【特集 人間関係と若者のメンタルヘルス──親密な関係における課題と支援】#06 人はパジャマを着て夜に集う──親密さとアタッチメント|工藤晋平

工藤晋平(名古屋大学)
シンリンラボ 第26号(2025年5月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.26 (2025, May)

1.親密さ

私たちは他者と関わりを持ちながら生きていく生き物のようである。そのために対人関係,ないしは関係性を背負って生きている。親密さとはこうした関係のある特定の質であるけれど,立ち止まって考えてみるとなかなかとらえどころのないものに思える。辞書的には「非常に親しいこと」「親しく密接していること」(日本国語大辞典)と簡素に定義されていて,それはそれでそういうものかと思える。心理学者たちはいくつかの定義を提出し,例えばレイスとシェーバーReis & Shaver(1988)は「私的な感情と情報を温かく同調的に応答してくれる他の人物にコミュニケートすることを含む,対人的な過程」とまとめている。

そこではとりわけ内面が他者に伝えられ,それが肯定的に受け取られるという特徴が注目されているようだ。しかし,親密さにはこうした「オープン」な側面だけでは説明できない何かがあるようにも思える。親密さintimacyという言葉そのものに現れているように(英語の語源はラテン語のintimus,英語のinnermost内に秘めたもの),ここには内密であることが示唆されている。親密でない他者には分からない何かが共有される「クローズド」な要素もこの関係の見過ごせない側面として指摘できるのかと思う。昼に着ていた社会的な衣を脱いで,夜にパジャマでパーティーをする。親密さとはそういうものかもしれない,というようなことである。

2.アタッチメント

親密さは思春期や青年期になって特別な意味を持って人生に登場してくる関係性である(例えばエリクソンErikson[1950]の議論)。けれども,話は青年期にとどまるものではなく,より早期の関係の質の影響を受けるものであることも論じられてきた。乳幼児期のアタッチメントが青年期の親密な関係に影響を及ぼす,といった類いの議論である。なぜそのようなことが起きるのかといった疑問は後にして,予期せぬ来訪者のようなこのアタッチメントの説明を簡単にしておきたい。

これは乳児が,身近にいる見知った大人に自然と形成する特定の結びつきであるとされる。怖かったり危険な状態にある時にはその養育者に近づいていく行動を引き起こし,これが失われることが強い苦痛をもたらすような性質を持つ(Bowlby, 1969/1982)。愛情と混同されやすいが,むしろケガをしたり,犬に吠えられた時などに守ってもらって,落ち着かせてもらう関わりを求める結びつきである。新しいことにチャレンジすることを支え,失敗した時には戻っていって慰めてもらう,そのようなケアを受ける絆でもある。

私自身は以下のように整理しているが,こうすればたいていの議論が理解でき,類似した概念と区別できるだろうと思っている。1)危機的状況で,2)保護と慰めを求め,3)特定の他者に,4)くっつく,5)生存のための,6)生得的な傾向,7)およびそれによる絆。人生の始まりにおいて乳児は養育者にくっつき,その仕組み自体は生涯にわたって存続し,病気になった時,人生の岐路に立った時,目の前の壁にくじけそうになった時など,折りに触れて立ち上がる。

3.親密さとアタッチメント

そのようなアタッチメントの仕組みが養育者のケアの影響を受けて親密な関係に影響を与えるだろう,ということが言われているのだが,当然こうした研究は長期に渡るものなので,研究の数自体は極めて少ない。しかし,もう少し幼い児童期については二つのメタ分析がある。一つはシュナイダーShneiderら(2001)によるもので,もう一つは後年行われたパリーニPalliniら(2014)によるものである。どちらも親しい友人関係close friendshipを親密な関係の指標としている。それと一緒に友人ではない同世代peerとの関係についても検討していて,全体として効果量r = .20程度の関連を示している(これは一般的な基準でいうと小さな関連があると判断される)。他の要因も当然あるけれど,乳幼児期のアタッチメントが小学生同士の対人関係のあり方にいくらか影響を及ぼしていることが示唆される。さらにシュナイダーらによる研究では,親しい友人との関係の方が,そうでない同世代との関係よりも乳幼児期のアタッチメントとの関連が強い(それぞれr = .24, .14)ことが報告されてもいる。

青年期までの数少ない研究として,例えばスルーフSroufeら(2005)は,乳児期のアタッチメントの質が青年期の恋愛関係での情緒的トーンと関連することを報告する。恋人の有無ではなく,その関係の質にアタッチメントの質が反映されているところが注目される。しかし,この時期に関しては長期の縦断研究よりも,横断的な,青年期の養育者へのアタッチメントが青年期の親密な関係とどのように関連しているか,という研究を通して,先の仮説が検証されているという方が正確だろう。デルガドDelgadoら(2022)によるメタ分析では,アタッチメントの質が情動的な関係性やコミュニケーション,親密さといった関係の質と関連している。先に挙げたシェーバーはハザンHazanとともに青年期のアタッチメントの質問紙を作成し(Hazan & Shaver, 1987),社会人格系と呼ばれる成人のアタッチメント研究を切り開いた人物であるけれども,彼らはその基盤のモデルとして恋愛関係がアタッチメント形成のプロセスと重なることを描いている。彼女たちの研究の成功は,恋愛関係という親密な関係とアタッチメントの関連を実証するものだとも解釈できる。

