【特集 災害支援とサイコロジカル・ファーストエイド】#05 東日本大震災と原発事故から見る精神障がい者支援とPFA|須藤康宏

須藤康宏(相馬地方基幹相談支援センター拓)
シンリンラボ 第20号(2024年11月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.20 (2024, Nov.)

1.はじめに

福島県は,地震,津波,原発事故,風評被害と四重苦に見舞われたが,とくに太平洋沿岸の相双地区は壊滅的なダメージを受けた。津波の被害も然ることながら,当時,福島第一原子力発電所(以下,福島第一原発)から半径20キロ圏内は避難指示区域に指定され,中に立ち入ることができなくなった。また,30キロ圏内は屋内待避区域として,外出の一部が制限された。本稿では,東日本大震災と福島第一原発事故の経験から,障がい福祉(とりわけ精神障がい)の分野を振り返り,障がい者が置かれていた状況と,災害支援に必要な視点について触れていく。

筆者は,2011(平成23)年当時,福島第一原発から18キロの距離にある精神科病院に勤務していた。事故に伴い,原発から30キロ圏内にある精神科4病院が閉鎖され,約840名の入院患者が県内外の病院に転入院を余儀なくされた。筆者自身も,勤務先病院の入院患者全員に緊急避難してもらうという壮絶な体験をした。あの緊迫した状況下では紛れもなく最善策だったが,中には見知らぬ土地への避難を嫌がる患者もいた。筆者も含め,職員は送り出すしか手立てがないと自分に言い聞かせ,障がい当事者の声に耳を傾けることなく,結果として,思いを無視した関わりをした。本人主体の意思決定が求められる時代において,果たして,あのときの行動が正しかったのか,この13年間,ずっと迷い続けている。

原子力災害は特殊な状況ではあるが,大規模災害による被災には共通点があると考える。ひとつは,状況の全体像が見えにくいことから過度に不安となり,現実を否認しがちになりやすい点,ふたつ目は,被災者の発動性が低下する一方で,自分の行動や立ち位置を正当化するために周囲を非難しやすくなる点である。それが対立や差別を誘発するような場面を幾度となく目の当たりにした。例を挙げると,多くの利用者と一緒に県外まで避難した福祉事業所があった。辿り着いた先の避難所で生活スペースを区切られ,用を足すのにも他の避難者と別のトイレを使うよう制限を受けた。精神障がい者であることと,放射能に被ばくしているのではないかという二重の差別に晒されたのである。結果,長く避難所に留まることはできず,当該事業所は地元に戻ってこざるを得なかった。障がい者をはじめ,サイコロジカル・ファーストエイド(PFA)においてリスクの高い人々とされている方々が,そういった影響を被るのである。

2.不安定な医療体制と,サイコロジカル・ファーストエイド(PFA)

当地では精神科病院が閉鎖されたと同時に,近隣の3つの診療所も一時休診し,外来患者には通院する精神科医療機関が無くなってしまった。平成23年3月末,応急的に総合病院に臨時の精神科外来が開設され,大学病院や県外からの支援医師・コメディカルによる診療体制が敷かれた。わずか二時間の外来であったが,毎日15名前後の患者が訪れた。ほとんどが慢性精神疾患の患者だったが,震災由来のストレス症状を呈する新患も見受けられた。発災から2カ月が経過した頃より,アルコール依存や児童虐待,DV等のケースが事例化してきた。筆者は,問診をする役割として関わっていたが,PFAの基本目的のうち,以下を提供することが活動の基礎になっていたと感じている。

・被災者に負担をかけない共感的な態度によって,人と人の関係を結ぶ。
・当面の安全を確かなものにし,被災者が物心両面において安心できるようにする。
・情緒的に圧倒され,取り乱している被災者を落ちつかせ,見通しがもてるようにする。
・いまどうしてほしいのか,何が気がかりなのか,被災者が支援者に明確に伝えられるように手助けする。また,必要に応じて周辺情報を集める。
・被災者がいま必要としていることや,気がかりなことを解決できるように,現実的な支援と情報を提供する。
『サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き 第2版』より

臨時外来を続けるうち,不安定な医療体制や長期化を免れない避難生活に当惑する住民や障がい者から,次第に不安や苛立ちの声が上がり始めた。それは,日替わりで医師が違う外来では,安心して通院できないという悲痛な訴えであった。被災者や障がい者にとって,医療や福祉は生活を営むうえで根幹である。それらの安定した供給なくして地域の再生は想像できなかった。被災の真っ只中だったが,手立てが必要なこととして以下の課題が見えてきた。①固定した医師とスタッフ,安定した場所での精神科医療の提供が不可欠であること,②家族支援も含め,仮設住宅や各家庭におけるニーズが大きく,アウトリーチ(訪問)支援が必要であること,③日中活動の場がないため,福祉事業所のネットワークをつなぎ直し,自治体とも協働しながら体制づくりを進めていくこと,の3点であった。

