【書評特集 My Best 2024】|江口重幸

江口重幸(東京武蔵野病院)
シンリンラボ 第21号(2024年12月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.21 (2024, Dec.) 

2024年は,私にとって刺激的な読書がとぎれることなく続いた幸福な1年だった。精神医学,心理学関連でとくに印象に刻まれたものを紹介する。

1.小堀鷗一郎『死を生きる—訪問診療医がみた709人の生老病死』(朝日新聞出版,2024)

すでにシンリンラボの書評コーナーで紹介しているのでそちらも見ていただきたいが,私が敬愛してやまない著者による渾身の著作である。もともとは朝日新聞社刊の月刊誌『一冊の本』に3カ月に1回の連載が行われたものをまとめたもの。2025年,本格的な超高齢化社会を迎える日本の読者には,必読の一冊であるように思われる。とくに近年,受け持つ患者さんも私自身も,加齢や死という問題に向き合わざるを得ない機会が多く,いくつものヒントを与えられた。

小堀鷗一郎『死を生きる—訪問診療医がみた709人の生老病死』

2.宮西照夫著『呪医とPTSDと幻覚キノコの医療人類学』(遠見書房,2023)

本書もシンリンラボの書評欄で紹介したので,見ていただけるとありがたい。私は著者が幻覚キノコの体験を中米のフィールドから持ち帰り発表した40年程前からの,宮西の熱烈なファンである。49回にものぼるメキシコやグアテマラへの旅を回顧し,伝説的シャーマンであるマリア・サビナとの出会いにも触れながら,自身の足跡をたどり直したのが本書である。写真もすばらしい。たまたま私は,「おわりに」の「岸辺通信—死と向かい合って」から読みはじめ,不覚にも涙にくれてしまったが,本書はこの順番で読むのが正解なのかもしれないとひそかに思っている。

宮西照夫『呪医とPTSDと幻覚キノコの医療人類学』

3.大前晋編『笠原嘉の「小精神療法」小史』(金剛出版,2024)

笠原嘉はゆるやかなことばで精神科臨床の要点を記した。それは受売りではない「自前」の発想のもと,統合失調症の精神療法を博士論文にし,しかも70年以上診療を続けた筋金入りの研究者であり臨床家である。読み進むと過去の精神科医たちが,こちらに語りかけてくる不思議な感覚に囚われる。インタビューアーの大前が笠原以上に笠原のことを知り尽くしているのにも驚かされる。消しゴムハンコを取り入れたやさしい装丁やイラスト部分も多く魅力的だが,本書は実にハードコアな一冊なのである。

大前晋編『笠原嘉の「小精神療法」小史』

4.互盛央著『連合の系譜』(作品社,2024)

上下2段組で1400頁を超す大著で,タイトルを見てもいったい何の本だという感じを持たれるかもしれないが,グールドのピアノの話題から,催眠や無意識の思想史に至るまで深く横断する,質量ともに空前絶後の著作である。この複雑な内容ながら,読者に配慮して随所に写真や図が入り,飽きさせることをしない。私には歯が立たない思想史や音楽史にかかわるセクションもあるが,たとえば「磁気術師の系譜」「プネウマの資本論」「流体から暗示へ」などと続く部分は『無意識の発見』と併行するもう一つの歴史であり,我を忘れて読み進んでしまう。とくにクラシック音楽好きな読者は数倍楽しむことができる傑作である。

互盛央『連合の系譜』

5.田母神顯二郎著 「ベルクソンとジャネ」(2016〜2024)

フランス文学者である著者による連作論文である。著者は,この数年ジャネの主要著作である5大長編著作を丹念に読み進み,「明治大学文学部紀要『文芸研究』」に発表している。今年の9月刊行の154号は,連載16回目にあたり,『苦悶から恍惚まで』(下)の論考が完結することになった。これは喩えていうならヒマラヤ8000メートル峰5座登頂のような偉業であり,今後のジャネ研究への最良の道標になることは間違いない。

6.宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』,『成瀬は信じた道をいく』(新潮社,2023,2024)

本年度本屋大賞受賞のベストセラーである。余談になるが許していただきたい。私は医学部卒業後約10年間滋賀(長浜)で生活し,しかも大津保健所の嘱託医をしていた時期もあって,本書の舞台である西武大津店には,少なからぬ郷愁がまとわりついている。この百貨店には当時劇場(大津西武ホール)が併設されていて,今でも鮮明に思い出すのは,そこで1980年代初頭に観た,つかこうへいの「寝盗られ宗介」の公演である。岡本麗と石丸謙二郎という魅力全開のダブルキャストで,私のきわめて浅い観劇体験の中ではあるが,トップスリーの座のゆるがない,圧倒的な舞台であった。本書を読んでいて,40年ほど前のこの時期の記憶が鮮明に甦った。なお,主人公成瀬あかりの向日的で一直線な思考や行動の描写が痛快なことはもちろんだが,ざしきわらし氏によるのインパクトのあるイラストが,さまざまな賞を総なめにした本書の魅力を何倍も大きく引き出していることも指摘しておきたい。

宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』

宮島未奈『成瀬は信じた道をいく』


バナー画像:Alex G. RamosによるPixabayからの画像

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江口重幸(えぐち・しげゆき)
東京武蔵野病院
資格:精神科医
主な著書:『病いは物語である』(金剛出版,2019),『シャルコー』(勉誠出版,2007)。共訳書としては,クラインマン『病いの語り』(誠信書房,1996),グッド『医療・合理性・経験』(誠信書房,2001),ロック『更年期』(みすず書房,2005),ショーター『精神医学歴史事典』(みすず書房,2016),ハッキング『マッドトラベラーズ』(岩波書店,2017)などがある。
趣味:猫と仕事と読書

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