山科 満(中央大学)
シンリンラボ 第22号(2025年1月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.22 (2025, Jan.)
1.はじめに
障害者差別解消法では,障害者が受ける制限は社会的障壁と相対することによって生ずるものという,いわゆる「障害の社会モデル」の考え方が取り入れられている。発達障害のある学生に対する修学支援のための合理的配慮の提供とは,修学環境に存在するさまざまな社会的障壁の除去という意味合いが大きいといえる。
一方,発達障害のある学生にとって,大学時代に学生自身が「自己の特性と環境との相互関係の中でどのような状況が生まれるかを理解し,支援などを通じた経験により,不適応が起きることを未然に防いだり,不適応が起こった後にどのような対処ができるかを身につけていくこと」が課題であると考えられる(村田,2016)。言い換えれば,発達障害のある学生に対する支援は,単に修学上の障壁を除去するという環境調整的支援だけでなく,学生自身が卒業後に社会の中で主体的に問題を解決していく能力を身につけられるような支援であるべきものといえる。
2.未診断学生の存在
大学における合理的配慮は,本来は当事者からの申し出に基づいて,さまざまなリソースを活用して勉学の妨げになっている障壁の除去を目指すものである。しかし,筆者らの調査では,大学在学中に発達障害のために修学支援を受けることとなった学生の大半は,大学入学時点では未診断である(山科ら,2024)。在学中に困難に直面し,支援の過程で発達障害の診断を受けることになった学生は,入学前から診断があり支援を受けている学生に比して留年・休学を経験する割合が高い。ここから,真に手厚い支援が必要な学生は,支援者が待っているだけでは,配慮の申し出には至らない可能性が高いことが示唆される。筆者の苦い経験でもあるが,そのような学生は誰にも助けを求めることなく,静かに大学を(多くは中退という形で)去って行くのである。そのような学生の存在を踏まえれば,真に必要な修学支援とは,学生に対し,「合理的配慮の必要性に気づき,配慮を申し出られるようになる」ための支援を行うことであるといえよう。
発達障害における当事者研究の第一人者である岩本(2018)は,社会人になって不適応を繰り返し,やがて発達障害と診断された自身の経験を踏まえ,発達障害のある者の自己決定力を育むために,当事者の自己理解を促進することの重要性を強調している。ここから,医学モデルを出発点とした個人支援と,環境調整を主たる方法とする社会モデルに基づく支援を,いかに両立させるのかということが,大学における発達障害のある学生に対する支援においては核心的な問題であることが導き出される。
3.個別支援と環境調整的支援を両立させる試み
大学入学後に発達障害の診断を受けることになる学生の多くは,診断を受ける以前から,目に見える形で困難さを表している。留年は,特定の必修科目の履修が上手く行かずに繰り返されることもあれば,単身生活全般が破綻してのこともあり,またそれが「うつ病」などの精神疾患の形で最初に顕わになる場合もある。いずれにせよ,仮に医学的支援を受けるに至ったとしても,治療と休養により回復し勉学が軌道に乗る,というストーリー展開はあり得ない。学生が何に困っているのか,その困り事が,個人の特性のどの側面を反映したものであるのか,特性と環境の相互作用はどのようになっているのかを,一つひとつ紐解いていく作業が支援者・当事者学生双方に求められるのである。
このことを踏まえ,発達障害のある大学生に対する修学支援の支援者には,以下の3点が求められると考えられる。すなわち①精神医学的な観点を含む個別性の高いアセスメントを行う能力,②援助要請が的確にできない学生に対し満足度の高い面接を行い関係を継続させる能力,③カリキュラムを踏まえたきめ細やかな修学支援を,事務職員や教員と連携しながら構築する能力,である。
