【特集 心理開業とオンラインカウンセリング】#05 動作法におけるオンラインカウンセリング|宮脇宏司

宮脇宏司(ふぉりせ心理ストレス相談室代表)
シンリンラボ 第28号(2025年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.28 (2025, Jul.)

1.はじめに

2020年より始まったCOVID-19パンデミック下で,公共交通機関利用も含め三密回避という外出や対人接触自粛が全国民に求められる事態となった。その波を受け,当相談室への来談者も激減し,ほぼ3年に渡って開店休業に近い状態に甘んじるほかなかった。

しかし,外出自粛・三密回避下でも来談される方はおられた。筆者はこれに応じるため,精神病院での対応に範を取って,マスク・手袋等の着用,殺菌,換気等を行い環境の整備を心掛けた。同時に,動作法セッションでの援助の在り方を再検討するに至った。オンライン面接の試みも含めた見直しをパンデミック禍は迫った。

2023年春にCOVID-19感染は5類感染症へとリスク評価が引き下げられ,一応の終息を見た。来談者も徐々に回復して来ている。とはいえ,総じてパンデミック禍以前に復したのかといえば,そうではない。パンデミック禍は黒船来航の如き側面を持っていた。そこで見直され試されたやり方や見方に,普遍的な有益さを運んできてくれたように筆者には感じられている。

本稿では,オンライン面接の試みから再確認された動作法の援助手法の様相について述べる。リモート環境での実行可能性は,通信インフラや会議室アプリケーションなどの質に大きく影響されることも併せて触れる。

2.オンラインカウンセリングの定義

動作法と並んでテーマとして掲げられている「オンラインカウンセリング」について,ここでは以下のように定義しておくことにする。すなわちそれは

  • クライアントとカウンセラー(援助者)は遠隔な場所におり,直接には対面していない。
  • この遠隔非対面という両者の間を,主にインターネット網を介した通信環境により埋め合わせ,繋いで実施される心理カウンセリングをオンラインカウンセリングと呼ぶ。
  • そこでは両者の音声および(多くは上半身の)動画映像が,相互に擬似リアルタイムに交わされる。
  • これらの通信を実現しうる設備環境は双方に求められる。これには機材やネット回線品質のみならず,面接の際のプライバシーが保たれうる居室の確保も含まれる。

なお,動作法セッションの性質として,オンライン“カウンセリング”という表現はそぐわないと考えられるため,本稿ではこれ以降,これをオンライン“面接”と呼ぶことにする。

3.動作法

「動作法」は成瀬悟策らによって編み出され,発展してきた心理援助法である。動作法は言語・会話を援助アプローチの主要媒体としていない。肢体不自由児・者の動作改善を促す方法として始まり,今日では動作を心身一元現象と捉える視点に立って,多彩な分野での適用展開がなされている。動作法は我が国発祥のユニークな手法を持つ心理援助法である。

動作法の治療セッション(動作セッション)で中核とされる媒体に,どの様な動作をセッション中に目指すかという課題(動作課題)がある。そしてこれを巡っての課題達成努力がセッション中に展開されるという独自な様態を持っている。言語・会話を主な媒体とするいわゆる心理カウンセリング・心理療法(以下,談話的アプローチ)とは,こころの在り方・活動に働き掛けるチャネルを異にしていると言ってよいだろう。

この様態の違いが,扱う対象や主に目指す効果の性質等,談話的アプローチの相談援助に較べ,動作法が心理援助法として広範な分野に適用されている理由の一つだと言える。そこでは支援対象者や援助を提供すべき課題の性質に応じて,その実践がいくつかの呼び方で呼び馴らわされてきた。例えば臨床動作法・動作訓練・心理リハビリテイション・動作療法等である。いうまでもなく,そのいずれもが臨床動作学理論を中核に置いていることは変わらない。ここではそれらを総称して動作法と呼ぶ。

なお,筆者は精神科で臨床実践を始め,教育・福祉・司法・産業等多分野での経験を経て心理相談室を開設するに至った,いわゆる心理臨床プロパーな心理臨床家である。ここでの言及は,原則として「心理カウンセラー」が求められる分野での実践経験によるものであることを前提にご理解いただきたい。