4.アタッチメントがどう作用するのか

そうすると,なぜ乳幼児期の,あるいは青年期の養育者へのアタッチメントが,青年期の親密な関係に作用することになるのだろうか。関連がある,というのは統計的な記述であって,もう少し体験的に理解できる形でこのことを収めてみたい。臨床家としての私たちの拠って立つ所は,一方で事実であるけれど,他方で想像することでもあるわけで。

危機的状況で物理的保護と心理的慰めを求めるアタッチメントに基づく相互作用は,もしも養育者がこれに適応的に応答すれば,乳児に安全と安心をもたらすものになる。これを足がかりに乳児は世界を探索し,信頼に足る他者像と自尊心とを育んでいく。人は自分を助けてくれるという暗黙の前提を持って他者と関わることができるし,慰められ,褒められ,気持ちを整えてもらうことを恥じらいなく受け取れる。けれども,もしも養育者が拒否的に応答したり,養育者自身が子どもの苦痛に動揺したり,自分の心配事に気を取られているようなことがあれば,乳児の危機感は増大する(それが養育者のせいと言えるかどうかは別の話)。この状態はアタッチメントの活性化をより促すことになるし,そのうちに乳児は養育者を当てにすることをあきらめたり,ぐずぐず内気に泣くかも知れない。自尊心が損なわれ,世界は安全で安心なものではなく,人が自分にどう振る舞うかを気にしたり,逆に気にしない振りをしたりするだろう。

このような経験は神経学的・生理学的水準で,情動制御パターンとして,自己や他者の関係の認知モデルにおいて,またケアをめぐる行動レパートリーといった形で子どものものとなっていく。これが親密さへの参入に寄与する機制である(内的作業モデルとして論じられたりもする)。もしもあなたがパジャマパーティーに誘われたら,それはあまりに無防備に思えるかもしれない。パジャマでいる自分を恥ずかしく感じるかもしれないし,おかしなパジャマを選んでいないだろうかと不安で怖くなることもあるだろう。それでも嬉しくて,上滑りして,空回りして,最後は後悔して終わるとかいうことも起こりうる。雑談の続け方も分からないし,共感をどうやって示すのかも分からない,一緒に笑っていても顔の筋肉がひきつって疲れてきてしまう,そういったあれこれの水準で,一緒に楽しむ,一緒に悩むという体験を通過していくことが難しくなっている。

結局それを予想してパーティーを断るとか,せっかく輪に加わったのにうまくなじめないとかして,親密さに立ち入れない。親しくする,というそもそもの経験が足りないために,親しくなる,というプロセスに参加できない。アタッチメントが親密さに影響を与えるといった時,そうした小さなトゲのような痛みが足を引っ張っているのだと考えられる。親密であるということは無防備で,時にとてもあやういことである。

5.内密であることの閉鎖性

もしも社会的衣を脱いだところに現れた身体が本当に危険なものであったなら,なおのこと親密さは脅威となる。パーティーのはずが部屋の空気は張りつめる。実のところ,親密さとアタッチメントに関する研究で最も多いのは親密な関係における暴力intimate partner violenceではないかと思うほどに,この研究の数は多い。大学生などを中心にしたコミュニティサンプルによる研究では,アタッチメントの不安が高いことが,加害と被害の両方を引き起こしやすいことが示されている(Velotti et al., 2018)。自分には相手が必要なのに,相手はそこまで自分を思っていないかもしれない,自分にはそこまでの価値がないし,必要な時に振り向いてもらえるようにいつだってこっちを向いておいてもらわなければいけない,そうした不安を抱えて生きていることが,二者に葛藤が生じた際に,身体的,心理的暴力を振るい,あるいは暴力を甘受することにつながるようである(もちろん他にも要因があってのことだけど)。

暴力をふるうことも受けることも関係をつなぎ止める手段になるし,あるいは被害を断つことが関係の終わりになりそうで本当のところ抵抗できない。必要な時にケアがあれば良いだけなのに,それが確かでないことが怖いところなのだろう。暴力の中心にはいつも怖さがある,というのは,一つの臨床的見識であると思う。