筆者の所属する中央大学では,このような問題意識から,心理支援の専門職をキャンパスソーシャルワーカー(以下CSW)として,学部事務室に直接配置することとした(山科,2022)。2014年度に学内の競争的資金を活用して文学部で始められた試みは,2023年度から全学部(8学部に9名)でCSWが配置されるに至った。筆者らの調査では,学部事務室に支援職が直接配置されていることで,修学支援に繋がる学生は,学生相談室等の従来からある学内支援機関を経ることなく,教員や事務室主導で直接CSWに繋がり支援が開始される事例が多かった(山科ら,2024)。
4.支援の実際例
学部事務室に常駐する心理職であるCSWが,どのように個別支援と環境調整的支援を行っているのかが見えるように,事例を提示する。記述はプライバシーに配慮し個人情報に繋がる部分は記述せず,かつ複数の事例のエピソードを組み合わせたストーリーとなっているが,関係する学生・卒業生の了解を得ている。
事例1:A
Aは1年浪人して入学。勉強は得意だという自負があった。地方から上京し単身生活となり,最初は独り暮らしとサークル活動を楽しんでいたという。Aは2年生になって徐々に意欲が低下し,秋学期にはほとんど単位取得が出来なくなっていた。
学部事務室は年間の単位取得数が少ない人に対する通知を学年末に発出するが,Aはその対象者となっていた。通知の中に学部のCSWとの面談を希望する場合のチェック欄があり,Aからの返信にチェックがあった。直ちにCSWがAにメールおよび電話でコンタクトをとり,CSWによる支援が開始されることとなった。3年の春,Aはいったん地元に戻り休学し,「うつ病」として治療を受けることとなった。休学中,CSWは1,2カ月に1回程度Aに連絡を入れ,1年後の復学時には速やかに面談を再開することとした。
復学後,CSWとAは毎週の面談を行った。しかしAは,「うつ病が完治すれば問題なく過ごせるはず」と考え,CSWの支援を最初は積極的に求めることはなかった。それに対してCSWは時にはつかず離れずの態度で,Aとの関係を維持した。Aはやがて,1年時の過活動状態から徐々にエネルギー切れとなっていった過程を振り返り,その中でも特に自宅で整理整頓が出来ずに日常生活から破綻が始まったことを自覚した。
あるときAは,自分は教室が苦手だったということに気づいたのだとCSWに述べた。Aは「後ろの話し声も気になるけど,教室がざわめいていると先生が機嫌悪くなって,それが分かるのがもの凄く苦痛みたいだ」「自分ってこんなに大変だったんだ」としみじみ振り返った。片付けや時間管理が苦手であったり,ある種の過敏さの特徴がずっと続いていることから,Aは徐々に自分が発達障害の特性があり,ADHDもASDもある,と考えるようになった。CSWは早くからその特性には気づいていたが,Aの気づきを踏まえて,当事者の記述する本やサイトを紹介した。
5年次(実質3年生)の春学期,Aは自分の現状を見直し,課題の提出が遅れがちになるのは「手が着けられないのはうつの症状だと思っていたけど,面倒くさいからであって,うつじゃなく発達の特性なんだ」と考え,CSWと相談し自ら主治医に発達検査を依頼することにした。主治医はWAISなどの検査結果を踏まえ,「発達障害の傾向は確かだが軽いもので気にするほどではない。うつ病の治療を続けましょう」とAに伝えた。しかしAは納得せず,WAISの結果をCSWと共に検討し,自身の発達の特性を再認識した。数カ月を経て,Aは,今の抗うつ薬中心の治療を続けていてもこれ以上の改善は見込めないと考え,転医を決意した。CSWは発達障害に理解のある精神科医を紹介し,情報提供書を作成しAに渡した。
学期末で,レポート課題がいくつも重なった際は,CSWはスケジュールを確認し,個々の教員と相談しながらレポートの期限調整を行ったり,欠席については,これまでの本人の取り組みを教員に説明した上で,代替措置が可能かどうか相談した。支援プランについて,本人も教員も納得した段階で合理的配慮願いを起案し,学部長名で発出した。
