田中 究(関内カウンセリングオフィス)
シンリンラボ 第28号(2025年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.28 (2025, Jul.)
1.はじめに
カウンセリングにはいくつか用いられる媒体がある。対面カウンセリングの他に,例えば,電話カウンセリング,メールカウンセリング,SNSを用いたカウンセリング,そしてオンラインカウンセリング等がある。本企画ではコロナ禍によって本格化したオンライン手法,わけても開業臨床実践におけるオンライン実践をいったん総括しようという企画意図が示されている。コロナ禍の不気味な足音が聞こえてきたのが2020年初頭,現在が2025年であるから,振り返りをするには切りのいいタイミングである。
2.当オフィスにおけるオンラインカウンセリング導入
私たちのオフィスでは,コロナ禍に入る少し前,2010年代の後半からオンラインカウンセリングを実施し始めた。グローバルなどという言葉を口に出すのがはばかられるほど,地理的移動ひとつとっても,その動きは日ごとに加速している。そのような世相と同期するかのように,当時インターネットを経由してやりとりをするサービスがどんどん実装され,実用の度を増していた。「世界」との距離が縮まれば,さまざまな事情から地球の裏側へと居を移す人もでてくる。クライアントの中には,海外に移住される方もいる。
そうしたクライアントがカウンセリングの継続を希望した場合,インターネット上のツールが今ほど充実していなかった以前なら,「現担当者によるカウンセリングはいったん終了」,という選択肢を採らざるをなかった。クライアントが転居するとなれば,それはそのままカウンセリングの終了あるいは中断を意味した。
もちろん,カウンセリングを「いったん終了」することも,悪い選択肢ではない。一区切りをつけることで,案外カウンセリングがなくてもやっていける,という感触がつかめるかもしれない。カウンセリング自体をあらためて振り返ることにも意味があるだろう。また,転居先で新たな担当者に交代することが新展開をもたらすかもしれない。
しかし,オンラインツールの発達に伴って,カウンセリングに継続の芽が出てきた。面接を継続できるのであれば,続けてみるのも一手である。特に移住当初は,「やることリスト」も長大である。海外移住ともなれば,気候や風習や言語に慣れるまでには,長い時間がかかる。その間,孤立した状態が続くかもしれない。
そんなとき,海外の自宅に居ながらにして,これまでの事情を把握しているセラピストとの面接ができる,というのは多少なりとも心丈夫なところがあるだろう。クライアントからの要望を受け,現地での生活が落ち着き,当地でのカウンセリング体制ができあがるまでのつなぎ,くらいのつもりで,オンラインカウンセリングを試すことができる。これは歓迎すべき変化である。
実際に運用を開始してみても,特に支障を感じることはなかったと記憶している。もちろん,クライアントの表情や発声の細かな機微をつかむには通信データの情報量が絶対的に不足している等,現時点での技術的限界に起因するデメリットはなくはない。しかし,かつての国際電話と比べれば,通信料金がかかることもなく,ネットにつながりさえすれば簡単にアクセスできるといったメリットは当初からデメリットを上回っていた。
3.コロナ禍におけるオンライン実践の展開
そうした下地があったこともあり,コロナ禍で全面的にオンライン面接に移行する必要が生じた際にも,特にテクニカルな点に関しては割とすんなりといった。一方,初回面接だけは対面面接を実施すべきである,というのはオンライン面接が論じられる場面では比較的ポピュラーなテーマとして持ち上がる。心理療法を行う上で,必要十分なアセスメントは対面でなければできない,という意見には確かに首肯できる。
その一方で,これまでのそうした議論には,「そもそも対面実施自体が困難である」というパンデミックの特殊な状況が加味されていたわけではない。パンデミック下,初回面接は必ず対面で行うという原理原則に固執してしまえば,カウンセリングの実施自体が困難になってしまう。こうして,初回からオンライン面接を実施する方向に舵を切った。
ツールの性能向上に伴って,カウンセリング自体の可能性も拡大しつつある。オンライン面接は,とにかく場所を選ばない。家族が集まって面接するということが必要になった際,家族が各地に分散して生活していても,例えば,カウンセリングルームにはクライアントのみ来談し,家族はオンライン参加,ということも可能になった。
動画の生成も恩恵をもたらしている。家族支援の領域では,面接をビデオ録画し活用する,ということが1980年代頃にはすでに行われていた。先回の面接動画をクライアントや家族とともにその次のセッションで見返す,という手法が用いられることもあった。それは,クライアントにとっても家族にとっても,そしてセラピストにとっても,自分自身を俯瞰する良い機会となる,と言われていた。
筆者は追試をしてみたいと常々思いながらも,できずにいた。なにしろ,それをするには昔の巨大なビデオカメラを面接室にドッカリと設置し,ビデオデッキやモニターといった再生装置も持ちこまなければならない。仮に設備だけは頑張って整えることができたとしても,いかにも大仰である。機材が邪魔で気が散る,肝心のカウンセリングに集中できない,となれば本末転倒であり,断念せざるを得なかった。