サイコロジカルな視点を持ちつつも,地域課題の解決のために必要なことは,ソーシャルワークであった。しかし,筆者は,災害支援においてそこに矛盾はないと思っている。安全や安心という心理的な視点がベースにあり,その上で生活再建のために展開する活動の手法は引き出しがいくつあっても良いと考えている。

紙面の都合上,詳細には触れないが,苦心の末に資金と拠点,マンパワーを工面し,2012(平成24)年1月に精神科診療所を開設するに至った。外来診療の体制は整えたが,筆者の中では,緊急避難した入院患者のことがずっと気になっていた。本当にあれで良かったのだろうか,せめて故郷に帰りたいと願う障がい当事者が戻ってこれるよう,仕組みづくりをする必要があるのではないかと思案していた。ほどなくして県の担当課が,転入院を余儀なくされた障がい当事者を県内の精神科病院で一時的に受け入れ,地域生活移行を図る「精神科病院入院患者地域移行マッチング事業(以下,マッチング事業)」を事業化した。

マッチング事業の対象者の中には,集団生活が難しい方もおられたため,訪問サービスを充当しながらアパートでの単身生活に挑戦したケースもあった。グループホームにおいて,障がいの違いによるいじめが起こり,サテライト型グループホームに切り替えた方もいた。支援者の引き出しが多いほど,地域生活支援は奏効することが実感できた。こころの傷を負った被災者であれ,長期入院者であれ,外部支援を手厚く導入すれば,地域で安定した生活を送ることができる可能性があることを確信した。

3.被災地が負った震災トラウマ

この13年,被災者はさまざまな苦難を乗り越えてきたが,再建に向かって前進していく人と,取り残される人との格差が縮まった印象はあまりない。住居を例にとると,数年後に災害復興住宅や新居に移った方がほとんどであるが,13年経った今でも,孤立する人が少なくないと感じている。被災者は,津波や原発事故により,震災前から元々あったコミュニティを失い,応急的に仮設住宅へと入居した。種々の生活ストレスはあるものの,仮設住宅では新たなコミュニティが構築されていた。経年とともに生活が安定してくれば,新たな住まいに居を移すことになるが,それは仮設住宅で築き上げたコミュニティが再崩壊する体験を味わうことでもあった。支援が途切れてしまうケースも散見され,孤独感が募ってアルコール依存や希死念慮の高まりにつながる方もおられた。こと福島では,当時,同心円で避難指示が出されたため,川を挟んだ内側と外側で補償が異なる等,原発事故のアフターケアや地域ごとの温度差も大きいように思う。

さらに,原発避難区域の住民は,帰還という現実への直面化に悩み続けてきた。郷愁の思いで帰還する人々が目の当たりにするのは,人が少なく,インフラがほとんど整備されていない故郷である。より正確にいえば,大きな公営施設は整備されたものの,日常生活に必要な医療や福祉の体制が整い切れていない。場所によっては,未だに除染廃棄物の入ったフレキシブル・コンテナバッグが置かれており,空き地には,次世代発電という名目でソーラーパネルが敷き詰められている。帰還者の憧憬と現実とのギャップは計り知れない。痛ましいことだが,そのギャップに耐え切れず,自死という道を選んだ住民も少なからずおられる。

筆者の活動としては,多くの時間をソーシャルワークに費やしてきたわけだが,心理職として何を感じ,どのように動いてきたかを整理しておきたいと思う。まず,被災地・福島が負った震災トラウマは以下と考えている(蟻塚・須藤,2016)。

・地震と津波による直接被害
・原発事故による生業の喪失
・風評被害とスティグマ
・仮設住宅での生活ストレス
・過去トラウマの引きずり出し(共感不全)
・次世代への負の信条の伝達

震災後2,3年が経過した頃から,発災直後は目立たなかったPTSDの患者が増加してきた。13年が経った現在でも,新規で受診されて診断がつく方もいる。原発事故というあいまいな喪失により,悲嘆それ自体が為されていなかったと見ることもできる。災害によるトラウマ反応は,見ようとしなければ見えてこない。顕在化する型は,うつやパニックであっても,心理職には喪失やトラウマ,PTSDを見立てる視点が不可欠である。患者らの訴えを丁寧に聴くと,自律神経の亢進状態が持続している方が多く,フラッシュバックや過覚醒不眠が続いていることに驚く。震災から数年が経った頃,比較的健康度の高い方たちが,ふとした落胆から「死にたい」と口にするようになった時期があった。震災であまりに大勢の死を見聞きした影響か,生きることそのものが揺らいでいるのではないかと感じた。「どうして自分が生き残ったのか」というサバイバーズ・ギルト(生存者罪悪感)に苛まれている方も少なくなかった。他方,若年層に目を向けると,発達障害に似た行動特性(多動など)を示す子どもたち,思春期の自傷行為や不登校等の行動化・事例化が年々増加している。被災や避難にまつわる愛着形成の問題や,基本的信頼感の未確立等が考えられるが,未だに増加傾向をたどっていることは注視する必要があるだろう。

