【特集 神経精神分析】#06 神経学・精神分析・神経精神分析|笠井 仁

笠井 仁(静岡大学)
シンリンラボ 第24号(2025年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.24 (2025, Mar.)

精神分析は創始者フロイトの神経学的研究に端を発し,その発想は後継者たちの協力によってさまざまな方向に発展していった。一方,神経心理学者であり精神分析家となったソームズは,フロイト理論の神経学的基盤を明らかにするとともに,フロイトの業績の掘り起こしを精力的に行い,英訳標準版フロイト全著作集の改訂に取り組むことになった。本稿では,神経学から精神分析,神経精神分析への展開を跡づけながら,精神分析と神経精神分析の協働の現状と今後の展望について論じていくことにしたい。

1.神経学から精神分析へ

ユダヤ人の毛織物商人の息子として東欧モラビアのフライベルク(現チェコ・プシーボル;現在,生家も博物館として公開されている)に生まれたジークムント・フロイト[1856-1939]にとって,将来を夢見て家族で移住したオーストリア帝国の首都ウィーンでの安定した生活を得るためには法律家になるか医師になるかしかない中,医師の道を選んで1873年にウィーン大学に入学して医学部で学ぶことになった。そこでエルンスト・フォン・ブリュッケの生理学研究室に入って,ヤツメウナギの神経細胞などについて組織学的な研究を行っていった。1881年に大学卒業後は,一時期コカインの研究に入れ込むこともあった。

1885年には奨学金を得てパリに留学し,ジャン=マルタン・シャルコーのもとでヒステリーや催眠について臨床神経学を学ぶ。ウィーンに戻って,ユダヤ人ゆえに大学にポストを得ることは難しいと考えたことや結婚を控えていたことから,1886年にウィーンⅨ区で開業医生活を送ることになった。ここで当時のヒステリー患者に対して,市内で開業する先輩医師であったヨーゼフ・ブロイアーが行っていた催眠カタルシス法による治療を行っていった。この頃の成果は,ブロイアーとの共著で『ヒステリー研究』として1895年に刊行されている。フロイト自身は自分が催眠を行うのが下手なためと考えたが,実際には催眠の体験には個人差があり,催眠に入らない患者もいることから,催眠を用いずに心に思い浮かぶことを自由に話していく“お話し治療”へと移っていくことになった。

1896年に父ヤーコブを亡くすと,フロイトは広場恐怖などの神経症症状に苦しむことになり,友人であったベルリンの耳鼻咽喉科医ヴィルヘルム・フリースとの手紙のやり取りの中で自分自身や自分の見た夢について分析を進めていった。その中で得られた認識は後に父-母-子の三者間の葛藤であるエディプス・コンプレックスの理論となり,精神生活における夢の果たす役割に重きを置くきっかけとなっていった。1900年に刊行された『夢判断』はほとんどがフロイト自身のみた夢にもとづくものであり,実際には1899年のうちにできあがってはいたものの1900年刊と記して,この本が20世紀を画するものになるとフロイトは考えていた。言うまでもないことであるが,1900年は19世紀最後の年である。

この時期フロイトは,開業医生活を送りながら,神経学領域の論考も多く発表している。「失語症について」(1891),「小児脳性麻痺」(1897)は,その中でも代表的なものであろう。そして,1895年にまとめられた手記が「科学的心理学草稿 Project for a Scientific Psychology」であった。第Ⅰ部と第Ⅱ部は8月にフリースに会った直後の列車の中で書き始められ,9月25日に完成した。第Ⅲ部は10月5日に書き始められて,8日には手記全体がフリース宛に送られている。これはフロイトの死後に「精神分析の起源」の一部として,1950年に独語版,1954年に英訳版が刊行された。この手記にタイトルは付けられておらず,フリース宛の手紙の中で「草稿 [独]Entwurf/[英]Draft」とだけ表現されていた。これは「神経学者のための心理学」として考想したもので,第Ⅰ部:一般的な計画,第Ⅱ部:精神病理学,第Ⅲ部:正常なψ(心理)過程を記述する試み,からなっていた。当時の脳生理学の知見にもとづきながらも,具体的な心理学的仮説や,一般的な理論的仮定,さまざまな示唆にあふれた論考であり,これらは後のフロイトの著作の中で展開されていき,精神分析の理論体系となっていった。