ところが,面接動画の収録も再生も,ご存知のとおりパソコン1台あれば可能となった。面接のオンライン実施から動画生成という流れは,特にスムーズである。実際に面接で用いてみて,動画による振り返りが効果的であることも実感した。
「オンライン研修」も開始した。こちらはコロナ禍以前は未実施であった。むしろ,対面研修でロールプレイを行い,セラピストやクライアント・家族の細かな動きを取り上げることの方を重視していた。しかし,コロナ禍でそれも難しくなった。コロナ1年目は研修をやむなく中止したが,翌年からはオンライン向けに内容を再編し実施することにした。その結果,遠方に居住している方,子育て中で移動の自由が利きづらい方などが参加できるようになった。これも,オンライン化がもたらした果実である。
内容はどう変わったか。対面で身体を動かす研修にこだわっていたのは,研修内容が「同席面接」に関わっていたからだ。同席面接のロールプレイでは,同席者全員分が語る言語内容だけでなく非言語面もまんべんなく把握しなければならない。非言語を含む同席者同士のコミュニケーションを観察することは,同席面接の効果を生み出す大事な下地となるからである。セラピスト役には,同席者全員との言語的な対話を進めながら,非言語的な動きも見逃すことなく視野に入れるという,高度な課題が求められる。
一方,オンラインにおける非言語の情報は,対面のそれと違って限定される。特に「視線を合わせること/視線を外すこと」の意味は対面時とはまったく異なるものになる。そもそも,オンラインにおけるコミュニケーションでは,「視線が合っている風」にはできても,対面と同じ意味で視線が合うことはない。同席面接では,誰とどれだけ視線を合わせるのか,その案配を意識することが面接進行上,大変重要な意味を持つのだが,オンライン研修ではその点が扱えない。
そこで,思い切って言語内容面に研修課題の重点を振り切ってみた。言語面,すなわち複数の同席者による様々なストーリーがどのように影響を与えあい,展開するのか,そのコンテクストを見立てることも,非言語面におけるトレーニングと同等の重要性を持つからである。結果として,程良いレベルの研修プログラムが出来上がった。
こうした動きと同期するが,オンライン・ロールプレイ研修では,ロールプレイと並行して,講師がタブレットを画面共有し,面接の流れをリアルタイムで図示していく,などということもできるようになった。ロールプレイが行われているウィンドウとタブレットの画面共有ウィンドウは,講師のモニターの中で隣同士並んでいる。講師はロールプレイとタブレットの両ウィンドウを(ほぼ)同時に眺めることができるからこそ,こうした研修の進め方が可能になる。また,上で述べたように,言語内容に力点を置き,ある程度視覚的な観察は留保し聴覚情報を重視するという研修目的があるからこそ,許容される研修方法でもある。視覚的観察を重視する対面ロールプレイでは,より実際のカウンセリングに近い形式で練習することができるが,その分,講師もロールプレイから目が離せない。メモする寸分の猶予もないので,解説はロールプレイの合間に行うしかない。
このように,オンライン研修は研修のバリエーションを生み出した。今は,オンラインと対面,両方のメリットを取り入れるべく,両者を交互に実施する研修体制を採っている。
それでは,オンライン面接/研修の課題といえば,何になるであろうか。2025年現在,対面カウンセリングは以前と同じように実施可能になっている。その一方でオンライン面接はひと頃の臨時措置という地位から,ひとつの選択肢として定着してきているように見受けられる。アセスメントがきちんとできるのか,プライバシー環境(同居者の有無や遮音性)の確認,通信セキュリティの確保,あるいは緊急事態発生時の対応フロー等については,今後の課題として引き続き検討する必要がある。
4.クライアントの選好
以上は私の,すなわちセラピスト側の所感である。それでは,オンライン現象をクライアントはどう見ているだろうか。クライアントの中には,オンライン面接を積極的に利用される方もいれば,対面を選ぶ方もいる。利便性だけを考えるなら,オンライン面接に分があるように思えるが,対面を選ぶ方も少なくない。やはり直接対面する「リアル」なカウンセリングだからこそ伝わるものがある,というのは否定しがたいところだとは思うが,それ以外にも要因はありそうである。
当オフィスにおいて対面を選ぶクライアントの見解を,2点に集約すると次のようになるだろう。まず,オンラインの場合,オンライン面接の実施場所を家庭内や出先で準備する必要がある。これが存外難しい。仮にプライバシーが守られた個室を用意できたとしても,在宅ワークや家事,育児の段取りを頭の中のどこかで気にしながら参加するカウンセリングでは,気もそぞろになって集中できない。これがまず1点目である。
