【特集 大学における発達障害学生に対する合理的配慮のあり方をめぐって】#07 ステレオタイプな合理的配慮とスティグマとの関連について|大島郁葉

大島郁葉(千葉大学)
シンリンラボ 第22号(2025年1月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.22 (2025, Jan.)

1.合理的配慮とは

合理的配慮とは,障害のある人がその障害を自己責任論に帰されずに,他の人と平等に社会生活に参加し,権利や自由を享受できるようにするために必要かつ適切な変更や調整が保障されることを指す。これは合理的配慮の行い手の過度の負担を伴わない範囲で行われるものであり,障害のある人が直面する環境側の障壁を取り除き,機会の平等を実現することを目的としている。合理的配慮の概念は,2006年に採択された「障害者権利条約」において国際的に定義され,日本では障害者差別解消法や関連する法令の中でその重要性が強調されている。

合理的配慮は,障害の社会モデルに基づき(図1),個別の状況やニーズに応じた対応を障害者が求める権利を指す。例えば,障害者の申し入れに対し合理的な話し合いをもちながら,物理的なアクセスの確保(スロープやエレベーターの設置),情報のアクセシビリティ(点字,音声案内,簡易日本語の提供),勤務条件の調整(勤務時間の変更や補助機器の提供)など,個別の事例に沿う形で多岐にわたる具体例が存在する。

このような合理的配慮が日常で行われることで,障害のある人もない人も共に生きる共生社会の実現が目指される。

合理的配慮は一見,メリットが大きく認められるが,その反面,合理的配慮の行い手の偏見やスティグマ(勝手に悪く物事をとらえること。後に詳述)によって,障害者に重大なデメリットをもたらすこともあり得る。本稿はその危険性やその背景因子において議論する。

図1 医学モデルと社会モデル

2.ステレオタイプな合理的配慮とは

 1)ステレオタイプとは

ステレオタイプとは,特定の集団や個人に対して,固定的で画一的なイメージや先入観を抱くことを指す。オルポートAllport, Gordon W. (1954)は,偏見とステレオタイプの関連性を分析し,ステレオタイプを「集団に関する過度に一般化された信念」と定義している。ステレオタイプがどのように形成され,偏見を助長するかを論じている。このイメージは実際の個々の特性や行動を反映していない場合が多く,しばしば偏見や誤解につながる。たとえば,性別,人種,職業,障害の有無などに基づくステレオタイプがあり,それぞれの属性に対して一律の特性や役割を当てはめる傾向が含まれる。

2)ステレオタイプによる障害者に対する合理的配慮の必要性

ステレオタイプによる障害者に対する合理的配慮の必要性は,特に次のような場合に重要となる。たとえば就労の場合,「聴覚障害者は電話業務をすることができない」と決めつけるステレオタイプに対して,本人の意向を聞かずに,筆談やチャットツールを用いることで電話業務を代替する仕組みを整えてしまう。これは,障害者に特定の仕事が「できない」と思い込むことで,能力を発揮する機会を制限してしまうことがある。

教育の場面も例をあげよう。発達障害のある学生が集中力に欠けるという偏見があるため,特別な教材や学習スタイルを導入することで,その学生が理解しやすい形で教育を受けられるようにしようとすることもある。この背景としては,特定の障害を理由に学習意欲や知的能力を過小評価する傾向があることが考えられる。

社会的参加の場面においては,車いす利用者がイベントに参加できないと決めつける。その背景としては,障害を理由に「外出や参加が難しい」という先入観が,合理的な環境整備を妨げることがあるかもしれない。

3)ステレオタイプによる合理的配慮の要因

このように,ステレオタイプの合理的配慮のようなものが起こる原因としては以下の要因が考えられる。

ステレオタイプ:人間は複雑な情報を処理する際,簡略化して理解しようとする。この過程で,個々の違いを無視し,集団全体に画一的なイメージを当てはめる傾向がある。
社会的な影響:家庭,教育,メディアなどの影響で,特定の集団に対する固定観念が発達早期から刷り込まれる。これが個々人の行動や判断に影響を与える。
経験の欠如:特定の集団や障害者と接した経験が少ないと,正しい理解が得られず,誤った先入観に基づいて判断することが多くなる。
無意識の偏見:ステレオタイプは必ずしも意図的なものではなく,無意識の偏見として表れることが多い。このため,当事者がその影響に気づかない場合もある。