学年末の試験の折,CSWはAに試験の別室受験を勧めた。Aはさほど乗り気ではなかったが,勧められて個室での受験をしたところ,「自分は今までアスペだから教室が苦手って思っていたし,その面は今もあるけど,それよりいろんな音に注意が引っ張られて,それで集中できなかったんだと分かった。本当に静かな環境だったらこんなに集中できたんだ」と驚きと共にCSWに語った。
6年次の春学期は難度の高い専門科目を中心に十数科目を一気に履修するスケジュールで,時間管理が大変な状況となった。Aは自ら主治医に頼み,アトモキセチン(ストラテラ®)を40mgから80mgに増量してもらった。Aによれば増量の効果は確かで,忘れ物やダブルブッキングがずいぶん減ったという。それでもスケジュール管理に苦労するAに対してCSWは毎週の面談の度に「この面接が終わったら最初にやることは何?」と問い,答えるAに「違うでしょ!」とダメ出しすることの連続であったという。やがてAは「こんがらがってるって気づいたら,一旦カフェで座って手帳を開いて自分で整理し直すってことができるようになりました」と述べた。
卒業が一気に見えてきた6年次秋学期,Aは就職活動に取り組んだ。障害者を通年で採用している外資系企業の説明会にはCSWも同行し,Aの特性をAと共に説明した。この面接が功を奏し,Aは第一希望のこの会社に障害者枠で就労した。
事例2:B
Bは,大学入学後はサークル活動に熱中し,留年を繰り返しながらも本人はさほど悩んでおらず,学部事務室からの連絡にも反応していなかった。在学4年目の春,1年次の導入演習の担当教員から声をかけられ,現状を話したところ,その教員は直ちに学部事務室にいるCSWと連絡を取り,BをCSWに引き合わせた。そこからCSWによる支援が始まり,精神科受診によりADHDという診断となった。
もっとも,支援が始まってもBは「大丈夫です」と言うばかりで,CSWとの面談も軌道に乗らないまま2年近くが経過した。その頃を振り返りBは,「ADHDということを受け入れられなくて,大丈夫ばかり言ってた。CSWは,僕の出席具合を事務室で確認して,今どういう状況なのか全てわかっていた」と後に述べた。
卒業要件をクリアするための履修相談は,事務室の職員DとCSWが共同で対応した。この職員についてBは「Dさんとも一緒にお話しして,単位の取り方を相談してました。履修の順番とか,どの先生なら配慮願いに応えてくれるかとか,裏情報も含めて本当に詳しかった」と述べている。この過程をBは振り返って,「結局,最初は自分の好きなようにやって上手く行かなくて,支援を受けるとその都度上手く行くので,だんだんと自分のADHDを受け入れられるようになっていった」と述べていた。
6年次は就職を意識する時期であったが,CSWによれば,Bの生活ぶりを見ていても到底社会人としてやっていけるとは思えなかったという。そこでCSWは,Bに対して以下のような指導を繰り返した。「通学と通勤は一緒。職業的な体力をつけると思って,毎日体を大学に運んでみよう」「授業と仕事は一緒。仕事中に寝ないでしょ?」。面接で通院予約を忘れたことが話題になれば「後で,ではなく,今この場で連絡を入れましょう。社会人は自分のミスに気づいたときは速やかに回復のための行動をとるものです」と指摘した。
レポート課題に取り組む時期には,毎週の面談で「報告・連絡・相談」を繰り返し求め,提出が遅れそうな状況では解決策を話し合い,事務職員や教員との連絡・調整を都度行った。人とのコミュニケーションに難があるBに対しては,「社会人のコミュニケーションで大事なのは,雑談力ではなくホウレンソウ」としつつ,面談の中では「自分から話す」ことを求めた。
Bは就職活動は自力で行い一般就労を目指す,ということに拘った。CSWはBを障害者雇用のエージェントに一度は引き合わせたが,本人の自己決定権を優先する方針を取った。Bは複数の企業で最終面接まで行きながらも落ち続けた。年が明けBは「これだけやってもダメだったから」と納得して障害者雇用に切替えることを決めた。CSWがエージェントと改めて面談を設定し,そこからBは大手企業の特例子会社に就職が決まった。
5.事例から見いだされること
1)伴走者としてのCSW
