勝又陽太郎(東京都立大学)
シンリンラボ 第21号(2024年12月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.21 (2024, Dec.)
本書はわが国における自殺予防教育のスタンダードな教科書と言ってよいだろう。分量は本文わずか100ページ程度に過ぎないが,政策・研究・臨床実践といった多様な観点から学校における自殺予防教育の必要性や位置づけが整理されていると同時に,具体的な実践方法までがコンパクトにまとめられている。また,豊富な教材資料が電子ファイルでも入手可能であり,現場の実践知が惜しみなく共有されている。これから自殺予防教育の取組みを始めようとするとき,その全体像を把握するのにうってつけの一冊であることは間違いない。
学校ベースの自殺予防教育プログラムは,過去40年以上にわたって様々なものが世界各国で開発されてきた。2000年代からは,それらの介入効果を実証しようとする研究も増加し始め,2015年前後には国内外での実践や研究の報告がピークに達した。本書の初版はまさにそうした潮流を読むかのごとく2016年に刊行されたわけであるが,それから8年以上の月日を経て刊行された今回の改訂版には,わが国における自殺予防教育の成熟した実践の形が凝縮されているように感じる。
ところで,本書のタイトルには「すすめ方」という言葉が使われているのだが,内容は単なる「実際の授業のすすめ方」に留まらない。むしろ,書籍の前半を中心に,学校で自殺予防教育の導入を試みる際に必要となる,様々な関係者の合意を得るための説明の枠組みや,導入を実現させるまでの手続き(ロジスティックス)の解説に多くの紙幅を割いていることが特徴的である。すなわち,本書が提示する「すすめ方」には,具体的な授業のすすめ方(ソフト面)もさることながら,それを可能にする教育の場(ハード面)の整備をすすめる方法までが含意されているのである。その意味では,現場で授業実践に臨む人のみならず,制度設計に携わる人にも届いて欲しい書籍である。
また,本書で示されている自殺予防教育のすすめ方の特徴の一つは,そのいたるところにフィードバックシステムが組み込まれている点にある。たとえば,プログラムの開始当初には,授業を行った全教員にアンケートへの回答を求め,教材やプログラムの改善に努めたという。また,実際の授業でも児童生徒に事前アンケートを行って,結果をフィードバックしながら授業を進める工夫がなされていたりもする。連携や協働にはこうした互いのフィードバックに基づく対話が不可欠であり,またそれを通して共に考える時間を作り続けることこそが,自殺予防活動において重要な要素であるとあらためて実感させられる。
本書の編著者の一人である窪田由紀氏が執筆に携わった「学校コミュニティへの緊急支援の手引き」は,児童生徒の自殺を含む学校危機が生じた際の重要な対応指針となり,瞬く間に全国に広がった。同じ福岡発の自殺予防教育の取組みが,学校危機に対する予防教育のスタンダードとして,これから全国に広がることを期待したい。
勝又陽太郎(かつまた・ようたろう)
東京都立大学 人文社会学部 人間社会学科 心理学教室
資格:公認心理師,臨床心理士
専門は自殺予防,地域精神保健。
主な著書:『学校における自殺予防教育プログラムGRIP—5時間の授業で支えあえるクラスをめざす』(編著,金剛出版,2018)