これらのステレオタイプのバイアスが個人にかかっている状態で合理的配慮が行われると,それらは障害者主体ではなく,合理的配慮の行い手のステレオタイプに基づく合理的配慮になる可能性があり,むしろ差別行為にすらなる可能性がある。

3.スティグマとは

1)スティグマ

スティグマ(stigma)とは,特定の個人や集団に対して,その属性や特徴を理由に社会的な評価を低下させる「望ましくない異質さ」として認識される状態を指す。エルヴィング・ゴフマンGoffman (1963)は,スティグマを「望ましくない異質さ」に付随する概念と定義し,スティグマを受けた人々が「人より劣っている」とみなされる社会的構造を強調している。この定義は,個人の属性と社会的反応の相互作用に焦点を当てており,スティグマが人々のアイデンティティや社会的地位に大きな影響を与えることを示している。

2)スティグマの4要素(Link & Phelan, 2001)

さらに,LinkとPhelan(2001)は,スティグマのプロセスを4つの要素に分解し,より包括的な理解を提示している。

①異なるということへのラベリング

特定の特徴や行動が目立つ場合,それが他の人々から「異なるもの」として認識され,特定のラベルが貼られる。たとえば,精神疾患や障害などが対象となる。

②ラベルをネガティブな固定観念と関連付ける

ラベリングされた特徴に対して,社会的にネガティブな意味合いや偏見が結びつけられる。これにより,そのラベルを持つ人々に対する否定的な認識が形成される。

③「私たち 対 彼ら」と分ける

スティグマのプロセスは,ラベリングされた人々を「私たちとは異なる存在」として区別し,社会的な境界線を引くことで強化される。この「私たち対彼ら」の構造が,偏見や差別を助長する。

④ラベリングされた人に対する地位の喪失と差別

最終的に,ラベリングされた人々は社会的地位を喪失し,不平等な扱いを受ける。この過程は,教育,雇用,医療などさまざまな場面で差別を引き起こす要因となる。

スティグマは単なるラベリングや認識の問題にとどまらず,ラベリングされた個人や集団の生活の質,心理的健康,社会的包摂に重大な影響を与える。たとえば,精神疾患のスティグマは,患者が治療を受けることをためらう原因となり,障害に対するスティグマは,障害者が合理的配慮を要求し,平等な機会を得ることを妨げる。スティグマを克服するためには,社会全体での偏見の削減,教育の推進,当事者との対話を通じた正しい理解の促進が必要である。

4. スティグマと合理的配慮

 1)ステレオタイプの合理的配慮の心理的デメリット

前述したステレオタイプの合理的配慮の中に差別を含む偏見が加わることがある。このようになると,当事者は合理的配慮をされるメリットよりも,偏見や差別による行動を目の当りにする心理的デメリットの方が大きい。実際に筆者らが発達障害者に対するスティグマを含む行動(マイクロアグレッション)について調べたところ,その中に「勝手に合理的配慮をされる」というものがあった(Oshimaら,準備中)。このように,不必要な配慮を勝手に提供されるものも,やっている本人は「いいことをしている」と思うかもしれないが,単に障害者に対する差別的行動である。

2)スティグマを持たずに合理的配慮をすることとは

繰り返しになるが,スティグマとは,特定の個人や集団に「望ましくない異質さ」という否定的なラベルを付け,その人々を社会的に劣った存在として扱うプロセスである。この概念はゴフマン(1963)やリンクとフェラン(2001)の議論で体系化されており,ラベリングや固定観念,社会的区分,差別といった要素が含まれる。一方で,合理的配慮とは,障害を持つ人々を含むすべての人々が平等に社会生活に参加できるよう,必要かつ適切な調整を行うことを指す。この合理的配慮の実践においてスティグマを排除することは,障害者の権利や尊厳を守るために極めて重要である。

