私の臨床現場の魅力(23)産業領域におけるナラティヴ・アプローチによる実践|平栗富美子

平栗富美子(Office Becoming)
シンリンラボ 第23号(2025年2月号)
Clinical Psychology Laboratory, No.23 (2025, Feb.)

産業領域における実践経験は通算で約19年になるが,本稿においては,主に企業A社(社名は伏せる)の健康管理室のカウンセラーとして,ナラティヴ・アプローチに関心を寄せながら相談・研修業務に従事してきた経験について記す。

1.産業心理職の役割

弊社では,企業内に心理職が雇用されている意義は,「社員の健康管理(ケア)と職場適応支援」と位置付けられている。支援の対象は,社員個人だけでなく,社員の周囲にいる管理職,人事,コンプライアンス部門,組合など,組織も対象となる。社内の産業医や保健師,看護師等の医療職,外部医療機関・相談機関などとも連携して支援しており,健康管理室では定期的なケースカンファレンスにて対応を話し合う時間を持っている。

社員の相談内容は,仕事の遂行上の悩み,上司・同僚との人間関係,ワークライフバランス,今後のキャリア,ハラスメント(被害者・加害者両方が支援対象)などが多い。管理職や人事等に対しては,関わっている社員への対応に関するコンサルテーションを実施している。危機介入が必要になる場合やコンプライアンスを意識して対応する場合もあり,「社員のケア」と並行して「組織のリスクマネジメント」の側面が強くなることもある。

2.ナラティヴ・アプローチの「問題」の取り扱い

「リスクマネジメント」と言っても,職場の環境について検討することは,単にネガティヴな要素を正すにとどまらず,社員が意欲や情熱をもって働けるような環境の実現に努力することでもある。関係者がケアとリスクマネジメントのどちらかを偏重し,どちらかを無視するといったことに陥らないように,会話を重ねながら,社員や関係者が主体的に決めていくのを手伝うことに努めている。

また,組織の社風や文化,就業規則や社内制度,事業内容や業績,社会情勢,法律などを理解し,ヒエラルキーのある組織において必ず生じる力関係を意識した対応が求められる。それらが社員の考え方や対処の仕方,問題の語り方,支援者のあり方に大きく影響していることを踏まえていると,人の言葉や行動がどの立ち位置から発せられたものなのかを理解しやすい。特定の「人」に責任があると内在化して考えるのではなく,「問題」が「問題」であると外在化して考えれば,ともに問題に対処する協働的な関係を構築できると感じている。

3.企業の「問題解決」

企業の近代的な組織や制度においては,「問題」に対する答えは一つの「正解」へ収斂しようとする力が強く働く。たとえば会議においては,どの意見がより良いものか,競争的に決めようとすることが多い。また安全管理や品質保証の分野では,仕事の性質上,「正しい」ことを追求し,「正しくない」ことは排除しなければならないだろう。

しかし,物事について早い段階で何か一つの「正解」を決めてしまうと,それ以外の選択肢が語られなくなる可能性が高い。企業は生産性を追求する営利団体ではあるが,一部の意見が抑圧され,全く話し合われることがない状態では,重要な側面に日が当たらず,より良い選択肢を見逃してしまうかもしれない。社員のモチベーションも落ちてしまう可能性が高い。

4.心理職が目指すこと

心理職の支援においては,企業という文脈を踏まえつつも,専門家として「こうすべき」と「正しい」対策を押し付けるのではなく,社員や関係者がこれまでに重ねてきた問題解決の努力の歴史について質問し,それぞれが持っている問題解決方法や大事にしてきたことを聴いていく。そのような質問と語りを重ねる場を持てると,思わぬタイミングで今まで語られていなかったことが出てくるため,耳をすませる。

個別面接か,複数面接かは,ケースバイケースであり,その時の状況による。「相談対応」という枠組みにおいては,始まりは個別であることが多いが,それぞれの関係者の語りがほぐれてくると,複数面接の準備となる。社員と組織が会話を継続する場を提供することが心理職の務めと考えており,多声が響き合うことに喜びを感じている。

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平栗 富美子(ひらぐり・ふみこ)
所属:Office Becoming/横浜国立大学保健管理センター/市ヶ谷カウンセリングセンター
資格:公認心理師・臨床心理士・精神保健福祉士
著書:『ナラティヴ・セラピー・ワークショップBookⅡ─会話と外在化,再著述を深める』(分担執筆,2022年,北大路書房)

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