【特集 神経精神分析】#04 心理臨床に活かす神経精神分析|秋本倫子

秋本倫子(東洋英和女学院大学)
シンリンラボ 第24号(2025年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.24 (2025, Mar.)

1. 神経精神分析以前

(1) 脳損傷のリハビリテーションとの出会い

筆者を神経精神分析へと導いたのは,「神経精神分析以前」の,心理臨床での患者さんたちとの奇跡のような出会いである。

筆者はもともと人間学的・哲学的な臨床心理学や深層心理学を学んでいたのだが,東京都に就職し,思いがけなく高齢者専門病院のリハビリテーション科に配属された。そこでは,脳血管障害やパーキンソン病のような脳に損傷を負った方と日々向き合うことと,主として認知機能のアセスメントと認知機能を回復させる「訓練」が求められた。リハビリ開始前と終了時で認知機能検査の「数値」がどう変化したか,が重要視されているように見えた。こころの専門家になるはずであったのに,脳という物質の専門家になることを求められているような違和感が筆者にはあった。

(2)脳損傷の方のこころに出会う

勤め始めた初期の頃,重度の失語のため自分の思うことを言葉にできず,文字も簡単な図形すらも描くことができず,たびたび怒りを爆発させ,その果てに精神病院に送られ,そこで亡くなった患者さんがあった。悲しくてせつなくて,このような方の苦悩に何ができるのかと考えた。当時の筆者がバイブルにしていた,小山(1985)やプリガターノPrigatanoら(1987)の書物には,脳損傷の患者さんのこころのありようを映し出す見事な描画の例があった。しかし,描画ができる脳損傷の患者さんは少なかった。筆者は,絵が描けなくてもつらさを表現できる手段はないかと考え,脳損傷の患者さんに対する効果も意義もわからないまま箱庭療法を始めた。これが,私の人生にとって1つの決定的な出来事となった。

その最初の頃に出会った柿崎さん(仮名)は,70代の男性で,脳梗塞による左片麻痺があり,左手を三角巾で包んだ姿で車いすに乗って心理室に現れた。何かを問うても,ぼそっと一言で終わる以外の発語がほとんどない。左半側空間無視(半側無視とは,麻痺がある側の視空間に注意が向かない症状。右脳損傷で左側に現れることが多い)や視空間認知の障害があり,動作性の知能検査をしてもほとんど点数にならなかった。が,試しに勧めたところ,作られた箱庭に筆者は度肝を抜かれた。種々雑多なミニチュアがひしめきあうように置かれ,まるでぶつかり合って動きが取れないように,何かものすごい混乱が起こっているように見えた。よく見ると,車が左上に向かおうとしているのを阻むように,Stopの道路標識が途中に置かれていた。その後の回の箱庭では,木を植えようとするのだが,根元をしっかり砂に埋め込むことができず,木が次々と,砂箱の左右を区切る柵を超えて左側に倒れてしまう。そして,木が倒れるたびに,柿崎さんの顔がくしゃくしゃっとなり眼から涙が溢れた。

筆者は,これは,左半身が動かず,また,視空間の障害により左側の空間を十分に捉えることができないが,何とか左側へ進もう,としてもがいている姿のように象徴的に理解した。そしてそれがかなわないのがつらいのだと。わっと涙が出るのは感情失禁であるとか,強迫泣だとか,まるで悲しくないのに泣くかのように神経心理学の教科書に書かれていたが,そこには柿崎さんの絶望が十分にこもっているのではないのか。柿崎さんは,仲の良かった兄が亡くなった後からぼんやりするようになり,続いて片麻痺を伴う脳梗塞を発症した。あたかも「片腕」のような大切な存在を失い取り戻せない悲しみを,自らの身体と箱庭の両方で繰り返し表現していたのではないだろうか。

