シャルマ直美(北九州市スクールカウンセラー)
シンリンラボ 第17号(2024年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.17 (2024, Aug.)
シンリラボ第17号に,「子どもの自殺予防――学校を拠点とした包括的な取組を中心に」という特集が組まれたことで,私自身は北九州市の一スクールカウンセラーであり,自殺予防教育ワーキンググループの一メンバーという立場ではあるものの,「教育委員会」「精神保健福祉センター」との協働,という視点で,「これまで」と「今とこれから」をお伝えする機会をいただいた。まずは感謝の意を表したい。
1.学校で自殺予防教育を取り組み始めたきっかけと経緯
ご存じのとおり,日本の自殺者数が3万人を超えていた時期,各地でさまざまな施策・対策が行われた。そんな中,北九州市精神保健福祉センターでは,自殺対策基金を使って,子ども向けの自殺予防リーフレットを作るということになり,福岡県臨床心理士会に作成を依頼された。そこで,依頼を受けた窪田由紀先生を中心としたメンバー4人で,リーフレット作成にとりかかった。メンバーのうち3人は現役スクールカウンセラーだった。2009年のことである。他の自治体や団体が作られているものが見当たらず,試行錯誤の末に仕上がった。(図1「だれにでもこころが苦しいときがあるから」)内容は以下のようなものである。
図1 北九州市自殺予防教育リーフレット「だれにでも,こころが苦しいときがあるから…」
〇もやもや度チェック ※自分の状態を知る⇒状態についてのコメント,ストレス対処
〇3つのメッセージ(だれにでもこころが苦しいときがある/どんなに苦しくても,必ず終わりがある/だれかに相談できる力を持とう)
〇友だちの話の聴き方 ※深刻な話を聴いた時は……
〇相談先の紹介
せっかく仕上がったものを「持って帰ってお家の方と読んでね」と伝えて渡すだけでは,作成者の意図も伝わりにくいし,場合によっては児童生徒の目にも保護者の目にも留まらない可能性もあることから,できたら教材として学校で活用することはできないだろうか? という話が,精神保健福祉センターと,作成した私たちスクールカウンセラーとの間で持ち上がった。精神保健福祉センターの担当者たちは,早速教育委員会の担当課長に,その話をもって相談に行った。
ここから,「教育委員会」「精神保健福祉センター」「スクールカウンセラー北九州市部会」の三者(以下「三者」)の協働がスタートした。これ以前に,精神保健福祉センターが主催する「北九州市自殺対策連絡会議」に,教育委員会の担当課長もスクールカウンセラー北九州市部会の部会長も出席していた関係で,本市の自殺対策において協力し合う関係性がベースにあったと言える。
教育委員会の担当課長も,児童生徒の命にかかわる大切な内容であるだけに,リーフレットの活用に対しては積極的な姿勢を示され,三者の協働は,スムーズにスタートを切った。
2.取り組みの当初
まずは学校現場の教員にリーフレットのことを知っていただく必要がある,ということで,教員を対象にした研修から始めた。リーフレットのメッセージを児童生徒に届ける際に,教員の協力なしに,それは実現しないからである。
しかも,研修も,日常の業務も,たくさんのことをこなさなければならない教員にこの話を聞いていただく時間としては,すでに研修の時間として設定してある枠組み(管理職研修,生徒指導主事主任研修,養護教諭研修など)の一部の時間を使うしかないと考えた。短時間でもリーフレットについて伝えられることが有効だと考え,会議ごとの主催者にお願いした。そのような,時間を割いていただくプロセスにおいても,教育委員会の積極的なサポートがあった。
そして,わずかな時間の話であっても,話を聞いた教員には,リーフレットやリーフレットを使った授業に関するアンケートへの協力をお願いした。その集計は,精神保健福祉センターが担った。その集計結果をもとにした分析を私たちが学会発表しながら,広く意見をうかがってきた。教員のアンケートからは「大切な内容で,必要なことだということは理解できるが,どのような指導内容にしたら良いか分からない」「このような内容の授業をすることが,心理的に不安定な児童生徒にとって,マイナスの刺激や影響とならないか心配」という意見や,中には「時期尚早」というコメントもあった。振り返るとその頃は,まだ児童生徒の自殺について,今のように国も自治体も注目していなかったため,当然の反応だったと言えよう。
そのようなプロセスにおいても,三者は「できるところから,できることを」を肝に銘じて,自殺予防教育の可能性に目を向けてきた。学校において一部のSCは,自殺予防教育に関心のある教員を見つけては,SCと一緒に授業実践を試みることを提案したり,1時間の授業の組み立てについて協議したりしながら,授業内容の安全性や工夫について改良を重ねていった。各学校や学級の実態に合った,担任とSCが取り組みやすい,そんな教材を探したり作ったりした。