1905年になって出版される「あるヒステリー患者の分析の断片」は,18歳の少女「ドラ」の夢の分析を中心とした論考であるが,実際の治療期間は1900年10月から12月31日であった。ドラとの治療は中断によって終了することになるが,フロイトはその考察からドラの発症状況をめぐる人間関係にもとづく転移を発見することになった。1907年10月には,後に「強迫神経症の一症例に関する考察」(1909)として発表される「ねずみ男」の治療を始めている(1908年1月まで)。その治療記録は唯一残されて公刊もされているが,この記録を見ると,治療は毎日行われており,抵抗のあらわれをあらかじめ織り込んだ治療の「基本原則」も現在と同じように伝えられていることがわかる。この後,初期の頃からの支持者であったアルフレッド・アドラーやヴィルヘルム・シュテーケル,後継者とまで考えたカール・グスタフ・ユングの離反が続く中で,1911年から1915年にかけてフロイトは自身の正当な精神分析療法を明確にする技法論を相次いで出版するが,この頃には患者はカウチに横臥して,治療者は患者の背面に座し,毎日治療を行って,転移と抵抗を扱うという,臨床技法としての精神分析の基礎はできあがっていたということができる。さらに心理-性的発達,局所・構造,力動,欲動,防衛に関する理論について,協力者たちとともにメタサイコロジーとして展開していくことになる。

フロイトは1938年3月にナチスがオーストリアに侵攻した後,6月になってようやくアーネスト・ジョーンズの説得に応じてロンドンに亡命した12月7日に,イギリス国営放送BBCによるインタビューで次のように述べている。

「私は専門家の活動を神経科医neurologistとして始めました。
神経症患者の苦しみを和らげようと思ったのです。
先輩の影響を受けたり,自分自身で努力して,新しい重要な事実を発見しました。
精神生活における無意識や,本能衝動の役割などについての事実です。
これらの知見から,新しい科学である精神分析が生まれました。
心理学の一部であり,神経症の新しい治療法です。
この小さな幸運には大きな代償を払わねばなりませんでした。
人々は私の事実を信じませんでしたし,私の理論を不快だと考えました。
抵抗は強く,容赦ないものでした。
最終的に弟子たちを得て,国際精神分析学会を設立することができました。
それでも,闘いはまだ終わっていません。
[ドイツ語による短い文章]
82歳のときに,私はドイツの侵攻のためにウィーンの自宅を去って,イギリスにやっ
てきました。ここで私は活動を自由のうちに終えたいと思います。
 ジークムント・フロイト」

末尾のドイツ語以外,フロイトは英語で書かれた原稿を読んでいる。それでも「小さな幸運」の箇所で「グッド・ラック」と言うべきところを「グッド・ルック」とドイツ語なまりで発音している。最晩年に至っても,フロイトにとって自身の出発点は神経学者・神経科医にあることをはっきりと言明しており,その後の精神分析運動の展開を要約した発言になっている。ちなみに,フロイトの晩年の論説『続精神分析入門』(1933)には有名な「精神装置図」が掲載されている。これは脳の出先機関と言われるほど微細な神経細胞からなる網膜を含む眼球をモデルにして考案されたものであり,左側にある超自我(実は印刷の都合により縦長の形で掲載されているが,もともとは横になっていたもので,そうするとこの部分は本来のドイツ語の意味である自我の上にあるものとなる)と右側にある自我とイドとの間を隔てる部分は,19世紀末に発見されたニューロンを模式化した形で描かれている。神経学者であったフロイトの片鱗をうかがわせるものである。

上記のフロイトの生涯と業績については,ピーター・ゲイ『フロイト』(1997,2004)を参照されたい。

2.精神分析から神経精神分析へ

マーク・ソームズ[1961-]は,アフリカ南部のナミビアでデビアス系のダイヤモンド採掘会社を営む父のもとに生まれた。南アフリカで心理学を修めるとともに精神分析に関心をもつようになり,1985年に大学院に進学して神経外科で神経心理学の研究を進め,その後ロンドンに渡って神経心理学者として活動する一方で,1989年から精神分析インスティテュートでアンナ・フロイトの流れを汲む分析家のもとで訓練を受けて精神分析家となった。彼が神経心理学を学ぶことにした背景は,彼が4歳のときにいつも一緒に遊んでいた2歳上の兄リーがヨットのクラブハウスの屋根から落ちて脳に損傷を負い,人格がすっかり変わってしまったことがあったという。

