ちなみに,筆者が大学生時代,はじめて箱庭を体験したときは箱の中央に島を造った。とにかく,どうしても「島」を表現したくなったことをよく覚えている。造る前から,海に浮かぶ島と,そこに亀が向かっていくイメージが浮かんでいたからだ(今思えば,いわゆるアイデンティティの確立を目指すという青年期的なイメージだったのかもしれない)。砂はサラサラなので少し掘りにくく,それでも「海」と「島」を表現できた時は,満足感や達成感のようなものがあった。
3)イメージの具象化
箱庭の砂はこのように,イメージを具象化してくれる。河合(1991)は,「イメージの特性」として,自律性,具象性,集約性(多義性),直接性,象徴性,創造性を挙げている。イメージは「抽象的」だと思われがちだが,実は「抽象的な事柄を具体的に表すのがイメージ」だと言える。たとえば,箱庭で木にしがみつくコアラのフィギュアを置くことで「家族や他者への愛着」という抽象的な事柄を具象化しているのではないかと考えられる。つまり,砂で何かを「造る」ことによって,イメージの具象化が可能になると言えるだろう。
4.遊ぶ(あそぶ)
1)エピソード:箱庭で遊ぶ中学生
筆者がスクールカウンセラーをしている時のことである。中学生の男子生徒が相談室に訪れた。語りからはやや幼い印象で,言語面接だけではなく,プレイフルな関わりが必要であると思われた。そこで,箱庭を見せて説明し,自由に「造る」ことができると紹介した。彼は喜んで箱庭に向かい,まず箱庭の砂を掘って川を造った。そこに橋をかけ,その下を船が通っていく。橋の下をくぐった船は棚に片づけられた。以後も,砂の上を歩いた動物がそのまま棚に戻っていく,といった表現が繰り返された。彼は,箱庭で作品を「造る」のではなく,箱庭で「遊んで」いた。
2)「作品」ではない箱庭
中学生の彼から,“箱庭は小さな砂場にもなり得る”ということを教えてもらったように思う。当時の筆者は,箱庭では「作品を造る」というイメージが強かったため,彼の表現は衝撃的だった。クライエントが箱庭をしたあとは必ず写真を撮るようにしていたが(クライエントが自身の手で箱庭を片づけたときはセラピストが再現して写真を撮るのが一般的である),彼の箱庭に関しては「どうやって写真を撮ればいいんだ?」と悩んでしまった。このような,「作品」ではない箱庭もあるのか!と教えられた気がする。それ以降,クライエントに箱庭を勧めるときには「箱庭を造りますか?」ではなく,「箱庭をしますか?」と聞くようになった。
3)遊ぶことの意味
「遊ぶ」ことから思い出すのは,今から10年以上前,ユング派分析家の先生の口添えでチューリッヒにあるドラ・カルフ(箱庭療法の創始者)の自宅を見学させていただいたときのことである。ご子息のマーチン・カルフ氏が部屋の説明をしてくれたのだが,「小さいころ,僕はこの部屋で,この砂やフィギュアを使って遊んでいたんだ。でも,お母さんが部屋に人を連れてくるようになったから,僕だけの遊び部屋じゃなくなっちゃってね」と笑っておられた。箱庭療法のもともとの名称が「砂遊び療法(Sandplay therapy)」であるのはこういうことなのだ!と妙に納得した記憶がある。
「遊び」には,それ自体に治癒力があると思う。エリクソンErikson(1963)は「『遊びの中で実際に最後まで演じること』が子ども時代に許されるもっとも自然な自己治癒の手段」と述べている。また,遊びには「人と人を繋ぐ機能」(牧,2014)もあるのではないか。言語的なやり取りをしていなくても,この子はどんな体験をしているのだろう? と想像しながら遊びに寄り添うことで関係性が深まっていくことが,プレイセラピーではよくある。箱庭の砂は,心の防衛を緩めて「遊ぶ」ことを促進し,関係性を深める一助となりうる。
5.濡らす(ぬらす),乾かす(かわかす),整える(ととのえる)
1)エピソード:大量の濡れた砂を乾かす体験
これは箱庭ではなく,筆者が所属する相談室のプレイルームにある砂場についての体験である。水を使うプレイセラピーによって砂場の砂が濡れて乾かないという事態が生じ,なんとかして砂を乾かそうということになった。まずは砂を掘り出す作業から始めた。大学院生に手伝ってもらいながら,シャベルで砂場を掘り,湿った大量の砂をプレイルームに敷いたブルーシートの上に広げていった。しかし,ブルーシートに敷いているだけでは砂は乾かない。新聞紙が水分をよく吸うという情報を得て,新聞の上に砂を並べ,部屋の中で扇風機を使って乾かすことを試みたり,外のスペースに砂を広げて天日干しをしたりして,なんとか乾いた砂を砂場に戻すことができた。
