西田公昭(立正大学)
シンリンラボ 第25号(2025年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.25 (2025, Apr.)
1.「洗脳」と「マインド・コントロール」という言葉
一般に,ある個人の意思や行動が誰かの言いなりに操られることを意味して,「洗脳」というセンセーショナルな言葉が使われることがある。ただ,それが現実的に可能なのか,また,できるならどのようになされるのかを説明できる人は,いまだ多くはないと思われる。この言葉は,1950年代に中国共産党が共産主義思想に人心を統制するために強制収容所においてなされる拷問や虐待による思想の強制を意味していたとされる。
それが1980年頃,アメリカにおける一部の新宗教のメンバー勧誘や維持・強化などの管理に使われているとの問題が提起されるようになった(西田,1995)。しかし実際,暴力的な拷問や虐待によって信者を拘束していることがあからさまな団体は見出せず,新宗教への偏見による非難だとする反論も起きた。そんな論争が続く中で,80年代後半には,洗脳のような身体的に暴力的な処遇ではなく,コミュニケーションのみの操作によって他者の意思決定や行動を誘導することが可能だとする主張が現れた(Hassan, 1988 他)。この心理操作が「マインド・コントロール」と呼ばれるようになったが,そこを混同したまま,これらの言葉は一般に広がり現在に至っている。そんな心理操作によって,個人の意思決定や行動が団体や影響力のある個人によって支配される現象が,どのようなものかを概説する。
2.マインド・コントロール状態とは?
それは,自己決定権を放棄して支配者の指示に絶対服従することを是とする状態である。あるいはリーダー格からの明白な指示がなくても,常に強く忖度して依存的な行動をするようになる。そのため,受容者は一般には外見上に特徴はないが,以前のその人物像とはまるっきり変容した印象に見えることもある。受容者は自由な意思に錯覚し,支配されていることに自覚がないことが多く,その状態は,どのような明晰で論理的な批判にも耳を傾けない傾向が強いし,批判的な意見には蔑むように否定してくることもある。ただし,彼らは熱烈に団体の目標を達成するべく活動に従事するとき,以前には見られなかった自己高揚感,使命感,疲労感さらに外部に対する敵対感などの共通の感情をみせることもあるが,アンドロイドのような無表情な状態ではなく,外見では簡単に判断できるものではない。よって,それがマインド・コントロール状態に自ら陥っていることを否定する根拠にもならない。
このような状態に陥っている人は,危険な宗教や教育啓発セミナーなどの団体メンバーにおいて際立つのだが,マルチ商法従事者においても,このような否定に固執する状態に陥っていることがよくある。彼らも,身内などの家族の批判的な意見を受け付けず,仕掛けてきた詐欺師やその団体などの言いなりになっているのだ。そして受容者は,操作者から示されるビジネス成功の期待,その先には人生につきまとう不安や苦悩の消滅が説得力をもって示されて,受容者はそれらに幻惑されるのと引き換えに,永続的に理不尽な厳しい指示にも忍従するようになる。すなわち,自己決定権の著しい制限や放棄を意味することになる。日本社会のような自由主義国では,個人の尊厳を重んじるゆえ,むやみに本人の無知や脆弱性につけこんで,意思を誘導したり,自己決定権を制限したりすることは人権侵害の恐れがある。またいつまでも約束が実現せず,心身や社会・経済的に害を与える結果になるならば,道徳的にも逸脱することになる。
ただし一般社会にも,子どもや病人,さらには職務からの特別な事情における一時的な制限はある。さらには,自らこのような状態を望み,進んで自己決定を放棄する場合もある。つまり,宗教メンバーが教祖などのリーダーに対して,また精神的不安を抱える者の中にはセラピストに対して,カリスマのような超越的能力を見出して接近し,その存在に完全依存することを至上の喜びや癒しとする心理があることも考えられるのだ(Lindholm, 1990)。特に息苦しい現実に耐えかねているとき,迷うことなく正しい生き方を提供してくれる依存は,脳内モルヒネ(エンドルフィン)を分泌させ,不安を低減してくれる(Dunbar, 2022)。こんな依存は「自由からの逃走」であり(Fromm, 1941),自律に価値を置く現代の日本や欧米では,安易な責任回避であり,社会的に不適応状態とみなされるであろうが,異文化においては受容されたり称賛されたりするかも知れないことには気づいておくべきであろう。