ソームズは,神経外科で脳梗塞や脳出血,脳腫瘍,脳挫傷など脳に器質的損傷を受けた患者たちに接する中で,夢見の変化に関心を抱くようになった。こうしてまったく夢を見なくなったと報告する患者たちがいることがわかり,19世紀後半に確立された失語や麻痺のような症状からその中枢を探求する臨床解剖学的方法にもとづいて,患者の脳の損傷部位との対応関係を検討していった。その結果,頭頂葉の下部(頭頂側頭後頭接合部)か両側深部前頭葉(前頭葉腹内側部白質)のいずれかに損傷があると,夢見がなくなることがわかった。前者は心的イメージの産出に関わっており,後者は動機づけのシステムに関わる部位とされている。さらには,レム睡眠と夢見とを同一視して,脳幹部からの刺激によって前脳でランダムな記憶イメージや思考,感情がつなぎ合わされるとする,当時の夢見に関する中心的な理論とされていたJ. アラン・ホブソンらの主張に対して,脳幹部に損傷を負っても夢見がなくなることはないことを示し,レム睡眠と夢見とは同じではないことを指摘した。ホブソンは自身の理論に従って夢には意味がないとフロイトを徹底的に否定していたが,その主張の土台が崩れたのである。ソームズはまた,脳に重大な損傷を負った人たちに精神分析的なアプローチを行い,豊かな精神生活があることを示していった。こうして,ソームズを中心とした神経科学者,精神分析家たちによって,神経精神分析という研究領域が確立していった。

ソームズはその後,アメリカの感情神経科学者ヤーク・パンクセップのSEEKING,LUST,RAGE,FEAR,PANIC/GRIEF,CARE,PLAY(いずれも,神経基盤をもつものとして大文字の英語で表記される)という7つの基本的情動の考え方によって,人間の意識や動機づけについての議論を進めていった。さらに近年は,イギリスの計算論的神経科学者カール・フリストンの自由エネルギー原理によって,心的エネルギーや意識についての理解を大きく更新していくことになった。これはフロイトが依拠していた,エネルギー保存の法則を定式化した19世紀ドイツの物理学者・生理学者ヘルマン・フォン・ヘルムホルツの考えを展開したものでもある。ソームズはまた,フロイトが無意識的と考えたイドについても意識的なもの(Conscious Id)として議論を展開している。ソームズは以上に論じたような心と脳の関係について,心の働きを脳の活動に還元してとらえるのではなく,同じものごとの両面として理解しようとする「二面的一元論」を提唱している。

以上の議論の詳細については,本特集の他の諸論考や岸本(2015),ソームズ(2021)を参照されたい。

ソームズは,ジェームズ・ストレイチー総編集による英訳『標準版フロイト全著作集』(The Standard Edition of the Complete Psychological Works of Sigmund Freud, 24 Vols, Hogarth Press, 1953–1974)の改訂を手掛けていることが30年ほど前から告知がなされていて未刊のままであった。同時にソームズはまた,フロイトの神経学に関する未特定の論考(Solms & Saling, 1990)や手書きの図表類(Gamwell & Solms, 2006)を発掘して刊行している。

そしてソームズは,1984年に一度は手掛けながらも断念していたフロイトの「科学的心理学草稿」を新しい知見にもとづいて改訂しようという試みを,その第Ⅰ部についてパンクセップとフリストンの考えを大幅に取り入れて完成させ,2020年に『神経精神分析Neuropsychoanalysis』誌上に発表することになった。これには,編集者からの求めに応じて,別に追加,修正,削除の箇所を明示した「変更履歴」版も入手可能になっている。追加,修正された箇所には下線が付されていて,多くの部分に手が加えられていることがわかる。ここで彼は主な改訂点として,(1)「欲動エネルギー」の前身であるフロイトの「量」という概念は「自由エネルギー」という概念に置き換えられること,(2)シャノンの「情報」の概念,物理学でいう「エントロピー」の概念が導入されること,(3)エントロピーに抵抗すること,つまり予測可能性を高めることが「ホメオスタシス」の基本的な目的で,これはフロイトの「神経細胞の慣性の原則」と呼ぶものの根底にあるメカニズムであること,(4)記憶の物理的な媒体であるフロイトの「接触障壁」の概念は現代の「固定化/再固定化」の概念と結びついていること,(5)フロイトの感覚の「興奮」という考えは「予測誤差」という概念に置き換えられること,(6)フロイトの概念である「拘束された」(抑制された)備給は彼の「二次過程」と随意的行動の主要な手段であって,「ワーキングメモリ」の緩衝機能と同一視され,フロイトの「一次過程」の媒体である「自由に動ける」備給は非陳述的記憶システムの自動化された反応モードと同一視されること,(7)フロイトのω(「意識」というシステム)の概念は「覚醒」や「シナプス後ゲイン」としても知られる「精度」調節の概念に置き換えられること,を挙げている。

