江口重幸(東京武蔵野病院)
シンリンラボ 第17号(2024年8月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.17 (2024, Aug.)
著者の小堀には,2018年に『死を生きた人びと―訪問診療医と355人の患者』という名著があり,これをもとにTV放映や映画化もされているのでご存じの方も多いだろう。もし未読の方がおられたらぜひ前著から読むことをお薦めする。
私は最初の著作を読んで,文字通りとりこになってしまった。最大の理由は,平成から令和にまたがる時代の,市井の人々の最期の日々に耳を傾け,描いた,最良のエスノグラフィーだと思ったからだ。映像を見ると小堀は,訪問時折りたたみの椅子を持参し,時に訪問の庭先の柿をめでながら,実に自然でユーモラスな口調でその人の世界に入っていく。その方法論を超えたもののやり方に,少しでもあやかれないものかと思った。しかしそこには,何か特別な手法というより,その人(私)自身しか持っていけないのだといういわば一種の覚悟のようなものを突き付けられることになった。そして記された人たちも深い印象を残す人物であった。本書でいえば,嘆願書や漢字のメモ,小説風の「海の見える家」等ずっと読者の記憶に刻み付けられるであろう。
こうした事例に加え,各県の訪問看護の利用状況と自宅死亡の割合,介護業界への異業種の参入と売上高の一覧,そして在宅医療のパイオニア・黒岩卓夫との対談という,興味尽きない多彩な内容が展開される。私はこれらを繰り返し読み,そのおもしろさに,『一冊の本』の3か月に一度の連載毎にコピーをして,友人に配り,読むことを薦めたものである。
小堀の視点を誤解を恐れずにまとめればこうなる。終末期には「命を永らえる医療」から「命を終えるための医療」へと切り替わるターニングポイント(TP)がある。前者だけでは,死を敗北としてしか捉えられなくなってしまう。TPを超えたときは,その人の最高の希望(culmination),つまり何を求めているかに向けてできるかぎりの援助をしたい。さらにそれらを確かに聴き取って,いわば挽歌として書き残しておきたい。
ところで評者である私は,自らの臨床家としての資質を問われそうだが,死と向き合うのが苦手である。医療人類学やクラインマンの『病いの語り』との出会いも,診察を依頼され,短期のうちに亡くなってしまう身体疾患の患者さんとの会話で抱いた深い困惑がもとになっている。堰を切ったように重大な生活史を語られたが,私が聴くことで何か役に立ったのだろうか。そういう不安や疑念がぬぐえずにいた。小堀は,かれら一人一人に語るべき豊かな人生があるとし,それらを聞き取り,書き記す時,その人生を敬意をもって送る,つまりことほぐことになるのでは,と語る。私は30年前に本書と出会っていたらなあと痛切に思った。
2025年,日本では,昭和22年から24年にかけて生まれたいわゆる団塊の世代がすべて75歳以上の後期高齢者になる超高齢社会が到来する。孤独死,介護難民について盛んに言及されている。私たちは,いつしか多老多死のオートメーション化された死を当然と思うようになってしまうのだろうか。それらに抗うように,一人一人の生を祝福することができるのだろうか。著者の父親である画家小堀四郎の月明りを描いた静謐な表紙もすばらしい。何をおいても読んでいただきたい一冊である。(なお文中敬称は省略させていただいた。)
江口重幸(えぐち・しげゆき)
東京武蔵野病院
資格:精神科医
主な著書:『病いは物語である』(金剛出版,2019),『シャルコー』(勉誠出版,2007)。共訳書としては,クラインマン『病いの語り』(誠信書房,1996),グッド『医療・合理性・経験』(誠信書房,2001),ロック『更年期』(みすず書房,2005),ショーター『精神医学歴史事典』(みすず書房,2016),ハッキング『マッドトラベラーズ』(岩波書店,2017)などがある。
趣味:猫と仕事と読書