このように,依存したいという受容者の意思があってそれを操作者ないし支配者に提供してもらうことでも,本人が幸せならそれも自由であり,いくら個人の責任だの尊厳だのが大事でも,他人がとやかくいうことではないのではないか,という意見も以前からある。しかし,その状態は実現しているとはみなせないし,家族や恋人のような重要な関係者をまきぞいにして不利益や不幸をもたらす自由はどこまであるのかも問題になろう。特に日本社会は,家族との相互依存関係を大事にするため,アメリカ的な個人の自由とは同じ基準にはないと思われる。また最近では,親の信仰のために,それに沿った世界観や人生観しか知らずに育ちながらも,それ以外の望む人生の行方があることに気づき,それまでの息苦しさを感じて抜けようと,社会的支援の少ない中でもがく「宗教2世」が注目された(冠木,2022;小川,2023 他)。
つまり,社会問題視されるマインド・コントロールとは,受容者やその親密な関係者の利益をないがしろにする。受容者は,支配を目論む操作者に騙されて,自分の人生観が誤っていると思いこまされ,予期される不幸を回避するためには,相手の思想や指示に盲従したり,あるいはその意向を忖度したりするしかないと信じさせられる。そして支配が完成すると,団体やそのリーダーに期待されない行動には,明らかな脅しがなくても耐えがたく重い罰が課せられる恐怖が喚起する状態になる。そんな心理操作が巧みに用いられ,霊感商法やマルチ商法にも従事させられている(西田,1998)。なお他に支配者が要求するのは,たいていが金銭搾取,労働や性の奉仕であり,ときには自爆テロリストにさえ誘導されることがある。このような,信者に厳しい要求を見返りにして実現しえない“夢”を見させる団体のことを宗教的装いの有無にかかわらず「破壊的カルト」,略してカルトと呼んできた(Hassan, 1988)。
3.信者を養成するマインド・コントロール行為
この依存的な状態は,上述したとおりであるが,どのように仕掛けられて,そのようになるかがさらに重要であろう。もちろん,その仕掛けが失敗に終わることもある。また,意識して相手を支配して搾取してやろうという悪意の企みばかりではなく,結果的に遂行してしまう者もいるかに思われる。なお,その仕掛けの心理操作手法も誰かに教えられたわけではなく,操作者の欺瞞的なコミュニケーション術は,試行錯誤で手に入れたのではないかと思われる。しかし,不思議と共通したそれが用いられているような感想を抱く。そんな操作者は,心理学ではダークトライアド特性と呼ばれて注目されるが,自己中心的で尊大な自己愛が強く(ナルシシズム),無責任に他者の思考や感情を操ることに躊躇なく(マキャベリアニズム),法や道徳に対するコンプライアンスに欠如した(サイコパシー)人物や(Paulhus & Williams, 2002),そんな人物が中心的リーダーとなって組織したりする集団は常に複数存在し,類似の仕掛けを巧みに施して受容者やその近親者を被害にあわせていると思われる。
それでは,マインド・コントロール状態に誘導するまでの仕掛けに用いられる欺瞞的なコミュニケーションの典型的全容を概説する。
1)偽装の信頼構築
最初の接近段階では,ターゲットが勧誘を断りにくい状況や場面を偽装する。具体的には,有能なセールスマンのように承諾誘導の法則を駆使して,断ると親切な相手に失礼だと思わせる(返報性),ターゲットを賛美したり高く評価して喜ばせる(好意性),勧誘者は信頼できる専門的知識がある人だと装う(権威性),毎回のアポイントメントにおいて執拗に念を押したり期待をかけたりする(コミットメントと一貫性),今回の出会いが最高で最後の稀少なことのように装う(希少性),仲間集団で囲んで説得する(社会的証明)などの無意識的に承諾を誘導する原理(Cialdini, 1988)が,巧妙に組み合わされて勧誘してくる。
あるいは,接近者は長期間にわたり素性を隠してターゲットの良き友人や隣人として振る舞い,ターゲットが何かの悩みを抱えている機会や不安に陥りそうな問題を探しだそうとうかがうことさえある。また直接ではなく,一歩先に勧誘に成功した友人や家族を用いて雪だるま式に勧誘してくることもあり,そんな無垢の知己からの紹介であることから,隠された意図に気づかないため,まったく安心しきって危険な話を受け止めてしまいやすい。
このとき接近者は,入会の勧誘という本当の目的を告げず,嘘をついて別の活動目的や団体名を偽装して,ターゲットに安心を与えようとすることがある。このところ,家族や大学などからカルト勧誘に気をつけるように警告されている若者も多いため,まったくその気配を消している。あるいは,家族や友人のような既に信用している人を介して近づいてくる。一般に,人は自分をわざわざ悪い人には思われたくない自己呈示という心理があり,話を聞くだけなら良いなどの,つい彼らの意図どおりの反応をしてしまう。