3.神経精神分析と精神分析

『改訂標準版(The Revised Standard Edition)フロイト全著作集』(Rowman & Littlefield Pub)は,2024年6月に全24巻が一括して刊行された。これは,標準版の訳文や注釈を全面的に見直して脱落や誤訳を修正し,未収録著作を新たに英訳して追加し,原語を併記した新たな注記や訳注,用語集,標準版との相互参照などを収録したものである。新しく追加された部分にはやはり下線が付され,以前の版との違いが一目瞭然になっている。イギリスの心理療法家アダム・フィリップスの総編集になる2000年台に刊行されたPenguin Classicsのフロイト英訳シリーズでは,文学畑の翻訳者が多く起用され,精神分析の基本用語がドイツ語から字義どおりに英訳されて,イド(id;エス,[独]Es)が“it”,自我(ego;[独]Ich)が“I”,超自我(superego;[独]Überich)が“over-I”,“upper-I”,“above-I”などのような言葉が充てられたこともあったが,英語圏でこのような言葉遣いが一般化することはなかった。ソームズの改訂版はイギリス精神分析学会のもとで進められた企画でもあり,精神分析の伝統を保持しつつ,今後の世界中の精神分析研究と実践の新しい標準テキストになっていくことだろう。

神経精神分析は,英米でも日本でも精神分析の本流からは好意的に受け入れられているとは言い難い状況が続いてきた。初期の頃からソームズの業績を評価していたのは,学習や記憶の神経メカニズムに関する研究により2000年にノーベル生理学・医学賞を受賞したウィーン生まれでアメリカの脳神経科学者エリック・R. カンデル,『レナードの朝』などのベストセラーで知られるイギリス生まれでアメリカで活躍した神経科医オリバー・サックスといった神経科学者たちであった。しかし最近,精神分析界の重鎮オットー・カーンバーグがソームズの「科学的心理学草稿」の改訂版を高く評価するコメントを『神経精神分析』誌上で発表し(2021),さらに翌年にはカーンバーグ自身が同誌上で「神経生物学の新しい発展が精神分析的対象関係論にもつ意義Some implications of new developments in neurobiology for psychoanalytic object relations theory」と題する論文を発表して,動機づけシステムとして欲動というよりパンクセップのいう情動が重視されるとともに,連合皮質と海馬の成熟に応じた早期の対象関係のあり方やイド・自我・超自我の構成,これに対応した精神分析技法との関連について論じている。これに対して複数の精神分析家たちがコメントを寄稿して議論が展開されている(鳥越,2024)。神経精神分析と精神分析との生産的な対話が今後深まっていくことが期待される。

文 献

フロイトの著作については,表記の都合上,原則として論文・著書名を人文書院版『フロイト著作集』に依拠している。

  • Freud, S.(1938)BBC Interview. Dec. 7th, 1938. BBC. In Tögel, C. (Hrsg.) (2022) Sigmund Freud Gesamtausgabe. Bd. 21. Psychosozial-Verlag. p.221.
  • Gamwell, L. & Solms, M.(2006)From Neurology to Psychoanalysis: Sigmund Freud’s Neurological Drawings and Diagrams of the Mind. Binghamton University Art Museum.
  • ゲイ,P. (鈴木晶訳)(1997,2004)フロイト1・2.みすず書房.
  • 岸本寛史(編)(2015)ニューロサイコアナリシスへの招待.誠信書房.
  • Solms, M. (2020)New project for a scientific psychology: General scheme.  Neuropsychoanalysis, 22, 5-35. [岸本寛史により翻訳準備中]
  • ソームズ,M. (岸本寛史・佐渡忠洋訳)(2021)意識はどこから生まれてくるか.青土社.
  • Solms, M. & Saling, M. (Eds.)(1990)A Moment of Transition: Two Neuroscientific Articles by Sigmund Freud. Karnac Books.
  • 鳥越淳一(2024)神経科学に基づく精神分析的対話の構築.精神分析研究,68 (3),398-400.
+ 記事

笠井 仁(かさい・ひとし)
静岡大学人文社会科学部
資格:公認心理師,臨床心理士,指導催眠士,自律訓練法専門指導士
著書:『特集 催眠』(編著,精神療法46(1),金剛出版,2020),『フロイト 「ねずみ男」精神分析の記録』(分担執筆,人文書院,2006),『ジェームズ・ストレイチー フロイト全著作解説』(分担執筆,人文書院,2005)など

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