トラウマ反応は見ようとしなければ見えてこないと述べたが,言うまでもなく,侵襲的になってはいけない。また,積極的な支援を望んでいる被災者ばかりではないという理解も必要である。災害支援は,本人や家族のニーズとタイミングに寄り添うことが基本となる。一方で,原発事故に象徴されるように,必ずしも直接的な被害を受けた人ばかりが支援対象とは限らず,漠とした不安を抱えている人が広く対象となる場合もある。私たち心理職は,被災者が語るストーリーや文脈を大事にし,思いを汲み取りながら“伴走”することが役割だと考えている。その基底となるのがサイコロジカル・ファーストエイド(PFA)の考え方であろうと思う。

4.被災地で生きるということ

ここまで,あえて障がい福祉に限定せずに筆を運んできた。それは,災害時における基本的な関わりに障がいの有無は関係ないと考えているためである。誤解のないように加えておくが,障がい特性に対する合理的配慮を提供することは当然である。

被災者は徐々に話ができるようになってきている。決して10年や15年が区切りではないため,回復を急がないことが大事だと感じている。ポスト・トラウマではなく,イン・トラウマ(現在進行形)だという認識も必要である。故郷へ戻ってきた人,避難先での定住を決めた人,未だに悩み続けている人,実にさまざまであるが,原発避難者は国内発の難民と捉えることもできるだろう(蟻塚・須藤,2016)。その心のあり様はいかばかりかと思う。

筆者も原発避難を経験した。紛れもなく生命が脅かされる体験であったし,「フクシマ」とカナ表記されることへの抵抗感や,レッテル貼りへの恐怖がしばらく続いた。尊厳(dignity)を守りたい気持ちや郷土愛がある反面,県外に出た際,「どこから来たの?」と聞かれる時の一瞬の戸惑いに随分苦しんだことを覚えている。

いったい,震災トラウマを乗り越えるには何が必要なのだろうか。これまで,筆者が被災者の声を聴き,活動を共にしてきた仲間たちと導き出したのは以下のことである。あえて心理臨床に寄せるならば,レジリエンスや心的外傷後成長となるだろうか。

・自らSOSを発信するスキルを養うこと
・悲しみや怒りの能力を適切に使うこと
・拠り所や語れる相手を見つけること
・今の生活の良いところを見つけ,大切にすること

私(たち)は,被災しても“今”を生きている。人生の選択に,正解・不正解はない。大事なのは,一時的に生きる目的や意味を見失っても,“未来”を信じて生きることである。被災者にとっては,コミュニティの違いや文化差により,生活のしづらさが生じることもあるだろう。しかし,考えること自体に意味があり,迷いの中に居続けることも,その人の糧となる。決して,立派な被災者や前向きな被災者である必要はない。「復興」とは,それまでの自分から,新たな自分らしさを再考するプロセスなのかもしれない。それはコミュニティや街づくりにとっても同様であると思う。PFAは初期対応に適したものとされているが,現在進行形の災害においては,“安定化”(Stabilization)は,むしろ一定の時間が経過した後に必要なものなのかもしれない。

5.災害支援の原点は「聴くこと」,その基本はPFA

最後に,福島で生活する被災者の声を紹介する。「ここは我々が暮らしている町。これからも暮らしていく町である。家族がいて,友人がいて,仲間たちがいる。思い出があるこの町を,いくら危険だからと言って,出ていくわけにはいかない」。災害に限らず,人生には紆余曲折あるだろう。過去は変えられないが,「今ここ」,そして「これから」は,自らの決断に基づいた行動でありたいと思う。直接被災した方ばかりでなく,それぞれの被災体験がある。繰り返しになるが,私たち心理職にはそれを聴き,長期に伴走する姿勢が求められている。

それでは,伴走するために必要なものは何か。筆者は“対話”が重要だと考えている。対話とは,支援者が話を「する」ことではなく,「聴く」態度を維持することである。心理職の業務は,聴くことが中心であり,原点である。聴くということは,次の手立てを講じることにつながる。災害支援や障がい福祉において,ミスマッチが起きるとすれば,それは支援者が聴くことを忘れているか,放棄してしまった結果であると思っている。

筆者は障がい福祉分野にいるため,言語化できる当事者ばかりではない。被災者も同様であると思う。支援者が,声なき声に耳を傾け,より強く聴くことを意識したとき,初めて真のニーズに近づくことができるのではないかと感じている。聴くことは,人権を守ることであり,命を守ることである。これからも,障がいの有無に関わらず,上っ面でない災害支援が展開されることを切に願っている。

文 献
  • 蟻塚亮二・須藤康宏(2016)3. 11と心の災害:福島にみるストレス症候群.大月書店.
+ 記事

須藤康宏(すとう・やすひろ)
相馬地方基幹相談支援センター拓(ひらく)
資格:臨床心理士,精神保健福祉士
主な著書:『3.11と心の災害:福島にみるストレス症候群』(共著,大月書店,2016)

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