2)クライエントが濡らした砂をセラピストが乾かすこと
箱庭の砂についても,水を使った場合にはあとで乾かす必要がある。筆者が大学院生の頃には,プレイセラピーで箱庭を使う可能性がある場合は各自で「My砂」を用意して,砂が濡れた場合は乾いた砂と入れ替えることで原状復帰をしていたことを思い出す。上記のエピソードは砂場の砂の話だが,「クライエントが濡らした砂をセラピストが乾かす」という意味では箱庭の砂とも共通する。砂を乾かす体験を通して感じたことは,砂は濡れると色も重さも大きく変わるということだ。濡れた砂は,本当に重い。天日干しをして乾いた砂は,色も白くなりサラサラとして,強い風が吹けば飛んでしまうくらいに軽くなる。クライエントが濡らして重くなった砂を,あとからセラピストが乾かして軽くするというのは,どことなく象徴的にも思える。クライエントの想いが水を通して表現され,それをセラピストが乾かすことによって再度濡らすことができるように準備する。それは,「表現の場を整える」というセラピストの重要な仕事(役割)だと思う。
3)場を整える
「場を整える」ことの意味は,知的な理解というよりは「身をもって知る」ことが重要だろう。神田橋(1994)は,「場についてのセンス」を養うための工夫の一つとして,「患者の身になってみるというやり方」を挙げており,面接終了後に患者の椅子に座ることなどを勧めている。その面接室やプレイルームを使うクライエントに想いを馳せながら「場を整える」ことは,クライエントの「身になる」ことであり,心理臨床家のセンスを育むことにも繋がると言える。
さらに言うと,物理的には,セラピストは自分が準備した空間にクライエントを迎え入れるのだが,心理的には逆なのかもしれない。面接室に迎え入れ,クライエントの語りや遊びが始まると,不思議なことにその空間はクライエントの空間になる。砂場や箱庭の砂を乾かしているとき,筆者の脳裏にあったのは,「クライエントにこの場を“自分の場”として使ってほしい」という想いだった。このような不思議な逆転現象を体験したときに,自分が心理臨床家であることを自覚する。
6.おわりに
ここまで,箱庭にはなぜ砂が必要なのかを,「触れる」「造る」「遊ぶ」「濡らす」「乾かす」「整える」といった動詞を用いて考えてきた。砂に「触れる」こと自体に治癒効果があると言えるが,同時に砂との関わり方(触る・触らない)でその人の心の在り様を見立てることも可能になる。砂で「造る」ことや「遊ぶ」ことができるというのは,砂がクライエントの表現のチャンネル(心の中が表現される通路)になることを意味しているだろう。クライエントが「濡らした」砂をセラピストが「乾かす」ことは,表現の場を「整える」という意味があると思う。
箱庭の砂の話だったはずが,連想をするうちに,いつのまにか「心に触れる」ことや「場を整える」ことの話にまで広がってしまった。箱庭の砂を整えることは,大げさかもしれないが,心理臨床家としての姿勢やアイデンティティとも関係しているのかもしれない。この論考が,箱庭をまだ体験したことのない方には「やってみたい」と思うきっかけに,また臨床家の方にはさまざまな箱庭体験を思い起こす機会になれば幸いである。
文 献
- Eikson, E. H.(1963)Childhood and society (2nd Ed.). W.W. Norton & Company.(仁科弥生訳(1977)幼児期と社会Ⅰ.みすず書房.)
- 神田橋條治(1994)追補 精神科診断面接のコツ.岩崎学術出版社.
- 河合隼雄(1969)箱庭療法入門.誠信書房.
- 河合隼雄(1991)イメージの心理学.青土社.
- 木村晴子(1985)箱庭療法—基礎的研究と実践.創元社.
- 牧剛史(2014)子どもの心の表現としての遊び.佛教大学臨床心理学研究紀要特集号—幼稚園カウンセリングの実際,29-33.
- 牧剛史(2025)心理臨床の「場」を整えることの意味—面接室と砂場を巡る出来事を通して.佛教大学臨床心理学研究紀要,30; 1-7.
- 中道泰子(2010)箱庭療法の心層—内的交流に迫る.創元社.
- 野島一彦監修(2022)臨床心理学中事典.遠見書房.
- 岡田康伸(1993)箱庭療法の展開.誠信書房.
牧 剛史(まき・たけし)
佛教大学臨床心理学科
資格:臨床心理士,公認心理師
専門:学校臨床(幼稚園,中学,高校),夢や箱庭などのイメージを扱う心理療法。
趣味:藤井風さんの音楽を聴くこと