1)動作体験

動作法では,援助者によって設定された動作の課題に,自らのからだ(自体)をもって向き合う。そこに課題実現へと努力を進めるクライアントの一連の過程が発動され,これに伴って/その結果として様々な動作の体験がそこに生じる。動作援助者である私たちは,この動作体験をクライアントが紡ぎ出す過程に対して支え続けようとして彼らの身近で構えている。このような構図・プロセスを通じて,クライアントは自身を点検し,より安定した“力まない努力”の仕方を整え直し,暮らしの中での落ち着きを取り戻していくのである。

2)非談話的で“出来る”を指向する

心理「カウンセリング」は,一般に談話的アプローチによる“相談援助”を意味するものと理解されている。

しかし,心理援助法は非言語的表現を主な媒体とするもの,会話(対話)は含まれるものの中核とはならないものも少なからずある(例えば,描画・箱庭・ダンス等の芸術療法群,また壷イメージ療法・内観療法・フォーカシング等)。

動作法は後者の非談話的アプローチをとるものである。また,その治療セッションを通じて,“判る”よりも“出来る”を志向する点でもユニークなものである。

4.動作援助の仕方

動作課題に,クライアントはセッションを通じて取り組むよう促される。その過程には,現実の困難に直面する戸惑いや力みや抵抗や,発見や喜びがついて廻る。彼らのこの取り組みが効果的に進展していくよう,動作援助者は工夫を重ねていく。その援助の仕方については,援助者がクライアントの“からだに直接触れてなされる”ものという風に,一般に認識されているようである。ここではこれを“手を添えての”援助と呼ぶことにする。

この手を添えるという援助の仕方は,談話中心的アプローチとの間の目に見える違いであることは間違いない。これに加えて,“目には見えない”違いをも含む広い援助スパンを動作法は持っている。

1)判るより実現を

動作法が「判る」ことよりも「出来る」ことを目指すものであることは先に述べた。動作セッション中のクライアントは,課題を達成しようとする意に沿わない努力が生じていること,“やろうとしているのに出来ない”事態に出会う。彼らがそこで求められ,動作援助者が促すのは,“何故その様な意図と現実のずれが生じているのか”という認知的な因果理解ではない。現に為している(しかし志向する結果に至れない)努力の様相に目を向け,腰を据えて現の様相を解きほぐし整え直すことそのものである。

2)手を添えての援助

いま正にここで直面している困難に,刻々と現に取り組んでいくプロセスは,クライアント〜援助者両者間の緊密で即時的な相互交流があってこそ,支えられ進行していく。課題動作の実現に至るセッション体験を経て,これに並行するかたちで,課題に向き合い現に取り組める自分と現に取り組んでいく仕方の双方に,クライアントは出会っているようにも見える。彼らの“いま・ここで”のリアルが変容していく体験を,一貫して促す構造が動作セッションには備わっていると言えるだろう。この様な動作セッションの働きを強く促進する要素に,手を添えての援助があることは疑いようがない。

3)緊密で即時的な相互交流

ここで示している両者の間の緊密で即時的な相互交流は,談話を介してでは叶えようがないと思われる。セッション内で展開される彼らの動作はいま・ここで刻々と紡がれるものである。これへの援助は,動作努力のその場所に添えられた手を伝う実感として届けられるものでなければ利用が難しい。この努力の様相を捉えることを含めて,動作援助はクライアントのリアルないま・ここと援助者のリアルないま・ここの在り方が共有されていてこそ成り立つものだと言える。

動作努力は,いま・ここでの体験を志向しているのではない。

“いま・ここ”は,動作努力が紡がれる現場である。動作法のセッションとは,自分の生きている現実に動作課題を巡って現に取り組んでいくものである。

4)手を添えない援助

多くの援助経験を重ねるにつれ,私たち動作援助者は手を添えていなくても,クライアントが眼前の動作課題にどう取りくんで・困っているかが“見える”ようになってくる。“触らない/手を添えない”動作法は,現場のニーズや環境都合に応じる形で,90年代半ば頃より開発されている。実際に利用されている方も多い。

