廣川 進(法政大学)
シンリンラボ 第19号(2024年10月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.19 (2024, Oct.)
1.はじめに
1)危機とは
「危機」という言葉の「危」は危険,「機」は時機,機会という意味がある。「ピンチはチャンス」という意味が「危機」という言葉にはすでに含まれているという点に留意していくことも大事である。英語のcrisisの語源のギリシャ語にも神との出会い,運命の時,どちらに転ぶかわからない瀬戸際,分水嶺の意味がある。
危機の種類としては,心理職になじみがあるのは「発達段階における危機」。幼児期から老年期にかけての成長成熟にともなうライフサイクル上の特有の危機。エリクソンの「漸近的8段階モデル」が代表的である。「状況的危機」には失業や離婚などの「社会的危機」と事件事故,災害,病気,戦争などを含む「偶発的危機」がある。本稿のテーマである職場の危機介入では「偶発的危機」に絞っていいだろう。
一般的に「危機(crisis)」の定義は,個人が自らの通常の適応能力や対処メカニズムを用いて解決できない,深刻で急性なストレス状態を指す。危機状態では心理的恒常性(安定性)が損なわれるが,恒常性を取り戻し適応するホメオスタシスの機能が生物には備わっているという視点がある。これを応用し,危機に際した個人にも組織にも恒常性の維持機能が備わっていると考えることもできるだろう。
個人や組織が普段使っている有効な問題解決能力が使えない状態であり,だからこそ危機というわけである。内部の対処法が使えないとしたら,早急に外部の専門家などの危機介入,あるいは緊急支援を求めることが解決のカギを握っている。しかし多くの個人も組織も,従来の対処法で切り抜けようとして時間が過ぎ,解決することなく事態がずるずると悪化していく中で,暫時,援助の投入を図る,という最悪の対処を取るケースが少なくない。
危機対処の最初のそして最大のポイントは危機と認識したら,内部でなるべく穏便にという人情を捨てて,クールにすみやかに外部のリソース,専門家に相談し,支援を仰ぐことである。
2.危機介入のプロセス
1)4つの危機状況
危機状況が起こりやすい出来事としては以下の4つがある。
①ライフイベント 生活環境が大きく変わるライフサイクルの節目 受験,就職,転職,失業,結婚,出産,離婚,移居など
②さまざまな暴力:いじめ,暴行,虐待,DV,レイプ,殺人,自殺,テロ等
③喪失体験:愛着のある身近な人との離別,離婚,財産,職業等を失う等
④自然災害や事件・事故
職場で組織的に対応すべき事案としては主に④,②の自殺の予防とポストベンションであろう。
2)危機介入のプロセス
危機介入とは,危機にある人や組織が物事に対処できる機能状態に復帰できるように支援することである。環境介入や調整等の複数のアプローチを行うもので,教育の分野では「緊急支援」という用語が使われることが多い。「危機」も「介入」も語感が強く,当事者へのケアに入る際などに使う用語としては「緊急支援」の方がふさわしいかもしれない。
危機介入のプロセスとしては以下の3つが上げられる(図1)。
① アセスメント:危機的状況の程度の把握,当事者・関係者の心理状態・ニーズ・サポート,組織の見極め。ストレスチェック(次項で詳説)を用いてハイリスク者のスクリーニング
② ケアの計画立案と実行:個人,組織・環境へ,研修会,ケア,2次被害への対処
③ フォローアップ:(1カ月後程度で)結果の評価,支援の継続か終結の判断

図1 危機介入のプロセス
3.事例検討
以下に,実際に対応したいくつかの工場災害のケースを合わせた事例を紹介する。対応を考えてみてほしい。
あなたはメーカーの本社の健康管理室のカウンセラーである。以下の事案が発生して総務部長からどんな対応をしたらいいか相談された。 地方の工場で昨日,爆発事故が起きて従業員が4人亡くなった。やけどなどのけが人も十数人いる。現場からメンタルケアの要請があった。 ・どんなことを確認するか ・メンタルケアの計画をどのように立案するか ・実施にあたって留意する点は |
時系列にたどってみる。
1)直後:
①対策チームの立ち上げ