3.自殺予防教育を取り巻く状況の変化
三者は各々の立場に立ち,協働して自殺予防教育を進める中,盤石な信頼関係を構築していった。「教育委員会」も「精神保健福祉センター」も,行政機関として定期的に担当者の異動がある。そのような中でも,根幹となる理念が受け継がれていくよう,精神保健福祉センターのコーディネートにより,毎年三者の代表が集まって「自殺予防教育担当者連絡会議」の場を設けている。そこでは,今年度継続していく内容の確認や取り組みの実際について協議し,共通理解を図るようにしている。このようにして,本市においては,地道な三者の協働関係を以って自殺予防教育を進めてきた。そんな中,国レベルでは,四年に一度閣議決定される「自殺対策大綱」において,毎回「子ども・若者の自殺対策の推進」が重点施策として取り上げられている。同時に文部科学省も「SOSの出し方に関する教育」を積極的に推進している。また,2023年4月に発足した“こども家庭庁”を含む“こどもの自殺対策に関する関係省庁連絡会議”が,「こどもの自殺対策緊急強化プラン」も出している。リーフレット作成時と比較すると,大きな状況の変化がある。2009年の「リーフレット作成」から始まった「できるところから,できることを」の自殺予防教育が,今では全国的に取り組むべき内容となって,定着と発展を続けている。
4.全市における教職員研修と授業の定着──教育委員会と連携しての展開
本市の自殺予防教育は,全市の児童生徒すべてを対象にしている。「自殺予防の3段階」(高橋,1999)における「プリベンション(一次予防)」である。「小学校1年生から中学3年生まで積み重ねる自殺予防教育」「生涯にわたるメンタルヘルスの基礎となる教育」といったことも基本姿勢としている。どの児童生徒も対象とすることと併せて,「日常の教育活動を通じて」という特徴もある。もちろん特設の授業もするが,自殺予防教育の考え方を教員が理解することによって,日常の教育活動を通じて児童生徒に伝えることができる,浸透させることができる,と考えている。そして「自殺予防教育の考え方が,学校文化の一部になる」ことを願って取り組んでいる。(図2 北九州市の自殺予防教育の概観)
図2 北九州市の自殺予防教育の概観
出典:シャルマ直美(2024)学校における合意形成.
In:窪田由紀・シャルマ直美 編:学校における自殺予防教育のすすめ方[改訂版].遠見書房,p.75.)
取り組みの当初は「『援助希求力』を高め,相談する力をつけること」をねらいとしていたが,現在ではそれに加えて,教員が取り組みやすく,日々成長発達する児童生徒が経験する日常の中で伝えていくもの,育んでいくものとして「ピンチをしのぐ力(レジリエンス)」も大切にしている。(図3 ピンチをしのぐ力の例)「ピンチをしのぐ力(レジリエンス)」を取り入れる段階では,教員としての意見や協力にも助けられた。
図3 ピンチをしのぐ力(例)
出典:付録.In:窪田由紀・シャルマ直美 編:学校における自殺予防教育のすすめ方[改訂版].遠見書房,p. 124.
教職員研修も,授業も,教育委員会からの通知により行われ,実施後は教育委員会に対して,学校から報告されている。教職員研修の講師は,各学校に配置されているSCである。各学校のSCは,独自の考えや方法で自殺予防教育を進めるのではなく,本市が進める自殺予防教育について,知識と考え方の共有を図った上で実施している。教育委員会がSCに対する研修機会を設定し,SCが各学校において実践できるような仕組みにしている。また,教職員研修の内容は,本市のSC有志で構成する自殺予防教育ワーキンググループ(以下「WG」)が標準版を作成し,それを各学校のSCが使用して研修を実施することで,全市の教職員が本市の自殺予防教育に関する基本的な考え方を共有することができるシステムが構築され,現在に至っている。
1)教職員研修
〇自殺に関する統計資料,基礎知識
〇子どもたちにつけたい力(北九州市の自殺予防教育)
・援助希求力/SOSを出す力
・ピンチをしのぐ力
〇自殺予防教育の視点から,先生方へ
・学校でできる自殺予防
2)授業
〇全市の小学校6年生と中学2年生を対象にしている
〇担任が主な授業者で,その学校に配置されているSCが補助的な授業者
〇リーフレットを使う場合は,事前アンケートの集計結果を示したり,リーフレット
の内容説明を聞いたり,相談を聴く体験ができるシナリオを読み合ったりしている
〇レジリエンスについて考える「四本の木」の学習プリントなどを使うこともある(図4 「四本の木」の学習プリント)
図4 「四本の木」の学習プリント
出典:(1)深谷昌志 監修,上島博・木瀬達也・子どものレジリエンス研究会 著(2015)「へこたれない心」を育てる レジリエンス教材集2.明治図書.