以降,「いわゆる」神経心理学症状にも意味があるということ,そして箱庭には脳・身体・こころのありようが渾然一体となって表現されることを朧気に感じつつ,リハビリテーションの場で箱庭療法を行うようになった。しかし,その営みを言語化できるようになるには,年月に加えて,「神経精神分析」との出会いが必要だった。

2. 神経精神分析との出会い

(1)神経精神分析と症例C

柿崎さんとの出会いから,20年近く過ぎた頃,マーク・ソームズMark Solmsが立ち上げたNeuropsychoanalysisの国際学会の存在,そしてこの学会に連続して参加している日本人のグループの存在を知った。さらに,ソームズが言語聴覚士のソームズ夫人と共著で脳損傷の患者に神経精神分析的アプローチを行った,すなわち臨床解剖学的方法を用いた経験を書いたClinical Studies in Neuro−psychoanalysis: Introduction to a Depth Neuropsychology(Kaplan-Solms & Solms, 2000)の中の症例Cの記述を読み,「私はこのケースを知っている!」と仰天した。柿崎さんを彷彿とさせたからである。

さらに驚いたのは,セラピストが精神分析的な解釈を伝え,Cに顕著な変化が現われたことだった。片麻痺を否認する,いわゆる病態失認があるCは,「自分の腕が実際には完全に麻痺しているということ──を認めるのは,おそらく彼にはつらすぎてできないのだろう,腕が回復するかしないかという問題は,彼にはほとんどどうすることもできないのだ」という解釈に,「一瞬,顔をクシャクシャにし,泣き出してしまうかのような,痛みを伴う情動を爆発させ」,「でも,私の腕を見てくれ(自らの左腕を指して──治らなかったらどうすればよいのだ?)と自らの苦境を認識していることを言語化した。つまり,「防衛」が外れたのだ。

筆者には言語的解釈をストレートに伝えることには迷いもあるのだが,症例Cに見られた,病態失認という,「脳損傷が原因」とされる現象に言わば心理的な防衛機制を読みとることには首肯できたし,自分ひとりで考えてきたことに,支持を得たような気がした。さらに,ソームズは,この「突然の涙の瞬間,涙があふれそうになる瞬間は,その情動的文脈の中で容易に理解できること」であり,「彼が以前に否認した障害にまつわる抑圧された感じが突破してくる瞬間であり」その感じは不安や心配であると,Cの変化に表れた感情の解釈もしている(Kaplan-Solms & Solms, 2000,岸本訳,p.212)。それは,神経心理学の教科書の「情動失禁」の項には書かれていないことだった。

3. 神経心理学的症状のうちにこころを見る

(1)舞子さんの事例

病態失認でさらに思い当たったのは,右脳の脳梗塞,右片麻痺があり,典型的な病態失認を呈していた70代の女性 舞子さん(仮名)である。当初は自身のいる場所が病院だということも入院していることも認識しておらず,入院中であることを伝えると,「ちょっと転んで頭を打って瘤ができた」と答え,車椅子に乗っている理由は「足が弱いんですね,つまずきやすいの」,左手を上に挙げることができないと「あ,重い,何も工夫してやっていないから……新陳代謝が行き届いていないでしょ」と,いわゆる「作話」で返答するのであった。この「作話」も単なる作り話ではなく,不安や混乱をきたさないように記憶の欠落を埋め合わせている心理的防衛として考えることができると思うが,発症から2ヶ月後に「足は大丈夫です。歩けます」と断言する舞子さんが作られた箱庭は,「障害の自覚がない」とする見立てを裏切るものであった。