本社の総務部あたりが管轄となる事が多いが,現地に立ち上げる。人選に産業保健スタッフ(産業医,看護師・保健師,心理職等)を含めてもらうように提案する。以後もデイリーで本社と現場のオンラインでの情報確認,定例会議を欠かさない。非常時は情報の錯綜,出所の不確かな憶測に尾ひれがついて,関係者が振り回される,ホットな(落ち着かない混乱した)状況を招きやすいので,情報の一元化は重要である。
②状況確認
まずは,早急に被災状況を確認する。4人亡くなっており,早急に対策本部を現地に立ち上げ,本社からも担当者を派遣する。事故の被災規模,状況の確認。亡くなった方の特定,ご遺族,負傷者のリスト化(家族の連絡先,ケガの程度,治療先)。
③危機管理マニュアル確認
この状況下で何をすべきか,急ぎ危機管理マニュアルを確認する。こんなときのために,日頃からマニュアルを運用レベルでメンテナンスしておく必要がある。とくに古いマニュアルだと従業員のメンタルケアに関する観点がまだ盛り込まれていないことも多いので要確認。万一,まだ組織になければ早急に作成の必要がある。災害は明日起こるかもしれない。
④情報発信
状況がある程度判明してきたら,できるだけ早期(数日以内)にトップ(工場長など)からのメッセージを従業員向けに発信する。「会社は社員の安全を守ることを最優先でやっていく,必要な情報はできるだけオープンにする」など。事故によっておびやかされた従業員の安全安心を少しでも取り戻すために不可欠なことなのだが,経験上,最後までトップが前に立たなかった苦いケースもある。そうなると従業員間に会社への疑心暗鬼が起こり,収拾がつかないことがある。
2)1週間以内
①ストレスチェックの準備と実施
下記のようなストレスチェックを利用して,要ケア者をスクリーニングする。このチェックリストはまだ十分に普及しているとは言い難いが,被害の程度,要ケア者の人数を迅速に把握するために有効な方法である。要ケア者数に応じたケアの計画立案が立てやすくなり,組織的にはケア実施の根拠をデータで示すことが可能になり,決裁を得やすくすることにもつながる。
・PTSD評価尺度(IES-R)
PTSDの症状評価尺度として国際的に評価が定まっており,心理測定尺度としての信頼性妥当性の検証がされている。診断調査目的の使用は無料で,以下からダウンロードが可能。
PTSD症状の下位尺度,侵入・回避・過覚醒に分かれているが合計88点満点中カットオフポイントは25点となる。
https://www.jstss.org/docs/2017121200368/file_contents/IES-R2014.pdf
災害,事件・事故,自殺のポストベンションなどにも筆者は使っている。
なお,DSM-5に対応したPTSDチェックリストとしてはPCL-5がある。
https://saigai-kokoro.ncnp.go.jp/contents/pdf/about_PCL-5.pdf
②ケアの計画・実施
①で要ケア者の人数を把握したら,個別の面談の実施計画,要員計画を立てる。それに先立って,「惨事ストレス」関連の研修会の実施を企画することもある。状況的にあまり長時間も取れないので30分以内でいいので,「PTSD」や「惨事ストレス」の概念,症状を説明する。多くの場合,不眠やフラッシュバックが一時的に続いたとしてもなだらかに頻度が減り,1カ月を目処に軽快していくことなどを伝え,安心してもらう。
3)1か月後
①IER-Sの再度,実施
PTSDの診断基準は発災から1カ月後も継続していることであるため,同じPTSDのストレスチェックを発災から早期(1〜2週間程度)で1回目の実施,発災から1カ月後を目安に2回目の実施を行うことが通常である。発災から1カ月以内の急性ストレス障害の多くは緩やかに軽快していくが,1カ月後の2回目に高得点だった人はPTSDの疑いもあるため,あらためてケアの面接や受診を勧める場合もでてくる。
②フォローアップ計画・実施
①のストレスチェックの結果を踏まえ,高得点者のピックアップとフォローアップの面談,受診の勧め等を計画,実施する。
4.その他
1)危機介入でやるべきこと
- 安全面の確保。生活全般,睡眠・食事・居住,職場環境,人間関係,雇用不安等。
