佐渡忠洋(名古屋市立大学)
シンリンラボ 第24号(2025年3月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.24 (2025, Mar.)
1.意識のハードプロブレム
意識とは何か? この問いを,わたしたちは長く発してきた。しかし,明確な答えは得られておらず,意識をどのように定義するかは研究者によってさまざまである。古くから心と体の関係は「心身問題」として,今では,二人称的な物(脳)からどうやって一人称的な意識(わたし)が生まれるのか,と議論されており,これを哲学者チャーマーズChalmers, D.は「意識のハードプロブレム(難問)」と呼んだ(本稿では哲学的な問題を取り扱わないため,関心がある方は,山本・吉川(2016)などの成書をあたってほしい)。
この高く厚い難問のブレイクスルーを試みたのが,神経精神分析の旗手ソームズSolms, M.である。彼は意識の源,意識が立ちあがるプロセスを解こうとした。この考えは未だ仮説の域を出てはいないが,世界で注目されている。この回は,ソームズの一般書『意識はどこから生まれてくるのか』(2021/2021)を拠り所に,意識論の最前線へ,みなさんをお誘いしたい。
2.フロイト・欲動・感情
意識が何であるかを語るのは難しい。安易に言葉にすれば,意識を客体的/対象的なもの,生きた主体/主観を排除したものにしてしまうリスクがある。ひとまず,精神分析から話をはじめよう。
精神の生物学者フロイトFreud, S.は,1895年の「科学的心理学のためのプロジェクト〔/心理学草稿〕」において,心理学と生理学の統合を試みようとした。しかし,当時の科学技術的な限界に突き当たった彼は,両者の和解を未来に託し,その時できる暫定の形で,新しい用語を慎重に考案しつつ,メタ心理学的な記述を行っていった。
彼は欲動を「身体とのつながりの結果として精神に求められる仕事の尺度として,生物内部から発生し,精神に到達する刺激の心理的な代替物」と記述する。別の言い方をすれば,欲動は,心的エネルギーの源で,心的メカニズムの主動力である。これは同時に,命に関わる欲求を調節する感情でもある(本稿では感情と情動を区別しない)。つまり,感情とは,欲動の主観的な現れ,欲動に気づく方法ともいえる。
3.感じ(feelings)と感情
ソームズは「感じ」の言葉を多用する(彼の論文集の書名は『感じる脳The Feeling Brain』である:Solms, 2019)。感じの根底にあるのが身体的欲求である。知覚の大半は無自覚的に生じるが,精神的機能のなかで,この感じだけは必ず意識されている。感じは,感情のなかで,みなさんが感じている側面を意味し,感じることそのものである。
最も単純な形での感じとは,空腹,喉の渇き,眠気,筋肉疲労,吐き気,悪寒,痛み,尿意,排便の欲求などである。こうした根源的な感情は,goodかbadとして感じられる(例:喉が渇いたなというイヤな感じ)。したがって,快と不快の感じは,生物学的欲求に対して自分がどのような状態であるかを知らせている。そして感じは,生き物に必要なことをさせているのである。
感じは常に意識されているが,それを知らせる身体的欲求が満たされると消失する。感じにおいて重要なのは次の3点である。第一に,欲求が満たされるには特定の手段を必要とする(例:空腹の感じは排便では満たせない)。第二に,感じられている欲求は感じられていない欲求よりも優先される(例:講演で話すのに熱が入っているときは尿意を感じない)。第三に,欲求が感じられたとき,その欲求はわたしたちの随意的な行動を支配する(例:酸欠で息苦しいと感じられると,息苦しくないと感じる方へ行動を導く)。人間の他の情動とは,この根本的な感じが複雑になったものである。
このように,意識の本質的機能は,心理学的には,感じという価値を知らせるものだと考えることができるだろう。意識は「感じ」という主体の「動き」だ,とも言える。そして,感じ(と感情)は,生物学的に好ましい状態からの逸脱を登録する「誤差信号」である(例:痛いという好ましくない状態が感じとして伝わり,その誤差を正す行動を促す)。
4.感情神経科学の知見
ソームズと共に国際神経精神分析学会の初代学会長を務めたパンクセップPanksepp, Jは,感情神経科学という分野を開拓した人物である。パンクセップは動物を対象とした脳深部刺激の研究成果から,すべての哺乳類で再現可能な7つの基本情動を導きだした。それは,LUST・SEEKING・RAGE・FEAR・PANIC/GRIEF・CARE・PLAYである。これらは感情の本能的プログラムのようなもので,学習された構成物ではない。
詳しくはパンクセップ自身による2つの大著(Panksepp, 1998; Panksepp & Biven, 2012)にゆずるが,残念ながらどちらも未邦訳のため,邦文献として成田(2015)と岸本(2023)を挙げておこう。とにかくここでは,これらを生得的に脳に設置された感情の基礎種類と理解しておく。そして大切なのは,この7つ基本情動に関する脳の回路のほとんどが,脳幹の上部にある中脳水道周囲灰白質(periaqueductal grey: PAG)で終端する点にある。