(2)上島博 著(2016)イラスト版「子どものレジリエンス」.合同出版.
(3)石歌庵 文・ケイコ 絵(2017)レジリエンス絵本 四本の木.子どものレジリエンス研究会.
※なお,本教材に使用した「四本の木」のイラストは,原著者の上島博さんの許可をいただいています。
5.学校外での自殺予防教育WGの活動──精神保健福祉センターと連携しての展開
精神保健福祉センターの自殺対策担当者が自殺予防教育WGのメンバーでもある関係で,精神保健福祉センターと自殺予防教育WGの協働関係は,年々その厚みを増していると実感している。その関係性の中で,WGは本市の自殺対策の一端に,学校の中だけでなく学校外でもかかわるようになった。そもそも,教育委員会生徒指導課とSC北九州市部会とで実践している本市の自殺予防教育は,本市の自殺対策の中に位置付けられており,WGのメンバーは,発展的活動として,精神保健福祉センターが実施している学校外の自殺対策にもかかわって活動するようになっている。
1)くらしとこころの総合相談会
多職種が相談員としてかかわる,市民を対象とした自殺対策の相談会において,相談員として活動している
2)高校生と大学生対象の同世代ゲートキーパー養成研修の立案と講師
高校と大学は,市の教育委員会管轄ではない学校であるが,高校生・大学生の自殺者数は,小中学生より多く,高校生・大学生に自殺予防教育を行うことの意義は大きい。
これまで小中学校で自殺予防教育を実践してきたことを基に,高校生・大学生を対象とした「同世代ゲートキーパー養成講座」の内容を立案し,講師として高校や大学に出向いて活動している。なお,この事業の主体は精神保健福祉センターである。
このような小中学校外の活動をすることによって,WGのメンバーは,自殺予防に関する造詣が深まり,それは,小中学校で行われる自殺予防教育の有効性を高める取り組みに生かされていくに違いない。WGは,本市の自殺対策に位置付けられた,児童生徒を対象にした自殺予防教育の内容や実践をリードしていく立場であるという自覚と責任をもって,さらなる研鑽を積んでいきたいと思っている。
6.おわりに
本稿では「自治体と連携しての展開」という視点で,これまでの取り組みをまとめた。一人のSCとしてできることは限られているが,SCグループとしてその力を集め,「教育委員会」「精神保健福祉センター」という行政機関と理念を共有して取り組んできた15年間だった。
まだまだ発展途上ではあるが,ピンチをしのぐ力を日常生活の中で高め,その力を生かしてピンチをしのいでいけるよう育てていくことが,学校における「自殺予防教育」ではないかと考えている。援助希求力も,ピンチとなるまでに築いた他者との関係性や,自身の考え方もその基盤となるもので,やはり日々の経験の積み重ねによって培われていく力だと思う。「自殺予防教育」は,さまざまな場面でどう生きるか,という「生き方教育」だと感じている。
私たちは先に生まれ,それぞれに経験を重ねて生きてきた大人として,各々の立場で子どもたちを慈しみ,生涯を生き抜く力を育みたいものである。
参考文献
- 窪田由紀・シャルマ直美 編(2024)学校における自殺予防教育のすすめ方[改訂版].遠見書房.
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・名前:シャルマ直美(しゃるま なおみ)
・所属:福岡県臨床心理士会
・資格:臨床心理士・公認心理師
・主な著書:窪田由紀・シャルマ直美 編(2024)学校における自殺予防教育のすすめ方[改訂版].遠見書房.
・趣味:テニスと書道