笹倉尚子(十文字学園女子大学)
シンリンラボ 第21号(2024年12月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.21 (2024, Dec.)
日記にまつわるあれこれ
ひとの日記を読むのが好きだ。
なかでも同時代を生きる女性の日記が好みだ。たとえば二階堂奥歯注1)の『八本脚の蝶』や,壇蜜注2)の『壇蜜日記』,高山なおみ注3)の『日々ごはん』などがお気に入りで,折に触れ読み返す。いずれも人に読まれるために書かれた日記ではあるが,「エッセイ」や「コラム」よりも内省的で,個人的なものが滲み出ているように思う。
日記には日付が入っているのが良い。この年のこの日にこの人はこんなことを考えていたのか,自分はこの頃どうだったかな,などとぼんやり思いを馳せる。そうすることで,同じ時代を生きていると感じるのが好きなのだ,おそらく。
今回は「日記」というタイトルを冠した2つの作品を紹介する。ひとつには「わかりあうこと」が,もうひとつには「わかりあえなさ」が描かれている。
注1)25歳でこの世を去った女性編集者。生前自身のウェブサイト上で日記を書き始め,死後出版された。2020年に文庫化。
注2)日本のタレント,女優,グラビアモデル。『壇蜜日記』シリーズは2022年の『新・壇蜜日記2 まあまあ幸せ』(文春e-Books)まで7冊発行されている。
注3)日本の料理研究家。個人サイトで連載された日記『日々ごはん』をまとめたシリーズは27冊にのぼる。最新は2024年の『帰ってきた日々ごはん⑮』(アノニマ・スタジオ)
土門蘭『死ぬまで生きる日記』(生きのびるブックス,2023)
「二十年以上,ほぼ毎日『死にたい』と感じているんです」
そのように語る三十五歳の女性が,二年間にわたる自らのオンラインカウンセリングの体験を綴った本をまずは紹介したい。
「死にたい気持ち」を抱えたクライエントと出会ったことのあるカウンセラーは多いと思う。一方で,「死にたい気持ち」を抱えたクライエントが,自らが受けたカウンセリングについてその記録を再構成し,まとめたものを読む機会はあまりない。
この日記では,クライエント(著者)がカウンセラーの「本田さん(仮名)」と出会い,対話を重ね,死にたい気持ちと向き合っていくプロセスが,深い葛藤や洞察とともに言語化されている。そのため,カウンセラーはもちろん,カウンセリングに関心がある人々にとって非常に貴重な読み物となっている。
たとえば,カウンセリングの初回では,このようなやりとりがなされる。
「ということは,『死にたい』と感じてはいけない,と思っているのでしょうか」
そう聞かれた時,急にグッと胸が詰まった。声を出そうとしたけれど,喉が締め付けられてしまって出ない。その代わりに,涙が出た。返事をしようとしたら声が震えた。
「はい。そうですね」
私は,嗚咽を漏らしながら答える。
「『死にたい』と感じてはいけない,と思っています」(p.39)
クライエントの内側の体験が,生々しい身体的な反応とともに読み手に伝わってくる。カウンセリングのなかで,自分自身でも気づいていなかった心の部分にふれ,その正体を確かめていく作業は,どちらかといえばつらいことが多く,ときに激しい痛みを伴う。この本を読むとそれがよく分かる。
また私は初回にしてカウンセラー・本田さん(仮名)の介入に痺れた。本田さん(仮名)は認知行動療法をオリエンテーションとするカウンセラーのようだが,クライエントの苦しみに深く寄り添い,適切な見立てと助言を授け,達成を労う姿がとにかく素晴らしい。ときにはメタファーを用いてクライエントのイメージを膨らませてもくれる(まるでユング派のように)。柔軟で深みをもった臨床的態度がとても素敵だと思う。
同時に印象的だったのは,そんな本田さん(仮名)の都合で二年間のカウンセリングが終わることだった。私自身,これまで自分の都合でケースを終えたことが幾度もある。似た経験を持つカウンセラーは少なくないだろう。この本の終盤では,クライエントがカウンセリングの「終わり」をどのように体験するのか,あるいは「終わった」後の心模様が繊細に描写されている。