5.大脳皮質と脳幹
心理学的な説明から脳へと話が進んだ。これから行う脳の説明はとても大ざっぱである。
成人のヒトの脳は1.2〜1.5kgほどの宇宙で,現在の脳科学において脳は外部(環境)と内部(身体)との間に位置づけられている。この臓器は,脳幹を大脳皮質が覆う構造になっている(図1)。脳幹とは,首との付け根あたりの脳部位で,生命維持機能を担う神経の集合体である。大脳皮質とは,シワのある脳部位のことで,知覚や随意運動や思考や記憶など,いわゆる高次機能を司る。脳幹は5億年以上前の脊椎動物の登場と,大脳皮質は2億2,500万年前の哺乳類の登場と関係している。
本特集において岸本がすでに触れたように,これまで大脳皮質を意識の座とする考えが根強かった。しかし,大脳皮質がなくとも意識はあり,他者から見ても意識はあると感じられることがある。認知のほとんどは無意識的に(自動的に)行われ,それに関わる脳の情報処理は主として大脳皮質でなされる。しかし,大脳皮質が担っている,知覚する・考える・覚える・伝えるなどといった精神作用は,意識の内容を意味している。そして,水無脳症の例だけでなく,大脳皮質に甚大なダメージを負いながら自己を感じていると話す症例,徐皮質した(大脳皮質を外科的に取り除いた)動物の行動などからも,「大脳皮質=意識」の考えは誤りであるとわかる(ソームズは「大脳皮質論の誤謬」という)。精神の高次機能が「わたし」ではなく,大脳皮質が自己を生成してはいないのだ。
意識の大脳皮質説を否定するなら,ここの脳の説明において挙げた,脳幹の説が浮かび上がる。ソームズは,脳幹(の上部)こそが自覚的な感じの座とする。脳幹上部にある網様体賦活系という場所が少しでもダメージを負えば,昏睡を引き起こすからである。そして,大脳皮質の意識は,この脳幹の意識に依存しているためである。

図1 脳のハンド・モデル(Siegel, 2020, p.36より作成)
6.感じを生む脳幹と予測する脳
網様体賦活系は脳幹上部のPAGのすぐ脇にある。網様体賦活系による覚醒のレベルに応じて,PAGは,そのすぐ後ろにある上丘という中脳(脳幹の最上部)の構造の助けを借りて,「次に何をすべきか」の優先づけ(ある種の価値づけ)をおこなっている。これが,感じの生理学的な正体だ。
ところで,脳は予測する臓器ともいえる。内部(身体)と外部(環境)から脳へ入ってきた情報のうち,予測と合わないものだけがその先へ伝播されている。言い換えると,脳の処理がしっかりなされるのは予測と合わなかった「誤差信号」だけである。先の酸欠の例で示したように,わたしたちは予測していなかった状況において進んでいく道を感情という形で意識し決断することが可能になるのだから,感じの情報的な正体が誤差信号といえるわけである。
感情は知覚によって文脈を与えられ,外界(環境)は感情との関係で価値づけられる。つまり,知覚のモダリティ(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)は,感覚器官を通して登録される外部情報の異なるカテゴリーを特定する(質を与える)。そして,パンクセップの7つの基本情動が,情動的な欲求の異なるカテゴリーを特定している(質を与えている)。意識に現れるのは,末梢から伝達されたナマの感覚信号ではなく,それらの信号とそれがもたらす結果に関する記憶痕跡から導き出された予測的推論ということになる。
予測された文脈には内容と信頼度がある。PAGは複数の異なるカテゴリーの欲求や感情が勝ちあったときに,次の動作配列の優先順位を決める。そして,結果から予測は修正されるのだが,これが「経験から学ぶ」ということである。さらに,予測どおりの結果が得られればgoodと感じられ,そうでなければbadと感じられる。すなわち,脳は予測の不確実性を最小にしようとしているのである。仮説が正しければ予測の信頼度は増し,意識は減退し,動作などは自動化されていく。
7.物理学からの意識
心理学的な意識と生理学的な意識の話をした。要点をまとめると,1)意識は感情を源とする,2)感情は脳幹上部で生成される,3)感じは予測誤差である。これが,意識が何で,どこから生まれてきたのかについての,ソームズの考えである。このように考えると,意識(感じることができる主体)は,その本質的な機能という点で,わたしたちが思い描くことよりも,もっと原始的なものなのかもしれない。