2)社会的遮断
操作者は,ターゲットが他者に相談したり意見を参照したりする機会を奪う。たとえば,ターゲットは一人きりの状況におかれ,複数の勧誘者に取り囲まれるような環境で説得的なメッセージを受ける。このとき操作者は,被害者の身の上相談に親切そうに対応し,自分たちだけができる解決の方法があるかのように語りかけるが,「他の人には理解しがたい内緒話だ」「自分で十分理解してからでないと誤解されるだけ」などと口外しないように仕向けるのだ。また「あなたが信頼しているあの人には,実は邪悪なもくろみがある」「あなたは陰で非難されている」などと嘘や情報の隠蔽によって批判的な情報やその発信源となる批判的な人物を遠ざけることさえある。さらにはターゲットに支援的な人に対しても同様に,ターゲットは「実はあなたを良く思っていない」「本当は嫌っている」などと嘘の密告をして,築いていた良好な対人関係を破壊しようと画策することもある。また昨今では,インターネットによる非対面の勧誘が増えてきたが,この方法だと,ターゲットの居場所を選ばず,しかも他者が事態に気づきにくく,容易に社会的遮断が操作できる。そんな手法で構築されたターゲットの孤立状態が,常識的で妥当な判断を困難にさせる。
3)無力感と恐怖
その上で,まさかの恐怖話をはじめる。ターゲットの抱えている不安を見出し,それを煽り,その解決に無力な現実を突きつけて恐怖で満たしてくる。しかも操作者は,素性を隠したSNSを駆使して情報を集めたり,いろんな周囲の親密な関係者に接近したりすることで,ターゲットの弱点や悩み事を見つけて攻めるのだ。すると,そこは不完全な自分がいるわけであり,思春期になって自立が求められる成人初期の頃には,解決困難な問題を抱えていることは少なくない。たとえば,自分へのコンプレックス,生き方に迷い,孤独感や疎外感,家族不和,経済的不安,歴史秘話や陰謀史観,世界平和の実現,生命の根源や死後の世界,宇宙の神秘,万人の幸福,等々に対して躓くことがある。もし信頼している人が,カルト勧誘の偽装とは知らずにそこを突いてきて,自分たちはその解決法を知っているから聞きたくないかと誘われると,興味を抱くのは道理であろう。
操作者は,タイミングを見計らって攻めてくることも多く,すでに団体の主催するイベントや集まりに何度も参加して,温かい対人関係が構築されたあとだったりするのだ。いつしかターゲットの周辺には,古くからの支援者は心理的に遮断された状態になっているため,勧誘団体のメンバーばかりになっているので,隠秘や欺瞞は気づかれず,一方的な説得メッセージが効力を発揮するのである。今時なら,ネットで調べればすぐにも見破れそうに思うかも知れないが,そこで得られる批判情報ぐらいは,上手くかわせるように,勧誘するカルト側も入念に対策をしている。
さらに,ターゲットは抱えている悩みや達成が困難な課題に対して不安を煽られると,今こそその解決をしないと身の破滅になると恐怖を植え付けられる。その時操作者は,強力な影響力を密かに発している,という架空の人物や組織,また悪魔,悪霊などのオカルト的存在を創りあげて,それらから攻撃や脅迫を受けている被害者であるかのように語ることで強い恐怖を煽ることさえある。つまりターゲットは,前段階の操作によって既に孤立状態に陥っているので,心理的な動揺が増幅しても相談できる他者は団体内部にしかいないため,疑念も振り払えず,操作者の語る非常識な話の続きにのみ解決策があるように誘導され,団体やそのリーダーに対して依存心が膨らむのだ。
4)権威の欺瞞的構築
そこで操作者は,自分たちが崇拝するリーダーこそが唯一無二の救世主,すなわち超人的な能力の持ち主であり,窮状を打開できるのは,そのカリスマの指示に従うしかないと語りかけてくる。また,すでにその偉大なる計画は成功しつつあるから,今こそ絶好で最後の希少な機会だと強調して加わるよう誘うこともある。しかし,このような語りは支配者に都合の良い情報であるばかりか,客観的には事実が確認できない事柄を巧みに利用しているので,否定することができない状態になっている。
この段階でターゲットが見聞きするのは,全くのフェイク情報であったり,自分たちに都合の良い著名な人物や偏って集めたメディアの情報ばかりであったりだが,そんな欺瞞でも,批判する人はいない環境なので,嘘や隠蔽が駆使され権威性の高さについて確信を高めることに貢献する。それは,これまでの段階的な心理操作の相乗効果が作用している上での情報提供であるため,すでに自力で対抗することは困難な事態にあるといえよう。
