伊藤弥生(久留米大学)
シンリンラボ 第21号(2024年12月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.21 (2024, Dec.)
ほっとしたいこの季節。読みものもやさしい方がいい。でもこんな一年で終わらせたくない,せめて一つは。そう思うのもこの季節。
ナラティヴ・セラピーは職業人生後半の軸となっているアプローチのひとつ。出会えて幸せだが学びはなかなか進まない。ひと通り翻訳本に目を通したがムズカシイ。実践を通した理解を誠実にシェア下さる国重浩一氏の書籍※で少しずつわかってきたが,コアなことやニュアンスはイマイチだ。
※国重浩一氏書籍
『ナラティヴ・セラピーの会話術: ディスコースとエイジェンシーという視点』金子書房,2013
『ナラティヴ・セラピー・ワークショップ Book Ⅰ: 基礎知識と背景概念を知る』北大路書房,2021
『ナラティヴ・セラピー・ワークショップ Book Ⅱ: 会話と外在化,再著述を深める』北大路書房,2022
それでもわかったのは「ナラティヴ・セラピー≠外在化」ということ。だが巷では「ナラティヴ・セラピー=外在化」と誤解される。
ソリューション・フォーカスト・ブリーフセラピー(以下ソリューション;私のもう一つの軸)が,「ソリューション=ミラクル・クエスチョン」と誤解されるのと似た現象だろうが,なぜこうなるのか?
これとは別だが,ナラティヴという言葉が溢れる現状をどう考えたらいいかもわからない。
「N:ナラティヴとケア 第14号 ナラティヴ・セラピーがもたらすものとその眼差し―ホワイト/エプストンモデルの実践がわが国のセラピー文化に与える(た)もの」(坂本真佐哉編,2023)
フーコー(Foucault),社会構成主義。「はて?」の姿勢ゆえにナラティヴ・セラピーの仕事は光るのだろうが,その解説はかなり思想的。がんばって読んでも眠くなる。
そんな私へのストライクは本誌収録のこの2本。
- 横山克貴「倫理を問い直す実践としてのナラティヴ・セラピー」
- 国重浩一「ナラティヴ・セラピーがカウンセリング実践にもたらすもの」
ナラティヴ・セラピーのコア
テクニック以上に姿勢が強調されるナラティヴ・セラピー。横山氏は「倫理を問い直す実践」としてとらえ,このセラピーが何をしようとするか記す。圧倒的な理解を密度濃く細やかに,かつ無駄なく平易という驚異の筆致で。
外在化しなくてもナラティヴ・セラピーだし,ディスコースに注意深くあるのが肝なんだよなあ……まではわかっても,外在化とディスコースとの関係は曖昧だった。
氏は外在化が,人々から力を奪うドミナントストーリーの「内在化ディスコース」への対抗実践であることを端的に示す。
外在化はこのセラピーの根幹の考えを具現化するもの──,こんな風につかみたかった!
ナラティヴ・セラピーの位置・ニュアンス
新しいものは既存のものとの差異がわかるとつかみやすい。国重氏は座標平面も用いて既存の心理療法との違いを丁寧に説く。「脱中心化」もやっと実践に落としこめそうだ。
「同じような技法を使っても,どのような目的のために,あるいはどのような姿勢で使うかによって,異なる心理療法の実践となっていくのだろう」,何気ない一文にもハッとする。
問題解決ではなく,「問題の弱体化」という姿勢をとることで可能となる仕事の詳述も必見。こんなニュアンスをつかむことが臨床を変える。
「シンリンラボ 第6号 特集:ナラティヴ・セラピー/アプローチの現在と未来」(森岡正芳編,2023)
「ナラティヴ・セラピー=外在化」の誤解のカラクリ
社会構成主義という新しい認識論を持つ難しさが,「ナラティヴ・セラピー=外在化」と誤解されるカラクリに影響することを示唆してくれたのはこの記事。
氏は,世に出たのが決して新しくはないナラティヴ・セラピーが「依然として多くの人にとっては,新しいものであり,新鮮なものにとどまっている」ことに,このセラピーの中心にある社会構成主義とい認識論をつかむ難しさを指摘する。モノの見方を根底からゆさぶる思想だから,つかむのは簡単じゃない。
「ナラティヴ・セラピー=外在化」と誤解されるのも,こんな思想を咀嚼する余裕がないからだろう。
でもやはりこうなんだろう。 ナラティヴ・セラピーの真骨頂が発揮されるのは,その思想がつかめた時。実はこのあたりの話は,他のセラピーでも大差ない。
いい臨床ができるとうれしい! 疲れが吹き飛ぶ。やっててよかった,そんな仕事がしたい。
慌ただしさを出しぬいて,やっちゃうのもアリかもしれない。見えてくる景色が何より励ましてくれる。
ナラティヴ・セラピーの現在地・意義
ナラティブという言葉が拡散する現状への疑問に強く応えてくれた のはこの2つ。
まずナラティヴ・セラピーの社会性・政治性を,野口の言葉で振り返っておこう。
ホワイトWhite, M.とエプストンEpston, D.は,「フーコーの権力論を自分たちの実践の中心に据えて(中略)『問題の外在化』というユニークな方法を考案した。日常知や専門知による『問題の内在化』がひとびとを『問題』に縛りつける権力作用をもつことを見抜いたからである」。
ナラティヴは現在,社会構成主義色の強いポリティカルなものから,社会構成主義色が弱い寄り添い型のものまで様々。社会構成主義だからこそどれもあっていいと私も思う。
でも日常や専門性に潜むパワーの問題を意識しない「あなたの物語への寄り添い」だったら,心理臨床で新しさはないように思う。
安達の指摘にハッとする。
「『寄り添い系』スタンスや取り組みは,どうしても個人あるいはケアされる人とケアする人との,いわば狭い関係性へ焦点を切り詰めがちである。本来その苦境や生き難さと無縁でないはずのより大きな文脈や社会の構造的側面は,このとき視界から遠のく」。
考えてみれば寄り添うという行為には,そもそも苦境や行き難さを見過せない思いがある。
専門外で手が出せないと思っていた,大きな文脈や社会の構造的側面の問題が,対話実践を通して可能だと知ることは,寄り添うことを願う者にも福音となるだろう。
ナラティヴ・セラピーが磨いてくれるパワーの問題への感度は,寄り添うことも洗練させる──,私なりに得た答えだ。
大事な学びが一つ進んだ!
バナー画像:Alex G. RamosによるPixabayからの画像
伊藤弥生(いとう・やよい)
所属:久留米大学文学部心理学科
資格:公認心理師・臨床心理士
主な著書:伊藤弥生(2022)未来のポジションから考える思春期へのブリーフ的支援.In:黒沢幸子・赤津玲子・木場律志編:思春期のブリーフセラピー こころとからだ
の心理臨床.日本評論社.
伊藤弥生(2007)不妊治療における心理臨床にみる女性たち.In:園田雅代・平
木典子・下山晴彦編:女性の発達臨床心理学.金剛出版.
趣味:ゆるめの「NO FASHION,NO LIFE」です。メガネにわりと凝ってます。