松本佳久子(武庫川女子大学)
シンリンラボ 第27号(2025年6月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.27 (2025, Jun.)
1.矯正施設という特殊な場
筆者は,非行少年や障害のある受刑者への独自の実践として,音楽ナラティヴアプローチを,平成12(2000)年からのべ7箇所の刑務所と少年院において実践してきた。矯正施設の重厚な施錠扉を通り,一歩塀の内側に入れば一転して空気がピンとはりつめる。そこは号令や鍵束のゆれる音,行き交う職員の靴音が響きわたる静寂の世界である。
「大切な人と別れたらそれまでの記憶が上書きされずに時が止まる」「毎日必ず一回はソトのことを考える。でもソトからは忘れられている状態」などの受刑者の言葉からも物理的心理的に社会から隔てられていることが伝わってくる。この特殊な場に音楽を持ち込む意味と臨床としての魅力について述べる。
2.素の対話を目指して
ある受刑者が,幼少期から事件に至るまでの人生のストーリーを自ら手を挙げて整然と語り始め,「結局自分が悪い。言ったからには変わらないと」と締めくくった。真摯な姿勢ながらも,その時の語りは彼の心のうちから出る声や言葉としては,なぜか筆者の心には響かなかった。また,別の受刑者は「人を殺したら,それでもう普通の市民ではなくなる。魂を失ったようなものだ」と語る。彼の言う魂とは,もしかしたら,その人らしさや主体のことではないだろうか。
これらの語りは,“かくあるべき”というような文脈にとらわれ,“モノトーン”の様相を帯びたものだった。そこで,筆者は,固まった語りの文脈をほぐし「“素”の対話」ができることを目指すようになった。
3.大切な音楽について語るという一種の廻り道
音楽ナラティヴは,まずリズムセッションによる非言語交流を経てから,各々の「大切な音楽」について語りあう。音楽を「演奏する=play」ことには「遊ぶ」という意味も含まれる。目的のない,自発的で原初な表現行為それ自体に,心を開き人との基本的な信頼関係を築く心理療法的な意味があると筆者は考える。意外な方向へ話題がとんだり,言葉につまってもよい「緩い」対話の場を醸成し,互いに「大切な音楽」にまつわる過去の重要な他者や出来事を思い,また時には自らのルーツにあたる物事に気づくことにもつながる。そして最終的には生きることの意味について語りあうようになるというようなプロセスを筆者は見てきた。
4.忘れられない光景
音楽ナラティヴの場で必ずしも即時的に変化が出るわけではない。むしろ後になってじわじわと浸透し,変化として現れることが多くある。施設において,受刑者や少年らが自ら音楽を選び,聴き,そして演奏する表現の機会は貴重である。そこで,施設の観桜会において音楽ナラティヴを経た少年受刑者有志によるバンドの出演を提案した。楽器経験といえば「バイクの排気音」というほどの初心者バンドが,半年足らずのうちに約600人の観客の前で堂々と演奏できるようになった。
余暇時間や,時には睡眠時間まで削るほど準備に没頭する彼らの集中力に筆者は驚かされた。遠方から面会に通う母を思い「アンマー(モンゴル800)」を歌った少年や,替え歌で自作のラップを披露した者もいた。教育専門官や筆者も加わったステージを終えて,教室に楽器を片づけた後,車座になり,誰からともなく「島人ぬ宝(BEGIN)」を歌いはじめた。そこにギターや「イヤサーサ」という掛け声が重なり,桜吹雪が舞う窓を背に皆で歌い踊った。永遠がこの瞬間に凝縮され,筆者にとって忘れられない光景となった。
松本 佳久子(まつもと・かくこ)
所属:武庫川女子大学音楽学部応用音楽学科
資格:公認心理師・臨床心理士・音楽療法士・芸術療法士
主な著書:山口智子編著『喪失のこころと支援ー悲嘆のナラティヴとレジリエンス』遠見書房,第11章「喪失と音楽―非行少年の「大切な音楽」とその語りが示すもの」を担当