5)幻想の期待
ターゲットが望んだり,憧れたりするような人生の意義や到達したい目標や“夢”の実現などや,平和で豊かで平等な社会などの理想イメージを描き幻惑してくる。この時,いくつかの証拠も見せてくるかも知れないが,実は欺瞞であったり,決定的な矛盾を隠秘したりで,幻想なのである。もし,ターゲットが何らかの疑問を抱き問いかけても,操作者に十分な論理や証拠がない時には,「信じなくても勝手ですが,もし本当だったらどうします?取り返しがつかなくなっても知りませんよ」と急に突き放すように自信を持って断言されるが,その真偽を科学実証的に確かめる方法はない。ターゲットは,もし本当に彼らのリーダーが超人ならば,たとえ一般常識では荒唐無稽に思えても実現できるはずだと考えるし,そこは証拠がなくとも信じてみるしかない,と考えてしまうのである。
彼らは自分たちにとって都合の良い事が実際に起きると,それは客観的には全くカリスマの所業とは無関係でも,いかにもその実態を引き起こしたという嘘の話をすかさず作り上げる。他方で,たとえ操作者に都合の悪いことが起きて,ターゲットに芽生えた疑問を問い質されたとしても,「あなたの努力が足りなかった」「でもリーダーの力で被害を抑えられた」などと言い訳され,まったく信念を揺るがせない仕組みがある。
6)自己価値の放棄
ターゲットはこの段階まで話を聞かされると,「危機を避ける機会は今しかない」といった切迫した心境に追い込まれ,怖いので辛くとも追随するしかなくなるのだ。ターゲットが完全に受け入れる意思を示すようになると,操作者は解決の条件として,次々と厳しい要求を突きつけてくる。つまり,多額な金品の寄附を善行として望み,仕事,学業や将来の夢を諦め,これまで親密で支援的な人々とは絶縁しないと成功しないと誘導するのだ。
ターゲットが操作者のそんな辛い指示や期待に対して躊躇していると,「せっかく特別に期待をかけてあげたのに残念な人だ」「そんなだからダメなのだ」と急激に冷たい対応をとって罪悪感と切迫感を与える。ターゲットは,「もうこれ以上考えても堂々巡りにしかならない」「今さら後戻りはできない……,突き進むしかない」「この犠牲はいつかきっと報われる」と,苦渋の選択に追い込まれて自己決定の権利を放棄すると,操作者のどんな過酷な指示にも従うようになる。これが最後の自己決定となってしまう。
以上の過程を経ると,ターゲットは自分の経験で培った心理的現実が歪み,自己決定を放棄してリーダーによる意思決定に依存するようになり,もはや別人のように,勧誘者やそのリーダーが期待するどんな指示にも従順な人になるばかりか,リーダーの考えを常に強く忖度するようになってしまう。つまり,マインド・コントロール状態が完成するのだ。
4.信者を維持・強化するマインド・コントロール行為
不当で配慮に欠ける心理操作の行為はそれでとどまらず,メンバーとなっても継続されることが少なくない。なぜなら,そうしないとリーダーに示された理想の自分や社会はいつまで経っても実現しないのであるから,メンバーは堕落したり脱会したりして指示に従わなくなったりするのは道理である。もちろん,メンバーは通常,家族などとの支援関係を断ち,全財産やそれに近い多額の献金,労働や性の奉仕などの耐え難いほどの自己犠牲を捧げているので,仮に心理操作が緩んでも簡単には脱会することはない。つまり,脱会はこれまでの犠牲的活動を否定することを意味するだから,正当化しがたいのだ(認知的不協和という)。
しかし,貧困や修行的な厳しい生活が続き,いつまでも幸せが実現しないために耐えられなくなるメンバーもいる。そんな人々を後ろから追いかけたり,前に立ち塞がったりして阻止することは,あからさまにはできないだろう。そこで受容者は,引き続き,カリスマ的権威としてリーダーを,一方で称える情報に接触させられ,他方で批判的な情報を回避させられることがある(1偽カリスマ権威を崇拝)。また,一般メディア情報への接触禁止が指示されたり,集団外部の批判的な人々との親密な交流は,忌避したりするように指導されることもある。さらに受容者は,常に組織の活動には熱狂的に従事するように求められたり,多額の特別献金が債務であるかのように求められたりする。つまり,理不尽なまでの自己犠牲的な奉仕が,暗黙の心理的な圧力がかけられながら期待されている(2責務・自己犠牲的奉仕)。