カウンセラーはもちろん,心の支援に関心がある人は,ぜひ一読されることをお勧めする。
ヤマシタトモコ『違国日記』(東京テアトル・ショウゲート,2024)
次に紹介するのは,ヤマシタトモコによる漫画『違国日記』注4)を原作とした実写映画である。2024年6月に劇場公開され,10月にはDVD・Blu-rayが発売,動画配信も始まっている。
注4)『FEEL YOUNG』(祥伝社)にて2017年7月号から,2023年7月号まで連載された。コミックス全11巻。
『違国日記』は,両親を交通事故で亡くした15歳の少女・田汲朝(たくみあさ)とその叔母で小説家の高代槙生(こうだいまきお),二人の心の交流を描いた物語である。性格も年齢も異なる二人が,ともに暮らすなかで「わかりあえなさ」にぶつかりながら,それでも互いと向き合おうとする姿が描かれる。
映画の公開前,原作のファンであった私は大いに不安を感じていた。「邦画にありがちな妙なストーリー改変をされるのではないか」「槙生ちゃんに新垣結衣は可愛すぎるのではないか」。そういった諸々の不安は映画館で鑑賞したときに吹き飛んだ。新垣結衣は槙生そのものだった。
両親の葬式の席で,朝は周囲からの無神経な言葉にさらされる。心が凍り付いたような顔をしている朝に気づいた槙生は,彼女をまっすぐに見つめてこう言い放つ。
朝,わたしは,あなたの母親が心底嫌いだった。
だからあなたを愛せるかどうかはわからない。
でも,わたしは決してあなたを踏みにじらない。
こうして槙生と朝の同居生活が始まるのである。
とはいえ,母(槙生の姉)の考えに強く影響されている朝と,姉を憎んでいる槙生とのあいだでは,いろんなことがうまくいかない。母のことを好きになってほしいと訴える朝に対し,槙生は「あの人への気持ちは変わらない」「あなたの感情も私の感情も,自分だけのものだから,分かち合うことはできない」と断言する。
違う国に住まう者どうしのように,二人のコミュニケーションはぎこちない。しかし,朝が槙生の苦手な掃除を進んで引き受けたり,槙生も朝のために慣れない人付き合いをするなど,互いに探り探りしながら居心地の良い暮らしが形作られていく。このような流れのなかで,槙生は朝に日記を書くことを勧めるのである。
好きなこと書いてみたら? 日記みたいに。
朝が感じたこと,なんでも自由に。
朝は初めての日記に,砂漠のイラストと「ぽつーん」という文字を書き入れる。この日記は,朝が喪失を自分の体験として悲しみ,寂しさを感じられるようになるまで,彼女のとらえどころのない気持ちの受け皿・盥となる。
人と人とはわかりあえない。しかし,わかりあえない寂しさを受け入れ,寄り添うことはできる。その積み重ねが,かけがえのない関係を育てていく。映画の終盤,「朝のお母さんはどんな人だった?」「槙生ちゃんのお姉ちゃんはどんな人だった?」と互いに尋ね合い,海を眺めながら肩を寄せる二人のシーンから,そのようなメッセージを受け取った。
何もかもわかりあえるなんてありえない。それでも,だからこそ,あきらめずに対話を続けていく。これはカウンセラーとクライエントの関係にもあてはまるように思う。ぜひいろんな方に映画を観ていただき,感想の「違い」を楽しみたい。
文 献
- 壇蜜(2014)壇蜜日記.文春文庫.
- 土門蘭(2023)死ぬまで生きる日記.生きのびるブックス.
- 二階堂奥歯(2020)八本脚の蝶.河出文庫.
- 高山なおみ(2004)日々ごはん.アノニマ・スタジオ.
- 瀬田なつき脚本・監督(2024)違国日記.新垣結衣・早瀬憩出演.「違国日記」製作委員会/東京テアトル.
バナー画像:Alex G. RamosによるPixabayからの画像
笹倉尚子(ささくら・しょうこ)
十文字学園女子大学 教育人文学部心理学科 准教授
サブカルチャー臨床研究会(さぶりんけん)代表
資格:臨床心理士・公認心理師・博士(教育学)
著書:『サブカルチャーのこころ―オタクなカウンセラーがまじめに語ってみた』(共編著,木立の文庫,2023)