手を添えなくても,クライアントの動作努力が進展するのは当然である。大多数の人は,自分自身の努力によってそれぞれの人生を拓いているのだから。クライアントにおいてもそれは変わらない。

クライアント自身で援助なしに出来るだろうことには手を貸さない。必要に応じて,手を添えてその現場に援助を届ける。 動作法に限らず,心理援助・心理支援の取り組みは,対象者の自己信頼が回復され自立した生活を営めるようになることであろう。

そのためにも大切なことは,“手を出さない”援助を活かすことである。「自分で出来る」「自分は出来る」という自己信頼は,課題を自分の努力で現に達成すること以外では取り戻せないだろうと筆者は考える。“出来る”と“出来るだろう”は似て非なるものである。前者は現に取り組む中で掴んだ実感に裏打ちされている。

後者は想像であり,それ故如何様にも変化するものだ。

触らない動作法は,劣化した動作援助法ではない。オンライン動作法のための苦肉の策でもない。手を添えることを極力控えることは,クライアントの主体的な活動とその自覚を強く促すものとなる。適切なタイミングでの声掛けは,援助者がいつでも身近で見守っていることを気づかせる。触れていなくても,クライアントの今・ここでを共有する者がいることは届けられるのだ。

手を添えるか添えないかという単純化した二分法で援助の在り方を云々するのは,それ自体が援助の現実を顧みない暴論である。危機介入から先導,促し,付き添い,見守りまで,援助は目の前のクライアントの様態に応じて為されるものだ。動作法はこの危機介入≒代行から見守りまでの広いスパンで適宜援助を届けることが出来る。      

その場・その人の必要に応じ,手を添える・添えないや声掛けの仕方等を工夫していくのである。

5.オンライン動作法に向けて

筆者が,パンデミック禍を黒船というのは,ここまで述べてきた動作援助の特性と適用の範囲・条件に関する見直しをする必要に迫られたという認識があるからだ。オンライン面接での動作法実施は,現状では心許ないと感じられる。それは何よりクライアントの動作する姿の一面しかとらえられないからだ。多くの人が使っているWebカメラで送ってくる正面からの2D映像のみでは,彼らの努力の様相は掴みがたい。研修用の動画資料として正面・側面・俯瞰の同時3側面記録を撮影してみて,その判り易さは天地ほど違うといえた。動作援助をオンライン面接を介して届けることがまったく出来ないとは言わない。しかし,現状のところ,十全の援助が組み立てられない危うさは存在している。とはいえ,この筆者の不満を埋め合わせるような,カメラ機材の低廉化や複数カメラの同時使用,AI等を利用した映像の3D表現をかなえるアプリが手に入る日は,夢物語というほど遠い先のことではないだろう。

いま一つの開明は,援助の手を出す出さないの境界ラインが,それまでよりもかなり深く“出さない”寄りであることに気づけたことである。元々強いるような援助はしていなかったが,パンデミック以前に持っていた想定よりも,セッションの場を開き自発性を待とうと構えるように心掛けた。するとクライアントの自発性や意欲が,より早期から表に現れるのに出会う。手伝っているつもりで結果邪魔をしていたことへの気づきには,目が覚めるような驚きがあった。小さな親切大きなお世話。今回の災禍を奇禍として,この様な見直しが図れたのだと感じているのは筆者だけだろうか。

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宮脇 宏司(みやわき・こうじ)
臨床動作学講師(日本臨床動作学会資格)
公認心理師・臨床心理士

現所属
ふぉりせ心理ストレス相談室 代表
日本臨床動作学会 常任理事
(一社)関西臨床動作学研究会 会長
自立援助ホーム 奏 施設長
自立援助ホーム 碧 施設長

著書・訳書:
『教師とスクールカウンセラーでつくるストレスマネジメント教育』(あいり出版,2004,共編著)
『脳波』(金芳堂,1983,共著)
『DSM-Ⅲケースブック』(医学書院,1983,共訳)
『APA 精神科治療計画』(医学書院,1984,共訳)ほか

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