AもBも,支援を受ける過程で,CSWから粘り強い関わりを受けていた。CSWの支援は,生活全般を見渡しつつ,指示ではなく本人が気づく過程を大事にした関わりであった。言い換えれば,AやBにとってCSWは自己理解を深めていくための伴走者と表現するのが相応しいと考えられた。ここでいう伴走者とは,支援対象学生の特性や心理面での個別性に十分に配慮した支援を提供しながら,支援対象学生の修学過程に寄り添い,卒業と就職を見据えた中・長期的な支援を,学生の修学環境に近接した場で継続的に提供する支援者のことである。教員に対して単位の懇願は一切行っていないことも,伴走者という言葉には含意されている。
2)環境調整のキーパーソンとしてのCSW
実効性のある修学支援を行うためには,カリキュラムを踏まえた修学プランの提示ができねばならず,CSWは事務職員や教員との連絡・調整を繰り返し,個々の学生にとって必要な修学環境を整えていくこととなる。診断名や簡単なアンケートだけで学生の困り具合が把握できるものではなく,学生と対話を繰り返すことで,徐々に支援のポイントが見えてくるものである。
CSWは環境調整のキーパーソンであるが,同時に,このような支援者が環境の中心にいて,教職員の支援マインドを育て支援における自己効力感を膨らませ,結果的に多くの教職員が合理的配慮の提供に抵抗がなくなっていく。CSWはAやBが所属する学部全体を支援環境として作り上げていったのであり,別な言い方をすれば,このような支援者が存在する環境そのものが支援環境ということでもあろう(図1)。

図1 上手くいっている学部の支援システム
学部事務室内にCSWを配置することになったのは,中央大学の特殊事情も大きく関与しているが,ここでは触れない。修学支援において本質的に重要なのは,支援者が学生と伴走しつつ,同時に教職員とも密接に連携を維持し,環境全体への働きかけを続けることである。
6.おわりに
法改正による合理的配慮の義務化に伴い,支援の現場は急激に変わりつつある。学期末に対話を省略していきなり具体的な支援を求めてくる学生が多くなり,「単位の懇願」に終始し建設的対話が成り立ちにくい事例が増加していることは,少なからぬ支援者が実感していることである。精神疾患で入院中の病室から授業や試験を受けさせようとして「合理的配慮」を大学に求めてくる精神科医も散見される。合理的配慮という言葉が一人歩きして,本当に学生を守り育むことに繋がっていない事例が増加していることを,憂慮せざるを得ない。
発達障害のある学生に対する実効性のある支援とは,修学環境の中に存在し環境調整を担う支援者が,同時に学生に伴走型支援を提供することで,初めて実現できるのだと筆者は考える。合理的配慮とは,そのような支援の一部としてなされるものであり,当事者と支援者との対話の積み重ねによって配慮内容が決まっていくものであることを,最後にもう一度強調したい。
謝辞:筆者らの調査に協力してくださった中央大学の23人の学生・卒業生の皆様,教職員の皆様に深謝いたします。本稿執筆に際して,科研費(課題名:未診断の発達障害を有する大学生に対する自己理解促進のための支援一体型調査研究.課題番号:21K03092 代表者:山科満)および中央大学研究促進費の支援を受けた。
文 献
- 岩本友規(2019)発達障害のある人の就労に必要な自己理解とは—高機能自閉スペトラムにおける社会的自己の形成を中心に.明星大学発達支援研究センター紀要MISSON,4; 113-123.
- 村田淳(2016)発達障害のある学生の支援について—障害学生支援コーディネーターの立場から.地域リハビリテーション,11; 528-532.
- 山科満(2022)キャンパスにおける発達障害学生支援の新たな展開.中央大学出版部.
- 山科満・石川千佳子・小栗忠ら(2024)発達障害のある大学生への環境調整的な支援と自己理解.大学のメンタルヘルス,8; 91-99.
山科 満(やましな・みつる)
・所属:中央大学文学部人文社会学科心理学専攻
・資格:精神科専門医・指導医,公認心理師 臨床心理士
・主な著書:『キャンパスにおける発達障害学生支援の新たな展開』(編著,中央大学出版部)
・趣味:沖縄旅行