箱庭(図1)上に,ピンク色のナース服を着た看護師や白衣を着た人々が担架を運んでいるミニチュアが置かれている。これは,自身が病に倒れて運ばれてきたことを知っていることを表すのではないだろうか。箱庭の右側と比較して,左側は置かれているものが少なく,特に奥の方が空いている。舞子さんには左半側無視もあって,たとえば車椅子の左側のブレーキはかけ忘れるのが常だった。左半側空間無視のせいで左側が空いているのだ,木が1本倒れているのも気づかないのだ,と解釈して済ませることはできる。しかし,左側に担架が進もうとしている。そして,右側には青々と葉が茂るバナナの木や満開の桜の木,常緑樹が置かれているのに比較して,左側には葉が黄色くなって落ちかけた木がある。柿崎さんを始め,片麻痺や半側空間無視のある方達の箱庭には,左側への動き,このように麻痺側に枯れ木が置かれたり木が倒れていたりという,喪失感や毀損感を感じさせるものがしばしば見られていた。

図1

ソームズは,症例Cのほか,同じようによそよそしさや冷たさ,無関心,感情味のない態度を見せた症例Bも呈示し,表向きの「対処できる人coper」(Kaplan-Solms & Solms, 2000, p.215)「本当にうまくやっている」(Kaplan-Solms & Solms, 2000, p.216)の下に,「身体的ハンディキャップに関連して苦痛な感じを積極的に抑圧」する心理的防衛機制があり,「意識的にはこのような感じを否認し,回避し,合理化していたが,無意識的にはそれらの感じは深く感じられており,好ましい力動的状況の下では,根底にある抑圧された感じが,制御不可能な涙という形で意識へと突破してきた」として,そこに抑うつ的な感じを見て取った。すなわち,病態失認を,傷つきやすい自己愛を持つ人の心理的防衛として解釈した。

この解釈は舞子さんにも当てはまるように思えた。舞子さんが,幼少時に子どものない夫婦に「もらわれていった」が,その夫婦に後から子どもが生まれたことで冷たくあしらわれて家出した,というつらい過去があるにも関わらず,「きれいな服を着せてもらって可愛がられ,近所でも有名だった」ということのみを楽しそうに語ったことなどからである。箱庭上の,赤い洋服を着たリカちゃん人形は,可愛がられていた舞子さんを連想させた。しかし同時に,足がなく歩けない人魚姫が隣に置かれていることも見落とせないと思った。

もちろん,右脳半球損傷の人に典型的に表れる麻痺の否認は,脳器質的な基盤があってこそ生じるものであろう。しかし,重要なのは,そこにもこころの表れがあると考えることだと思う。

筆者のスタンスは,解釈によって抵抗を破るのではなく,先ず箱庭上の表現に表れていると思われる感情を受け止め,感じようとする,というものであった。すなわち,必ずしも言語化して伝えないものの,表出された言葉の下にある感情をわかっている,共有している,ということである。それが必ずセラピスト側の共感として非言語的に相手に伝わるかどうかはわからない。が,箱庭療法を続けて,変化が起こった場合,自己愛,自尊心を傷つけないようにしながら,実際には,その下にある傷つきや脆さはわかっている,という姿勢が意味を持ったのでは,と筆者は考える。そして,そこには基本的な信頼感や関係性が成立していたと思う。ただし,たとえば否認が強すぎて治療やリハビリテーションを受け付けない,という場合は,他の方法を考えなくてはならないかも知れない。

(2)杉田さん

もう1つ事例を挙げる。杉田さん(仮名),50歳代の男性で,身体症状と認知機能低下の両方を伴う疾患が進行していた。杉田さんが最初に作った箱庭は,図2のように,家やビルなどが隙間なく詰め込まれ,橋はあっても川の流れがどこにあるのかがわからない,そして手前には救急車を含む4台の車があるのだが,バスは横倒しになっており,ラーメン屋の屋台は逆さまに砂に突っ込まれている風景だった。よく見ると,中央あたりの,ちょうど家の陰に,若い男性の人形が後ろ向きに置かれていた。空きがないところに無理に建物を詰め込む,車が倒れていたり砂に突っ込まれていたりするのは,空間認識や操作の障害ゆえなのか。確かに,その後の杉田さんは,毎日散歩する川縁の風景,広々としていて,鳥やカエルや蛇がいるその場所について楽しそうに語り,それを箱庭で作ろうとすることを繰り返したが,川や物の位置関係を筆者の手助けなしには再現することができなくなっていった。しかし,ある時はっと気がついた。最初の箱庭も,おそらく同じ場所をイメージしていたのだ。その時には自然の生命が息づいている広々とした風景ではなく,圧迫されて息が詰まりそうな風景にしかできなかったのだ。ちなみに,杉田さんには,閉所恐怖を含む,様々な恐怖症的不安があった。柿崎さんの例でもそうだったが,箱庭上の混乱した風景は,神経心理学的症状だけによるものではないだろう。