- 正確で多面的な情報提供をできるだけ迅速に行うことで,人心の不安や噂・デマが(SNSなどで)拡散することを未然に抑止するリスクマネジメント。
- 必要な治療につなぐ。
- 心理的ケア。心理療法でも治療でもなく,不安を減らして,いち早くもとの生活,仕事に戻れるようにすることが目的。
- アプローチは個人向け,グループ向け,研修会等の組み合わせが効果的である。
2)関係者にどんな反応が考えられるか
- 身体症状 パニック,茫然,不眠,悪夢
- 心理的症状 自責感,無力感,不安感,不信感,怒り
- 侵入・回避・過覚醒症状(急性ストレス障害ASD 心的外傷後ストレス障害PTSD)
3)惨事ストレスのケアの面談のポイント
- 挨拶,この面接の目的,効能,守秘義務などについて簡潔に説明し,了解を得る。
- 体験した事実から丹念に聞く。時系列に沿って,そのときどこで何をしていたか,何を見たかなどを確認する。これが共感の前提となる。
- 今の気持ちの言語化を促す。自責感・「生存者の罪責感(サバイバーズ・ギルトsurvivor’s guilt)」を抱きがち。一方,他責他罰的な思いが特定の個人や組織に向かう場合もあり,その両方の気持ちが共存することもあるので,その有無や程度を尋ねる。
- グループワークの効能としては,多くの同僚が自責感を語るのを体験して,「自分だけでなかった」と実感し少し安心したりもすることがある。
- ストレス反応,ストレス症状の確認と説明。「異常な事態での正常な(防衛)反応」であることを伝え,安心させる。
- これからできること 個人としてのレジリエンス,取り入れられそうなストレス対処法,組織に対しての要望等を検討する。
4)留意点
職場の危機介入においては,関係者が多い。被害者,被災者,ときに加害者,行為者はもちろん,経営陣,人事・労務,産業保健スタッフ(産業医・看護師・保健師・心理職・産業カウンセラー),主治医,家族等事案によっては警察,労基署,地域などさまざまな当事者,関係者が想定される。事案によって全体の組織の中で,さまざまな力動も見立てながら,自分の役割を見極めた上で,心理的なケアについての専門性とチームとしての一体感,各専門職との連携などスピーディに行うことが求められる。特に外部から専門家やアドバイザーとして招聘される際に抱きやすいのが,メサイア(救済主)コンプレックスと,窮地にある人を私が救いに行く,という万能感である。冒頭の危機の定義のように,あくまで当事者が本来持っている問題解決能力を発揮できるように手助けをする黒子であることを常に意識した言動を心がけたい。
文 献
- 事件,事故,災害時の危機介入のための資料室 https://sheport.co.jp/site/mcpo/materials/stream.html
- サイコロジカル・ファーストエイド 兵庫県こころのケアセンター https://www.j-hits.org/document/pfa_spr/page1.html
- ストレス災害時こころの情報支援センター https://saigai-kokoro.ncnp.go.jp/
(資料室)https://saigai-kokoro.ncnp.go.jp/contents/documents.php - PCL-5(PTSD Checklist for DSM-5)日本語版外傷後ストレス診断尺度 PDS
- 日本心理臨床学会支援活動プロジェクト委員会(2010)危機への心理支援学.遠見書房.
- Ursano, R. J., Fullerton, C. S., Weisaeth, L., & Raphael, B. eds.(2007)Textbook of Disaster Psychiatry.Cambridge university press.(重村淳監訳(2022)災害精神医学ハンドブック. 誠信書房. )
- 下園壮太(2018)クライシス・カウンセリング.金剛出版.
廣川 進(ひろかわ・すすむ)
法政大学
資格:公認心理師,臨床心理士,シニア産業カウンセラー,2級キャリアコンサルタント
主な著書:『これで解決!シゴトとココロの問題』(労働新聞社,2023),『心理カウンセラーが教える「がんばりすぎて疲れてしまう」がラクになる本』(ディスカヴァー・トゥエンティワン,2021)
趣味:旅行,温泉