次に,カウンセリングが他のイベントとのセットになっている,という点が挙げられる。何も大きなイベントである必要はない。「カウンセリングの帰りに,公園のベンチで一休みしよう」とか,「久しぶりにあのお店のハンバーガーを食べよう」とか。むしろそちらがメインで,カウンセリングの方はサブなのかもしれない。用事,買物,気晴らし,カウンセリングはそういったリアルな生活の網の目の一部であると考えると,その点についてはオンラインでは代替が効かない。
5.セラピスト選択と公開性
オンライン,対面,いずれを選ぶにせよ,クライアントの選択肢が増えることは良いことである。オンライン面接の普及は,カウンセリングへのアクセスをより容易にすることだろう。すると,オンラインからレストランやホテルを予約するときと同様,今後はますます「何を見てどのように選択するのか」が問われるようになるのではないだろうか。これは,セラピストはクライアントに選ばれる存在であるという,あらためて考えてみれば当たり前の現実が顕わになってきた,ということでもあるだろう。
実際,オンラインカウンセリングを標榜する機関のサイトでは,セラピストの顔写真やプロフィールを随分と目にするようになった。クライアントにとって必要な情報がきちんと提示され行き渡るのだとすれば,それもやはり良いことである。
しかし,そこに記されている各セラピストのプロフィールにおける,例えば「得意分野」や「専門領域」などといった項目は,どのようにでも書き記すことができる。捏造は言語道断だが,何をもって「専門」とするのか,「得意分野」の「得意」とは何をもってして「得意」なのか,そこには各セラピストの主観が多分に紛れ込んでくる。
他方,客観的な事象のみでは情報として物足りない。例えば,「所属学会」はプロフィールの構成要素となりうる。学会に所属していることは,入会審査をクリアしている時点で,専門性を保証する目安のひとつにはなる。しかし,学会には基本的に年会費さえ払えば所属し続けることができてしまう。毎年のように年次大会に参加し,演題発表を行い,研鑽を積んでいるセラピストでも,学会誌にさえ目も通さない人でも,同じ学会員である。とはいえ,学会には不参加でも研究と実践を積み上げている人もいるから,学会参加の有無とセラピストとしての能力が単純に比例すると考えるわけにもいかない。
むしろ,クライアントが知りたいのは,情報というよりはセラピストの「素性」なのではないだろうか。ここでの素性は,「生まれ育ち」や「趣味」といったセラピストのプライベートについての情報ではなく,どんな現場で,どんな修練を積み,何に悩んで何を身につけたのか。そういった,長い時間をかけて形成してきた臨床家としての自己のことである。それは,積極的に提示するものでもなく,取り立ててアピールせずとも,たとえ隠そうとしても,セラピストの一挙手一投足から,あるいはプロフィールの行間から滲み出てきてしまう,そういう性質のものなのかもしれない。
セラピストは自らの何を,どのように,どこまで公開すべきなのか。本格的な議論はこれからだとしても,こうした論点を俎上に上げるべきである,と感じること自体,セラピストの匿名性を前提とする従来的なカウンセリングのスタンスが,すでに様変わりしつつあることを示しているのではないか,という気もする。
6.おわりに
本稿ではセラピストとクライアントそれぞれにとって,オンラインと対面,双方のメリット,デメリットについて手短に述べた。カウンセリング領域にも影響を与えた生物学者ウンベルト・マトゥラーナ(1980)の発想を取り入れると,「対面とオンライン,どちらが有効か?」から,「カウンセリングが有効であると私たちが言うとき,そこで何が起きているのか?」へと問いを変換することになる。オンライン面接のひろがりによって,そこからカウンセリングの核心へとつながる議論が展開するかもしれない。対面/非対面の二元論を超えて,臨床実践における多様な編成が今後も探求されるべきである。
文 献
- Maturana, H. R., & Varela, F. G.(1980)Autopoiesis and Cognition: The Realization of the Living. D. Reidel Publishing.(河本英夫訳(1991)オートポイエーシス:生命システムとはなにか.国文社.
- 田中究(2021)心理支援のための臨床コラボレーション入門―システムズアプローチ,ナラティヴ・セラピー,ブリーフセラピーの基礎.遠見書房.
・田中 究(たなか・きわむ)
・所属:関内カウンセリングオフィス
・資格:臨床心理士、公認心理師、日本家族療法学会認定スーパーヴァイザー
・著書:『心理支援のための臨床コラボレーション入門ーシステムズアプローチ,ナラティヴ・セラピー,ブリーフセラピーの基礎』(単著,遠見書房,2021年),『みんなのシステム論ー対人援助のためのコラボレーション入門』(共編著,⽇本評論社,2019年),『N:ナラティヴとケア』第14号「ナラティヴ・セラピーがもたらすものとその眼差し─ホワイト/エプストン・モデルの実践がわが国のセラピー⽂化に与える(た)もの」(分担執筆,遠⾒書房,2023年),『コンサルテーションとコラボレーション』(分担執筆,金子書房,2022年)『システムズアプローチを学ぶ』(共編著,日本評論社,2025年)
・趣味:ジャズギター