心理面接の道具箱(25)概説──ゲームで深める心の理解|長行司研太

長行司研太(佛教大学)
シンリンラボ 第25号(2025年4月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.25 (2025, Apr.)

1.ゲームの話題を扱う意味

この連載も早いもので3年目に突入する。3ヶ月に一度,執筆順が回ってくるわけだが,自分がこれまで担当した回では主に,子どもたちの間で流行しているゲームや子どもたちと親和性の高いゲームとそこで動いている「こころ」について扱ってきた。しかし今回は,これまでの計8回のまとめの意味も込めて,ここで一度概説的な話をしたいと思う。

当然のことではあるが,われわれが普段カウンセリングの中で扱うのは悩みだけではない。特に子どもにとって,自分の悩みを言葉で表現することは簡単ではなく,自分の内面を話すこと自体に警戒と抵抗を示すことも少なくない。その際,カウンセリングの中で,相談者の趣味や好きなものについて扱い,そのことを通して相談者にとっての「自由に,安心して,いきいきと語れる場」を形作っていくこともまた肝要である。

そんな中で,ゲームについて語る相談者と出会う機会は多い。カウンセリングの場面に限らず,ゲームが世の中にすっかり浸透し定着したこの現代社会において,「ゲームの話をどう扱うか」ということは,子どもと関わりその内面を理解するにあたって,大きな関心事のひとつではないだろうか。ゲームについての語りの中にその人の心やその人自身が映し出され,それをこちらが適切にキャッチしていくことに意味があると考える。

ただ,世の中には実に多種多様なゲームが存在しており,そのすべてを把握しておくことは不可能に近い。また同じゲームであっても,どのようにそのゲームを楽しんでいるかは人によって異なる。のんびりと過ごすゲームを好むからといってその人の心が穏やかで落ち着いているわけではもちろんなく,「このゲームをプレイしているからこの人はこうだ」と短絡的に考えることはできないであろう。

2.ゲームについてのある視点

では実際,そういった様々なゲームについての話題を扱うにあたって,どうすべきであろうか。相談者が語るゲームについてこちらも予備知識を持っていたほうがもちろん聴きやすいが,必ずしもこちらがその内容を知っておく必要はない。むしろ必要なのはたとえ知らなくとも,目の前にいる相談者のゲームについての語りに対し「興味を持って耳を傾け,理解しようとする」態度であろう。それは,相談者の抱える悩みに対して我々が真摯に耳と心を傾けることとなんら差異のないものである。

そうは言いつつも,並べ立てられるゲームの専門用語がまるで異国の言葉のように感じられる人もいるだろう。ゲームに緑遠い人や否定的な思いを持っている人にとって,そうした言葉が入り混じった語りを理解するのが心情的に困難な場合もある。ただ,そういったときにも役に立つであろう視点,そして筆者が普段そうした語りに耳を傾ける際に常々心がけている視点がある。それは,その相談者が「そのゲームおよびゲーム体験から何を得ているか」,また「何を得ようとしているか」というものである。

3.ゲームから得ているもの,得ようとしているもの

「そのゲームおよびゲーム体験から何を得ているか」「何を得ようとしているか」,これらの視点はこれまでの原稿を書く際にも意識してきたことである。この連載で扱ってきたさまざまなゲームを一例に,これらの視点について改めて考えていこう(以下,第〇回の部分が元原稿へのリンクになっているので,より詳しく知りたい場合はご一読を)。

『マインクラフト』(第1回)は,ゲーム内で自分だけの場所や自分の思い通りにできる理想の世界を作り上げることが可能である。そこに自らの心の安全基地や自由を見出そうとしている子どもたちの思いや心の動きを感じることができる。それはその人たちの生きる現実を支えることにもつながっている。

『スプラトゥーン』(第4回)には,勝ち負けを越えたワクワク感や,「遊び」を通して得られる楽しさと爽快感がある。このゲームを日々楽しむ子どもたちの様子はまるで,運動会を楽しんでいるようにも感じられる。

『死にゲー』(第7回)では,立ちはだかる困難に立ち向かうことを繰り返し,乗り越えることによって,比類なき達成感が得られる。そこでは自らの成長も実感でき,現実を生きるための原動力に換えていくことも可能である。

『プロジェクトセカイ』(第10回)でも,『死にゲー』と同様に達成感や成長の実感が浮き彫りになる。そこでは,ゲーム内のキャラクターたちのひたむきな努力や心の成長と,ゲームをプレイする人の音ゲーに対する努力や成長とが折り重なり,共鳴する様子が見受けられる。