一方,より深刻な暴力犯罪ではアタッチメントの回避性が加わってくることも示唆される(Ogilvie et al., 2014; Velotti et al., 2018)。保護と慰めを求めて誰かにくっつくことが抑圧され,回避され,かわりに有能な自己像を持ちやすい人たちに,より問題の大きい暴力が生じやすい。その場合,親密な関係における葛藤は,関係の危機というよりも,むしろ問題解決能力があり,他者の助けを必要としないという自己像や自尊心を脅かすものとなっていて,自分の価値を貶められ,痛いところを突かれ,無能であることを笑われる出来事として経験されるのかもしれない。それはどこかでうっすら頭の中にあったもので,だからこそ暴力を使っても否定しないといけない。むしろそれを刺激する相手に非があって,暴力を振るうことは正当であるし,仕方がない,相手の間違いを正すのだというふうになりやすい。それだけ執拗に自己を守ることが生き残るために必要なことであった過去と,痛みや弱さに触れられ,理解されることがそれ自体危険なことであった来歴とがあるのだろう。そう考えることも,また一つの臨床的見識であると思う。

保護と慰めを求めること,そのことの怖さと傷つきを抱えて私たちは親密さに臨んでいる。

人はどうやら他者と関わりを持ちながら生きていく生き物であるらしい。そこここに関係性が生じている。うんざりすることもあるし,社会的な服を脱いで一人になりたくもなる。けれども,それはそれで人の仕組みとして長続きがしないようである。だから,誰かのための自分を偽ることなく出会える関係を私たちは必要とする。それは誰にとってもちょっとした憧れで,気が付けば手に入れたいと願うものであるらしい。同時に親密さとは無防備で,信じるに足るものではないかもしれない。内密な排他性は私たちを閉じこめて,傷つける。どうしたものかと夜空を見上げると,どこかの家の窓にパジャマパーティの影が映って,もう一度どうしたものかと思ったりする。そんなものが実在するのだろうか? 私たちはともかくも,どうやらそうして生きていく生き物であるらしい。

文  献

  • Giddens, A.(1990)The Consequence of Modernity. Polity Press.(尾精文・小幡正敏訳(1993)近代とはいかなる時代か―モダニティの帰結.而立書房.)
  • Reis, H., & Shaver, P.(2018)Intimacy as an interpersonal process. In: Reis, H.: Relationships, Well-being and Behaviour. Routledge, pp.113-143.
  • Erikson, E. H.(1950)Childhood and Society. Norton.(仁科弥生訳(1977/1980)幼児期と社会1-2.みすず書房.)
  • Bowlby, J.(1969/1982)Attachment and loss, Vol.1: Attachment. Basic Books.
  • Schneider, B. H., Atkinson, L., & Tardif, C.(2001)Child-parent attachment and children’s peer relations: A quantitative review. Developmental Psychology, 37(1); 86-100. https://doi.org/10.1037/0012-1649.37.1.86
  • Pallini, S., Baiocco, R., Schneider, B. H., Madigan, S., & Atkinson, L.(2014)Early child–parent attachment and peer relations: A meta-analysis of recent research. Journal of Family Psychology, 28(1); 118–123. https://doi.org/10.1037/a0035736
  • Sroufe, L. A., Egeland, B., Carlson, E. A., & Collins, W. A.(2005)The Development of the person: The Minnesota Study of the Risk and Adaptation from Birth to Adulthood. The Guilford Press.(数井みゆき・工藤晋平鑑訳 (2022) 人間の発達とアタッチメント―逆境的環境における出生から成人までの30年にわたるミネソタ長期研究.誠信書房.)
  • Delgado, E., Serna, C., Martínez, I., & Cruise, E.(2022)Parental Attachment and Peer Relationships in Adolescence: A Systematic Review. International Journal of Environmental Research and Public Health, 19; 10-64. https://doi.org/10.3390/ijerph19031064
  • Hazan, C., & Shaver, P. R.(1987)Romantic love conceptualized as an attachment process. Journal of Personality and Social Psychology, 52; 511-524.
  • Velotti, P., Beomonte Zobel, S., Rogier, G., and Tambelli R.(2018)Exploring relationships: A systematic review on intimate partner violence and attachment. Frontiers in Psychology, 9; 11-66. https://www.frontiersin.org/journals/psychology/articles/10.3389/fpsyg.2018.01166/full
  • Ogilvie, C. A., Newman, E., Todd, L., & Peck, D.(2014)Attachment & violen offending: A meta-analysis. Aggression and Violent Behavior, 19; 322-339.
+ 記事

工藤 晋平(くどう・しんぺい)
所属:名古屋大学心の発達支援研究実践センター/学生支援本部、心理療法室ともしび
資格:臨床心理士
主な著書:『支援のための臨床的アタッチメント論』(ミネルヴァ書房)『アタッチメントに基づく評価と支援』(誠信書房)
主な訳書:『人間の発達とアタッチメント」(誠信書房),『精神分析のパラダイム・シフト』(金剛出版)

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