ところで,フロイトは心的プロセスを「特定可能な物質的諸部分の量的に決定された状態」として論じようとした。これは,心理学と生理学を両立可能にするのは「機能」という共通の基盤だ,という考えである。カミナリの音と光(雷鳴と雷光)が,単一の現象(雲のなかで電位差による放電というメカニムズ)における二つの側面であるように。機能レベルの分析をせずに心理学と生理学を結びつけることは危険である(「局在化論者の誤謬」といわれる)。そのフロイトは,当時,身体的な欲求が精神的なエネルギーになる方法が,まったく見当がつかないと語っていたが,彼の衣鉢を継いだソームズは,心理学的で生理学的な意識を,感じという機能としてとらえ,物理学の観点から両側面の橋渡しを試みた。その成果が計算論的神経学者フリストンとの共著論文である(Solms & Friston, 2018)。
これこそソームズ意識論の真骨頂である。しかし,紙幅は尽き,筆者の力量ではここまでのようだ。この先の話はとても難解である。情報処理,自己組織化,ホメオスタシス,エントロピー,自由エネルギー原理,ベイズ統計,マルコフ・ブランケットなどの用語が出てきて,簡潔な説明は難しい。総じて,この感じを中心に据えた意識論は物理法則に還元できること(「精神に求められる仕事」として,意識がどのように生まれてくるのかについての因果的メカニズム)を論じている。この部分は『意識はどこから生まれてくるのか』を紐解いてほしい。
8.さらなる試み
ソームズが面白いのは,この意識論から人工意識(人工知能ではない)を工学的に作ることが可能だと考えた所である。自由エネルギー原理に基づく彼の意識論を実証する手段は心を作ることでしか行えないというのだ。彼はさまざまな専門家による,意識のエンジニアリング・プロジェクトを立ち上げている。2024年12月時点,研究はまだ緒に就いたばかりだということで(Friston & Solms, 2024),今後の発表を期待したい。
2026年にソームズは『洞察——生を理解することが心を癒すわけ Insight: Why Understanding Your Life Heals Your Mind』を刊行予定だという。この新著によって,彼の意識論はより治療的な,あるいは生活的な文脈で取り扱われることになるのだろう。新たなフェーズに入った神経精神分析の動向から,一層目がはなせない。
文 献
- Friston, K. & Solms, M.(2024)Towards engineering an artificial consciousness with Karl Friston and Mark Solms. Webinar of the Neuropsychoanalysis Association, 23 November.
- 岸本寛史(2023)神経科学と感情.In:小森康永・デンボロウ, D.・ 岸本寛史ほか著:ナラティヴと感情―身体に根差した会話をもとめて.北大路書房,pp.146-192.
- 成田慶一(2015)感情神経科学との接合によって開かれる世界.In:岸本寛史編:ニューロサイコアナリシスへの招待.誠信書房,pp.143-161.
- Panksepp, J. & Biven, L.(2012)The Archaeology of Mind: Neuroevolutionary Origins of Human Emotions. W. W. Norton.
- Panksepp, J.(1998)Affective Neuroscience: The Foundations of Human and Animal Emotions. Oxford University Press.
- Siegel, D. J.(2020)The Developing Mind: How Relationships and the Brain Interact to Shape Who We Are, Third Edition. The Guilford Press.
- Solms, M.(2019)The Feeling Brain: Selected Papers on Neuropsychoanalysis. Routledge.
- Solms, M.(2021)The Hidden Spring: A Journey to the Source of Consciousness. W. W. Norton.(岸本寛史・佐渡忠洋訳(2021)意識はどこから生まれてくるのか.青土社.)
- Solms, M. & Friston, K.(2018)How and why consciousness arises: Some considerations from physics and physiology. Journal of Consciousness Studies, 25 (5-6); 202-238.
- 山本貴光・吉川浩満(2016)脳がわかれば心がわかる―脳科学リテラシー養成講座.太田出版.
佐渡忠洋(さど・ただひろ)
名古屋市立大学准教授。
資格:臨床心理士・公認心理師
専門は臨床心理学,臨床人間学。
主著:『臨床バウム』(分担執筆,誠信書房),『臨床風景構成法』(分担執筆,誠信書房),『悪における善』(共訳,青土社)。