『Roblox(ロブロックス)』(第13回)は,放課後の公園のように,友達同士で集まり,そこで多種多様な遊びに興じることが可能な場になっている。そこでは人とのつながりを得られ,また感じることができるため,子どもたちにとって「居場所」としての機能を果たしていると言える。

『ポケモンスリープ』(第16回)では,人間にとって不可欠でありながらついつい疎かになりがちな「睡眠」への意識を,楽しみながら向上させることができる。またポケモンという共通言語によって,親子のコミュニケーションが促進することもあり得るだろう。

『原神』(第19回)には,冒険の楽しさが詰まっている。広大な大地を舞台に,自分のペースでキャラクターを育て,自由に旅をして,成長の楽しさと喜びを味わう。心が求める自由な冒険を,このゲームは満たしてくれるのである。

『ホラーゲーム』(第22回)では,本来ならば不安を喚起する「怖いもの」を楽しみ,受け入れていくことが可能になる。また,現代ではそこにゲーム配信者も大きく関わっており,その存在によって,より恐怖や不安を受け入れやすくなることも考えられる。

その他にも,ゲームにストレス解消や癒しを求め,それが心の安定に繋がることも多くあるだろう。また,インターネットを通じて誰かとプレイし協力することで楽しさや一体感が得られ,そうした時間を過ごす中で自分の存在が肯定される嬉しさを実感できることもあるだろう。それらのうちのいくつかは,現実生活の中ではなかなか満たせないからこそ,ゲームに求め,そして得られる場合もある。

ここまで挙げてきたものもまた,ゲームが持つ一側面に過ぎず,人によってゲームの楽しみ方や向き合い方は実に様々である。それらは,「どんな風に心が動いているか」と言い換えることもできる。その強い感情体験をこちらが丁寧に聴き,そこから内面の理解に繋げていくことで,相談者(=子どもたち)に対する見立てが深まっていく。それと同時に,相談者にとってもそうした「自分が大切にしている世界」の理解者および共有できる相手として,こちらの存在感は増していくだろう。その結果,二者間の関係性が深まり,その中で,「主観的な体験が精緻化され,これまでにない語りが表出される」(笹倉,2020)ことも十分あり得るだろう。

4.ささやかな「窓」を探して

また一方で,こちらが尋ねても「語れない人」や「語る言葉を持たない人」もおり,最低限の答えしか返ってこず,話がなかなか深まらない場合も往々にしてある。また,ゲームのタイトルを羅列するだけなど,話が横断的になってしまうケースも少なくはない。ただ,そういった場合も,深まらないと嘆き諦めるのではなく,プレイの仕方,誰とゲームをしているかやそのゲームを始めたきっかけなど,外枠の部分=現実的な情報を丁寧に訊いていくことが大切である。

そうした粘り強い姿勢によって,家族との関係性やネット上の友人との対人関係など,ゲーム内外のつながりが浮かび上がってくることがある。また,語りの中にそれらのゲームに共通する要素を見出していくことで,本人も気付いてないようなこだわり(=ゲームとの向き合い方)が見えてくることもあり,その人の理解を深めることに繋がっていく場合もある。それらは,その人とつながるためのささやかな「窓」(山中,1978)になり得るだろう。

5.ゲームが持つ「力」

ゲームはしばしば現実逃避の道具として認識され,昨今ゲーム依存などの文脈で語られることも増えている。その為,どうしても否定的に捉えられがちである(実際そういった面は無視できない)。しかし,今まで述べてきた視点に立つと,ゲームはそれが必要な人にとっての心の成長場所であり,避難場所であり,安全基地であり,回復手段でもあるという捉え方が可能になる。

そうしたゲームが持つ「力」を理解し,語りの中に立ち現れる「その人らしさ」を大切に扱う態度が,相談者の心の変化と成長を促すだろう。これからの連載でも引き続き,そうした「力」に焦点を当て,紐解いていきたいと思う。

文  献
  • 笹倉尚子(2020)学生相談において趣味の話題を扱うプロセスに関する研究.学生相談研究,41 (2); 107-117.
  • 山中康裕(1978)少年期の心―精神療法を通してみた影.中公新書.
+ 記事

長行司研太(ちょうぎょうじ・けんた)
所属:佛教大学,京都府/市スクールカウンセラー
資格:臨床心理士,公認心理師
サブカルチャーと心理臨床の接点を探求する「サブカルチャー臨床研究会(さぶりんけん)」副代表。
主な著書に『サブカルチャーのこころ―オタクなカウンセラーがまじめに語ってみた』(共著,木立の文庫,2023)がある。

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