書評:『思春期センサー』(岩宮恵子著/岩波書店)|評者:谷木龍男

谷木龍男(東海大学)
シンリンラボ 第31号(2025年10月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.31 (2025, Oct.)

『思春期センサー』は,岩宮恵子氏が島根大学の定年退職にあたり,「卒業論文のような気持ち」で書き上げた一冊である。「思春期センサー」とは,「思春期心性の感受性の感知装置」を指す著者の造語であり,思春期の子どもたちがもつ敏感なセンサーであると同時に,周囲の大人が持つべきものとされる。本書には著者の長年の読者にはおなじみのキーワードやエピソードが随所に散りばめられているが,そこには心理臨床家としてのさらなる深化と新たな気づきがうかがえる。これは,著者が今もなお「思春期センサー」をもちながら,臨床現場での面談を続けられているからこそであろう。

「SNSは思春期をどう変えた?」という帯文はたしかにキャッチーではあるが,本書の魅力をすべて表現するものではない。本書は,社会の変化に伴う思春期の表層的な変化を的確に捉えつつ,その奥にある変わらぬ思春期心性にも光を当てている。今の子どもたちの思春期が「自分の思春期とまったく違う」と感じている大人にとっても,過ぎ去った自らの思春期を振り返り,その経験の意味を改めて模索するきっかけとなるはずである。

多忙な読者であっても,「はじめに」だけは目を通してほしい。現代の子どもたちとその周囲の環境や社会の変化,そしてそれに応じた心理臨床家の役割の変化が,手際よく簡潔にまとめられている。「思春期について考えるよりも,環境調整や生活支援的なアドバイスが重視されるようになっている」という現状認識に異を唱える者は少ないはずだ。そのうえで筆者は,環境調整や生活支援的アドバイスをするにしても,今の思春期のひとたちが生きる世界や,表面的な出来事の裏にあるものを考慮することも重要なことではないかと問いかける。

本書の構成は,「はじめに」の内容と問題提起をほぼ踏襲している。第一部では,現代の思春期をめぐる特徴とその背景について事例を交えて洞察し,第二部以降でさらに奥深い領域へと踏み込んでいく。

第7章が本書の転換点だろう。不登校の中学生Nさんの箱庭が紹介される場面で,筆者はミケランジェロの『アダムの創造』を連想した。続く文章で著者もまさにその絵画を引き合いに出す。さらに,著者は『アダムの創造』の神の座が解剖学的に脳であり,神とアダムの指先が神経伝達を示しているという説を紹介する。そして,中沢新一氏の『アースダイバー』(2005年)を引用しつつ,たとえ直接触れ合わなくても,「思春期センサー」という受容器があれば,異界から「しっかり生きていくための重要な情報」が流れるという感覚こそ,Nさんが表現したかったものではないか,と鮮やかに論じる。

このように,予想を超えつつも自然に腑に落ちる感覚は,事例検討会での著者そのものである。事例と発表者を深く受け止め,的確な解説と見立てを示しながらも,最終的には誰もが予想しえない,しかし深く納得できる領域へと導いてくれる,まさにあの感覚である。

第8章以降では,事例において生じたさらに不思議な(ただし不可解ではない)エピソードが紹介・洞察されているが,こればかりはぜひ本書を手に取り,実際に読んでいただきたい。なお,著者はこのような(劇的な)変化の「とき」が訪れるまでには,長い時間が必要であることを繰り返し述べていることを申し添えておく。

カバー装画,南佳子氏の『二人の少女と蝶』(1979年)にも触れておきたい。地平線まで広がる鬱蒼とした草むらの中で,「何か」(鮮やかな朱色の蝶)を探している,少女とその少女の傍らに寄り添うもう一人の少女。これこそが著者が目指すクライエントと治療者の関係,あるいは心理臨床の仕事ではないだろうか。(『アダムの創造』におけるアダムと神のそれではなく)

冒頭に述べたとおり,本書は岩宮恵子氏が島根大学定年退職にあたって「卒業論文のような気持ち」で書き上げたものである。これまでのキャリアの集大成「ベストアルバム」であると同時に,瑞々しさと未来の可能性を予感させる「デビューアルバム」のような魅力をもっている。本書を読みながら,筆者の頭の中には,荒井由実(現:松任谷由美)氏の『やさしさに包まれたなら』(1974年)とその一節「おとなになっても奇蹟は起こるよ」がずっとリフレインされていた。目まぐるしく移り変わる社会の様々な現場において,日々もがいている大人たちをそっと「やさしい気持」にしてくれる。そんな一冊である。

岩宮恵子著『思春期センサー』

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谷木龍男(やぎ・たつお)
東海大学体育学部
資格:公認心理師,自律訓練法認定士,スポーツメンタルトレーニング指導士

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