平山史朗(東京リプロダクティブカウンセリングセンター/東京HARTクリニック)
シンリンラボ 第40号(2026年7月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.40 (2026, Jul.)
私は約30年にわたり,不妊や生殖に関する問題を抱える人たちへの心理支援に携わってきた。現在は不妊治療専門婦人科クリニックと私設カウンセリングルームで活動しているが,この領域は臨床心理学の中でもまだ十分に知られているとは言い難い。しかし私としては,心理臨床の本質と触れ合える臨床現場と思って続けてきた。
「不妊の相談」と聞くと,多くの人は「子どもができないことの悩み」を想像するだろう。しかし実際の臨床では,それだけではない。そこには夫婦関係,親との関係,仕事との両立,さまざまな喪失,生き方や価値観の問い直しなど,人が人生の中で直面するさまざまなテーマが凝縮されている。
私は不妊を経験することを,「子どもを生み育てること(それをしないことを含む)についての意識的・無意識的な語りごと」である「生殖物語(Reproductive Story)」が思い描いていた通りに進まなくなる体験として捉えている。不妊や流産,生殖機能の喪失は,その物語に大きな修正を迫る出来事となる。「どうして自分だけが」,「なぜ思ったように人生が進まないのか」,「親になれなかったら私に生まれてきた価値はあるのか」。こうした問いは,単なる医学的問題ではなく,アイデンティティや人生観にかかわる深い問いである。だからこそ,この領域の心理支援は興味深い。私たちは不妊の人を妊娠させることはできないし,失われたものを取り戻すこともできない。しかし,その人が傷ついた生殖物語をどのように語り直し,自らの人生の中に位置づけ直していくのかを支えることはできる。
治療によって子どもを授かる人もいる。一方で,治療を終結する人もいる。第三者からの精子や卵子の提供を選ぶ人もいる。養子縁組や里親という道に進む人もいる。そして,子どもを持たない人生を選択する人もいる。それぞれの選択は異なるが,共通しているのは,自分なりの物語を再び紡ぎ直していく過程があるということだ。その過程に立ち会えることは,心理職として大きな醍醐味である。
もう一つの魅力は,「当たり前」を問い直す視点を当事者から学べることである。私たちの社会には,「結婚したら子どもを持つのが自然だ」「家族には子どもがいるものだ」といった暗黙の前提が存在する。しかし不妊を経験した人々は,その前提によって深く傷つくことがある。何気ない会話やニュース,周囲の善意の言葉さえ苦痛になることも少なくない。
不妊の臨床に携わるようになってから,私はクライエントから「不妊というメガネ」を借りて世界を見ることを学んだ。すると,それまで当然と思っていた価値観や社会の仕組みが,実は特定の立場の人にとっては生きづらさを生み出していることに気づかされる。この視点は,不妊に限らず,少数者や周縁化された人々を理解する上でも大切なものだと感じている。
もちろん,この仕事は決して楽ではない。繰り返される治療の不成功や流死産,生物学的な子どもを持つことを諦めなければならない現実など,臨床家自身も無力感を味わう場面は少なくない。しかしその一方で,人が苦悩を抱えながらも生きていく力,失われたものの中から新たな意味を見出していく力に触れることができる。心理職は問題を解決する専門家というより,人が人生の困難をどのように生き抜いていくのかを共に考える伴走者なのだと思う。生殖医療の現場は,そのことを私に教え続けてくれる場所である。
患者の語りに耳を傾けるたびに,私は心理支援とは何かを改めて学び直している。そして,患者から借りた「不妊というメガネ」を通して世界の見え方が変わる体験こそが,この臨床現場の最大の魅力なのではないかと思っている。
平山史朗(ひらやま・しろう)
東京リプロダクティブカウンセリングセンター/東京HARTクリニック
資格:生殖心理カウンセラー,臨床心理士,公認心理師,家族心理士
著書:「妊活に疲れたら,開く本」(主婦の友社)
趣味:食べること
最近のお気に入り:「コウペンちゃん」にハマっています