また,外部からの批判は,野蛮な行為,悪魔的な行為とみなして暴力的に攻撃することもあるし,組織内部からの批判も指示の理解不足とみなして控えさせられることがある(3集団内外からの批判封鎖)。つまり,組織の外部のみならず内からも言論の封鎖がある。なお,義務のような日常的な組織への奉仕活動において,ストレスや緊張感,睡眠不足や栄養の枯渇状態などに習慣的に誘導することで,批判的思考力が働きにくくなっていた団体もあった(4生理的剥奪の日常化)。
さらに,メンバー間では,プライバシーに細かく干渉して相互に脱落しないように見張ることが推奨されることがある(5集団監視体制)。たとえば,頻繁に定期的に集会に参加させたり,家庭さえも巡回して,指導者役がメンバーの行動を監視したり,常に個人の活動事情を報告,連絡,相談することを義務づけたりして,メンバーの心理状況を管理する。違反した者には,厳しい罰が与えられることもある。また,家族全員が信者の場合,そのうちの誰かが団体規範に逸脱的行為をとることは,家族全体の堕落と疑われるので相互に監視して戒めあうことになる。またさらに,結婚もメンバー間のみに許可することで,外部からの批判や堕落的な誘惑を遠ざける組織もある。
以上のような集団システム管理によって,一度メンバーになった者は,心理的に自己封印してしまい(Lalich, J., 2004),脱会しなくなる。つまり,受容者の心中には,目には見えない“壁”ができていて,その中に自分がいるのだけれども,従順な時には意識しない。しかし,カルトは欺瞞に満ちた団体だけにどうにも正当化しがたい否定的な問題が起こり,組織からの逸脱を意識することはある。それでも,その時の受容者は外部からの温かい支援が得られないと,その心理的な障壁にぶつかってしまい,耐えがたい恐怖に陥るため脱会には至れないことが多い。
さて,以上が概説であるが,マインド・コントロールは虚構ではなく,数々の悲劇を生んできた現実的なコミュニケーション影響力である。本稿が示したその犠牲者になったり加害者になったりする心理操作の理解をふまえて,個人として,社会として,どのような対処が望まれるかについて,心理臨床のみならず,政治,行政,法曹などに関わる幅広い方々に今後の議論を期待したい。
文 献
- Cialdini, R.(1988)Influence: Science and Practice. Allyn and Bacon.(社会行動研究会編訳(2024)影響力の武器(第三版):なぜ,人は動かされるのか.誠信書房.)
- Dumbar, R.(2022)How Religion Evolved. Oxford University.(小田哲訳(2023)宗教の起源:私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか.百揚社.)
- Fromm, E.(1941)Escape from Freedom. Farrar & Rinehart.(日高六郎訳(1965)自由からの逃走.東京創元社.)
- Hassan, S.(1988)Combatting Cult Mind-Control. Park Street Press.(浅見定雄訳(1993)マインド・コントロールの恐怖.恒友出版.)
- 冠木結心(2022)カルトの花嫁:宗教二世 洗脳から抜け出すまでの20年.合同出版.
- Lalich, J.(2004)Bounded Choice. University of California Press.
- Lindholm, C.(1990)Charisma. Blackwell.(森下伸也訳(1992)カリスマ:出会いのエロティシズム.新曜社.)
- 西田公昭(1995)マインド・コントロールとは何か.紀伊國屋書店.
- 西田公昭(1998)「信じるこころ」の科学:マインド・コントロールとビリーフ・システムの社会心理学.サイエンス社.
- 小川さゆり(2023)小川さゆり,宗教2世.小学館.
- Paulhus, D. L. & Williams, K. M.(2002)The Dark Triad of Personality: Narcissism. Machiavellianism and Psychopathy. Journal of Research in Personality, 36; 556–563.
西田公昭(にしだ・きみあき)
立正大学心理学部対人・社会心理学科教授
日本社会心理学会会長,日本脱カルト協会代表理事
主な著書:『なぜ、人は操られ支配されるのか』(さくら舎),『だましの手口:知らないと損する心の法則』(PHP新書),『「信じるこころ」の科学:ビリーフシステムとマインド・コントロールの社会心理学』(サイエンス社),『マインド・コントロールとは何か』(紀伊國屋書店)