図2

心理臨床に携わる読者の多くにとっては,イメージ表現の中にクライエントの感情を読み取ることは当たり前のことかも知れないが,たとえば神経内科,脳神経外科の医師やリハビリテーションの他職種の人たちにとっては,あまり馴染みがないことだろう。心理職が,フロイト流の精神分析に限らない広義の神経精神分析,すなわち神経心理学と深層心理学の両方の観点を持ち,特に箱庭のようなイメージ表現を間に介在させることによって,こころのありようを理解し,それを本人や関わる家族などに言語的あるいは非言語的に伝えることや,他の職種とも共有することが可能になるのではないだろうか。

さらに,神経精神分析的な観点を採り入れるとは,神経心理学的症状のうちにも細やかなこころの動きを見ようとすることでもある。それは,比較的構造化された知能検査や神経心理学的検査にも心理力動が反映されている可能性も意味する。たとえば積木の組み合わせ方が無秩序で衝動的だったとしても,「前頭葉損傷だから」ではなく,その日その時で心理的動揺に修飾された変動があり得るし,WAIS-IVで廃止された「組合せ」問題の人形は,身体像に対する不安や混乱や心理的防衛さえもしばしば反映すると思う。面接の中の会話でも,たとえば介護者である娘のことを「お母さん」と呼ぶことを,単に失語症状の「錯語」つまり神経心理学的な言い間違いとして見ると,関係性についての大事な情報を取り上げないことになるだろう。記憶検査での失敗のうちにも,「抑圧」は隠れているかも知れない。

別稿(秋本,2015)で他にもいくつかの事例を紹介しているので,そちらもお読み頂けると幸いである。なお,本稿でご紹介した事例については,本質を損なわない範囲で省略や改変を加えて記述した。箱庭については写真をもとに筆者がスケッチしたものを掲載した。筆者に貴重な気づきを与えてくださったこの方々に心から感謝したい。

文  献
  • 秋本倫子(2015)脳損傷のリハビリテーションとニューロサイコアナリシス―架け橋としての箱庭療法.In:岸本寛史編著:ニューロサイコアナリシスへの招待.誠信書房,pp.162-190.
  • Kaplan-Solms, K & Solms, M(2000)Clinical Studies in Neuro-Psychoanalysis. Karnac Books. (岸本寛史訳(2022)神経精神分析入門.青土社.)
  • 小山充道(1985)脳障害者の心理臨床―病める心のリハビリテーション.学苑社.
  • Prigatano, G. P. & Others(1987)Neuropsychological Rehabilitation after Brain Injury. The Johns Hopkins University Press.(八田武志ほか訳(1988)脳損傷のリハビリテーション―神経心理学的療法.医歯薬出版.)

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秋本倫子(あきもと・みちこ)
東洋英和女学院大学
資格:臨床心理士,公認心理師,日本老年精神医学会認定上級専門心理士,若年認知症専門員
主な著書:『糖尿病患者への心理学的アプローチ』(共著,学習研究社,1999),『実践糖尿病の心理臨床』(分担執筆,医歯薬出版,2006),『必携臨床心理アセスメント』(分担執筆,金剛出版,2008),『ニューロサイコアナリシスへの招待』(分担執筆,誠信書房,2015)
趣味など:山歩き,大人のやり直しピアノ

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