3)スティグマを持たずに合理的配慮をする意義

合理的配慮の本質は,個人の特性やニーズに基づいて環境を調整することで,すべての人が能力を発揮できる社会を作ることである。しかし,スティグマの存在はこの配慮の実践を妨げる要因となる。たとえば,「障害者は弱い存在であり,特別扱いを必要とする」といった偏見がある場合,合理的配慮が一方的な「恩恵」や「同情」として捉えられる危険がある。このような考え方は,障害者自身にとって屈辱的であり,自律性を損なう結果をもたらす可能性がある。スティグマを排除した合理的配慮は,障害者を「支援の受け手」ではなく「対等な社会の一員」として位置づけるものであり,真の共生社会の実現につながる。

5. スティグマを持たずに合理的配慮をするアプローチ

それでは,どのような合理的配慮の姿勢が,スティグマを持たない合理的配慮となり得るであろう。筆者の考えを以下に記す。

1)個別性があることを尊重すること

配慮を行う際には,対象者の個別のニーズや希望に基づく対応が重要である。一律の対応や過剰な配慮は,かえって当事者の負担や孤立感を増幅させることがある。たとえば,視覚障害者に音声案内を提供する場合でも,本人が必要とする形式(音声,点字,電子データなど)を確認することが重要である。

2) まず当事者の声を聴き,対等に対話をすること

配慮を行う側とされる側が対等な立場で対話を重ね,共に最適な解決策を見つけ出すプロセスが求められる。これにより,配慮が一方的なものではなく,当事者の意見や主体性が反映されたものとなる。また,この対話の中で,配慮を行う側の無意識のスティグマに気づき,修正する機会が生まれるかもしれない。

3) 教育と意識改革

スティグマの根源にある固定観念や偏見を解消するためには,広範な教育と意識啓発が必要である。具体的には,学校教育や職場研修で,障害や多様性についての正しい知識を広め,ステレオタイプに基づく判断をしないよう促すことが効果的である。

4) 制度の整備

合理的配慮を制度的に保障する枠組みを強化することも重要である。たとえば,障害者差別解消法やその関連法令を基盤とし,具体的な配慮義務を規定するとともに,スティグマが配慮実践の妨げとならないようなガイドラインを設けることが有効である。

5)スティグマを排除する上での課題と対策

スティグマを持たずに合理的配慮を実践するには,いくつかの課題が存在する。まず,社会全体で依然として根強い固定観念が問題である。障害者を「できない存在」とみなす,能力主義的なステレオタイプや,障害を「特別な事情」として過度に扱う傾向は,むしろスティグマを助長する要因となる。この課題を克服するためには,障害者と非障害者の交流機会を増やし,実際の経験を通じて偏見を緩和する取り組みが必要である。

また,合理的配慮が「過度な負担」として受け取られる場合があることも課題である。特に中小企業や公共施設など,リソースが限られている環境では,配慮を行うことが困難と感じられる場合がある。この問題を解決するためには,配慮を柔軟かつ現実的に行う工夫や,配慮を支援する公的な補助制度の拡充が必要である。

さらに,配慮の実践において,無意識のうちにスティグマを再生産してしまうリスクも存在する。たとえば,「配慮が必要な人」としてラベリングされることで,当事者が自らを周囲から異なる存在と感じてしまうことがある。この点を防ぐためには,配慮が「当たり前」のものとして自然に社会に組み込まれることが望ましい。そのためには,合理的配慮を単なる「義務」ではなく,社会全体の価値として認識する文化を育てることが必要である。

6.結論

スティグマを持たずに合理的配慮をすることは,簡単なようで難しい。そのためには個々の人権と尊厳を守り,個別性の尊重や対話,教育,制度の整備といった多角的なアプローチが必要であり,固定観念や偏見を克服する取り組みが求められる。そうすることで,配慮をすることが当たり前の文化として定着することで,障害の有無にかかわらずすべての人が対等に暮らせる社会が実現するであろう。

文  献
  • Allport, G. W.(1954)The nature of prejudice. Addison-Wesley.
  • Goffman, E.(1963)Stigma: Notes on the management of spoiled identity. Prentice-Hall.
  • Link, B. G., & Phelan, J. C. (2001) Conceptualizing stigma. Annual Review of Sociology, 27, 363–385.
+ 記事

大島 郁葉(おおしま・ふみよ)
所属:千葉大学子どものこころの発達教育研究センター
資格(公認心理師・臨床心理士)
著書:『ASDに気づいてケアするCBT─ACAT実践ガイド』(金剛出版,2021年)
趣味:ドラマを見ること

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